良い音とは、良いスピーカーとは?(6)

瀬川冬樹

ステレオサウンド 29号(1973年12月発行)

高忠実度スピーカーの流れ
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 BBCモニタースピーカーLS5/1Aの音は、はじめて耳にしたときから、それまでモニターの代表として知られていたアルテック604E/612Aや三菱ダイヤトーン2S305らの音とは全く違っていた。よく耳にするこれらのモニタースピーカーの音は──中でもアルテック604E/612Aはわたくし自身約二年あまり自宅で聴いていたことがあるが──、第一に冷徹でプログラムソースのアラをえぐり出すような鳴り方で、永く聴きこむにはあまりにも鋭く、こちらの気持が充実し精神が張りつめたようなときでないとその鮮烈さに耐え難いような強さがある。そういう音には一方で、パワーを上げると滝に打たれるような爽快感さえあって精神の健康なときには一種のスポーツ的な楽しさで対峙できる反面、疲れた心を癒してくれるというような優しい鳴り方は絶対に求めることができない。それはアルテックばかりでなく2S305にもそういう傾向が感じられ、たった一度だけ、あるレコードファンが、団地の四畳半で管球アンプで鳴らしている音質に意外に柔らかな表情を聴きとった経験があるが、一般にモニタースピーカーの音質とは緊張を強いる、分析的な、余剰を断ち切った無機的な鳴り方をするものだと、わたくし自身まあ信じていたと言ってよい。わたくしだけではあるまい。現にそのような解説が、オーディオ専門誌でもひとつの定説のように繰りかえされている。
 BBCモニターの音は違っていた。第一にいかにも自然で柔らかい。耳を刺激するような粗い音は少しも出さず、それでいてプログラムソースに激しい音が含まれていればそのまま激しく鳴らせるし、擦る音は擦るように、叩く音は叩くように、あたりまえの話だが、つまり全く当り前にそのままに鳴る。すべての音がそれぞれ所を得たように見事にバランスして安定に収まり、抑制を利かせすぎているようにさえ思えるほどおとなしい音なのに全く自然に弾み、よく唱う。この音に身をまかせておけばもう安心だという気持にさせてしまう。寛ぐことのできる、あるいは疲れた心を癒してくれる音なのである。陽の照った表側よりも、その裏の翳りを鳴らすことで音楽を形造ってゆくタイプの音である。この点が、アメリカのスピーカーには殆ど望めないイギリス独特の鳴り方ともいえる。
 初めてこれを聴いたのはもう六年も前の話になる。古い読者なら本誌8号の「話題の海外製品」欄(384ページ)に、山中敬三氏の紹介があることを記憶しておられるかもしれない。その頃初めて入荷して、山中氏のお宅に紹介記事のためにしばらく置いてあった。お前の好きそうな音だから聴きにこないかと声がかかって、しかしそのときの印象は、ずいぶんすっきりと線の細いきれいな音だという程度のもので、今思い返せば残念ながらわたくしの耳も曇っていた。しかし右の紹介記事をいま読み返してみると、山中氏も「定位もすばらしく良く、音にあたたか味がやや不足する気もするが、この色付けの少ないひびきは、モニタースピーカーのひとつの典型……」と書いておられる。するとあの部屋で鳴った音は、この種の音にはどちらかといえば冷淡な彼の鳴らし方そのものだったのに違いないと、今になってそんなふうに思えてくる。
 LS5/1Aのもうひとつの大きな特徴は、山中氏も指摘している音像定位の良さである。いま、わたくしの家ではこのスピーカーを左右の壁面いっぱいに、約4メートルの間隔を開いて置いているが、二つのスピーカーの中央から外れた位置に坐っても、左右4メートルの幅に並ぶ音像の定位にあまり変化が内。そして完全な中央で聴けば、わたくしの最も望んでいるシャープな音像の定位──ソロイストが中央にぴたりと収まり、オーケストラはあくまで広く、そして楽器と楽器の距離感や音場の広がりや奥行きまでが感じられる──あのステレオのプレゼンスが、一見ソフトフォーカスのように柔らかでありながら正確なピントを結んで眼前に現出する。
 柔らかな音は解像力が甘く、ピントの良い音は耳当りが硬い……。それがふつうのスピーカーだが、LS5/1Aは、ドライブするアンプの音色の差、カートリッジの差、レコーディングのテクニックの差を、そのままさらけ出す。モニタースピーカーなのだからこれは全く当り前の話だが、そういう冷酷なほどの解像力を持ち、スピーカー自体カラーレイションの少ない素直でありながら、レコードの傷みや埃に起因するざらついたノイズや、ビリつきとかシリつきなどといわれる種類の汚れた音をほとんど出さず、むしろ音を磨いて美しく鳴らす。前回(27号)に載せた周波数特性図からもわかるように約14kHzから上が割合急にロールオフしてゆく傾向があることがその大きな理由かもしれないが、しかしこのスピーカーに関連して発表されているKEFのリポートなどを読んでみても、全音域に亘って過渡特性をできるだけ改善しようと努めていることがわかり、その点もまた、音を美しく聴かせる重要なファクターであるにちがいない。
 監視用(モニター)でも検聴用(ディテクター)でもありながら、一人のアマチュアの気ままな聴き方をも許してくれるこういう鳴り方のスピーカーは、モニター用でない一般市販品まで話を広げてもほかに思い浮かべることができない。こんな音を聴くに及んでは、わたくし自身のモニタースピーカーに対するイメージがすっかり変わって、しまったことは容易にお分り頂けるだろう。残念なことに、三ヵ月ほど前に引越をして新しい部屋に置いたところが、右のような音の良さが(今のところはまだ)十分に生かせなくなってしまった。以前の、ほとんどこわれかけた本木造(本などと断わらなくてはならないほど、昔ふうの良い木造建築をしてくれる職人も材料もなくなる一方だが)、畳敷きの8畳のあのおそろしくデッドな部屋でこそ、このスピーカーの音は全く素直に耳のところまで伝わってきて、右に書いた素晴らしく自然なプレゼンスを聴かせてくれたのに、今度の部屋はスピーカーと聴取位置のあいだに、まるでエア・カーテンでも介在しているみたいに、以前にくらべて音の透過が極端に悪くなってしまった。しかしここのところがLS5/1Aのひとつのウィークポイントかもしれないことは、以前の8畳のそのまた前に住んでいた部屋でも(ややこしくて申し訳ありません)今回と似たような現象があったごとから想像できる。だいたいこのスピーカーをBBC放送局で使っている写真をみると、ミクシングコンソールの両そでに置いて、おそらくミクサーの耳から1メートルと離れないような近距離で聴くことさえあるように、むろん印刷写真からの憶測だから違うかもしれないがそのように思える。ともかく、離れて聴くにつれて音像のぼけてゆく傾向が、ほかのいろいろなスピーカーよりも顕著のように思える。それだから、わたくしのような昔から広いリスニングルームに住んだことのない人間には向いているのかもしれない。
 LS5/1Aにはもともとラドフォード製の6CA7-PPの35Wのパワーアンプが附属している。これで鳴らす音は美しいが、その美しさはいわばゼリーを薄くかけたケーキのようにやや人工的に滑らかな質感で、わたくしの耳にはこれでは少しもの足りない。むしろJBLの400Sや460Sなどの傾向の、あくまでも解像力の優れた良質のTRアンプで鳴らす方が、このスピーカーの恐ろしいほどの解像力やプレゼンスを生かしてくれる。逆にいえば、放っておくと音像がぼけてゆく方向の音を、できるかぎり解像力を上げる傾向に修整して鳴らそうという意識が働いているのかもしれないが……。
 LS5/1Aの音には、たとえばJBLのモニターのような鮮烈な明晰さ、神経の張りつめたモダンな明るさがない。いくぶん暗く、渋く、柔らかく、そして必要な音をできるだけ自然な光沢で控え目に鳴らしてくれる所が良さで、だから反面の不満が生じないと言ったら嘘になる。BBCを鳴らしてJBLの良さに気がつき、JBLを聴いたあとでBBCの柔らかなハーモニーに心からくつろいでゆく自分に満足する。わたくしの中にこの両極を求める気持が入りまじっている。
 先日、JBLのプロフェッショナル・シリーズのモニタースピーカー♯4320を、わが家に運び込んで鳴らす機会を得た。わたくしのJBLは以前から愛用している3ウェイだが、マルチアンプ・ドライブでいろいろいじるうちにいつのまにかBBCに影響されすぎて、いわば角を矯めすぎていたようだと気がついた。それはそれとして、JBLのプロ・シリーズが従来とは違う新しい音を作りはじめ、その新しさの中から、再びわたくしを捉える麻薬を嗅いでしまった。JBLとKEF/BBCモニターの音が、いまのところわたくしの中に住む両極の代表なのかもしれない。
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 ありていに言えば、BBCモニターについてはいくら枚数を与えられても当分書き足らないのだが、これを書いた理由をいえば、前回(27号)のくりかえしになるが高忠実度スピーカーの流れを説明するために、シアター・スピーカーから発展した家庭用大型スピーカー、ARから発展した小型ブックシェルフ、その折衷型の中型フロアータイプなど従来知られていた流れのほかに、新しくヨーロッパに抬頭しつつある家庭用ハイファイ・スピーカーのひとつの源流として、ことにイギリスの新しい家庭用の小型スピーカーの作り方の中に、右のBBCのモニタースピーカーの影響を無視できないように思えるところから、やや詳細に紙数を費やした次第で、ここから再び話が本流に戻る。
 BBC放送局は衆知のようにイギリスの国営放送で、その性格上放送技術の向上のために研究したデータが民間のメーカーなどに広く公表されるらしい。また、右のモニタースピーカーの開発に際しては、民間のスピーカーメーカーにその業務を委託するではないかとも想像される。あるいはさらに、同じテーマによって競作させることさえあるのではないかとも想像できるような事実もあるが、想像での話をあまり広げるのは止そう。
 ひとつの例がスペンドールのBCIというブックシェルフスピーカーで(これにはモニタースピーカーと書いてあるが、この場合はあくまで一般的に言われるモニターのことだと思うが)、このスピーカーの背面には、型番や規格を記した銘板(ネームプレート)の下にもう一枚、BBCの発表したモニタースピーカーの資料に依って製作した旨の断り書きが入っている。
 ただしBBCのメイン・モニターは、現在では前記のLS5/1Aから発展した新型のLS5/5型に変わっているらしい。KEFのレイモンド・クック Raymond E. Cooke・(1969年発行のリポートによる)によれば──この新しいスピーカーは1969年中には供給に入るだろうし、1970年代を通じてリファレンス・スタンダードとなることが期待されている……とあり、最近の「放送技術」(VOL26No.10)にもこの新型の紹介が載っている(P89山本武夫氏)ところからもおそらく現用のモニターとして活躍していることと思うが、LS5/5はクロスオーバーが400Hz、3500Hzの3ウェイでLS5/1Aよりも小型に作られている。
 この400Hzと3500Hzというクロスオーバー周波数から、まっ先にフェログラフS1が思い浮かぶので、前記のクックのリポートから知ることのできるBBC・LS5/5とフェログラフS1とは、ネットワークの構成その他にもいくつか共通点を数えあげることができ、フェログラフのカタログにはBBCモニターとの関連など全く触れられていないにもかかわらず、おそらくこのS1も、BBCのモニタースピーカーの資料を何らかの形で参考にして作られているであろうことが伺い知れる。
 一方、LS5シリーズを開発したKEFは、新型のモデル104(本号テストリポート参照)で、これまでのKEFの一連の市販スピーカーとは別の、新しい音質を聴かせはじめた。わたくしたちの目に触れる範囲でさえ、これらの事実を照合してゆくにつれて最近のイギリスの家庭用スピーカーの開発の方法論の中に、BBC放送局がモニタースピーカーを作りあげてゆく過程で積み上げた厖大な研究の成果が、少しずつ実りはじめているのうみることができる。おそらくこの土台は、われわれが想像するよりもはるかに根が深く、そしてこれから先もイギリス以外の製品にまで、直接間接に影響を及ぼしてゆくだろうと、わたくしは予言してもいい。なぜか──。
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 モニタースピーカーの音は、きつい、とか疲れる、とかドライすぎる、などという説があって、それが必ずしもすべてではないことを証明したひとつの例がさきのBBCのモニターだが、外国製スピーカーの特性と音質の関連についての俗説も、そろそろ是正されなくてはならないと思う。
 たとえばこんな巷説がある。──外国製のスピーカーの音色は個性が強く、聴いて楽しくとも測定上の特性はそんなに良くない。一方、国産スピーカーは特性は外国製より良いが、聴いてひきつけられるような個性が少ないし、楽しめる音が出にくい……。
 たとえばアルテック604E/612Aの周波数特性を眺めてみる(図参照)。この個性的な特性をみれば、あの独特の鮮明な音色もなるほどと納得がゆく。こういう特性をみて音を聴いたあとで、国産のフラット型の特性を見せられ音を聴かされれば、たしかに右の巷説には説得力がある。しかしいまは違う。ことに新しく抬頭したヨーロッパの家庭用ブックシェルフスピーカーの中でも、聴いて音の良い製品の特性を測ってみると、驚くほど素直な、平坦な周波数特性を持っているという例が、ここ数年来目立って増えてきた。
 本誌の28、29号を通じて測定データを詳細に検討するなら、いくつかの例外はあるにしても、もはや海外スピーカーが、聴いて良くても特性は悪い、などと単純には片づかないどころか、ものよっては国産の平均水準よりも優れた特性を示し、しかも音の魅力も十分に具えた製品が数少ないとはいえ出現しつつあることが明白である。
 ヨーロッパの製品ばかりではない。アメリカのスピーカーにも右のような傾向が少しずつ現われはじめている。
 それなら、たとえば周波数特性が平らになってゆくと、音の個性──といって悪ければそのスピーカーだけがもっている何ともいえない音の魅力、鳴ってくる音楽の音色の美しさ──が薄れてゆくだろうか。そうはならない。少なくとも、周波数特性をいじることで表面的に変化する音のバランス、それによって感じられる表面的な音色は、周波数特性をコントロールすることでできるかもしれないが、そのスピーカーの本質的な音色、内からにじみ出てくる味わいは、周波数特性をいじってみても、大きな変化は示さない。というよりは、周波数特性とは直接関係ないような性質の音色の方が、わたくしにとって大切な問題になる。よく言われる国の違いや風土の違いから生じる根本的な音色のちがい、鳴り方響き方の違いというのがそこに厳として存在する。ここが解明されないかぎりは、見かけ上の周波数特性どんな具合にいじってみたところで、本質的な問題はたいして前進はしない。イギリスのスピーカーに共通のあの渋い光沢のある鳴り方、アメリカのウェストコーストでしか作れないあの明るい響きを、それとは別の風土では作れない。そうしたいわば血の違い、風土の違いに根ざした本質的な音色をふまえた上で、同じ国の音色が、時の流れに応じて次第に変わってゆく。それは音楽が、またその演奏のスタイルが時とともに少しずつ姿を変えてゆくことと無縁ではない。

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