ステート・オブ・ジ・アート選定にあたって

瀬川冬樹

ステレオサウンド 53号(1979年12月発行)
特集・「Hi-Fiコンポーネントにおける第2回《STATE OF THE ART》賞選定」より

 まず〝ステート・オブ・ジ・アート〟の意味あいについて、これは昨年度(49号)のこの項で書いたことを再びくりかえしておく。
 第一に、それぞれの分野での頂点に立つ最高クラスの製品であること。第二に、それがその分野でのそれ以前の製品にくらべて、何らかの革新的あるいは斬新的なくふうのあること。第三に、革新あるいは斬新でなくとも、それまで発展してきた各種の技術を見事に融合させてひとつの有機的な統一体に仕上げることに成功した製品であること。
 要約すれば、ざっとこんなことになる。ただしこれはあくまでも私個人の解釈であって、この〝ステート・オブ・ジ・アート〟選定にあたった9人の選定委員のあいだには、こまかな部分での解釈のちがいがあることと思う。
 別項に〝ステート・オブ・ジ・アート〟選定までの経過、および選定の方法についての解説が載るはずだが、ともかく、昨年以来この一年間に発売された内外のオーディオパーツの中から、選定委員各自が、各自の解釈に従ってリストアップをする。それを編集部で整理して、誰がどの製品を選んだかは一切わからないようにした一覧表が廻されてくる。昨年もそうだったがことしもまた、そのリストを見るだけで〝ステート・オブ・ジ・アート〟の定義について、9人の選定委員のそれぞれの抱いている概念がいかに違うかという点に、驚かされる。というよりも、〝ステート・オブ・ジ・アート〟の定義または概念について話し合ってみればそこに大きな差はないのかもしれないが、それを実際の製品にあてはめてみると、そこに驚くほど大きな解釈の相違が現れるということかもしれない。
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 いずれにしても、そうしてリストアップされたぼう大な製品の中から、投票をくりかえしながら少数の製品に絞ってゆくプロセスで、各自が、自分としてはどうしてもこれを推したいと思う製品が、容赦なく落選してゆくのをみると、私など全く途方に暮れてしまう。他の選定委員の方々はこの点をどう思われるのだろうか知らないが、少なくとも個人的にそんな感慨にふけっていたとき、たまたま、〝モントルー国際レコード大賞〟に日本から審査員として招かれた志鳥栄八郎氏が、その審査のいきさつを書いておられたのを興味深く読ませて頂いた。(「レコード芸術」11月号および「FMファン」25号に詳しい)。多数決の投票によるかぎり、どれかが落されるのはやむをえない。が、そこにゆきつくまでに、十分の討論が交わされ、かつ、候補に上ったレコードを審査員が改めて聴き直す機会が与えられる、という点は、とうぜんのことながら立派だと思った。
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 強力に推したかったが落された製品を、あまりにも残念なのでここにあげておく。個人的に名を上げることは許されるだろう。
 第一がオーディオクラフトのアームAC3000(4000)MC、第二はマイクロの5000シリーズの糸ドライブ・ターンテーブル。マイクロのターンテーブルには洗練度という点でいささかの難点がなくはないが、この両者から得られる音の質の高さは別格で、いま私の最も信頼する組合せだ。
 第三に、ケンウッドのL01Tが入ったのならとうぜんL01Aも。
 第四は、オースチンTVA1とアキュフェーズのT104、およびP400。音質、完成度、いずれもなぜ入らなかったかふしぎな製品。
 またこまかいものはいくつかあるが、これだけはどうしてもあげておきたかった。

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