Monthly Archives: 6月 1973

マイクロ

マイクロの広告
(スイングジャーナル 1973年7月号掲載)

Micro

オンキョー Integra A-755

岩崎千明

スイングジャーナル 7月号(1973年6月発行)
「SJ選定 ベスト・バイ・ステレオ」より

 オンキョーがステレオに本腰を入れてからまだ6、7年しかたっていない。今日のリーダー的ステレオ専門メーカーが、昭和20年代から20年以上のキャリアを誇っている中にあっては、まあ後発メーカーといわれても何の不思議もない。しかし、スピーカーというステレオ・パーツの中でも、もっとも音楽的な感覚を要求される部分を手がけるキャリアは20年を軽く越しているのだから、後発というのはメーカーからすれば不当なりともいえる。
 しかし、ここ数年の驚くべき努力とそのみごとな成果によるこうしたメーカーの体制の変化は、後から割り込んだこのメーカーの実力を、業界のあらゆる分野に驚きとおののきをともなって知らしめたことは、まごうことなき事実なのだ。
 あらゆるアンプ・メーカーが、オンキョーの放つ新製品、特にそのアンプに注目し、市場に出るや否や、その製品の解析がライバル・メーカーの開発技術者のひとつの課題として、もはや定着してしまっている風潮がみられるほどだ。
 オンキョーのアンプ設計技術は、他社の新型を模することからはじまる中級アンプの大方の傾向とはまったく違って、常に新たなる設計理論の裏付けを持ち、国産メーカーには珍しくはっきりした形をとって輝いているのである。それも、このクラスの製品によくみられる生産性に比重を置いた技術ではなく、性能向上をはっきりめざした技術としてである。
「回路供給電圧を高くしただけじゃないか」といったライバル・メーカーの技術者がいるが、それがもたらす向上、ダイナミック・レンジの大幅なアップ、パワー段ドライバーの歪率の絶滅化、加えてそれらに反する安定性への大きな配慮など……こうした技術は次の時期の各社の製品にわがもの顔ですばやくとり入れられてしまうのだが、それに気付いたのはオンキョーのアンプが皮切りになっているはずだ。
 701からはじまり、725、733と経て、現在オンキョーの主力製品は755と、そのジュニア版766だ。近くそのトップ・レベルとして722が出るが、この3種のアンプ技術こそ、国産アンプの格段の飛躍の引き金となっていることは、広くは知られていない。
 だが、オンキョーという他の専門メーカーよりはいくらか弱いイメージのこのブランドの製品が、この半年間、日本のあらゆる市場で売れまくっているのは業界内部の常識である。これはユーザーは決しておろかではなく、知らないわけではないということを物語る痛快な事実だ。
 オンキョーのアンプは、中を開けるまでもなく、パネル・デザインも派手さがなく、おとなしくて控え目である。性能表示も決して誇大にしてはいない。しかし、このつつましやかなアンプが、いったんボリュームを上げたとき、そのしとやかな、ためらいがちな外観からは想像できないパワーとエネルギーをもたらすのである。30Wというのは、こんなにも力強いものなのかという実感をひしひしと味あわせてくれるのだ。
 カタログに記載されている表示値になかなか達することの少ない国産車なみのオーディオ・パーツの中にあって「うそのないアンプ」、これがオンキョーのアンプだ。
 インディアンのたわごとと軽くみるのはまちがっている。倍以上もする価格のアンプの発表データさえ当てにならず、規格どうりの出力はスイッチ・オン以後20分間だけ、あとは規格の70%でクリップしてしまい「それが当り前だ」といってはばからない「高級エリート向けアンプ」が少しも疑われずに大手を振っている国産アンプ業界なのだ。
 よく、オンキョーのアンプは真空管的だなどといわれるが、そういういい方よりも、「あらゆるアンプが最終的に到達するであろうと思われるサウンド」というべきだろう。3極管OTLにも近いし、超低歪率を狙った多量NFのトランジスタ・アンプにも似ている。こうしたサウンドはまじめなアンプ回路の追求から生れ出る以外のなにものでもない。
 オンキョーのアンプは755に限らず次の製品も次の製品も、常に多くのユーザーに支持され、多くのメーカーの注目するアンプであるに違いないと思うのである。

ブラウン L810

菅野沖彦

スイングジャーナル 7月号(1973年6月発行)
「SJ選定 ベスト・バイ・ステレオ」より

 L810はブラウンのスピーカー・システム群の中では高級機種である。ブラウンのスピーカーが日本へ輸入されてまだ日が浅いし、実際の商品の供給も軌道にのっていないようだ。生産能力のある会社だから日本でのサプライが早く順調になってほしいものである。選定新製品としてはマルチ・アンプの組込まれたL1020を取上げたのだが、代表的なものとなるとこのL810を選ぶのが妥当であろう。20cm(正確には21cm)ウーハーを2つベースにしてその上に5cm径のドーム・スコ−カーと2・5cm径のドーム・トゥイーターを組み合わせた3ウェイのユニット構成。内容積41ℓのブックシェルフ型密閉エンクロージュアーで別売のスティール脚を取付けて据置型としても使えるものにまとめた中型システムである。ブラウンではこのシステムをスタジオ用といっているところからみても、そのクォリティへの自信のほどが伺える。外装はウォールナットとホワイトの2つの仕上げが選べるが、どちらもフレッシュでシャープなデザイン感覚をもった美しいものだ。ユニットのクロスオーバーは550Hz、4kHzで12db/octの特性。9種類に及ぶスピーカー・システム群は共通のトーンとデザイン・ポリシーに貫ぬかれていて、6・4ℓ容積の2ウェイであるL420や7ℓ容積のL310といったコンパクト・タイプから、このL810に至るまでの様々なバリエーションは広くユーザーのニーズに合わせた製品構成である。これだけの種類の名システムが共通した音のイメージをもっていることは感心させられるし、メーカーの主張、性格が明確に表われているのはさすがである。ドーム・トゥイーターとドーム・スコーカーは共通のユニットを使い、2ウェイの場合はトゥイーターを1・8kHzから上で使うという方法をとっている。ウーハーはこの810に使われている21cm径のほか17cm、18cm、30cmの三種類を使いわけているが、いずれもコーンの材質、エッジやサスペンションなど振動系の設計は共通のものだ。一つのメーカーで、いろいろなスピーカーをつくり、これが同じメーカーの製品かと驚ろくような異質なものを発売しているメーカーが少くないが、それに対して、こういう行き方は、いかにもメーカーとしての自信、信念が感じられて好ましい。同じメーカーがソフト・ドーム、ハード・ドームやホーンなどといろいろなスピーカーを出すというのは、本来おかしい事で、日本のメーカーの多くに見られる例だが、マルチ化したユーザーへのサービスといえば聞えがいいが、本当は自信のなさと試行錯誤の中で、とにかく売ろうという考え方の現われとしか思えない。あまりにも無節操ではないか。
 それはとも角このL810はそうした共通のポリシーに貫ぬかれたいづれもそのサイズと価格内では最高のスピーカー・システムといってもよい製品群の中で、最高の位置づけにふさわしい優れたシステムである。周波数帯域はきわめて広く、素直にのびきった高音のさわやかさ、透明感は類がない。そして、豊かな低音は、楽器の低音域の充実した響きを鳴らし、全体の音楽的なまとまりほケチのつけようがないほどだ。今やオーディオは、スピーカーの音そのもので音楽的実体験が得られるといってもよいところまできていると思うが、このスピーカー・システムなどはまさにそれに価いするものだといってよかろう。録音のよいプログラム・ソースを優れたアンプを使って、このL810で再生すれば、その演奏から受ける感銘度は、生の演奏から受ける感銘度に匹敵するものだと思う。こう書くと、気のはやい人は生の音とそっくりという意味にとられるかもしれないが、そんな馬鹿げたことをいっているのではない。音楽体験としての質の高さ、次元の問題としての話しである。私は今、このL810をマッキントッシュのC28とMC2105のアンプで自宅で聞いているが、その再生音にはかなりの程度満足している。かなりの程度といったのは他にも勿論よいスピーカーがあり、それらはそれらの魅力をもっているからだ。111、000円という価格は、このシステムの質として、輸入品として決して高くない。
 すばらしいシステムだ。

良い音とは、良いスピーカーとは?(5)

瀬川冬樹

ステレオサウンド 27号(1973年6月発行)

高忠実度スピーカーの流れ
 いまさらこんなことを言い出すのは気が引けるが、この連載の最初の予定はこれほど長びかせるつもりではなかった。本誌22号のフロアータイプ・スピーカーの特集号で、編集長から《良いスピーカーの条件》について書くようにとの依頼を受けて、さて考えはじめてみると、どうも容易なことではなさそうに思われてきて、良いスピーカーの定義をするにはその前にまず《良い音》とは何かを考え直してみたくなり、そう考えてゆくとさらに良い音とはいわゆる《原音の再生》なのだろうかという考えにつき当って、それなら原音再生とは何だろうというところまで遡って、そこでこの拙文を書きはじめた。22号では原音再生の歴史の流れを考え、23号では原音再生という言葉の原点に立ちかえって、24号でそれをわたくしは《写実》であるべきだと考え、その項の終りから25号にかけて原音やその再生の前に立ちはだかる人間の錯覚について、ひとつの極端な場合を考えた。書いているうちにわたくし自身の考えのあいまいだったところが自分でもわかってきて、人さまに説明する以前に自分自身をまず納得させるような、いわば考えながら書き進めるような形をとらざるをえなくなって回りくどい話のくり返しになった点を、不勉強のためとは言え、改めてお詫びしなくてはならない。26号は別のテーマで一回休みを頂いたので、今回の話は25号からの続きになるが、右に書いた話の中で、再び24号のテーマであった原音再生の原点ともいうべき《写実》の問題に帰ってみる。
 それをもういちど整理して言うと、音の録音・再生のプロセスには人間の錯覚が入りこむ余地が多いにしても、少なくともそのためのメカニズム自体はそうした錯覚に甘えることなく、できるかぎり正確に音を伝達する性能を具えているべきだとわたくしは思うで、話をスピーカーに絞っても、良いスピーカーの条件のまず第一に、送り込まれた信号の忠実な再現という項目をあげたいと思う。だからスピーカー自体の弱点や欠点から生じる固有の音色をできるたぎり排除したいと、わたくしはいま考えている。メカニズムの不備から生じる固有の音色(カラーレイション)を、原音再生のプロセスに悪用してはならないと考えている。そのことはアンプについてあてはめてみると割合容易だが(別項「アンプテストを終えて」を参照頂きたい)、スピーカーのような音響変換系には、口で言うほど簡単には片づかないむずかしい問題が山積している。そのことをどうしたらうまく説明できるだろうか……。
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 わたくし自身の耳が本質的にナロウレンジ(狭帯域=音域がせまい)の音質を受けつけないらしいことは、ずいぶん以前から薄々は感じていた。スピーカーに限らずアンプでもカートリッジでも、ことに高音域の伸びていない音を本質的に拒絶してしまう。スピーカーでいえばその典型がアルテックで、その点はやや解説が必要になると思うが、アルテックのハイクラスの製品は、ふつう一般に考えられているほどワイドレンジではない。本誌22号の228ページに一例として「ヴァレンシア」システムの周波数特性が載っている。低音は80ヘルツ以下でスパッと切れ、高音は6キロヘルツあたりからすでに下降しはじめる。とうてい現代のハイフィデリティ・スピーカーとは言えないが、それでいてこのスピーカーはすばらしく充実した豊かな迫力でもって鳴る。わたくし耳はこのレンジの狭さを拒絶するが、ヴァレンシアの音質を好む人たちは決して少数ではなく、事実このスピーカーは定評ある高級スピーカーの代表機種のひとつである。ただ、わたくしがその音を好まないというだけの話なら、なにもこのことをくわしく書く必要はないが、以上の話が、これから書こうとすることのひとつの前提になる。
 アルテックのスピーカーが、アメリカ・ウェスターン・エレクトリックの、さらに遡っていえばベル・サウンド・ラボラトリーの設計を受けついでいることはすでにご承知のとおりで、そことはわたくしよりも池田圭先生に解説をお願いする方がよいのだが、たとえば代表機種のA7は the voice of theater と名づけられ、劇場やオーディトリアム用のいわゆるシアター・サプライとして広く使われており、もうひとつの代表機種604Eは世界中のレコード会主や録音スタジオでマスター・モニターとして採用されている例をみても、 アルテックの音が本質的にはシアター・サウンドでありプロフェッショナル・サウンドとして高く評価されていることは容易に理解できる。しかもA7も604Eも、現代の音響機器の水準からみて絶対にワイドレンジ・スピーカーとは言えない。たとえば604Eのカタログには高域のレンジが22キロヘルツなどと書いてあるが、測定してみれば、決して22キロヘルツまでが平坦に延びているという特性でないことは一目瞭然である。
 誤解しないで頂きたいが、わたくしはこう書くことでアルテックのスピーカーとカタログを誹謗しようなどとしているのでは決してない。この後の話の前提として、ナロウレンジのスピーカーが一方に厳然と存在し評価されていることをまず知っておいて頂きたいので、しかしアルテックのA7や604Eが世界じゅうのプロフェッショナルに認められもし、またオーディオ愛好家からも好まれるだけの立派な音を再生していることが確かな事実であると同時に、好き嫌いはともかくその周波数特性が決してワイドレンジでないことも、いまはまず頭にとめておいて頂きたいのである。
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 スピーカー設計の変遷をたどってゆくとそれだけで一冊の厚い歴史ができ上ってしまうが、いまこ狭いスペースではそのディテールを探ることをしない(この点について興味のある方は本誌第5号から11号まで連載された池田圭先生の名著「スピーカー変遷史」によられることをおすすめしたい)。
 ここでは、わたくし自身のきわめて主観的な分類によって、高忠実度スピーカーとして現存している著名製品の源流を大きな三つの流れに分けて話を進めてゆく。
 その第一が、前項で触れたベル研究所に端を発するシアター・スピーカーの流れであり、その第二はカーR以降に急速に普及し発展した家庭用小型スピーカー(いわゆるブックシェルフタイプ)であって、ふつうオーディオファンの話題にのぼるスピーカーシステムの大半が、この両者のいずれか、或いは両者の長所をそれぞれとり入れて作られている。しかしここ数年来急速に抬頭してきたヨーロッパ系の家庭用スピーカーについて調べてゆくうちに思い当った第三の源流に、イギリスのBBC放送局が独自に開発を進めた広帯域モニタースピーカーがあげられる。そのことについては従来はほとんど書かれたことがないし、わたくし自身がその音質にも考え方にもいま最も傾倒し共感しているので、この点に相当の重点を置いて解説したいと考えているが、その前にまず、第一のシアタータイプと第二の家庭用小型スピーカーの流れと変遷についてごく簡単にふれておく必要があるだろう。
 シアター・スピーカーとはその呼び名のとおり、広大な劇場やホールで、すみずみまで音声を伝達(サービス)しなくてはならない。ハイパワーで、しかも明瞭度の高い音を伝えるには、本質的にワイドレンジであってはならない。いわゆる胴間声を避けるためにも適度のローカットが必要になるし、モーターの回転音やハムその他の低域の唸りや雑音が耳につかなくするためにもあまり低音を伸ばしてはいけない。高音域も楽器の音色を識別するに必要な最少限の帯域でカットしてしまう方が、ヒス性のノイズを出さずにきれいで明瞭な音が聴ける。人間のラウドネス(聴感特性)を考えても、ハイパワーでのサービスにワイドレンジはかならずしも必要とはいえなくて、そうした点をわきまえ、音楽を伝達するに十分な最少限の帯域──言いかえれば低音も高音もこれ以上カットしたら耳に不満を感じる一歩手前のところまで帯域を狭めて、明快でよく通る音を作りあげたのが、アルテックのシアター・システムの音質だと言ってよいのではないか。
 こういう狭帯域のトーンは、一般の家庭に持ち込んだ場合に往々にしてデリカーの欠如した印象を与えるが、アルテックの場合はその狭い帯域の中での音質が永年に亘ってみがき上げられ、完成度の高い説得力に富んだ音色になっていて、ことに手巻き時代から蓄音機を聴き馴染んだレコードファンの耳には、むしろその狭い音域とともに好まれる傾向が多いのだとわたくしは解釈している。
 家庭での良い音の再現には本質的にワイドレンジが必要だということを直観して、アルテック・ランシングを飛び出して家庭用高級スピーカーの製作をはじめたのが、J・B・ランシングであった。言いかえればJBLは設立の当初からナロウレンジを拒否してできるかぎり広い帯域で忠実度を高めるという方向から出発した。そしてもうひとつ、アルテック──というよりウェストレックス=ベル研究所の原設計の種をイギリスという土壌に蒔いて実らせたが、ひとつはヴァイタヴォックス、もうひとつはタンノイだといえる。ヴァイタヴォックスのユニットはほとんどウェストレックスの設計のままとも言えるが、タンノイは、創始者であるガイ・R・フォンティーン Guy R. Fountaine が、アルテック604を原型としてモディファイしたユニットだと言われている。しかしヴァイタヴォックスもタンノイも、原設計にくらべてずっと広帯域に作られていることも知られているが、おそらくイギリス人の耳のデリカシーが、ナロウレンジを拒否したのだろうとわたくしは想像する。むろん帯域ばかりでなくもっと本質的な鳴り方そのものの問題でもあるが、そしてそれは音と風土や歴史の問題でもあるが、そのことはもっと後になってからくわしく論じよう。
 こまかく言えばこれ以外にもアメリカには、GEやジェンセンやRCAから源を発したコーン型スピーカーの流れがあり、それはヨーロッパに渡ってローラーやワーフェデールやグッドマンによって発展させられ、またドイツにはクラングフィルム→シーメンスと発展したベル系とはまた別のシアターサウンドがあるが、スピーカーの歴史をこまかく眺めるスペースがないので細部を飛ばして言うと、それらいわゆる戦前型のスピーカーの流れを大きく転換させるきっかけを作ったのが、エドガー・ヴィルチュアのARスピーカーであった。この点については本誌10号に岡俊雄氏の詳細をきわめた解説があってこの方面に不勉強なわたくしはせいぜいその引用ぐらいしかてきないが、要約すると、いわゆるアコースティック・サスペンション方式により超小型に作られた(少なくともAR出現当時=1954年の一般の高級スピーカーからみると、内容積1・7立方フィート=約45リッター強というキャビネットは超の字のつく小型に見えた)密閉箱は、考案者E・M・ヴィルチュアによれば名にも小さく作ることが目的だったのでなく、できるだけ低い周波数までひずみなく再生するにはどうしたらよいかというアプローチから生まれたものだそうだが、1958年以降のステレオの普及にともなってスピーカーが二台必要になって、一般家庭では外形が小さいということも大きな長所になり、その後世界中メーカーがこのタイプからさまざまの展開を試みて、今日の標準型ともいえるブックシェルフ・スピーカーの全盛期を迎えたというのが真相のようだ。
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 広いサービス・エリアと強大なパワー前提として発展をとげたシアター・スピーカー。それを原形としてさまざまのアレンジが試みられた過去の大型家庭用スピーカーシステム。そこに抵抗を挑み成功した小型ブックシェルフ・スピーカー。そしてその折衷型ともいえる中型の家庭用フロアータイプスピーカー。これら従来わたくしたちの目にふれてきた大半のスピーカーとほとんど無関係に、イギリスのBBC放送局の研究所では、著名な音響学者D・E・L・ショーターらを中心として新しいモニタースピーカーの開発が進められていた。そことが表面にあらわれたのは少なくとも1946年以前のことで、1946年といかば昭和21年、日本が大戦に敗れ国中がずたずたに疲れ果てていた年である。この年、BBCのクォータリーに、スピーカーの新しい分析法として過渡特性 transient response(最近は過渡応答と書く人が多いが同じこと)の測定法を考案し発表したのがショーターで、おそらく彼の頭の中にはそのときすでに新しいスピーカーシステムの構想が芽生えていたに違いない。或いはすでにスピーカーユニットの一部が開発されてさえいたのかもしれない。あの戦争のさ中に、ドイツから無人ロケットが飛んでくるロンドンで、スピーカーの音を考えていたという人間はいったいどんな顔をした男なんだろう!
 ショーターの過渡特性測定法にヒントを得てアメリカRCA研究所のマリントンとウッドの二人が、トーン・バーストによるトランジェント・レスポンス測定法を考案したことはよく知られていて、これが現在でも過渡特性を測定する効果的な手段のひとつとしてよく使われていることも周知の事実である。
 ともかく、BBC放送局が新しいモニタースピーカーの開発に本格的に着手したのは1950年頃からで、それに次のような条件がついていたらしい。
 第一に、来るべきFM時代の広帯域放送を監視(モニター)するためには、それまでの市販スピーカーでは帯域も狭く特性もでこぼこでいわゆる音の色づけ(カラーレイション)が強く、良いプログラムソースを作るための正確なモニターができないため、できるかぎり広い帯域をフラットに色づけ(カラーレイション)少なく再生することのできるモニタースピーカーが必要であること。
 第二にプログラムソースのダイナミックレンジに十分対応できるパワーハンドリング・キャパシティ(耐入力)を持っていること。
 第三に、ミクシングルームの狭いスペースで近接して聴くという条件、しかもスタジオ内の壁面その他の影響をできるかぎり受けにくいという条件を満たす構造であること。
 第四はスタンダードのサンプルに対して一台ごとの特性及び音色の偏差ができるかぎり少ないこと。そういう条件にあてはまるような生産性を持っていること。
 これ以外にも数多くの細目があったらしいが、数年間の試作を経て1955年頃にはすでに実用の段階にいたり、1960年頃にはほぼ現在の形が決定し、スタンダード・サンプルに対してキャリブレイト(較正)されBBCが認可した製品に対しては一部市販が許可されるようになった。これがLS5/1Aモニタースピーカーで、それまでにプロフェッショナル関係で使われていたRCAのLC1Aやアルテック604シリーズまたはヴォイス・オブ・シアター、あるいはタンノイのDC15モニターなどにくらべると、はるかに帯域が広く自然で色づけの少ない素直な音質を持っている。その外観は写真を、構造は図を参照して頂きたい。発表されている周波数特性もあわせて示す。このLS5/1Aは、イギリスのスピーカーメーカーKEFで製作されているが、どういう理由かトゥイーターはセレッションの特製品が使われ、ウーファーはメーカーが不明だが、例のKEF独特の楕円形でなく、ごく普通の15インチ・コーン型がついている。