’75ベストバイ・コンポーネントを選んで

瀬川冬樹

ステレオサウンド 35号(1975年6月発行)
特集・「’75ベストバイ・コンポーネント」より

 編集部から渡された千何百機種かのパーツリストを眺めて、ほとんど絶望的な気持に襲われた。この中のいくつを聴いているんだろう。しかもこの中から百五十機種に絞れという……。
 まず、自分流に次のような分類を考えて、大まかな区分けからはじめてみた。
 ◎ 文句なく誰にでもすすめたいパーツ。あるいは自分でも買って使いたい魅力のあるパーツ。
 ○ 自分としては必ずしも魅力を感じないが、客観的にみて、現時点で、この価格ランクの中では一応水準あるいは水準以上の性能を持っていると思われるパーツ。
 △ 必ずしも水準に達しているとは思えないが、捨てるには惜しい良さまたは魅力をどこかひとつでも持っているパーツ。
 こういう分け方をしてみると、◎と△をつけるのは案外やさしい。けれど、○印をつけるのには、10分も20分も考え込んでしまったり、○をつけたり消したリを何度もくりかえしたりする。
 昨年発行された本誌31号(特集「オーディオ機器の魅力とは/魅力あるオーディオ機器とは」)の場合には、ほとんど自分個人の主観だけで話を進めていればよかった。今回のテーマとなるとそうはゆかない。自分が好きになれなくても、客観的にみてひとつの水準を越えていると思われるパーツを無視するわけにはゆかないだろう。そう考えた結果が、たいへん難しい作業になってしまった。
 自分の好きなパーツだけ、客観的にリストアップすればいいじゃないか。全部で千何百機種か知らないが、結果として十数機種に絞ったってかまわないじゃないか、という考え方が成り立たないとは思わない。ぼく一人が今回の特集を背負って立っているわけじゃあるまいし、自分が好きでなくても客観的に良いと思う、なんていう考え方こそむしろ思い上がりなんだぞ、という声が、頭のどこかに聞こえている。でもぼくには、自分の好きなパーツだけに徹することはできなかった。なぜだろう。
 ベストバイという言葉自体に、ぼく自身もどことなく抵抗を感じる。それは、この言葉の悪さではなく、この言葉が手垢にまみれて、安っぽく扱われているせいにちがいない。しかし自分が身銭を切って買った品物というのは、つきつめてみればすべてベストバイ、なのじゃないか。良いと思ったから金を払った。そしてそれを所有し毎日使うことに、喜びも充足感も十分にある。埃を払う手つきにも、どことなく愛情がこもる。良い買い物をしたな、と満足する。ベストバイじゃないか。けれど、ベストバイという言葉は、くり返していわせてもらうがどうも手垢にまみれて安っぽく扱われすぎている。ほんとうのベストバイなら、使い捨て、なんて出来っこない。飽きてしまった、なんていえるはずがない。惜しげなく使い捨てができるのなら、あるいは簡単に飽きてしまうくらいなら、ベストバイであるはずがない。
 そういことから、ベストバイとは万人向きのものじゃなくて、自分ひとりにとってのものであるはずだ、という理屈が出てくる。全くそのとおりだ。つきつめて考えてみれば、結局、自分が毎日、眺め、いじって、なお愛着を感じることのできる品物は、他人がどう思おうが、自分ひとりにとってのベストバイにちがいない。
 そのとおりなのだが、そこから先をもう少し考えてみなくてはならない。オーディオパーツというのは、一品制作の芸術品ではない。工業製品であり、量産される商品なのだ。また別の面からいえば、一人の人間をほんとうに説得できる素晴らしい製品は、結局、普遍的に多くの人を動かす力を持っているはずだ。その意味で、定評、というものにもある普遍的な説得力があるのだろうと思う。
 でも、自分が心底惚れた製品というのは、他人が持っているとシャクにさわるのだなあ。自分より先に買われてしまうと、シャクなのだなあ。道楽者の心理なんて、そんなものじゃないかな。

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