Category Archives: スピーカーシステム - Page 34

オーレックス SS-L8S

菅野沖彦

ステレオサウンド 51号(1979年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’79ベストバイ・コンポーネント」より

 同社の最近の代表作ともいえる意欲的な製品で、ユニットやエンクロージュアにも技術レベルの高さがうかがえる。堂々たる再生音が聴かれる。

ヤマハ NS-1000M

菅野沖彦

ステレオサウンド 51号(1979年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’79ベストバイ・コンポーネント」より

 ロングランを続けている、ベリリウム蒸着振動板をスコーカー、トゥイーターに使ったモニタースピーカーだ。新しい素材を使いながらその長所のみをうまく抽出した成功作といえ、いつどこで聴いてもしかるべきバランスで鳴り、音のタッチも明快で、プログラムソースのありのままを再生してくれる標準的なシステムといえる。

テクニクス SB-E200

菅野沖彦

ステレオサウンド 51号(1979年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’79ベストバイ・コンポーネント」より

 スピーカー開発のオーソドックスなテクノロジーを徹底的に追求して作られた3ウェイシステムだ。ソフトウェア的なまとめ方よりも変換器としての優秀さは見事で、実質的価値が高い。

「私のタンノイ観」

井上卓也

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ・タンノイ」(1979年春発行)
「私のタンノイ観」より

 スピーカーシステムは、アンブなどのエレクトロニクスを応用したコンポーネントに比べると、トランスデューサーとして動作をするための、それぞれ独特のメカニズムをもち、固有のキャラクターが音に強く出やすく、定評が高いメーカーの製品は、おしなべて伝説的な神話が語りつかれているが、そのなかで、もっとも、オーディオ的な神話やミステリアスな事実が多く語られるのは、タンノイをおいて他にはないといってもよいだろう。
 その前身は、畜電池メーカーであったらしく、タンタルアロイを短縮してタンノイの名称をつけたといわれるこのメーカーは、英国のスピーカーメーカーとしては、ヴァイタボックス社と双璧をなす存在であり、しかも、デュアル・コンセントリック方式というユニークな構造をもつ同軸型2ウェイユニットのバリエーションを基本として永くスピーカーシステムを作りあげてきた点に特長がある。
 過去から現在にいたるタンノイを象徴するデュアル・コンセントリックユニットは、同じ構造をもつ3種類の製品中で、38cm口径のユニットであろう。かつての、ボイスコイルインピーダンスが15Ωであった時代の38cm口径、モニター15は、高域ユニットのレベルコントロールは固定型であったが、このユニットを使って、現在でもエンクロージュアを国産化して残っている大型のコーナー型バックローディングホーンエンクロージュアや、同様なタイプのG.R.F.がつくられ、ヨーロッバを代表するフロアー型システムとして、高級なファンに愛用された。とくに、モニター15の初期のモデルは、ウーファーコーンの中央のダストキャップが麻をメッシュ織りとしたような材料でつくられており、ダーク・グレイのフレーム、同じくダーク・ローズに塗装された磁気回路のカバーと絶妙なバランスを示し、いかにも格調が高い、いぶし銀のような音が出そうな雰囲気をもち、多くのファンに嘆息をつかせたものである。
 ソリッドステートアンブの世代となるとモニター15は、改良が加えられて、モニター・ゴールドに発展する。まず、ボイスコイルインピーダンスが8Ωとなり、ネットワークに高域のレベルコントロールと、当時としては大変にユニークなハイエンドのレスポンスをコントロールするスナッブ型のロール・
オフコントロールが加わり、ウーファーのf0も、約10Hzほど低くなって、一段とバーサタイルな使いやすいユニットに変わった。
 この当時から、海外製が価格的にも比較的に求めやすい状態となっていたために、レクタンギュラー型のヨークや、コーナー型のヨークといったバスレフ型エンクロージュア採用のモデルを中心として急激に数多くのファンに愛用されるようになった。もちろん、トップモデルのオートグラフは、依然として夢のスピーカーシステムであったが……。
 巷にタンノイの音としてイメージアップされた独特のサウンドは、やはり、デュアル・コンセントリック方式というユニット構造から由来しているのだろう。高域のドライバーユニットの磁気回路は、ウーファーの磁気回路の背面を利用して共用し、いわゆるイコライザー部分は、JBLやアルテックが同心円状の構造を採用していることに比べ、多孔型ともいえる、数多くの穴を集合させた構造とし、ウーファーコーンの形状が朝顔状のエクスポネンシャルで高域ホーンとしても動作する設計である。
 したがって、38cm型ユニットでは、クロスオーバー周波数をホーンが長いために1kHzと異例に低くとれる長所があるが、反面においては、独特なウーファーコーンの形状からくる強度の不足から強力な磁気回路をもつ割合いに、低域が柔らかく分解能が不足しがちで、いわゆるブーミーな低域になりやすいといった短所をもつことになるわけだ。
 しかし、聴感上での周波数帯域的なバランスは、豊かだが軟調の低域と、多孔型イコライザーとダイアフラムの組み合わせからくる独特な硬質の中高域が巧みにバランスして、他のシステムでは得られないアコースティックな大型蓄音器の音をイメージアップさせるディスクならではの魅力の弦楽器の音を聴かせることになる。それか、あらぬか、タンノイファンには、アコースティック蓄音器時代から長くディスクを聴き込んだ人が多く、オーディオコンポーネントとしてのラインナップは、カートリッジにオルトフォン、SPUシリーズ、アンプは、マッキントッシュの管球式コントロールアンプC−22とパワーアンプMC−275が、いわば黄金のトリオであり、ソリッドステートアンプでも、C−26とMC−2105の組み合わせが多く使用されていた。
 モニター・、ゴールドの時代がしばらく続いた後に、不幸にして、タンノイのコーンアッセンブリー製造セクションが火災にあい焼失するというアクシデントが起き、ブックシェルフ型の全盛時代でもあってその再起が危ぶまれたが、この逆境を乗切るかのようにつくられたものが、ハイ・パフォーマンス・デュアルの頭文字を付けた新モデルのシリーズで、この時点からユニット口径をあらわす単位がインチからセンチメートルに変わり、38cm口径ユニットは、385HPDと呼ばれるようになったが、これが現在のHPD385Aの前身である。
 新しいHPDシリーズは、ウーファーのコーン紙のカーブが変更され、f0が現代型のユニットの動向にマッチさせるために15〜20Hz低くなり、ボイスコイル構造が巻幅がヨーク厚より広いロングトラベル型に変わった。また、ウーファーコーン紙の裏側には、コーンの剛性を高めるために補強用のリブが取付けられたことも、このユニットの特長であろう。
 このHPDのシリーズになってからは、タンノイのスピーカーシステムは、大幅に再編成され、長期間トップモデルの座にあったオートグラフと、そのジュニアモデルG.R.F.が姿を消し、アーデンを筆頭とし、バークレイからイートンにいたるモデルナンバーの頭文字がアルファベット順になった5モデルでシリーズを形成するようになった。しかし、昔日のトップモデルであったオートグラフとG.R.F.を要求するファンの声が高まり、輸入代理店が現在のTEACに移換されてから、タンノイの了承を得て、このオートグラフとG.R.F.は、レプリカとして復沽することになる。
 タンノイの歴史として想い出される他のシステムでは、タンノイがユニットを供給して、エンクロージュアのみを自社製とする英ロックウッドのプロ用モニタースピーカーシステムのシリーズのソリッドに引締まった低域に特長がある一連の製品や、アメリカ・タンノイがエンクロージュアをつくった数多
くのアメリカ・タンノイのシステムがある。一時期輸人されたアメリカ・タンノイのモニター・ゴールド12を収めたブックシェルフ型マローカンの独特の英米混血の魅力ともいえるサウンドや米西岸で聴いたアメリカ・タンノイのベルベデールのJBLサウンドとも感じられるカラッと乾いた、シャープでエネルギッシュな音などが思い出される。
 このアメリカ・タンノイのかつてのカタログに、写真なしにのっていたコーネッタの名称からきたイメージが発端となり、製作したものが、ステレオサウンド本誌、マイ・ハンディクラフト欄に3回にわたり連載した幻のコーネッタのレプリカである。ちなみに、コーネッタのレプリカが完成した頃に、アメリカ・タンノイのコーネッタの写真を人手したわけだが、これが、あるか、あらぬか、ただのブックシェルフ型システムであったというのが、この幻のコーネッタ物語の終止符である。
 つねづね、何らかのかたちで、タンノイのユニットやシステムと私は、かかわりあいをもってはいるのだが、不思議なことにメインスピーカーの座にタンノイを置いたことはない。タンノイのアコースティック蓄音器を想わせる音は幼い頃の郷愁をくすぐり、しっとりと艶やかに鳴る弦の息づかいに魅せられはするのだが、もう少し枯れた年代になってからの楽しみに残して置きたい心情である。暫くの間、貸出し中のコーナー・ヨークや、仕事部犀でコードもつないでないIIILZのオリジナルシステムも、いずれは、その本来の音を聴かしてくれるだろうと考えるこの頃である。

「私のタンノイ観」

菅野沖彦

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ・タンノイ」(1979年春発行)
「私のタンノイ観」より

「タンノイ」という名まえは、オーディオに関心がある方で知らない人はいないだろう。特に、日本では、タンノイ・ファンは昔からたいへんに多く、英国の伝統あるスピーカーメーカーにふさわしいイメージが定着している。
 私なども、タンノイのスピーカーは聴く前から名器で必ず、いい音がするはずだという気持をもっていた。
     ※
 タンノイという会社は、非常にはっきりしたコンセプトを持っている。終始一貫、デュアル・コンセントリックと称する同軸型ユニットを使い、ユニットの種類はごく少数、そしてエンクロージュアにはさまざまなバラエティーをもたせて、システムとして完成させるという考え方だ。
 ユニットというのは、ボイスコイルとコーンと、磁気回路からなるハードウェアだが、エンクロージュアというのはスピーカーの世界の中でも独特な神秘性を持っていて、ソフトウェア的な要素が強い。たしかに、エンクロージュアは音響理論的には明確な設計方式の存在するものではあるが、それを現実化する製造段階や調整には、かなり神秘性がひそんでいる。その辺が電気理論とはまったく違うところでそういうバックグラウンドから生れるエンクロージュアが音と結びついて、スピーカーの魅力をつくりだしている要素が強い。そこで、シンプルなユニットを使って、いろいろなエンクロージュアでシステムをまとめていくというタンノイの体質や行き方が、いかにもスピーカーメーカーらしい、音の探求者らしい行き方として受け取られたことは事実だろう。
 また、創始者ガイ・R・ファウンテンの名前を表に打ち出して、〝オートグラフ〟であるとか、〝G・R・F〟といったネイミングを持つシステムを発表してきたことにも、スピーカーの持つ神秘性と共に、その陰にある、人間の能力と精神を感じさせ、ここにもタンノイらしい行き方を強く感じる事が出来た。このような同社の方針が、総合的にタンノイに対する一つのレピュテーションを作り上げてきたのではないだろうか。
     ※
 音というものは必ずしも、人間の聴覚だけに訴えるのではなく、視覚的な面の影響も少くない。これを先入観というと悪く聞こえるかもしれないが、見た目の美しさや風格を含めた総合的な観念でトータルな音の印象が聴き手の中に生れるものだ。例えば、どんなにすばらしい音響効果のホールでも、ドタ靴を履いて菜っ葉服を着た人達の集りのオーケストラだったら、たとえ演奏が良くてもあまり気分のいいものではないだろう。また、食べ物でもそうだ。どんなに美味な刺身でも、発泡スチロールのペラペラの皿の上に盛って出されたらどうだろう。それと同じで、オーディオというものもトータル・レセプションだからこそ、最初からそういう受け取り方をしなくては、楽しさ、おもしろさはずいぶん少なくなってしまうと思うのだ。それだからといって、ハードウェアとしての理論をないがしろにしたり、エンジニアリングを無視してもいいということではない。そういうものは、あくまでも肝心の芯として重要なのだが、それだけですまされたり、それで十分という粗雑な感性の人達が音を本当にエンジョイするとは思えないのである。また、音楽を聴く道具がそんなに寒々しいものばかりでは人間が一生、命をかけての趣味としても淋しい限りである。
 そういう意味でトータルなオーディオというのは、人間の総合的な感覚と知性の対象として価値高きものでなければならないだろう。したがって、タンノイのように一つの信念を持った人間が本当に自分たちの信じるものを理想的なかたちにまとめあげて、少量であっても丹念につくって売っていくという姿勢のメーカーの製品が、名器として受け取られた事は当然だと思う。
    ※
 歴代のタンノイ製品というものは、アピアランスもたいへんクラシックでレコードを聴くムードにぴったりのものだ。また、スピーカーの出来具合や、ハードウェアとしての側面からつっこんでも、当時の技術水準で考えれば、これだけの同軸型ユニットというものは他に得難い高水準のものだったわけである。このようにタンノイの製品というものは、技術レベルで見ても最高級であり、スピーカーシステムとしての一つのまとまったトータルな作品としての完成度も、たいへんに品位の高いものであった。
 もともと英国は音楽のマーケット、〝リスナーズ・マーケット〟として世界の中心地だった。英国は音楽を鑑賞する国というイメージがたいへん強く、クラシック音楽の歴史を知る人にとっては、作曲家は不毛であっても、多くの作曲家や演奏家のデビューの地としての英国のイメージは強い。そういう歴史的性格をもつ国であるだけに、昔から音楽再生、すなわちレコード音楽もたいへん盛んであった。レコード・レーベルの名門も英国にはたいへん多い。そういう事情からも、レコード音楽とオーディオ機器という点でも、他のヨーロッパ諸国と比べても少し違う、一際、レコード好き、オーディオ好きといういわば、エンスージアスティックなイメージをつくってきたと思う。そういう英国に生れた最高級スピーカー、タンノイが日本で絶大な信頼ばかりでなく、むしろ神格化された存在にまでなっていったことは理解できるような気がするのである。
 これは推察だが、エンジニアとしてガイ・R・ファウンテンがスピーカーを開発した当時、実際にスピーカーから聴くことができたのは、ほとんどがレコードの音だったのではないだろうか。また、音楽好きのエンジニアの彼自身は生の演奏会と共にアコースティックのころからレコードを聴いて育ってきたのに違いない。
 英国には、たくさんの素晴らしい生の音楽に接する機会があるから、生の音楽とアコースティックのレコードのサウンドとの間に、レコード好きの彼の、頭の中には相互的にバランスをとる回路が出来上りその耳で自分の作るスピーカーを聴いて、自然な音感覚にまとめるという経過をたどってできあがったタンノイのスピーカーだから、昔からレコードを聴き続けてきているレコードファンの耳になじみのいい質感を持って響いたとも考えられるだろう。
 これはタンノイ社自身、今も盛んに言っていることなのだが、コンサートのような音を家庭で響かせようということだ。しかし、これは原音再生という意味とは少し違う。あくまで、コンサートを聴いているというイメージに近い響きだと思う。レコードの世界に変換した原音なのである。そういうまとめ方の音は、レコード音楽愛好家が好みそうな音であるし、実際われわれがいま聴くと、悪くいえば古くさいなという感じもあるが、しかし、懐かしい、郷愁を感じるような、あるいは居心地のいい響きを持っている。
 タンノイは確かに、一種独特のキャラクターを持っているのだが、それはレコード音楽の歴史とともに歩み続けてきたキャラクターであり、昨日、今日、突如として生まれた妙に無機的なキャラクターとか、何か頼りない、風が吹き抜けるようなキャラクターではない。それは機械的ななかにもどこかなじみのいいキャラクターといえるものを持っている。それは純粋に変換器としての物理特性を表に出してくるものではなく、いかにもラウド・スピーカーという語感にふさわしい実在感のある音を出してくる。
 しかし、タンノイのような行き方が通用する時代と通用しない時代という、時代の流れがタンノイにも大きな影響を及ぼしていることは事実である。一方では自分たちの信じる理想的なものを、少数ではあるが丹念につくり上げていくという基本精神は、現在のタンノイにも脈々と流れているはずだが、時代の要求に応じる量産的体質に転換しつつあるのを見る事は、我々、古きタンノイを知る人間にとっては一抹の淋しさを禁じ得ない。現代のジョンブルが、いかなる方向を模索して活路を見出すか、これからのタンノイに姿を見守ろう。

「私とタンノイ」

瀬川冬樹

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ・タンノイ」(1979年春発行)
「タンノイ論 私とタンノイ」より

 日本酒やウイスキィの味が、何となく「わかる」ような気に、ようやく近頃なってきた。そう、ある友人に話をしたら、それが齢をとったということさ、と一言で片づけられた。なるほど、若い頃はただもう、飲むという行為に没入しているだけで、酒の量が次第に減ってくるにつれて、ようやく、その微妙な味わいの違いを楽しむ余裕ができる――といえば聞こえはいいがその実、もはや量を過ごすほどの体力が失われかけているからこそ、仕方なしに味そのものに注意が向けられるようになる――のだそうだ。実をいえばこれはもう三年ほど前の話なのだが、つい先夜のこと、連れて行かれた小さな、しかしとても気持の良い小料理屋で、品書に出ている四つの銘柄とも初めて目にする酒だったので、試みに銚子の代るたびに酒を変えてもらったところ、酒の違いが何とも微妙によくわかった気がして、ふと、先の友人の話が頭に浮かんで、そうか、俺はまた齢をとったのか、と、変に淋しいような妙な気分に襲われた。それにしても、あの晩の、「窓の梅」という名の佐賀の酒は、さっぱりした口あたりで、なかなかのものだった。
     *
 レコードを聴きはじめたのは、酒を飲みはじめたのよりもはるかに古い。だが、味にしても音色にしても、それがほんとうに「わかる」というのは、年季の長さではなく、結局のところ、若さを失った故に酒の味がわかってくると同じような、ある年齢に達することが必要なのではないのだろうか。いまになってそんな気がしてくる。つまり、酒の味が何となくわかるような気がしてきたと同じその頃以前に、果して、本当の意味で自分に音がわかっていたのだろうか、ということを、いまにして思う。むろん、長いこと音を聴き分ける訓練を重ねてきた。周波数レインジの広さや、その帯域の中での音のバランスや音色のつながりや、ひずみの多少や……を聴き分ける訓練は積んできた。けれど、それはいわば酒のアルコール度数を判定するのに似て、耳を測定器のように働かせていたにすぎないのではなかったか。音の味わい、そのニュアンスの微妙さや美しさを、ほんとうの意味で聴きとっていなかったのではないか。それだからこそ、ブラインドテストや環境の変化で簡単にひっかかるような失敗をしてきたのではないか。そういうことに気づかずに、メーカーのエンジニアに向かって、あなたがたは耳を測定器的に働かせるから本当の音がわからないのではないか、などと、もったいぶって説教していた自分が、全く恥ずかしいような気になっている。
     *
 おまえにとってのタンノイを書け、と言われて、右のようなことをまず思い浮かべた。私自身、いくつものタンノイを聴いてきた。デュアル・コンセントリック・ユニットやレクタンギュラーG・R・Fに身銭を切りもした。だが、ほんとうにタンノイの音を知っているのだろうか――。ふりかえってみると、さまざまなタンノイの音が思い起こされてくる。

タンノイ初体験
 はじめてタンノイの音に感激したときのことはよく憶えている。それは、五味康祐氏の「西方の音」の中にもたびたび出てくる(だから私も五味氏にならって頭文字で書くが)S氏のお宅で聴かせて頂いたタンノイだ。
 昭和28年か29年か、季節の記憶もないが、当時の私は夜間高校に通いながら、昼間は、雑誌「ラジオ技術」の編集の仕事をしていた。垢で光った学生服を着ていたか、それとも、一着しかなかったボロのジャンパーを着て行ったのか、いずれにしても、二人の先輩のお供をする形でついて行ったのだか、S氏はとても怖い方だと聞かされていて、リスニングルームに通されても私は隅の方で小さくなっていた。ビールのつまみに厚く切ったチーズが出たのをはっきり憶えているのは、そんなものが当時の私には珍しく、しかもひと口齧ったその味が、まるで天国の食べもののように美味で、いちどに食べてしまうのがもったいなくて、少しずつ少しずつ、半分も口にしないうちに、女中さんがさっと下げてしまったので、しまった! と腹の中でひどく口惜しんだが後の祭り。だがそれほどの美味を、一瞬に忘れさせたほど、鳴りはじめたタンノイは私を驚嘆させるに十分だった。
 そのときのS氏のタンノイは、コーナー型の相当に大きなフロントロードホーン・バッフルで、さらに低音を補うためにワーフェデイルの15インチ・ウーファーがパラレルに収められていた。そのどっしりと重厚な響きは、私がそれまで一度も耳にしたことのない渋い美しさだった。雑誌の編集という仕事の性質上、一般の愛好家よりもはるかに多く、有名、無名の人たちの装置を聴く機会はあった。それでなくとも、若さゆえの世間知らずともちまえの厚かましさで、少しでも音のよい装置があると聞けば、押しかけて行って聴かせて頂く毎日だったから、それまでにも相当数の再生装置の音は耳にしていた筈だが、S氏邸のタンノイの音は、それらの体験とは全く隔絶した本ものの音がした。それまで聴いた装置のすべては、高音がいかにもはっきりと耳につく反面、低音の支えがまるで無に等しい。S家のタンノイでそのことを教えられた。一聴すると、まるで高音が出ていないかのようにやわらかい。だがそれは、十分に厚みと力のある、だが決してその持てる力をあからさまに誇示しない渋い、だが堂々とした響きの中に、高音はしっかりと包まれて、高音自体がむき出しにシャリシャリ鳴るようなことが全くない。いわゆるピラミッド型の音のバランス、というのは誰が言い出したのか、うまい形容だと思うが、ほんとうにそれは美しく堂々とした、そしてわずかにほの暗い、つまり陽をまともに受けてギラギラと輝くのではなく、夕闇の迫る空にどっしりとシルエットで浮かび上がって見る者を圧倒するピラミッドだった。部屋の明りがとても暗かったことや、鳴っていたレコードがシベリウスのシンフォニイ(第二番)であったことも、そういう印象をいっそう強めているのかもしれない。
 こうして私は、ほとんど生まれて初めて聴いたといえる本もののレコード音楽の凄さにすっかり打ちのめされて、S氏邸を辞して大泉学園の駅まで、星の光る畑道を歩きながらすっかり考え込んでいた。その私の耳に、前を歩いてゆく二人の先輩の会話がきこえてきた。
「やっぱりタンノイでもコロムビアの高音はキンキンするんだね」
「どうもありゃ、レンジが狭いような気がするな。やっぱり毛唐のスピーカーはダメなんじゃないかな」
 二人の先輩も、タンノイを初めて聴いた筈だ。私の耳にも、シベリウスの最終楽章の金管は、たしかにキンキンと聴こえた。だがそんなことはほんの僅かの庇にすぎないと私には思えた。少なくともその全体の美しさとバランスのよさは、先輩たちにもわかっているだろうに、それを措いて欠点を話題にしながら歩く二人に、私は何となく抵抗をおぼえて、下を向いてふくれっ面をしながら、暗いあぜ道を、できるだけ遅れてついて歩いた。
     *
 古い記憶は、いつしか美化される。S家の音を聴かせて頂いたのは、後にも先にもそれ一度きりだから、かえってその音のイメージが神格化されている――のかもしれない。だが反面、数えきれないほどの音を聴いた中で、いまでもはっきり印象に残っている音というものは、やはり只者ではないと言える。こうして記憶をたどりながら書いているたった今、S家に匹敵する音としてすぐに思い浮かぶ音といったら、画家の岡鹿之介氏の広いアトリエで鳴ったフォーレのレクイエムだけといえる。少しばかり分析的な言い方をするなら、S氏邸の音はタンノイそのものに、そして岡邸の場合は部屋の響きに、それぞれびっくりしたと言えようか。
 そう思い返してみて、たしかに私のレコード体験はタンノイから本当の意味ではじまった、と言えそうだ。とはいうものの、S氏のタンノイの充実した響きの美しさには及ばないにしても、あのピラミッド型のバランスのよい音を、私はどうもまだ物心つく以前に、いつも耳にしていたような気がしてならない。そのことは、S氏邸で音を聴いている最中にも、もやもやとはっきりした形をとらなかったものの何か漠然と心の隅で感じていて、どこか懐かしさの混じった気持にとらわれていたように思う。そしていまとなって考えてみると、やはりあれは、まだ幼い頃、母の実家であった深川・木場のあの大きな陽当りの良い二階の部屋で、叔父たちが鳴らしていた電気蓄音器の音と共通の響きであったように思えてならない。だとすると、結局のところタンノイは、私の記憶の底に眠っていた幼い日の感覚を呼び覚ましたということになるのか。

モニター・レッド
 S氏邸のタンノイからそれほどの感銘を受けたにかかわらず、それから永いあいだ、タンノイは私にとって無縁の存在だった。なにしろ高価だった。「西方の音」によれば当時神田で17万円で売っていたらしいが、給料が8千円、社内原稿の稿料がせいぜい4~5千円。それでも私の若さでは悪いほうではなかったが、その金で母と妹を食べさせなくてはならなかったから、17万円というのは、殆ど別の宇宙の出来事に等しかった。そんなものを、ウインドウで探そうとも思わなかった。グッドマンのAXIOM―80が2万5千円で、それか欲しくてたまらずに、二年間の貯金をしたと憶えている。このグッドマンは、私のオーディオの歴史の中で最も大きな部分なのだが、それは飛ばして私にとってタンノイが身近な存在になったのは、昭和三十年代の終り近くになってからの話だ。その頃は、工業デザインを職として、あるメーカーの嘱託をしていたので、少しは暮しが楽になっていた。デザインが一生の仕事になりそうに思えて、もうこの辺で、アンプの自作から足を洗おうと考えた。部屋は畳のすり切れた古い六畳和室だったが、当分のあいだ装置に手を加える気を起さないためには、ある程度以上のセットが必要だと考え、マランツ・セブンと、QUADのII型(管球式モノーラル・パワーアンプ)を二台という組合せに決めた。プレーヤーはガラードの301にSMEを持っていた。そこでスピーカーだが、これは迷うことなくタンノイのDC15にきめた。その頃、秋葉原で7万5千円になっていた。青みを帯びたメタリックのハンマートーン塗装のフレームに、磁極のカヴァーがワインレッドの同じくメタリック・ハンマートーン塗装。いわゆる「モニター・レッド」の時代であった。ただ、エンクロージュアまではとうてい手が出せない。G・R・Fやオートグラフは、まだほとんど知られていなかった。まして、怪しげなエンクロージュアに収めればせっかくのタンノイがどんなにひどい音で鳴るか、こんにちほど知られていない。グッドマンのAXIOM―80で、エンクロージュアの重要性を思い知らされていた筈なのに、タンノイの場合にそのことにまだ思い至っていなかったという点が、我ながらどうにも妙だが、要するところそこまででもう貯金をはたき尽くしたというのが真相だ。そして、このタンノイが、ごく貧弱ながらもエンクロージュアと名のつくものに収まるのは、もっとずっと後のことになる。

デュアル・コンセントリック・モニター15
 イギリス人は概して節倹の精神に富んでいると云われる。悪くいえばケチ。ツイードの服も靴も、ひどく長持ちするように出来ている。それか機械作りにもあらわれて、彼らは常に、必要最小限のことしかしない。たとえばクォードのアンプ。その設計者ピーター・ウォーカーは言う。「我々にはもっと大がかりなアンプを作る技術は十分にある。が、一般の家庭で、ごくふつうの常識的な愛好家がレコードやFMを楽しもうとするかぎり、いまのアンプやチューナー以上に大規模なものがなぜ必要だろうか。むしろ我々はいまの製品でさえ必要以上のクォリティをもっているとさえ思っている」と。
 タンノイのDC15――正確に書けばデュアル・コンセントリック・モニター15 Dual-Concentric Monitor 15 (同軸型15インチ2ウェイユニット)――は、よく知られているように、15インチのウーファーの中央、ウーファーの磁極の中心部を高音用のホーンが突き抜けて、磁極の背面にホーン・ドライヴァーユニットのダイアフラムとイクォライザーを持っている。そのことだけをみれば、アルテックの604シリーズと全く同じで、その基本は遠く1930年代に、ウエスターン・エレクトリックの設計にさかのぼる。
 だがそこから先が違っている。アルテック604は、トゥイーター用にウーファーと別の全く独立した磁極を持っていて、トゥイーターの開口部にはこれもまたウーファーとは全く切離された6セルのマルチセラーホーンがついている。つまり604では、ウーファーとホーントゥイーターは、材料も構造も完全に別個に独立していて、それを同軸型に収めるために、まるでやむをえずと言いたい程度に、ウーファーの磁極(センターポール)の中を、トゥイーターのホーンが貫通しているだけだ。
 ところがタンノイは違う。第一にトゥイーターのマグネットとウーファーのそれとが、完全に共通で、ただ一個の磁石で兼用させている。第二に、トゥイーターのホーンの先端の半分は、ウーファーのダイアフラムのカーヴにそのまま兼用させている。この設計は、おそろしく絶妙といえる反面、見方をかえればひどくしみったれた、まさにジョンブル精神丸出しの構造、にほかならない。クォードII型パワーアンプのネームプレートを止めている4本のビスが、シャーシの裏をかえすとそのまま、電解コンデンサーの足を止めるネジを兼ねていることがわかるが、このあたりの発想こそ、イギリスのメカニズムに共通の、おそるべき合理精神のあらわれだといえそうだ。
 しかもタンノイは、この同じ構造のまま、サイズを12インチ、10インチと増やしはしたものの、アメリカ・ハーマンの資本下に入る以前までは、ほとんど20年間以上、この3種類のユニットだけで、あとはエンクロージュアのヴァリエイションによって、製品の種類を保っていた。
 そう考えてみれば、タンノイの名声は、その半分以上はエンクロージュアの、つまり木工の技術に負うところが多いと、いまにして気がつく道理だ。
 オートグラフやG・R・Fの例を上げるまでもなく、中味のユニットよりもエンクロージュアのほうが高価、というスピーカーシステムは、タンノイ以外にも、またアメリカでもイギリスでも、モノーラル時代にはそれほど珍しいことではなかった。たとえばJBLハーツフィールド、EVのパトリシアン、ヴァイタヴォックスCN191クリプシュホーン……。だがしかし、ユニットの価格とエンクロージュアの価格との比率という点で、オートグラフ以上のスピーカーシステムは、かつて誰もが作り得なかった。イギリスで入手できるオーディオ製品のカタログ集ともいえるハイファイ・イヤーブック(HiFi year book)によれば、オートグラフはかなり永いこと英貨165ポンドだが、その中でDC15の占める価格はわずかに38ポンド。ユニットの3・3倍の価格がエンクロージュアだ。しかも図体がおそろしく大きいから、日本に輸入されたときにはこの比率はもっと大きくなる。ユニットが7万5千円の当時、オートグラフは45万円近かった筈だ。
 いまでこそ、エンクロージュアは単にスピーカーの容れ物ではなく、スピーカーシステム全体の音色を大きく支配していることを、たいていの人が知っている。その違いの大きさについて、心底驚いた体験をしたことのない人でも、少なくとも知識として知っている。
 けれど、昭和30年代から40年代にかけて、まだ日本全体が本当に豊かといえない時代に、スピーカーユニットにペアで15万円は支出できても、それを収めるエンクロージュアにあと80万円近く(オートグラフでないG・R・Fでさえ、ユニットごとのペアだとざっと60万円)を追加するというのは、よほどの人でなくては苦しい。そして、エンクロージュアは容れ物、という観念がどこかに残っているし、そうでなくとも、図面を入手して家具屋にでも作らせれば、ひとかどの音は出る筈だと、殆どの人が信じこんでいる。タンノイの真価の知られるのが、ことに日本でひどく遅れたのも仕方なかったことだろう。そのタンノイの真価を本当に一般の人に説得したのは、オーディオやレコードの専門誌ではなく、五味康祐氏が《芸術新潮》に連載していた「西方の音」であったのは、何と皮肉なことだったろう。そうしてやがて、西方……を孫引きするような形で、わけ知り顔のタンノイ評論が、オーディオ専門誌にも載るようになってくる……などと書くと、これはどうも薮蛇になりそうだが。

レクタンギュラーG・R・F
 あれはたぶん、昭和43年だったか。当時、音楽之友社が、我々オーディオ関係の執筆者たちに、お前たちも一度、アメリカやヨーロッパのオーディオや音楽事情を目のあたりにみてくる必要がある、といって、渡航資金に原稿料をプールしていてくれたことがあった。それは一応の額に達していた。
 ところで、前述の私のDC15は、その後、内容積が約100リッター足らずという、ごく小さな(ただし材質だけはやや吟味した)位相反転型のエンクロージュアに収まっていたが、これではどうにも音がまとまらない。かといって、レクタンギュラー・ヨークのクラスでは、わざわざ購入するのはおもしろくない。私の部屋は六畳のひと間に机から来客用のイスまでつめこんで、足のふみ場もない狭さだったが、それでもオーディオにはかなり狂っていて、JBLのユニットを自分流にまとめた3ウェイをメインとして、数機種のスピーカーシステムがひしめいていた。その頃、オートグラフの素晴らしさはすでによく知っていたが、どうやりくりしても私の部屋におさまる大きさではない。G・R・Fでもまだむずかしい。ところが、大きさはレクタンギュラーヨークと殆ど同じの、レクタンギュラーG・R・Fというのがあることを知って私の虫が突然頭をもたげて、矢も楯もたまらずに、前記の音楽之友社の積立金を無理矢理下ろしてもらって、あの飴色の美しいG・R・Fを、狭い六畳に押し込んでしまった。おかげでアメリカ・ヨーロッパゆきは私だけおジャンになったが、さてあのとき、どちらがよかったのかは、いまでもよくわからない。
 しかし皮肉なことに、このころを境にして次第に、自分の求めている音が自分自身に明確になってくるにつれて、ホーンバッフルの音は私の求めている音ではない、という確信に支配されるようになった。良いホーンロードの音は、たしかに、昔の良質の蓄音器から脈々と受け次がれてきたレコードの世界をみごとに構築する説得力はあったが、私自身はむしろ、そういう世界から少しでも遠いところに脱皮したかった。ホーンロード特有の、中~低音域がかたまりのように鳴りがちの傾向――それはことに部屋の条件の整わない場合に耳ざわりになりやすい――が、私の求める方向と違っていたし、高音域もまた、へたに鳴らしたタンノイ特有の、ときとして耳を刺すような金属室の音が、それがときたまであってもレコードを聴いていて酔わせてくれない。
 お断りしておくが、オートグラフを、少なくともG・R・Fを、最良のコンディションに整えたときのタンノイが、どれほど素晴らしい世界を展いてくれるか、については、何度も引き合いに出した「西方の音」その他の五味氏の名文がつぶさに物語っている。私もその片鱗を、何度か耳にして、タンノイの真価を、多少は理解しているつもりでいる。
 だが、デッカの「デコラ」の素晴らしさを知りながら、それがS氏の愛蔵であるが故に、「今さら同じものを取り寄せることは(中略)私の気持がゆるさない」(「西方の音」より)五味氏が未知のオートグラフに挑んだと同じ意味で、すでにこれほど周知の名器になってしまったオートグラフを、いまさら、手許に置くことは、私として何ともおもしろくない。つまらない意地の張り合いかもしれないが、これもまた、オーディオ・マニアに共通の心理だろう。
 そんなわけで、タンノイはついに私の家に落ちつくことなしに、レクタンギュラーG・R・Fは、いま、愛好家I氏の手に渡って二年あまりを経た。ほんの数日まえの夜、久しぶりにI氏の来訪を受けた。二年に及ぶI氏の愛情込めた調整で、レクタンギュラーG・R・Fは、いま、とても良い音色を奏ではじめたそうだ。私の家の音を久しぶりに聴いて頂いたI氏の表情に、少しの翳りも浮かばなかったところをみると、タンノイはほんとうに良い音で鳴っているのだろうと、私も安心して、うれしい気持になった。

KEF LS5/1A

瀬川冬樹

ステレオサウンド 50号(1979年3月発行)
特集・「栄光のコンポーネントに贈るステート・オブ・ジ・アート賞」より

 一九七三年に、ロンドンのAESで、KEFの技術陣によって発表されたスピーカーの新しい測定・解析法は、その後日本やアメリカで広くとり入れられいっそう精密化して、スピーカーの動特性の解明に大きな役割を果しているが、この測定法について最も早い時期に示唆を与えたのが、かつてBBCの主任研究員を永く務めて、スピーカーの研究に大きな業績を残したD・E・L・ショーターであった。ショーターは、一九三〇年代からスピーカーの研究に着手しているが、LPやFMの出現によって、放送の質の大幅な向上をせまられる時代の近いことを見こして、一九四〇年代の後半から五〇年代にかけて、ぼう大な研究と実験を重ねながら、BBC放送局で使うための新型モニタースピーカーの開発に着手した。これが一応の成果をみたのは一九五五年から六年にかけてで、その結果を、A survey of performance criteria and design consideration for High-Quality Monitoring Loudspeakers という長い題の論文にまとめて、IEE(イギリス電気学会)に一九五七年十一月十二日に提出している。この論文中に引用された実験例が、のちのBBCの正式のマスターモニターLS5/1Aで、これを製品化する上での実際面で協力したのがレイモンド・クック(現KEF社長)だった。
 製品は一九五九年以降KEFのブランドで作られたが、BBC放送局で使うだけの、約250台が製造されたきりで、一般市販はしていない。たまたま、KEFが輸入元に対するサンプルの形で日本に送った2ペアが、幸いにして私の手元にあるきりだ。のちにマルチアンプを内蔵してMODEL5/1ACの名でこれも少量が入荷しているが、ユニットの一部以外は全く違う。先のショーターの論文が、NHKのモニターAS3001(BTS・R305=ダイヤトーン2S305)の開発にも多大な影響を与えていることは想像に難くない。

ダイヤトーン DS-35B MKII, DS-401, DS-70C

ダイヤトーンのスピーカーシステムDS35B MKII、DS401、DS70Cの広告
(ステレオ 1979年2月号掲載)

Diatone

チャートウェル LS3/5A, PM400, LS5/8 (PM450E)

チャートウェルのスピーカーシステムLS3/5A、PM400、LS5/8 (PM450E)の広告(輸入元:ノア)
(ステレオ 1979年2月号掲載)

PM400

コーラル MC-8, MC-8S, T-100, FX-1, FX-22

コーラルのカートリッジMC8、MC8S、昇圧トランスT100、スピーカーシステムFX1、FX22の広告
(ステレオ 1979年2月号掲載)

Coral

スペンドール BCII, SA-1, D40, JR JR149, Super Woofer

スペンドールのスピーカーシステムBCII、SA1、プリメインアンプD40、JRのスピーカーシステムJR149、サブウーファーSuper Wooferの広告(今井商事)
(ステレオ 1979年2月号掲載)

Spendor

YL音響 DS-7000

YL音響のスピーカーシステムDS7000の広告
(ステレオ 1979年2月号掲載)

DS7000

Lo-D HS-50, HCC-50, HMA-50

Lo-DのスピーカーシステムHS50、コントロールアンプHCC50、パワーアンプHMA50の広告
(ステレオ 1979年2月号掲載)

Lo-D

EMT 927Dst, TSD15, XSD15, KEF Model 105, Model 104aB, UREI Model 813, K+H OL10, スチューダー A68, B67

EMTのアナログプレーヤー927Dst、カートリッジTSD15、XSD15、KEFのスピーカーシステムModel 105、Model 104aB、UREIのスピーカーシステムModel 813、K+HのスピーカーシステムOL10、スチューダーのパワーアンプA68、オープンリールデッキB67の広告(輸入元:河村電気研究所)
(ステレオ 1979年2月号掲載)

Kawamura

パイオニア S-140, S-180

パイオニアのスピーカーシステムS140、S180の広告
(ステレオ 1979年2月号掲載)

S180

チャートウェル LS5/8

瀬川冬樹

ステレオサウンド 49号(1978年12月発行)
特集・「第1回ステート・オブ・ジ・アート賞に輝くコンポーネント49機種紹介」より

 LS5/8は、BBC放送局とチャートウェル社との共同開発によって一九七六年に完成した最新型のモニタースピーカーで、バイアンプリファイアードライブの2ウェイ。今後次第にBBCの主力モニターとして使われるという。
 BBC放送局は、技術研究所の主任研究員であったD・E・L・ショーターを中心として、一九五〇年代からすでに、厖大な研究を積み重ねながら独自のモニタースピーカーの開発に着手しているが、最初のモデルLS5/1Aは、一九五〇年代の終りにはほとんど完全な形をととのえて、一九六〇年代にはBBCの各放送局のスタジオで、マスターモニターとして活躍をはじめた。これは当時としては驚異的に広帯域かつ平坦な周波数特性で、指向性も優れ歪も少なく、極めて自然な音を再生する、世界でも最高の水準のモニタースピーカーであった。この開発の実際面で協力しながら製造に当ったのが、KEFであり、その社長レイモンドクックであった。
 BBCの技研では新しい時代の技術的な進歩を見越して、LS5/1Aの完成後まもなくモニタースピーカーの改良に着手したが、その研究開発は、ショーターのあとを次いだH・D・ハーウッドを中心にプロジェクトチームが組まれた。ハーウッドは一九六三年から六六年にかけて、ポリスチレンをコーン型スピーカーの振動板に応用して、12インチのウーファーを完成。それに8インチのコーン型と、LS5/1Aにも採用されていたセレッションHF1300を改良したトゥイーターを加えて、3ウェイのモニタースピーカーを作り上げた。これはLS5/5と名づけられた。またTV局用にエンクロージュアを変形させたものがLS5/6と呼ばれた。この2機種は、BBC技研に所属する工場で必要量のみ生産され、LS5/1Aと併行しながら使われた。
 一九六三年からBBC技研に入所した若いエンジニアであったデイヴィド・W・ステビングスは、ハーウッドの下でLS5/5及び5/6の開発に協力しながらスピーカーの研究に従事した。このステビングスが、十一年間勤めたBBCを一九七四年に辞めてスピーカーのメーカーを創設したのが、チャートウェル・エレクトロ=アクースティック・リミテッドである。
 一九七〇年代に入ってから、LS5/7という改良型が一時使われたがその期間は短く、チャートウェル社が設立されてからは、新しい時代のためにより大きな音圧レベルを、いっそうの広帯域で再生するためのモニタースピーカーの研究が開始され、前述のようにいまから約三年前に、このLS5/8を完成した。
 この新しいモニタスピーカーは、ウーファーにチャートウェル独特の乳白色・半透明のポリプロピレンの振動板を持った12インチ。トゥイーターはフランス・オーダックス製のドーム型が使われている。そしてQUAD♯405を内蔵してバイアンプリファイアーを構成し、♯405の内部のほんのわずかのスペースに、プリント基板に組み立てられたエレクトロニック・クロスオーバー(周波数1・8kHz)を組み込んでいる。QUADのL・R各チャンネルを、高・低各帯域用として使っている。
 おそらくバイアンプのせいばかりでなく、LS5/1Aよりも音のひと粒ひと粒を際立たせるような解像力のよい、自然な、しかしイギリスの良質のスピーカーに共通のどこか艶めいた美しい音は、聴き手をひき込むようなしっとりした雰囲気をかもし出す。ハイレベル再生時の音量の伸びも申し分ない。LS5/1Aや5/5と違って、少量ながら市販用として供給されるので、一般愛好家にも入手の可能な点はうれしい。

ボザーク B410 Moorish

井上卓也

ステレオサウンド 49号(1978年12月発行)
「第1回ステート・オブ・ジ・アート賞に輝くコンポーネント49機種紹介」より

 最近では、ソリッドステートアンプが急速な発展を遂げ、高いクォリティを維持しながら強力なパワーを得ることができるようになったことを背景として、スピーカーのジャンルでは、米AR社で開発した小型完全密閉型エンクロージュアにハイコンプライアンスのエアーサスペンション方式のウーファーを使用する、きわめて能率の低いスピーカーシステムに代表されるような、小型でありながら充分に優れた低域再生が可能な方式のスピーカーシステムが過去十年以上にもわたる長期間主流の座を占め、かつての大型フロアーシステム全盛時代に君臨した銘器の名称にふさわしいモデルは、そのほとんどが現在では姿を消し去っている。
 ボザークB410MOORISHは、現存する数少ない大型フロアーシステムのひとつである。ボザーク社は、第二次大戦前にR・T・ボザークが創立したスピーカーメーカーで、一時はアンプ関係の製品をも手がけたが、基本的にはスピーカー専業メーカーとしての姿勢を保ち続けている。
 ボザークのスピーカーメーカーとしての大きな特長は、ユニットにホーン型特有の、あのメガホン効果が付帯音として再生音に影響を与える点を嫌って、コーン型ユニットのみを創業以来作りつづけていることにある。また、ユニットの種類も、優れたユニットは1種類に限定されるというポリシーから、30cm型、20cm型、16cm型と5cm型それぞれ1種類の合計4種類を、創業期以来現在に至るまで継続して生産してきた。これらの4種類のユニットを組み合わせて各種のシステムを構成していることになるが、最大のシステムがコンサート・グランドシリーズと名付けられ、かつてはB410系がCLASSICとMOORISH、B310系にCONTEMPORARYの3機種があったが、現在輸入されているのは、このなかでB410MOORISHのみである。
 B410MOORISHは、そのデザインがムーア風の独特な雰囲気をもつものにまとめてあることから命名されたようで、ユニット構成は、30cm型羊毛混入のコーン紙とボイスコイル直径より外側にダンパーをセットしたユニークな構造をもつB199Aウーファーを4個、アルミ箔一体成形のコーンの両面にラテックス系の制動材を塗布した16cm型スコーカーB209Bを2個、同じ構造のコーンを採用した5cm型コーントゥイーターを8個、合計14個で構成した3ウェイ14スピーカーシステムである。
 バッフル板上のユニット配置は下側にほぼ正方形に4個のウーファー、中央上部に縦一列に8個のトゥイーター、これを狭んだ両側に横一列に2個のスコーカーをおく独特なレイアウトで、中域以上については、上下方向の指向性がよいスコーカーと水平方向に指向性がよいアレイ配置のトゥイーターの十字状の交点にエネルギーが集中する効果があり、並列使用でも特性の乱れないウーファーと相まって、大型にしては珍しい音像定位がピンポイントになる特長をつくりだしている。
 エンクロージュアは、音色面で選択されたと思われる硬質チップボード製で、表面がウォルナット仕上げをされた完全密閉型で、ユニットを含んだ総重量は102kgと、奥行きの浅いエンクロージュアにしては予想以上の重量がある。ネットワークは、ボザークでは従来からも振幅特性より位相特性を重視する伝統があるため、400Hz、2500Hzで6dB型を採用しているのが特長で、これも音像定位の明確さや、ステレオフォニックな音場感の、とくに前後方向のパースペクティブな再生に大きな影響を与えているものと思われる。また、高音、中音ユニット用のレベル調整が付属していないのも現在のスピーカーシステムとしては珍しいケースである。
 聴感上では充分に伸びた低域をベースに、緻密で量的に豊かむ中域、ハイエンドを抑えた高域がバランスし、滑らかなレスポンスを示すが、最新のディスクではややハイエンドが不足気味とも感じられる。音色は米東岸のシステムらしく、やや暗いが重厚そのものであり、力感が充分にあるために、ドイツ系のオーケストラには非常にマッチし、独特の陰影の濃い典雅な音を響かせる。

Lo-D HS-10000

井上卓也

ステレオサウンド 49号(1978年12月発行)
「第1回ステート・オブ・ジ・アート賞に輝くコンポーネント49機種紹介」より

 スピーカーシーステムには、スタジオモニターとかコンシュマーユースといったコンセプトに基づいた分類はあるが、Lo−DのHS10000に見られるリファレンススピーカーシステムという構想は、それ自体が極めてユニークなものであり、物理的な周波数特性、指向周波数特性、歪率などで、現在の水準をはるかに抜いた高次元の結果が得られない限り、その実現は至難というほかはないだろう。
 HS10000の開発にあたっては、オーディオ機器のなかでスピーカーシステムがもっとも物理的特性面で遅れをとっており、音の出口として最も重要な部分に位置しながら、従来のスピーカーシステムは、特性的にみてもリファレンス(基準)といわれるものが存在せず、録音または放送された音を再生する場合の『再生音の基準』がありえない。
 このためプログラムソースと再生機器間の不適合が起きたり、不都合な点がマスクされ、プログラムソースや再生機器の技術的な解明がなされず、オーディオ機器の進歩を遅らせるひとつの重要なファクターとなっていたようである。Lo−Dでは『再生音の基準』にチャレンジして今回のHS10000を開発することになったが、スピーカーシステムの『基準』として決定された仕様は、従来では達成できなかった平坦な周波数特性、可聴周波帯域全域をほぼカバーする広帯域特性、主観による音づくり、原音との比較による音づくり、及び総合周波数特性を補正するための音づくりなどを一切おこなわないこと、の3点である。これらの仕様は、HS10000でほぼ達成されたが、一般のモニタースピーカーシステムより最大出力が小さい、出力音圧レベルが低い、の2点に課題が残されているということである。
 HS10000は、エンクロージュアの回折効果による周波数特性のうねりは振動板のくぼみ効果などより大きく、しかも、方向によって周波数特性が異なり、本来の意味での補正が不可能であるため無限大平面バッフルを前提にして開発されている。したがってシステムとしては、900×1800×500mm(W・H・D)の巨大なエンクロージュアをもつが、使用条件としては、広い部屋一面の壁に埋込んで使わないと本来の性能が発揮できないという点が大きな特長である。
 使用ユニットは、全可聴周波数帯域でピストンモーションを実現するために、30cmウーファー、6・5cmローミッドレンジ、3・5cmハイミッドレンジ、1・8cmトゥイーターの4ウェイ構成が標準であり、特別仕様として、0・9cmスーパートゥイーターを加えた5ウェイ構成も可能である。各ユニットは、バッフル面に対して振動板がくぼんだりふくらんだりしていると、振動板が剛体であっても音圧周波数特性が平坦でなくなるため、コーン型ユニットもドーム型ユニットも、すべて振動板前面に発泡樹脂を充てんし、表面をフラットとして『くぼみ効果』と『ふくらみ効果』をなくした、極めてユニークなものである。
 ディバイディングネットワークは、従来のように入力端子からパラレルに、4ウェイならハイパスフィルター、バンドパスフィルター、バンドパスフィルター、ローパスフィルターを組み合わせ、分岐するタイプは3ウェイ以上では理論的に平坦な特性が得られないために、ここでは一度に二つに分けるだけで、順次これをくりかえす順次二分式を採用し、これにフェイズシフターを組み合わせて、順次二分式同相4ウェイのディバイディングネットワークとし、さらに各ユニットがすべて受持帯域の下限が低域共振であり、上限が高域共振である典型的なバンドパスフィルターであるため、この両共振をピークサプレス回路により抑制し、ディバイディングネットワークと複合化し、いわゆる音づくりを完全に不要としているのも特長である。
 システムとしてのその他の特長には、バッフル面上の一つの円周上に配置したユニットレイアウト、ウーファー半径の5倍にウーファーとパッシブラジエーター中心間隔をとった点、5ウェイでは20Hz〜18kHzの広帯域無指向性、 ウーファーのf0のピークまでも含めた定抵抗化など、リファレンススピーカーシステムらしい数多くの成果を得ている。

ダイヤトーン 2S-305

菅野沖彦

ステレオサウンド 49号(1978年12月発行)
「第1回ステート・オブ・ジ・アート賞に輝くコンポーネント49機種紹介」より

 2S305は昭和33年に完成されたスピーカーシステムで、実に20年の歴史をもっている。これほど長期間にわたって存続しえたということは、やはりそれなりに大きな力を備えていたということで、その輝かしい経歴だけでも〝ステート・オブ・ジ・アート〟の名にふさわしい製品だと思う。
 しかも、この2S305は、最も日本を代表する一つの個性をもっているのである。私の友人であるアメリカ人は、2S305を評して、アメリカにない音、決して欧米のスピーカーの代用品ではない音で素晴らしいスピーカーだという。私自身もそう思う。確かにキメの細かい、いかにも日本人が真剣に追求して完成させた音をもつスピーカーである。
 ご承知のように、この2S305は放送用のモニタースピーカーとして開発された、シンプルな構成による2ウェイシステムである。30cmウーファーと5cmコーン型トゥイーターというユニット構成で、クロスオーバー周波数は11、500Hzにとられ、音質を害する要素をできるだけ省略する意味で最もシンプルなクロスオーバーネットワークで構成されているのである。つまり、ウーファーとトゥイーターの能率は、ユニット開発時点で合わせてあり、しかもウーファーにはメカニカルフィルターが内蔵されている形で高域が自然減哀し、トゥイーター側はコンデンサーにより−6dB/octで低域を切っているだけなのである。このように単純明快な構成が採用された理由は、あくまでも放送用モニターとしての位相ズレがないこと、音像定位が明瞭であること、そして低歪率化 フラットレスポンス化など、厳しい条件を満たさなければならなかったからである。
 エンクロージュアは、約170ℓの内容積をもつバスレフ型で、音の回折現象による周波数特性上のピーク・ディップを極力少なくする意味で、エンクロージュア前面の両サイドに丸味がつけられている。表面は濃茶のカバ仕上げとなっており、大変に美しく、特に両サイドのRの部分は、完全に手づくりによって仕上げられるという、まさに日本を代表する質の高い堂々たるスピーカーシステムとなっている。
 この2S305も、開発当初から比べて徐々に改良が加えられ、現在のプログラムソースに適合できるスピーカーシステムになってきている。しかし、音質の傾向が全く異なった方向にそれたわけではなく、あくまでも初期の製品からもっていた明快なバランスのよい音という伝統を受け継ぎながら、より緻密さと洗練された味わいが加わったのである。以前のスピーカーがもっていた高域の鋭さが抑えられ、よりスムーズな滑らかな音になり、低域もより豊かさを増してきたように感じられるのだ。
 三菱電機は、総合電機メーカーでありながら、かなり以前からスピーカー部門において常に一貫した情熱を持ち続けてきている、数少ないメーカーである。P610という6インチ半のモニタースピーカーの傑作、2S305のあとで開発された、やはり放送用のモニターの小型版2S208、そして数多くのコンシュマー用スピーカーシステム、最近発表された4S4002P、AS3002P、2S2503Pなど一連のプロフェッショナルシリーズなど、数えきれないほど多くのスピーカーシステムを世に送り出してきたわけであるが、そのダイヤトーンの長い歴史の中で、トップモデルとして最も安定した評価を得たのは、やはりこの2S305だろう。ダイヤトーン自身もそれを理解しているのか、先ほども述べたように、この2S305を大事にいつくしみながら主張を曲げずに洗練しつづけてきたことが、これだけ長い間存在しつづけてこられた理由ともなっており、また信頼性をかち得た理由でもある。おそらく、このスピーカーを座右に置いて自分の好みとして使わない人でも、この2S305が〝ステート・オブ・ジ・アート〟として日本のスピーカーの代表として選ばれたことに異論をはさめないのではないだろうか。そうした一つの存在の力というものを万人が納得せざるを得ないような形でもっていることが、まさに〝ステート・オブ・ジ・アート〟にふさわしい製品ということなのである。

JBL 4343

菅野沖彦

ステレオサウンド 49号(1978年12月発行)
「第1回ステート・オブ・ジ・アート賞に輝くコンポーネント49機種紹介」より

 JBL社のことについては、D44000パラゴンや4350のところで述べたのでここでは省略するが、この4343も、4350と同様にプロフェッショナルシリーズのスタジオモニタースピーカーである。そして、JBLのスピーカーシステム開発の基本的思想に貫かれ、ここでもやはり4ウェイ構成が採用されている。
 ユニット構成は4ウェイ4スピーカーで、ここでは低域用ウーファーは38cm口径のユニット一本となっており、300Hz以下の音域を受け持たせている。300Hz〜1、250Hzの音域を受け持つミッドバスユニットは25cm口径のコーン型、1、250Hz〜9、500Hzの音域を受け持つトゥイーターは2420ドライバーにエクスポーネンシャルホーンと音響レンズの組合せ、9、500Hz以上の音域は2405ホーン型スーパートゥイーターに受け持たせている。これらのユニットはすべてアルニコ㈸マグネットを採用し、ボイスコイルにはエッジワイズ巻きのリボンボイスコイルが採用され、厳格なプロフェッショナル規格に基づいてつくられたものである。特に中低音域を受け持つミッドバスユニットは、この4343のために新しく開発されたもので、磁束密度10、000ガウス、重量2・9kgの強力なマグネットアッセンブリーを持っており、この4343の音質の向上に大きく寄与しているのである。ミッドバスユニットを省略すれば、当然3ウェイのスピーカーシステムになるわけだが、それが4333Aというスピーカーシステムになり、さらにトゥイーターを省略したものが4331Aと考えてよい。つまり、この4343で使用されている各ユニットは、お互いに非常に広い再生周波数帯域をもち、実際に受け持っている帯域以上の帯域を十分に再生することが可能な、優れたユニットなのである。その優れた四本のユニットを、最もそのユニットが能力を発揮することのできる音域別に4ウェイに分割し、全帯域の再生音の密度を高めようとしているところが、いかにも緻密なサウンドを再生するJBLらしいスピーカーのつくり方であり、設計思想だと思うのである。
 そういう意味で、この4343は非常に緻密な音を聴かせてくれるスピーカーなのである。とにかくきちっと帯城内に音が埋まり切っているという感じの再生音で、どこかにピーク・ディップがあるようには感じられない。このスピーカーは、まさに現在のスピーカーシステムの最高水準の再生クォリティを示してくれる製品だと思う。さらに、家庭内でも使い得るぎりぎりの大きさにまとめられており、実際にスタジオの中で使うということになれば、4350ぐらいの大きさになると相当の制約を受けることになり、この大きさはその意味でも手頃なものといえるだろう。W105・1×H63・5×D43・5cm、内容積159ℓという、比較的奥行きの浅いエンクロージュアに収められているわけだが、エンクロージュアの大きさをぎりぎりのところで制限しながら、これだけスケールの大きな豊かな音を再生させることに成功しているということは、やはり現代を代表するスピーカーの一つといってもよいと思うのである。
 この4343のもう一つの特徴は、内蔵のクロスオーバーネットワークを使用して鳴らせることの他に、二台のパワーアンプによるバイアンプリファイアードライブが可能なことである。4350の場合と同様に、本来ならばこのバイアンプリファイアードライブで再生すべきなのかもしれないが、しかし、とりあえずは内蔵ネットワークを使って一台のパワーアンプで鳴らしても、相当ハイクォリティな音が再生できるのである。そういう意味からいえば、上級機種の4350よりは使いやすいといえるし、その4350とともにこの4343も〝ステート・オブ・ジ・アート〟に選ばれたというのは、十分に納得できることなのである。

JBL 4350AWX

菅野沖彦

ステレオサウンド 49号(1978年12月発行)
「第1回ステート・オブ・ジ・アート賞に輝くコンポーネント49機種紹介」より

 JBLは、アメリカにおけるスピーカー開発の歴史の主流を継承しているメーカーである。その技術の根源は古くはウェスタン・エレクトリックにまでさかのぼるわけだが、そこから派生したメーカーには他にアルテック・ランシングがある。この由緒正しい血統をもつアメリカの代表的スピーカーメーカーであるJBLは、本来はコンシュマー用の高級品のみを製造してきたメーカーであったが、近年になって、プロフェッショナルシリーズとして、その高い技術を生かし、スタジオやホールなどで使用するための業務用スピーカーシステムを手がけるようになった。
 そのプロフェッショナルシリーズの最高級機として存在しているのが、この4350である。このスピーカーの特徴は、同社のスピーカーに対する思想をはっきりとした形で具現化しているところにある。その思想とはどういうものかといえば、先に述べたウェスタン・エレクトリック、アルテック、JBLという一つの流れの中で、アルテックは2ウェイというものに主眼をおいたスピーカー開発を一貫して進めてきたのに対し、このJBLはマルチウェイシステムということに開発の基本姿勢をおいてきたということである。もちろんJBLには2ウェイのスピーカーシステムもあり、フルレンジユニットもある。しかし、本来のJBLの高級スピーカーシステムは、3ウェイ、4ウェイというマルチウェイシステムにあると思うのである。
 現在の同社のトップモデルは、プロフェッショナルシリーズの4ウェイシステムである4350である。この4ウェイシステムは、同社の長年のスピーカーづくりの過程の中から必然的に生まれてきたものである。ユニット構成は4ウェイ5スピーカーで、低域用ウーファーは、38cm口径のユニットを2本使うダブルウーファー方式が採用され、250HZ以下の音域をマルチアンプドライブ方式で駆動するように設計されている。250Hz以上の周波数帯域は内蔵のネットワークにより帯域分割されているが、250Hz〜1、100Hzの帯域を受け持つミッドバス・ユニットは30cm口径、1、100Hz〜9、000Hzの帯域を受け持つトゥイーターには2440ドライバーとエクスポーネンシャル型のショートホーンと音響レンズの組合せ、9、000Hz以上の音域は2405というホーン型スーパートゥイーターという、現在の同社を代表する最高級ユニットで構成されているのである。エンクロージュアのサイズはW121×H89×D51cmで、内容積は269ℓ、重量は110kgである。このような超弩級システムは、おそらくメーカーがある程度大量生産できるシステムとしては最大のものであろうし、最もスケールの大きなものといってよいだろう。
 また、各ユニットの配置や材質、機能は、プロフェッショナルシステムとして十分な配慮がなされているrとも特徴である。JBLのスピーカーは、ユニットそのものが大変に美しいデザインと仕上げがされているために、バッフルボードの上に整然とそれらを並べただけで、自ずと一つの風格を醸し出してくれるというところがある。そしてさらに、この4350AWXは、鮮やかなブルーのバッフルボードが採用されているのである。これには私はやはり相当のしゃれっ気を感じるのだ。バッフルボードをブルーに塗るというセンスそのものが、ただものでないことをいみじくも表現しており、相当に計算された緻密なスピーカー造りがなされているなと感じさせるのである。業務用であるならばバッフルボードや表面の仕上げは、黒であろうが白であろうが、あるいはブルーであろうが、かまわないではないかといってしまえばそれまでだが、やはりスピーカーを見る人間を、あの鮮やかなブルーのバッフルボードと最高級ユニットで引きつけてしまわずにおかないということは、無視することのできない重要な要素だろうと思うのである。
 しかし、この4350は本来業務用のシステムであり、大きな可能性をもってはいるが、誰が使ってもよく鳴るというスピーカーではない。むしろ使い手の能力さえテストされるほどの実力を内に秘めたシステムなのである。

ヴァイタヴォックス CN191 Corner Horn

瀬川冬樹

ステレオサウンド 49号(1978年12月発行)
特集・「第1回ステート・オブ・ジ・アート賞に輝くコンポーネント49機種紹介」より

 つい最近、おもしろい話を耳にした。ロンドン市内のある場所で、イギリスのオーディオ関係者が数人集まっている席上、ひとりの日本人がヴァイタヴォックスの名を口にしたところが、皆が首をかしげて、おい、そんなメーカーがあったか? と考え込んだ、というのである。しばらくして誰かが、そうだ、PA用のスピーカーを作っていた古い会社じゃなかったか? と言い出して、そうだそうだということになった──。どうも誇張されているような気がしてならないが、しかし興味深い話だ。
 ヴァイタヴォックスの名は、そういう噂が流れるほど、こんにちのイギリスのオーディオマーケットでは馴染みが薄くなっているらしい。あるいはこんにちの日本で、YL音響の名を出しても、若いオーディオファンが首をかしげるのとそれは似た事情なのかもしれない。
 ともかく、ヴァイタヴォックスのCN191〝コーナー・クリプシュホーン・システム〟の主な出荷先は、ほとんど日本に限られているらしい。それも、ここ数年来は、注文しても一年近く待たされる状態が続いているとのこと。生産量が極めて少ないにしても、日本でのこの隠れたしかし絶大な人気にくらべて、イギリス国内での、もしかしたら作り話かもしれないにしてもそういう噂を生むほどの状況と、これはスピーカーに限ったことではなく、こんにち数多く日本に入ってくる輸入パーツの中でも、非常に独特の例であるといえそうだ。
 本誌16号(昭和45年秋)の海外製品紹介欄に、その頃初めて正式に入荷したCN191を山中敬三氏が解説された記事の中にもすでに「……現在は受注生産の形でごく限られた数量のみが製作され、本国のイギリスでもその存在は一般にはあまりしられていないようだ。」とあるとおり、当時すでに製造中止寸前、いわば風前の灯の状況にあったものを、日本からの突然の要請によって生産を再開したという事情がある。そしてこれ以後は絶えることのない注文のおかげで、製造中止をまぬがれながら、こんにちまでほとんど日本向けのような形で生産が続けられているのである。ましてその後新しい製品の開発が全くないのだから、イギリス国内で忘れられた存在であっても不思議とはいえない。
 ヴァイタヴォックス社は、一九三二年にロンドン市ウェストモーランド・ロードに設立された。トーキー用などプロフェッショナル関係のスピーカーをおもに手がけて、一時はウェストレックス、RCA、フィリップス等のイギリス支社に、プロ用スピーカーをそれぞれ納入していた実績もある。
 CN191の別名「クリプシュホーン」は、アメリカの音響研究家ポウル・クリプシュが一九四〇年に設計したコーナー型フロントロード・ホーン・エンクロージュアを低音用として採用しているところから名づけられている。そして500Hz以上は、3インチという口径の大きなダイアフラムを持つウェストレックス型のホーンドライバーS2に、CN157型ディスパーシヴホーンを組合せて、2ウェイを構成している。エンクロージュアはクリプシュを基本としてV社独自の改良が加えられ、独特の渋い意匠とすばらしい音質を生んでいる。
 この音質は、古い蓄音機の名機の鳴らす音に一脈通じるように、こんにちの耳にはとても古めかしく聴こえるが、気品に満ち、精緻で量感豊かな音は、新しいスピーカーに求めることのできないひとつの魅力といえる。
 ただ、クリプシュ・コーナーホーンはその構造上、設置される部屋のコーナーの、システムを囲む両壁面と床面とが、できるかぎり堅固な構造であることが、必要。まなコーナー設置のために部屋のプロポーションやリスナーとの関係位置が大きく制約されるというように、条件が整わないと本来の良さが発揮されないという点が一般的ではない。

ヤマハ NS-590

井上卓也

ステレオサウンド 49号(1978年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 トールボーイ型の独特なプロポーションをもつNS890の系統を受け継いだヤマハの新製品である。構成は3ウェイタイブで、30cmウーファーは1000M系のマルチコルゲーション入りコニカル型のコーン紙とエッジワイズ巻ボイスコイル、銅キャップ付低歪磁気回路採用。12cmコーン型スコーカーは銅リボン線エッジワイズ巻ボイスコイル使用、トゥイーターはペリリュウム振動板採用のヤマハ独自のタイプで豊かな低域をベースに緻密な音をもつ

パイオニア S-180

井上卓也

ステレオサウンド 49号(1978年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 明るく高能率、優れたパワーリニアリティ、明確な音像定位の3点を開発ポリシーとしたパイオニアの新スピーカーシリーズの製品である。
 ユニット構成は、32cmウーファーをベースとした3ウェイタイプだが、中音、高音にダイヤモンドの次に硬いボロンを、真空中で特殊熱処理により振動板形状にした特殊金属薄膜の両面に強力な熟エネルギーで深く入り込ませたボロン合金を振動板に採用しているのが最大の特長である。このシステムは、新しいパイオニアの低音──CS516以来のソリッドで厚みのある音をベースとし、軽く反応が早く、適度に輝きのある中音、高音がバランスを保ったフレッシュな音を聴かせる。この音は、あたかもホーン型ユニット使用のシステムのようなシャープさと、クリアーさを持ち、音の粒子は細かく、滑らかで、柔らかな雰囲気も充分出せるのが魅力である。

パイオニア Exclusive Model 3401W

井上卓也

ステレオサウンド 49号(1978年12月発行)
「第1回ステート・オブ・ジ・アート賞に輝くコンポーネント49機種紹介」より

 昨年から今年にかけて、国内各メーカーから本格派のフロアー型スピーカーシステムが製品化され、世界的にも数が少なくなったこの分野にも、国内製品の占めるウェイトが徐々に大きくなってきたことは喜ばしいことである。それらのなかでも、EXCLUSIVEブランドのMODEL3401Wは、その性能、デザイン、価格を含めて極めてリーゾナブルであり、趣味的に眺めても非常に魅力的な雰囲気をもっているのが楽しい。
 MODEL3401の開発にあたっては、一切の妥協を許さない究極のオーディオ製品をつくりだすというEXCLUSIVEの思想に基づき『豊かな情感の中に、大きなスケールと解像力に優れた音の世界を実現し、スピーカーシステムの存在を感じさせずに音楽に陶酔しきれるスピーカーをつくりたい』との理想をかかげ、忠実に技術的な基本を守り、ひとつひとつのユニットの完成度を高めるとともに、全体のバランスを重視して作りあげた、といわれている。
 構成は、40cmウーファーをベースとし、ホーン型の中音と高音を配した3ウェイシステムで、エンクロージュアは比較的にキュービックなプロポーションをもつバスレフ型である。各使用ユニットは、反応の早い軽量振動系とリニアリティの高い支持系と駆動系を組み合わせ、あらゆるマスキング現象を徹底的に解明して防ぎ、どのような微妙な音もクリア一に聴きとれる解像力を引き出すことにポイントがおいてある。
 40cmウーファーEL403は、大型のアルニコ系マグネット使用の低歪磁気回路、コルゲーション入りの強じんな新開発のコーン紙と、巻幅23mmで振幅16mmに耐える超ロングトラベルボイスコイルを使用しながら、出力音圧レベルは97dBと高く、しかも300Wの許容入力をもっている。
 中音用には、ハイフレケンシードライバーユニットED915と独自の形状をもつホーンEH351の組合せで、500Hz〜22kHzの広帯域再生が可能である。ED915は、直径48mm、重量1170gのベリリウムダイアフラムに、アルマイト絶縁により極限まで導体体積占積率を高めたボイスコイルを組み合わせ、磁気回路はアルニコ系マグネット使用で、磁極には純銀ショートリングを付け、イコライザーは高域再生を優れたものにするために、3重スリット型を採用している。EH351Sは、平面波伝播部、球面波変換部、球面波伝播部を順次組み合わせたオリジナリティ豊かなホーンである。ホーンは2ブロックに分割され、第1ホーンはアルミ鋳造、第2ホーンは合板製で、ホーン材料による固有音の発生を抑え、かつ充分の強度を得ている。このホーンのメリットは音源中心が常に取付けるバッフル面にあるため、音響レンズのようにインダイレクトむ音にならず、シャープな音像定位とパースペクティブがとれることにある。
 ホーン型トゥイーターET703は、直径35mmで重量55mgのベリリウムダイアフラムと、希土類マグネット使用で19500ガウスの磁束密度をもつ磁気回路との組合せで、ED915と同じ107dBの高い出力音圧レベルと45kHzまでのレスポンスをもつ。ホーンはディフラクションタイプである。
 これらのユニットに使用するディバイディングネットワークEN907は、900Hz、7kHzのクロスオーバー周波数をもち、コイルは低抵抗・低歪型のコア入り、コンデンサーはメタライズドフィルムタイプ、音質に直接関係をもつアッテネーターはオートトランス型で最大300Wの入力に耐え、パネル面にはマルチチャンネルアンプ端子付である。
 エンクロージュアは、高密度、高弾性、高損失という理想的特性をもつアピトン合板製で、内部にもアピトン集合材の補強が充分におこなわれている。なお、外装にはグレー塗装仕上げの3401と、木目仕上げの3401Wの2モデルが用意されている。
 MODEL3401は、最近素晴らしく完成度が高まり、反応が早く明るく豊かな低音をベースとし、ホーン型ユニットにありがちな固有音がほとんどなく鮮明な音を聴かせる中音、爽やかに伸びきった高音がスムーズにバランスした魅力的な音を聴かせる。