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マッキントッシュ XRT20

菅野沖彦

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
「道具はすべて、使い手に寄り添ってくれる。」より

 XRT20を入れたとき、ぼくは、JBLユニットとの15年の成果も、これには敵わないと思った。一月ほどは、JBLのほうをかえりみなかった。ふとある日、電源を入れてみて、音の出方、音場感にこそ大きな違いはあったが、楽音の色合いや、全体のエネルギーバランスが大変似ているのに驚かされた。なるほど、ぼくがXRT20に、なんの抵抗もなく魅せられたのは、15年もかかって追いこんできたぼくの音のバランス感覚に近い音をこのスピーカーが持っていたからだと気がついたのである。その後の1年半にわたるXRT20との格闘と、JBLシステムの改良をへて、この二つのシステムの音のバランスの差がますます縮っていくにつれ、二つの微妙な差は、こよなくぼくを楽しませてくれる。

 先程から、何回、この小さなマイクロフォンの長いコードを巻き直したことか。仕事柄、コード巻きは慣れているから苦にはならないけれど……それにしても……どうせ、巻いた後、すぐにほぐして、再びマイクを使うのなら、いちいち巻いて片付けることもないだろうに……と自分で自分を嘲笑いながら……。
 このマイクロフォンは、フレケンシーアナライザーの測定マイク。ぼくのリスニングルームのアコースティックを測っているのである。この日は、朝の9時頃から始めて、すでに夜の10時を過ぎている。そう……この間に、このマイクロフォンと測定器を、もう5度も片付けた。逆にいえば、5度、引っ張り出していることになる。これがぼくの性分で、測定器をそのままにしておいて、他のことをすることが不可能なのである。ながら族のように器用にはいかないのだ。この性分は、もう、子供の頃からのもの、いまさらどうしようもない。昔、アンプなどを自作していた頃、ぼくは周囲を全部片付けてからでないと音楽が聴けなかった。どうせ、すぐに引っ張り出さなければならないことはわかっていても、アンプを所定のケースの中に入れ、その辺に散らばった線材や半田ゴテなども片付けてからでないと、音楽が聴けなかった。オーディオ仲間の大部分は、アンプを垂直に立てたまま(つまり電圧を測る状態のまま)仮にプレーヤーやスピーカーをつないでレコードを聴いていた。まるで小工場の中にいる雰囲気で、それはそれでたいへん魅力的な、楽しい雰囲気なのだが、ぼくはこれでは、音楽を聴く、音を聴き分ける、聴き込む……といった集中力を生む心境にはなれなかった。
 ところで、この日、5度目の測定と調整を終えたのが11時過ぎ、例によって、周囲を元通りにしてから、ぼくは聴き馴れたレコードを聴いてみた。駄目だ。全然バランスがくずれてしまった。この日は、やればやるほど悪くなり、遂に、全く、ぼくの意図する方向とは反対の、客観的に聴いても、決して正しいとは聴こえぬバランスに陥ってしまった。もう、くたくたに疲れている。神経も、肉体も、正常な状態とは思えない。音を聴くことについては、録音や機器の試聴という仕事を通して、相当鍛えた自信もあるぼくだが、さすがに、13~14時間となるとまいる。今日はもう駄目だ。風呂に入って寝るとしよう。しかし……明日は仕事で出かけなければならないな……もう一度やってみようか……と未練がましく、なかば放心状態で、スピーカーから流れるモーツァルトのピアノ協奏曲に空虚な耳を晒している始末であった。もう、こんなことを何回やっているだろう。期間にすれば、一年半にはなるだろう。このマッキントッシュのXRT20というスピーカーを設置して以来だ。
 このスピーカーを鳴らし始めた時、その素晴らしさに感動し、夢中になった。MQ104というエンバイロンメタル・イクォライザーを一通り調整し、部屋におけるピーク・ディップを補正して聴き始めるのに、半日ぐらいを費やしただろうか。そこで鳴り始めた音の素晴らしさは、その立体感といい、質感といい、これぞぼくの求めていた音だと思ったものだ。新旧、あらゆるレコードを引っ張り出して、むさぼり聴いた。自分の録音したレコードも、ほとんどを聴き直した。一ヵ月ほどは、全く不満を感じなかった。多くの人が、わが家を訪れ、異句同音に、このスピーカーの素晴らしさを讃美した。中には、これはXRT20の素晴らしさもさることながら、菅野さんの音になっている……などと、過分の讃辞もいただいた。正直、ぼくも非常にいい気特になっていて、まるで、恋人のことをのろけるような気持で、このスピーカーをほめたたえた。
 一ヵ月を過ぎた頃から、よせばいいのに欲を出し始めた。アンプを取替えたり、コード類をいじったり……。さらには、イクォライザーMQ104の調整をゼロから始めることになった。
 MQ104は、左右、それぞれ4ポイントの周波数を選んで、ピーク・ディップを補正し、低域をコンペンセイトする音場補正機である。20ヘルツから20キロヘルツまでのバンドを1/3オクターヴバンドのピンクノイズ・ジェネレーターを使って測定し、最も有効と思われる4ポイントを選ぶわけだ。簡単にいえば、大きな順に4つのピーク・ディップを選ぶわけだが、これがそう簡単にはいかない。増減カーヴのQの設定とともにらみ合わせ、測定マイクロフォンの位置との関連も充分に考慮に入れて、左右の特性をそろえる最適ポイントの決定は、やればやるほど難しい。ここで、技術的なことを細かく書くつもりはないけれど、この作業は、ルームアコースティックを含めたオーディオ全般の知識理解と、忍耐力と、カンの鋭さを要求される大仕事であることを知った。特性をフラットに近づけるなどという単純な表現で済む仕事ではないのである。「一度調整したら、これを耳で聴きながらいじるべからず!」とマニュアルには書いてある。確かに、測定値を明確に読んで調整した後で、カンに頼っていいじりまわしたのでは何にもならないから、この注意書きは正しい。
 しかし、この測定値なるものが、そう簡単に信頼出来るものではないのである。単純に、リスニングポジションにマイクを置いて(原則的にはこれがベストだとは思うが……)計測した値をフラットにすることが、バランスのよい音楽の再生につながるとはいえないのである。たとえ、定在波の出にくいワーブルトーンを用いても、部屋の反射波や定在波などの複雑な影響はカット・アンド・トライの入念な積み重ねによって、聴感と、理想値特性とのバランスを求める努力を要求することになるのである。そしてまた、いくら、理屈にかなった特性だからといって、聴き手に違和感のある音を、我慢して聴くのもどうかと思う。たとえば、 リスニングポジションにおいて、スピーカーの音圧周波数特性をフラットに近く整えれば整えるほど、音は死に、リズムの躍動は止り、音色はモノトーン化するという現象がおこることも珍しくない。これには大きく二つの要因がある。一つは、リスニングポジションが、反射波・定在波の影響をきわめて受け易いポイントにあって、スピーカーからの直接放射の周波数特性とはほど遠い特性を示し、これを無理に電気的にフラットにした場合であり、他は、プログラムソースのエネルギー分布が習慣的に聴いているホール等のアコースティックとは大幅に異なるものが多いという理由によるとぼくは考えている。この他にも、細かい要因は考えられるが、この二つが最も注意すべきポイントだと思う。
 これ以上、具体的なことを書くのはここでの目的ではないが、とにかく、このルームアコースティックを含めた調整(ヴォイシング)は、とても一筋繩でいく単純なものではないのである。しかし、かといって、ルームアコースティックのなるがままという使い方では左右の特性のバラつき(音響的な)や、大きなピーク・ディップによる音色や音場感の変化などが必ず生じ、良質な再生音を得ることは難しい。むろん、部屋の特性を音響的にコントロールすることが正統的な方法だとは十分心得ているけれど、これは、さらに難しく途方もない出費につながる大仕事となること必定である。
 一度、このヴォイシングの仕事にこり始めると、たった4ポイントの組合せと、レベルの変化によってさえ、無限ともいえるバランスの再生結果が生じることを知らされるのである。因みに、部屋の中の数ポイントの測定値の平均均をとるなどという方法は乱暴きわまるもので、一つの尺度としてならともかく、最終的に、これをリスニングバランスとするのは危険きわまりないことであることもわかった。結局、測定を細かくおこなって、大きく把握判断し、これを尺度として、耳による細部の調整をすることが、唯一の方法であるという結論に達した。そして、同じバランスにしても、アンプがちがえば全く違った音となり、また、そのアンプで調整のやり直しの必要があるという、当り前のオーディオの現実を再々認識させられるのであった。
 明日は仕事で出かけなければならない。それに気がついた途端、ぼくは、風呂に入って寝ることを断念した。そして再び、測定器を引張り出すのであった。疲れている時には、ろくなことにならないことは解り切ってはいたが、こんな状態で、ぼくの装置を、たとえ数日間といえども放置することを考えると、その苦痛のほうがたまらない。なにをしていても、これが気にかかってしかたがないという、ぼくの性格的欠陥を誰よりもぼく自身がしっている。なんとかして、せめてその日の朝の状態に戻したい。記録を見ながら、周波数ポイントとレベル位置を元に戻す。そこで確認の測定。また、かなり大幅に異なった測定値を示す。道具を片付ける。音を聴く。駄目だ。もう一度。今度は発想を変えてみよう。夜も更けた。測定レベルをスケールダウンする。
 遂に、外が白み始めた。ガチガチと牛乳配達の音。朝である。約20時間を費やした。結果を音楽により判定する能力はもうなくなっていた。電源を切り、ベッドへもぐり込む。わかっていながら、もっとも無駄なことをやったという想い。しかし、これも、紙一重の音のよさを実現するための、しなければならない努力であり、必ず、なにか得るものがあったはず……という自らの慰めが交互する。神経ばかりが冴えて、体は疲れ切っているのに眠れない。3~4時間、夢うつつ。ピンクノイズやワーブルトーンに、グラフの数値、マイクロフォンを移動するにつれてフワーフワーと動くレベルメーターの指針の動きが眠っているはずの頭の中を去来する。あの時の、デ・ワールトとロッテルダム・フィルのデ・ドーレンに響きわたった木管と弦合奏の、あのテクスチェアー、カシミアのように軽く暖かく、柔らかい、あの質感が、いつ戻ってくるのか? こんなことなら、何も手をつけるべきではなかった。この馬鹿者が! いや、やってみせるぞ。そして、あの時のチェロとコントラバスのピツィカートの濁りをとって、より明確な音程の把握とを両立させてみせるぞという意気込みが交錯する夢と、現実の間を往ったり来たりという体たらくであった。
 それから4日目に、ようやく、一つの満足点を見つけ出すことに成功した。やった、やった。XRT20の可能性を信じてよかった。なんと、あのサン=サーンスの第3交響曲の第一楽章、第二部のボコ・アダージョ(デ・ワールト指揮ロッテルダム・フィル)の気になっていた数個所が、見事に解決したのである。弦合奏のカシミアタッチがカムバックしたし、ヴァイオリン群のしなやかさが、より美しく、そして、低弦のブーミーな響きがとれながら、オルガンのペダルは荘重に鳴り響いた。どうしてもヒステリックに鳴ったジュリーニ/シカゴ響のドヴォルザークの八番のシンフォニーのグラモフォン盤も、ずっと滑らかな高弦の響きに変り、低域の改善のためか、リズムが一段と力強く脈動するようになった。フィルクスニーのピアノの、あの独特のペダリングによる響きのニュアンスも、ぼくが録音で意図した音に近づいた。ダイアローグという、やはりぼくが録音したジャズのレコードのバスドラムの音も明らかに改善され、豊かなハーモニクスと、力強いファンダメンタルとが、ほどよいバランスの音色にまとまった。ローズマリー・クルーニーもよく歌うようになった。ややハスキーで太目の彼女の年増の魅力が、前よりずっと現実的になった。〝恋人と別れる50の方法〟を、わけ知りの彼女なら、こういうニュアンスで歌わなければいけない。
 ぼくは、レコード音楽の醍醐味に酔いしれていた。何という幸せであろう。この音で聴けるのなら、もうぼくは、周囲にわずらわされるコンサートなど、くそくらえだと思う。グレン・グールドではないけれど、コンサート・ドロップアウトである。そこには、もはや、スピーカーの存在はない。音楽の場が存在するだけだ。リスニングルームの壁は、いつの問にか取り払われて、その向うに、すっと空間が開け始める。苦しみの多かった分、そっくり、それは喜びと幸せに変ってくれる。オーディオはこれだからやめられない!
 こうして、ぼくの部屋のマッキントッシュXRT20は、一年半の格闘の末、ようやくぼくが、このスピーカーの可能性を引き出したと納得出来る鳴り方で鳴り始めたのであった。
 しかし、実をいうと、ぼくには、すでに17年ものつき合いをしている、もう一組のスピーカーシステムがあった。JBLのユニットで構成した、3ウェイのマルチチャネルシステムである。XRT20を入れた時、ぼくは、明らかに、JBLユニットとの15年の成果も、これにはかなわないと思った。亡くなった瀬川冬樹君は、XRT20を置いてひと月日ぐらいの頃にわが家を訪れ、その音が、XRT20もさることながら、これは菅野サウンドだよと評してくれた一人である。そして彼は、もうJBLは外へ出してしまうべきだと主張したものである。たしかに、この大きなJBLのシステムを外へ出すことによって、XRT20にとっては、より理想的な音響条件が得られることは事実で、ぼくも、時折、そうした衝動にかられることがあったものだ。だいたいこのJBLのシステムは、17年ほど前に、瀬川君と時を同じくして使い始めたもので、その後、彼のほうはKEFや同じJBLの4341、4343と、幾世代もの変遷を経たにもかかわらず、ぼくのほうは一貫して基本的には大きな変更をせずに、リファインすることに努力を傾注し続けて釆たものだった。075トゥイーター、375+537-500ドライバー/ホーン、そしてウーファーはエンクロージュアを含めて、何回も変っているが、当初からぼくはマルチアンプシステムでこれを鳴らしてきた。例のこだわりのしつっこさで、XRT20がくるまでの15年、これが、メインシステムとして、ぼくのオーディオの触手のようになっていたものである。
 XRT20を入れてひと月ほどは、これに夢中になって、JBLのほうをかえりみなかった。瀬川君に出してしまえといわれて、ぼくは気がついたように、ある日久し振りに、その3チャンネルマルチシステムの電源を入れたのである。ぼくは、この3チャンネル・マルチシステムをXRT20と比較試聴するる気はなく、ひと月ほどXRT20に馴染んだ耳には、きっと異質に聴こえるだろうという気持で鳴らしたものだ。ところが自分でもびっくり、その音に違和感はなかった。この二つのスピーカーは、片やドーム型トゥイーターとコーン型スコーカー、そして一方は、ホーン型トゥイーターと同じくホーン型スコーカーである。ユニットの性格は全くちがう。しかも、御存知のように、XRT20というスピーカーシステムは、24個ものトゥイーターを縦長のアレイに組み込み、ウーファー/スコーカー・セクションと分離した、きわめて特殊なシステムだ。
 だいたい、ぼくの経験では、二台のスピーカーを並べて聴くと、少なくとも色のちがいを認識するのと同じ程度、音はちがって聴こえるものである。それも、同じような構成のシステムでさえ明らかにちがう。別々に聴いて似ているような二組でも、切り換えて聴くと、色でいえば、赤とピンクほどのちがいが出るのが普通である。ノイズを聴いても、片方がサーなら、もう一方はカー、片方がザーなら、もう一方はガー、もっとひどい場合は、シーとガーほどちがう。その体験からすると、ひと月の間XRT20に馴れた耳にJBLは、さぞかし硬く鋭い音がするだろうと自分で思い込んでいたのである。ところが結果は、音の出方、音場感にこそ大きな違いはあったが、楽音の色合いや全体のエネルギーバランスはたいへん似ていたのである。これには、われながら驚いた。そして、なるほど、ぼくがXRT20に何の抵抗もなく魅せられたのは、15年もかかって追い込んできたぼくの音のバランス感覚に近い音を、このスピーカーがもっていたからだと気がついた。
 もちろん、これだけちがうユニットだから、よく聴くと音の輪郭や質感にちがいはある。JBLを、やさしく、柔らかく、暖かく、馴らしてきたつもりであったけれど、XRT20のもつ、しなやかさ、柔軟さとはやはりちがって、よりクリアーでシャープな解像力をJBLはもっていた。音場は、XRT20が、スピーカーの後面に奥行きとして拡がるのに対し、JBLはスピーカー面から前に出る傾向をもつ。しかし、この点でも、ぼくのJBLはセッティングの苦労の結果、一般的なJBLよりずっと奥行き再現が可能ではあるが……。
 こうした本質的なちがいは残しながらも、その音の全体像が、大きくちがわないことに驚かされたぼくは、当時XRT20に使っていたマッキントッシュのコントロールアンプC32の出力を、片やXRT20をドライブするMC2500に直結したMQ104エンバイロンメンタル・イクォライザ一に、そしてもう一方を、JBLを3チャンネルでドライブしているアキュフェーズM60(低域用)テクニクスSE-A5(中域用)エクスクルーシヴM4a(高域用)に帯域分割をおこなっているチャンネルデバイダーのエスプリTA-D900に分岐した。C32は、パネル前面で2系統の出力を瞬時にノイズレスで切り換えられるので、きわめて便利である。こうして、両者のレベルを大ざっばに合わせて切り換え試聴をしてみて二度びっくり。ほんとうによく似ていたのである。時には、今どちらが鳴っているかわからないぐらいの似かたであった。新鮮さのなくなった古女房にあきて、浮気の相手をつくったはよいが、よりによって、女房とそっくりの女性だったという、よくある話のようなものだろう。あの人、どうせ恋人をつくるのなら、奥さんとちがったタイプの女性のほうが楽しいだろうに……と、よく人はいう。ぼくの友人にも、そういうのがいる。本人の好みというのはそういうものなのだろうと思っていたが、ぼく自身、恋人のほうはともかく、オーディオで、これと同じことをやっているのにわれながら驚き、苦笑した。
 なんということだ、これは。いや、しかし、面白いことになったぞ。これは、ますます、JBLも手離せないぞ……ということになってきた。よく聴き込むと、微妙な差が、なんともいえず互いの魅力をひき立てて、互いに互いを手本にして鳴らし込んでいくことに新たな興味が湧いてきた。XRT20にはピアノやパルシヴなジャズで調教をほどこし、JBLには、豊かなソノリティとプレゼンスをもった弦やオーケストラで調教をほどこすというアイデアが浮んできたのである。
 先に書いたXRT20のヴォイシングのあい間には、JBLのほうも、あれこれと調整をやっていったのである。この経過がまた、多くの点でぼくにとって勉強になった。この二つのスピーカーの指向性パターンや波状の違いも明確に把みとることが出来、JBLのユニットのセッティングポジションにも多くのヒントが得られた。JBLには、XRT20のように、全帯域のヴォイシングはおこなっていない。ウーファーの受持領域である、500Hzまでに、テクニクスのSH8075を挿入して、ピーク・ディップを補正するに止め、500Hz以上の中・高域は、デバイダーの出力にパワーアンプを直結している。したがって、500Hz以上のf特は、375ドライバー、075トゥイーター(これは、やや改造されているが……)の特性のままなので、XRT20の500Hz以上とはずい分違う。にもかかわらず、実際には、そんなに大きな違いは音楽再生で感じられない。これは、少なくとも、7、8人の人が、両方を聴いて驚かれているから、決してぼくの錯覚ではないと思う。。
 JBLシステムは、その後、遂に、中域のドライバーを375から2445Jに変更した。17年使い込んだ375にはエイジングの点からも、愛着からも、惜別の思いであったが、2445Jのもつ、より優れた特性、とりわけ中高域にたるみのないエネルギー、フラットな特性と、歪の少ない、自然な音質に強く魅せられてしまった。17年使い込んだ375に比べても、まるで、長年エイジングをほどこしたような柔軟でしなやかな鳴り方である。昨年の12月、サンスイJBL課の好意で試聴させてもらったが、もう、即座に「これ買うよ」ということに相成ってしまった。そしてまたもや、JBLシステムの調整が始まった。しかし、これは、それほど苦労はしなかった。といっても、12月13日に新しいドライバーに変って以来、時間さえあればリスニングルームに入りっぱなし、暮から正月にかけては、やや体の調子をくずしてしまうほど、あれこれとやっていた。その結果、この一月の中頃から、ようやく納得できる音になったが、XRT20との音のバランスの差はますます縮まり、音質の違いをこよなく楽しんでいる。そして、この二つのシステムならば、ぼくの聴きたい音楽のすべてをカバーしてくれるという満足度を、今のところ持っている。この二つのスピーカーにはまだ可能性があるはずだ。なければ、ないでいい。ぼくにとっては、スピーカーをいじること自体が目的ではないし、スピーカーそのものが目的でもない。自分の欲する音で、音楽を聴くのが目的だ。スピーカーの優秀性というのは、ぼくがいつも思うように、可能性であって、結果は使い手の腕と努力次第だ。世間のほとんどのスピーカーは、その能力の50%からせいぜい70%止りのところで鳴っている場合が多い。ぼくのオーディオの楽しみは、これをなんとか100%に近くもっていくところにある。17年かかっても、JBLのユニットが100%能力を発揮しなかったのは事実だ。マッキントッシュのXRT20だって、ぼくが今満足しているからといっても、100%能力を引き出しているとはいえないだろう。そしてまた、これが大切なところであるが、道具はすべて、使い手に寄り添ってくれるという性格のフレキシビリティをもっていることだ。ろくすっぱ使い込まないで、あれこれと道具を取りかえるのは愚かなことである。それが、信頼出来る機器として認められ、かつ、自分が選んだものであるならば、とことん努力をしてみるべきだろう。道具を過信し、道具に寄りかかっている人の場合、不満が出ると、すぐ道具のせいにする。そして他の道具に、ころりと初対面で目移りがしてしまうのではないか。道具は手段、結果は自分であることを認識すべきだしぼくは思うのだ。
 この3年間ほど、ぼくは本当にオーディオを楽しんだ。そして、これからも、楽しみたい。コンパクトディスクという新しいプログラムソースが出てきたからには、また、新しい楽しみの世界が用意されるにちがいない。現に、ぼくは、コンパクトディスクのあのグレン・グールドのゴールトベルク変奏曲で近来にない興奮の時を過している。一日一回は、あのコンパクトディスクを聴かないとおさまらない。時間がない時には、アリアと第一変奏だけでも聴く。ぼくに、これだけの音楽的満足感を与えてくれるのだったら、アナログレコードだろうとテープだろうとコンパクトディスクだろうと、レーザーディスクだろうと関係ないが、ぼくはグールドという演奏家が死の間際にデジタルレコーディングを残し、しかも、あのゴールトベルク変奏曲のような素晴らしい成果を記録したことに大きなオーディオ的意義と喜びを感じている。コンサート・ドロップアウトを宣言し、レコード録音に音楽家の生命をかけた、この孤高の天才にとって、このコンパクトディスクの成果は正当な報酬といえるであろう。新旧二つのグールドのゴールトベルク変奏曲を聴く時に、その演奏の違いと、録音の差に限りない興味を抱くものである。もし、この演奏が、レコードやテープでは発売されず、コンパクトディスクでしか聴けないとしたら、ぼくは、この一枚だけのために、二十万円を投じてCDプレーヤーを買っても悔いないであろう。そして、このコンパクトディスクを、ぼくの知識と体験と、感性の全力を注いで、よりよい音、より好ましい音で聴く努力を惜しまないであろう。惜しむどころか、それがぼくのオーディオの楽しみである。ぼくのXRT20とJBLシステムの今の段階のように、ある程度の満足をしている状態はあったとしても、決して、これでレコードの情報のすべてを聴いたと確信できるわけではないし、また、その機器の能力を100%発揮させたと自信をもっていえるはずもない。全部を聴きたい、100%発揮させたいという願望を、生命ある限り持ち続けるということである。だから、ぼくのオーディオの楽しみは、これから先、ずっとつきることはあるまいと思う。ぼくは、いつも、音に対してハングリーなのである。満腹は一時の満足に過ぎない。

JBL 4411

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より

 音としての表現がごり押しになっていないところがこのましい。しかし提示すべきことはしっかり提示されている。これで低い方の音に力強さが加われば、さらに音は説得力をますのであろうが、その点でいくぶんものたりないところがある。
 低い方の音がしっかりおさえられていると、たとえば①のレコードでの❺のコントラバスがふくれることもないであろうし、③のレコードでの❷のティンパニの音が質感に不足することもないのであろう。その点をいかにカバーするかが、このスピーカーをつかっていく上でのポイントになるかもしれない。
 ただこのスピーカーはいかなる場合にも提示すべき音を輪郭をぼかさずに提示するので、その意味ではつかいやすいといえそうである。㈰のようなオーソドックスなレコードに対しても、あるいは②、③、それに④のレコードできけるような音楽に対しても、わけへだてなく対応するところはこのスピーカーのいいところである。

セレッション SL6

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より

 すっきりしたさわやかなひびきに特徴がある。これでやわらかくまろやかなひびきにもう少しきめこまかく対応できていたら、さらにさわやかさが映えたであろうと思う。ただ、こういうきかせ方のスピーカーは、鮮明さを尊ぶききてには歓迎されるにちがいない。
 このときの試聴では、どちらかというと、全体的に細く硬めに、そしてクールな音になっていたが、これは、アンプやカートリッジとの関係も含めて考えなければいけないことのようである。ここではたまたま鮮明さによりすぎたきらいがあったものの、それにしても嫌な、刺激的な音は決してださなかった。その辺にこのスピーカーの素性のよさを認めるべきかもしれない。
 ただ、低い方のひびきをどのようにしてふくらませるかということでは、多少難しいところがなくもないようである。音の傾向としては現代的なスピーカーといえるのかもしれない。

4枚のレコードでの20の試聴点についての補足的ひとこと

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より

 4枚のレコードのどこをどうきいたかは別項に記した通りである。いずれも2分にみたない時間内にそれぞれ五つずつの試聴点(チェックポイント)を定めてきいた。さらに試聴点をふやすこともできなくはなかったが、あまり多くても繁雑になると考え、それにメモをとるスピードのこともあって、五つにとどめた。
 メモにはすべての試聴点についての印象を記したが、それらのうちからきわだって特徴的なところに的をしぼって原稿にまとめた。あわてて書いたためもあって、しばらくしてメモに目を通したときには、いささか判読に苦労したところもいくつかあった。
 このような試聴点を定めてきくこともまたはなはだ主観的な作業の一種でしかありえないが、ほとんど動物的な直感でそれぞれの試聴点でのきこえ方に反応し、それをメモして次のところをきくということの連続であったから、あれこれ考えている間があるはずもなく、そのためにまことに即物的な試聴記にならざるをえなかった。ただ、もしこれら4枚のレコードのうちいずれかをお持ちで、試聴者がどこをどのようにきいたのかをお知りになろうとしたら、音楽の一応の目安の経過時間を手がかりに、それがわかるようにはなっている。
 ただ、一枚目のレコードでの第一試聴点で「弦楽器のみによる総奏のひびきのまろやかさが感じとれるか」とぼくはしたが、しかし、いかなるひびきをまろやかと感じるかは十人十色であるから純粋に客観的な試聴記になっているはずもない。そのつもりでお読みいただきたい。しかしながら、きいての印象を漠然と記すよりはいくぶんかは具体的になっているかもしれず、その具体的になった分だけこっちは逃げ隠れできないことになるから、小心翼翼の試聴者にとってはつらいことである。
 記述は、まず個々のレコードでのきこえ方について書き、ついでまとめという感じで、個々のレコードでのきこえ方をふまえて、そのスピーカーの特徴を書いた。つまり個々のレコードでのきこえ方が部分であるとすれば、まとめはその部分から読みとれた全体ということになる。

タンノイ Westminster

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より
4枚のレコードでの20のチェック・ポイント・試聴テスト

19世紀のウィーンのダンス名曲集II
ディトリッヒ/ウィン・ベラ・ムジカ合奏団
このレコードのきこえ方としては最高のもの。❶の総奏のふっくらとした気配にはほれぼれとした。演奏している楽器の艶が目にみえるようであった。❸ではコントラバスのたっぷりとしたひびきが十全に示され、しかも音像的な面でのふくらみもなかった。❹のフォルテでもひびきが力ずくにならず、❺での音場感的なひろがりもすばらしかった。鮮明で上品なきこえ方は見事の一語につきる。すばらしい。

ギルティ
バーブラ・ストライザンド/バリー・ギブ
❶のエレクトリック・ピアノが優雅に感じられた。しかし、エレクトリック・ピアノがこのようにエレガントにきこえていいものかどうかとも思わなくはない。❷での声のなまなましさについてはあらためていうまでもない。❸でのギターのデリケートなひびきへの対応は絶品というべきであった。全体としてのひびきのバランスにはいささかの無理もなく、音場感的な面でもすばらしく、ききごたえがあった。

ショート・ストーリーズ
ヴァンゲリス/ジョン・アンダーソン
イギリスの貴族の屋敷でロックをきいているような気分になる。音質的な面でなんら問題とすべきことはないが、ひびきの性格で、このレコードできける音楽とこのスピーカーの音ではいくぶんずれがあり、したがってこのヴァンゲリスの音楽のうちの「新しさ」はここではかならずしもきわだたない。しかしながら、ここできける音はそれなりの説得力をそなえている。そこがこのスピーカーの強みであろう。

第三の扉
エバーハルト・ウェーバー/ライル・メイズ
このレコードの微妙に人工的な手の加えられた録音を大変自然にきかせる。❷でのピアノのきこえ方など、まとまりのよさということではとびぬけている。❶でのピアノの低い音に重ねられたベースの音は、ききてがきこうとすれば充分にききとれるように示されているものの、かならずしもことさら強調はしない。❸でのシンバルのひびきの輝きは、演奏者の意図を十全にあきらかにしたものといえよう。

タンノイ Westminster

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より

 さまざまな傾向のスピーカーがあるが、これはそのうちのひとつを極めたものといえるであろう。ともかくここできける音は、いずれの音も磨くに磨かれた音である。その結果、ここできける音にはとびきりの品位がある。がさついた下品な音とか、刺激的な音とかは、決してださない。
 このスピーカーにもっとも合っているレコードは、やはり①である。これはすばらしいとしかいいようがない。
 ②、③、あるいは④のレコードも、それなりに美しくきかせるが、これらのレコードのうちの「今」をストレートに感じさせるかというと、かならずしもそうとはいえない。しかし美しさということでは無類である。ほかに例のみられないような美しさである。
 ただ、これだけ確固とした世界を高い水準できずきあげているスピーカーになると使い手の側にもそれなりの覚悟がないとつかいきれないのかもしれない。

パイオニア S-955III

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より
4枚のレコードでの20のチェック・ポイント・試聴テスト

19世紀のウィーンのダンス名曲集II
ディトリッヒ/ウィン・ベラ・ムジカ合奏団
❶での総奏がふっくらひびくところにこのスピーカーの特徴がありそうである。❸でのコントラバスのひびきが、ひきずることはないが、まろやかで、コントラバスならではのゆたかさが感じられる。❷でのヴァイオリンの音にしても、決してきつくならず、あくまでもやわらかい。❺ではもう少し音場感的なひろがりが示せてもいいとは思うが、さまざまな楽器のひびきのバランスはこのましく示せている。

ギルティ
バーブラ・ストライザンド/バリー・ギブ
❶でのエレクトリック・ピアノの音はいくぶんふくらみすぎの気味がある。❷での声は音像的に多少大きめではあるが、声そのもののなまなましさをよく示す。❸でのギターの音は繊細さという点で不足する。太くくっきりひびきすぎるためである。❹でのストリングスは、ひろがりも充分であり、ストリングス本来のひびきのしなやかさもこのましく示しえている。❺での声も余裕をもって示している。

ショート・ストーリーズ
ヴァンゲリス/ジョン・アンダーソン
このレコードでのきこえ方をとりまとめていうと、力強い音にこのましく対応しながらも、決して表現がごりおしにならないということになる。ただ、ひびきそのものがいくぷん重めなので、❹で求められる疾走感は稀薄である。重層的にかさなる音の感じはよく示している。❺ではもう少しくっきり示されてもいいように思う。ポコポコいう音がどうしてもふくれてしまう。その点が少しものたりない。

第三の扉
エバーハルト・ウェーバー/ライル・メイズ
❶でのピアノの下の音とベースの音とのきこえ方のバランスが大変このましい。❷での提示も自然である。きめこまかい音への対応力がすぐれているために、個々のひびきの特徴をあきらかにできていると考えるべきであろう。❸や❹での高い音も、もう少しきらめいてもいいとは思うが、それぞれのひびきの特徴は提示しえている。このレコードでのきこえ方は、なかなかこのましかったというぺきであろう。

JBL 4344

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より
4枚のレコードでの20のチェック・ポイント・試聴テスト

19世紀のウィーンのダンス名曲集II
ディトリッヒ/ウィン・ベラ・ムジカ合奏団
❸でのコントラバスがコントラバスならではのひびきの余裕を感じさせてこのましいが、いくぶん音像的にふくらみぎみである。そのことと関係してのことかどうか、❶から❷にかけては、ヴァイオリンより低い弦楽器の方がきわだってきこえる。総じて弦のアンサンブルによる演奏ならではの、しかもその点でのあじわいをうまくとらえた録音のよさをうまく示しえているとは、残念ながらいいにくい。

ギルティ
バーブラ・ストライザンド/バリー・ギブ
❶でのエレクトリック・ピアノの音が前の方でくっきり提示される点に特徴がある。❸ではギターよりベースの方がきわだつ。ギターの音はもう少しきめがこまかく、輝きがあってもよかったように思う。❺でのバックコーラスがいくぶん手前の方にせりだしぎみにきこえる。このスピーカーならではの積極性のあかしと考えるべきかもしれない。❷での声も輪郭をしっかり示して独自のなまなましさを示す。

ショート・ストーリーズ
ヴァンゲリス/ジョン・アンダーソン
迫力にとんだきこえ方である。さまざまな音の力感をよく示せているからである。❸での音の動き方などにしても効果的である。ただ、奥の方からきこえるべき音も前の方にせりだしがちなので、前後の音場感ということでは、多少ものたりなさがある。❷でのティンパニの音などは、もう少しきりっとまとまってもよかったのではないかと思う。いくぶん音像がふくれ気味になっただけ、鋭さに不足している。

第三の扉
エバーハルト・ウェーバー/ライル・メイズ
❶ではピアノの音よりベースの音の方に耳がひきつけられがちである。❷でのピアノのひろがり方はほどほどである。❺での管楽器が加わっての音色的対比は十全であり、さすがと思わせる。❸でのシンバルの音は、もう少し輝きがほしいと思わなくもないが、くっきり示す。ただ、ここでも、奥へのひきという点で、いま一歩と思わなくもなかった。このレコード特有の音色的な特徴は十全にあきらかにした。

パイオニア S-955III

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より

 ①と④のレコードでのきこえ方がすぐれていた。ふっくらとした音の示し方にきくべきものがあったためといえよう。
 このスピーカーのよさは、神経質にならずにおっとりときけるところにあるようだ。ただこれでさらに、たとえば②のレコードの❸のギターのような音をもう少しシャープに示せれば、魅力は倍加するのであろうと思わなくもない。
 つまり、シャープな音に対しての反応でいくぶん甘いところがあるということである。ただ③のレコードでの❶の金属的な音の特徴も示せていたので、スピーカーそのものはシャープな音に対しての反応力をそなえていると考えることもできる。
 使うアンプやカートリッジで工夫することによって、シャープな音への反応力をますこともできなくはなさそうである。いずれにしろ神経質なひびきを決してきかせないのはこのましい。

JBL 4344

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より

 このスピーカーに対してこれまで抱いていたイメージといくぶんちがうきこえ方がした。カートリッジ、あるいはアンプとの関係があってのことと思われた。
 音の輪郭をあいまいにすることなくくっきり示し、しかも積極的に音を前に押しだすところに、このスピーカーのもちあじのひとつがうかがえた。ただ、総じて、音像がふくらみすぎる傾向があり、そのために鋭さがそこなわれているところもなくはなかった。
 ①のレコードなどより、②、 ③、④のレコードの方が性格的にこのスピーカーにあっているといえそうである。①のレコードを不得手とするのは、きめこまかさへの対応ということでいくぶんいたらないところがあるためかもしれない。
 それぞれのレコードのサウンドキャラクターを拡大して示す傾向があり、それはこのスピーカーの順応性のよさゆえといえなくもないであろう。

JBL L250

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より
4枚のレコードでの20のチェック・ポイント・試聴テスト

19世紀のウィーンのダンス名曲集II
ディトリッヒ/ウィン・ベラ・ムジカ合奏団
くっきりきこえはするが、全体的にひびきが乾燥ぎみで、したがって❷のヴァイオリンなどはあじわいにとぼしい。❶での総奏の音のひろがり方には独自のものがあるが、ひびきそのものの溶けあった感じの提示ということになると、ものたりないところがある。この種のレコードの音はこのスピーカーにとって不得手といえるのではないか。❸でのコントラバスの音像はほどほどでまとまってはいるが……。

ギルティ
バーブラ・ストライザンド/バリー・ギブ
❷でのふたりの声はやわらかさをあきらかにしているし、吸う息もなまなましく示す。しかし❸ではギターのひびきの提示がいくぶん弱く、ベースの方がめだちがちである。❹でのストリングスの後へのひきが多少不足している。❺でのバックコーラスとのかかわり方も、ブレンド感とでもいったものでものたりない。うたわれる言葉の子音がきわだってきこえる傾向がなくもない。❶での音像は大きめである。

ショート・ストーリーズ
ヴァンゲリス/ジョン・アンダーソン
今回試聴に用いた4枚のレコード中でこのレコードでの結果がもっともこのましかった。このレコードできける音楽のダイナミックな性格をよくあらわしていた。とりわけ❹での疾走感はききごたえ充分であった。❺でのポコポコも、音像的にふくれすぎず、ほかの音との対比もついていた。さまざまなひびきが入りまじってのひろがりもこのましくあきらかにできていた。❷のティンパニも力にみちてひびいた。

第三の扉
エバーハルト・ウェーバー/ライル・メイズ
❶でのピアノの音とベースの音のきこえ方は自然で無理なくこのましい。また、まとまりということでも、すぐれている。ただ❷での、高い音と低い音とのつながりは、かならずしもよくない。高い音と低い音がいくぶん不連続にきこえる。この辺にこのスピーカーの問題点がなくもないようだ。❸ないしは❹でのシンバル等の打楽器のひびきは、かならずしも効果的とはいいがたく、ひびきとして薄めである。

ビクター SX-10 spirit

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より
4枚のレコードでの20のチェック・ポイント・試聴テスト

19世紀のウィーンのダンス名曲集II
ディトリッヒ/ウィン・ベラ・ムジカ合奏団
❷でのヴァイオリンがくっきり、しかもこってり示されるところに、このスピーカーの特徴がしのばれるようである。ただ、それなら❸でのコントラバスがたっぷりひびくかというと、そうともいいがたい。ひびきがひきずりぎみにならないのはいいところであるが、コントラバスのひびきの余裕といったようなものは示しえていない。❹でのフォルテはすくなからずきつめであり、しなやか
さに欠ける。

ギルティ
バーブラ・ストライザンド/バリー・ギブ
❶でのエレクトリック・ピアノの音はぼってりとしている。ひびきが薄くならないのはこのスピーカーのいいところというべきであろうが、エレクトリック・ピアノならではの一種独特のひびきの軽さに十全に対応できているかというと、かならずしもそうとはいいがたい。❸でのギターの音にはもう少し切れの鋭さがほしいところである。❸でのギブの声は硬めになる傾向がなくもないのが気になる。

ショート・ストーリーズ
ヴァンゲリス/ジョン・アンダーソン
❷ではティンパニのひびきの力強さはこのましく示すものの、そのひびきのスケール感の提示ということではいま一歩といったところである。❸では左右への動きに一応は対応するものの、動きの鋭さはあまり感じさせない。❹ではブラスの力強さへの対応は充分であるが、シンバルのひびきはいくぶん甘くなる。このレコードできける音楽の現代的な鋭さがかならずしも充分に示されているとはいいがたい。

第三の扉
エバーハルト・ウェーバー/ライル・メイズ
ほどよくバランスがとれているということでは、今回試聴した四枚のレコードの中で、このレコードがもっともこのましかった。❶でのピアノの下の音へのベースの重なり方の提示なども、強調感がなくて見事であった。❷での右よりのピアノの音のくっきりした提示はすぐれていた。❺での両者の対比も過不足なかった。ただ、❸での高い音のひびき方にもう少し輝きがあれば、さらにこのましかったであろう。

JBL L250

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より

 レベルコントロールを微妙に動かして(というか切替えて)追いこんでいけば、さらにこのましい結果が期待できなくもないのかもしれぬが、今回の試聴では一応それぞれのレベルコントロールをフラットの位置できいた。そのためかとも思われるが、高い方の音と低い方の音で、ひびきの性格がいくぶんちがっていたように感じられた。
 ただ、このスピーカーの音は、基本的なところで、俗にいわれるJBL的な音から離れたところにあるということはいえそうである。④のレコードでの❶の部分などは独自の静かな気配の感じられるもので、印象的であった。なるほどこれは新しい時代のJBLの音かとも思ったりしたが、その方向で十全にまとめられているかというと、そうともいいきれないところがあり、全体的な印象としてものたりなさを感じた。
 サウンドキャラクターの点でいささか徹底を欠いたとでもいうべきであろうか。

ダイヤトーン DS-5000

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より
4枚のレコードでの20のチェック・ポイント・試聴テスト

19世紀のウィーンのダンス名曲集II
ディトリッヒ/ウィン・ベラ・ムジカ合奏団
基本をしっかりおさえた音のきこえ方とでもいうべきか。硬に対しても軟に対しても、過不足なく、バランスよく対応しているのはさすがである。❶での総奏の、力を感じさせながら、同時にひびきのひろがりもしっかり示す。❸ないしは❺でのコントラバスは、ひびきの円やかさを保ちつつ、くっきりと輪郭を示し、しかもぼてつかない。ひびきの力を示しながら重くならないところがこれのいいところである。

ギルティ
バーブラ・ストライザンド/バリー・ギブ
❶でのエレクトリック・ピアノを、くつきり示す。しかし音像的にはいくぶん大きめである。❷での声も積極的に前にはりだす。しかしこれもまた音像的にはいくぶん大きめである。❸でのギターの音は、太く、輪郭をしっかり示しながら、提示される。決して雰囲気的にならないところがこのスピーカーのいいところである。❺でははった声の力を示しながら、それでもきつくならないところがいい。

ショート・ストーリーズ
ヴァンゲリス/ジョン・アンダーソン
ひびきの力の提示、あるいはひびきの力の変化を、いささかもあいまいになることなく示す。❷でのティンパニの音などは迫力充分である。音場感的な面での前後のひろがりも充分ではあるが、しかしだからといってスペースサウンド的な性格をきわだたせるかというと、そうともいいがたい。❶でのピコピコとか❺でのポコポコは音像的に多少大きいが、充分な効果をあげているということはいえる。

第三の扉
エバーハルト・ウェーバー/ライル・メイズ
❶でのピアノの音には独自の実在感がある。ベースの音にも似たようなことがいえる。❷でのバランスとまとまりはとびぬけてすぐれている。❸と❹でのシンバル等の打楽器のひびきの特徴も十全に示す。❺での木管楽器の一種独特の軽さと乾きの感じられるひびきにもこのましく対応して、それ以前の部分との対比にも問題ない。基本的なところをしっかりおさえているよさがこのましく発揮されている。

ビクター SX-10 spirit

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より

 中音域での音のエネルギーの提示に独自の威力を発揮するスピーカーといえよう。もう少し高い方の音への対応にしなやかできめこまかいところがあると、このスピーカーの魅力は倍加するのであろうが、その点で少しいま一歩という感じである。
 今様な音楽の多くはきめこまかいひびきにその表現の多くをゆだねているが、その点でさらに対応能力がませば、このスピーカーの守備範囲もより一層ひろがるにちがいない。しかし、多くの音楽の基本は中音域にあるわけであるから、その中音域をしっかりおさえたこのスピーカーは、俗にいわれる基本に忠実なスピーカーということもできるにちがいない。
 ひびきの軽さへの対応ということでさらにもう一歩前進できれば、たとえば③のレコード等で示されている現代的な感覚を鋭く示せるであろう。しかし、なにごとによらず基本を尊重するということはわるいことのはずはない。

ダイヤトーン DS-5000

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より

 決して皮肉な意味でいうのではないが、優等生的なスピーカーというべきであろう。きわだった、いわゆる個性的な魅力ということではいいにくい、しかし肝腎なところをしっかりおさえたスピーカーならではの、ここでの音だと思う。
 提示すべきものをしっかり提示しながら、しかし冷たくつきはなした感じにならないところがいい。①のようなタイプのレコードに対しても、そして③のようなタイプのレコードに対してもひとしく反応しうるというのは、なかなか容易なことではない。それをなしえているところにこのスピーカーの並々ならぬ実力のほどを感じることができる。まさに文字通りの実力派のスピーカーというべきであろう。
 安心して、神経をつかわずにつかえるということは、それだけつかいやすいということである。その点で傑出したスピーカーだと思う。

アクースタット Model 3A

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より
4枚のレコードでの20のチェック・ポイント・試聴テスト

19世紀のウィーンのダンス名曲集II
ディトリッヒ/ウィン・ベラ・ムジカ合奏団
❶の総奏でのひびきのひろがり方には、他のいかなるスピーカーでもあじわえない自然さがある。❷のヴァイオリンの音のしなやかさもまた、独自のもので、美しさのきわみにある。❸ないしは❺でのコントラバスは、コントラバス本来の余裕のあるひびきをきかせ、しかも音像的に拡大しない。むろん❹のフォルテでもひびきがきつくなるようなことはない。このレコードの美しさをこのましくひきだしている。

ギルティ
バーブラ・ストライザンド/バリー・ギブ
❶でのエレクトリック・ピアノのひびきにえもいわれぬがある。みずみずしいきこえ方とでもいうべきか。❷での声がなまなましいのは当然としても、❸でのギターの、まさにつまびいた感じがわかって、しかもその音が繊細さのきわみにあり、きらりと光る。❹でのストリングスも理想的なバランスで奥の方ですっきりひろがる。❺でのバックコーラスの後へのひき方も見事で、うっとりとききほれる。

ショート・ストーリーズ
ヴァンゲリス/ジョン・アンダーソン
❷のティンパニのひびきの力強さはかならずしも十全に示しえているとはいいがたい。❹でのプラスのひびきのつっこみも、迫力という点でものたりないが、一種のスペースサウンド的なひびきの左右への、そして前後へのひろがり方は見事の一語につきる。したがって❶でのピコピコや❺でのポコポコはくっきり浮かびあがって、まことに効果的である。力強い音への対応でもう少しすぐれていればと思う。

第三の扉
エバーハルト・ウェーバー/ライル・メイズ
このレコードでの音楽のひっそりとした感じをこれだけヴィヴィッドに示したスピーカーはほかになかった。❷でのきこえ方などは、あたかもピアノが目の前にみえるような感じである。しかもこのレコードの録音上の仕かけがわかる。❸や❹でのシンバル等の打楽器のひびきは大変になまなましい。❺での木管のひびきについても同じことがいえる。音場感的なひろがりは独自であり、大変にすばらしい。

アクースタット Model 3A

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より

 このスピーカーは普段自分の部屋でつかっているので、その経験からいうと、アンプとのマッチングでいくぶん微妙なところのあるスピーカーなので、その点をクリアできると、充分に力強い音にも対応できるはずであるが、ここでは今回の試聴で聴きえた結果に即して記した。
 まず音場感的なことでいうと、横へのひろがり、さらに前後へのひろがりでは、ほかのスピーカーの追随を許さないものがあると思う。それに、たとえば①のレコードでの❷のヴァイオリンとか、②のレコードでの❷の声とかのしなやかさの提示もまた、このスピーカーがもっとも得意とするところである。非常にすばらしい。
 ただ、スピーカーの置く場所によってきこえ方が極端にかわるということがあるので、そのベストの位置をさがしだすのに、多少の時間が必要であり、その意味では神経をつかうスピーカーということもできよう。

B&W Model 801F

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より
4枚のレコードでの20のチェック・ポイント・試聴テスト

19世紀のウィーンのダンス名曲集II
ディトリッヒ/ウィン・ベラ・ムジカ合奏団
❶では総奏によるひびきのひろがりを示すより、総奏した音の力を示す。❷でのヴァイオリンにしても、その音色の美しさをきめこまかく示すというより、その輪郭をくっきり提示する。このヴァイオリンの音は人によってはきついという人もいなくはないであろう。❸ないしは❺のコントラバスはもう少したっぷりひびいてもいいように思う。コントラバス本来の大きさがわかりにくいここでのひびき方である。

ギルティ
バーブラ・ストライザンド/バリー・ギブ
❶ではエレクトリック・ピアノがくっきりと示される。しかも音像的にいくぶん大きめである。❷での声はこっちにかなりはりだしてくる。この辺にこのスピーカーの積極的な性格がうかがえるといえなくもないようである。❸ではギターが太く感じられる。それだけあいまいになっていないということであるが、もう少し微妙な音色への対応にすぐれているとこのギターの音も本来の美しさを示せたのであろう。

ショート・ストーリーズ
ヴァンゲリス/ジョン・アンダーソン
ひびきの鋭さより力強さをきわだてる傾向にある。したがってここできける音楽のうちの力は感じられるが、デリケートな音色の変化はいくぶんききとりにくい。したがって、❷でのティンパニのひびきの力はあきらかにされているものの、❸での左右の動きがあきらかにするはずのスピード感はかならずしも充分とはいいがたい。❺でのポコポコがいくぶん全体の中にうめこまれたような感じでしかきこえない。

第三の扉
エバーハルト・ウェーバー/ライル・メイズ
❶でのピアノの音に力感がある。その反面、ベースはいくぶんひかえめである。❷ではとりわけ高い方のピアノの音が美しい。左右のひろがりはほどほどにおさえられていてこのましい。❺では木管のひびきの特徴をよく示し、それまでの部分との音色的な対比を充分につけている。もう少し音色的にあかるいと、このスピーカーのもちあじのひとつである力強さへの対応力がいかされるのであろうかと思う。

4枚のレコードでの20の試聴点(チェックポイント)

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より

Disc1
「19世紀ウィーンのダンス名曲集Il」
ミハエル・ディトリッヒ指揮ウィーン・ベラ・ムジカ合奏団[ビクター VlO28081]
ヨゼフ・ランナー作曲ワルツ「ロマンティックな人々」作品167
❶−0’00″:総奏ですべての楽器がききとれるか。同時に弦楽器のみによる総奏のひびきのまろやかさが感じとれるか。
❷−0’09″:いくぶん左よりからきこえるヴァイオリンのきこえ方。きめこまかさをきわだてたヴァイオリンの音色はどうか。
❸−0’27″:右からきこえるコントラバスの音像がふくらみすぎていないか。ひびきがひきずりぎみにならないか。
❹−1’12″:フォルテで音がきつくなりすぎないか。
❺−1’18″:主部に入ってから後の左のヴァイオリンと右のコントラバスのコントラストはどうか。音場感的なひろがりはどうか。

Disc2
バーブラ・ストライサンド/ギルティ
バーブラ・ストライサンド&バリー・ギブ[アメリカCBS FC36750]
WhalKind of Fool
❶−0’00″:中央からきこえるエレクトリックピアノの音像的な大きさとそのひびきの質はどうか。
❷−0’20″:ストライサンドとギブのうたいはじめるときに吸う息のきこえ方とふたりの声のきこえ方。
❸−0’45″:ギターとベースのきこえ方。その両者の対比のされ方がこのましいかどうか。
❹−1’16″:ストリングスのひろがりは充分感じられるかどうか。
❺−!’31″:ギブの特徴のある声のきこえ方とバックコーラスとのかかわり方。

Disc3
ジョン・アンダーソン&ヴァンゲリス/ショート・ストーリーズ[ポリドール MPF1287]
キュアリアス・エレクトリック
❶−0’00″:中央でピコピコいういくぷん金属的な音のきこえ方。
❷−0’08″:ティンパニの音の貨感とそのひびきのひろがり方。
❸−0’29″:ティンパニの音の左右への動きの提示のされ方。
❹−0’37″:ブラスの力強いひびきの示され方。シンバルの音のきこえ方。音楽の疾走感が充分に感じとれるか。
❺−1’37″:次第にきわだってくるポコポコいう音の音像的な大きさはどうか。その音の切れの鋭さはどうか。

Disc4
エバーハルト・ウェーバー&ライル・メイズ/第三の扉[ECM PAP25543]
予感
❶−0’00″:ライル・メイズのひくピアノの下の音にエバーハルト・ウェーバーがベースでつけているが、そこでのベースの音のきこえ方はどうか。
❷−0’21″:ピアノの高い音が右よりに低い音が左よりにきこえるが、そのきこえ方はどうか。
❸−0’46″:シンバルのひびきの輝きが充分に感じとれるかどうか。
❹−0’51″:トライアングル、ないしはベルのきこえ方はどうであろうか。
❺−1’28″:ここから加わりはじめる木管のひびきのひろがりはどうか。同時に、これまでの部分との音色的な対比が充分についているかどうか。

B&W Model 801F

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より

 口ごもるようなところのない、いうべきことはストレートにいうよさがこのスピーカーにはある。その意味では安心してきいていられる。力感にみちた音の提示のしかたなどはなかなかのものである。ただ、硬に対する軟の方で、さらに表現力をませばと思わなくもない。
 どのレコードも平均してきこえた。このレコードがよくて、あのレコードがよくないというようなことはなかった。その意味で平均点の高いスピーカーということになるであろう。ただ、ヴァイオリンのしなやかな音とか、声のなまなましさとかを求める人は、一工夫必要であろう。
 しかしながら強調感のないところはこのスピーカーのいいところで、使い手の側に積極性さえあれば、眠っている可能性をひきだすこともできそうである。なにより、ひびきがひっそりしてしまわないところがこのましいと思う。

ダイヤトーン DS-5000

井上卓也

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
「THE BIG SOUND」より

 ダイヤトーンスピーカーシステムの源泉は、放送業務用のモニターシステムとして開発された2S305にある。口径5cmと30cmのコーン型ユニットを2ウェイ構成とし、それも、クロスオーバー周波数を1・5kHzと低くとり、ウーファー側は、いわゆるLC型ネットワークを介さずに、コーンのメカニカルフィルターのみでクロスオーバーし、レベルバランスは、トゥイーターの出力音圧レベルそのものをコントロールしておこない、直列抵抗やアッテネーターは使用しないという設計は、まさに芸術品とも呼べる精緻な見事さを備えている。
 新型ユニットとして急激に台頭したソフトドーム型ユニットが登場以後、スピーカーの分野では、軽合金系のアルミ合金、チタン、ベリリュウムなど、振動板材料を従来の紙以外に求める傾向が強くなっても、ダイヤトーンでは、コンシュマー製品を開発するスタート時点にこれほどのシステムが存在していただけに、伝統的な紙をダイアフラムに採用する手法がメインであった。例外的には、ドーム型スコーカーでのフェノール系ダイアフラムや、スーパートゥイーターでのアルミ系合金の採用があるが、これを除けば、ペーパーコーンがその主流であり、このあたりはいかにも2S305での成果をいかし、紙のもつ能力を限界まで使いきろうとする開発方針は見逃すことのできない設計者魂だ。
 このダイヤトーンが突然のように新振動板材料を登場させたのが、宇宙技術の成果をいかしたハニカムコンストラクションコーンである。しかも、一般的な中域以上のユニットではなく、ウーファーユニットから新材料を導入した点が、他社にない大きな特徴である。スピーカーシステムは、良いユニットと良いエンクロージュアを組み合わせて初めて完成する。当然の話であるが、ダイヤトーンの最初の製品が発表された当時、よく設計者から聞いた言葉である。
 これからも、ベーシックトーンを受持つウーファーに新振動板を導入し、単に材料の置換法ではなく、新しい振動板にふさわしいエンクロージュア設計を確立するのを第一歩とする方針は、きわめてオーソドックスな手法である。
 その第一弾がハニカムコンストラクションコーンで、1977年秋の業務用モニター4S4002Pでは中域、低域ユニットにCFRPをスキン材として採用し、DS90Cの低域ユニットではガラス繊維系のスキン材を使っていた。その後一年を経て、DS401とDS70Cの低域用にDS90Cと同様な構成の振動板が使われている。これ以後、1970年代が、この新型振動板を発展させ、使いこなすための基礎となった期間であろう。
 80年代に入ると、その成果は急激に実り、スキン材に、防弾チョッキにも使える強度と適度な内部損失をもつアラミド系繊維が導入され、ハニカムコンストラクションコーンは完成の域に達する。低域ユニットが紙の振動板では得られぬ高速応答性を得ると、次は中域以上の振動板材料の開発である。その回答として、ダイアフラムとボイスコイル巻枠部分を一体成型する加工法と、材料にチタンをベースとし、その表面をボロン化する独自の製法が開発される。
 この結果としての製品が、80年9月のDS505であり、クロスオーバーを350Hzにとったミッドバス構成4ウェイと、システムの高速応答性を意味するデジタル対応システムという表現が新しく提唱されたのである。続いて翌年の大口径DUDドーム型中域ユニット開発に基づくDS503の開発。別系統のトライである80cm、160cm口径の超弩級ウーファーの完成の過程を通り、集大成された結果が今回の4ウェイ・フロアー型という構想のDS5000であり、CD実用化の時期に標的を絞ったデジタルリファレンスに相応しい自信作である。

ヤマハ NS-2000

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より
4枚のレコードでの20のチェック・ポイント・試聴テスト

19世紀のウィーンのダンス名曲集II
ディトリッヒ/ウィン・ベラ・ムジカ合奏団
❸ないし❺でのコントラバスのひびきが筋肉質にひきしまっているのが特徴的である。そのために全体的にすっきりした感じにきこえる。❷でのヴァイオリンには独特の艶があるものの、ひびきとしていくぶん薄めである。❹のフォルテでは、ほんの心もちひびきがきつめになる。総じてこのレコードでのきこえ方では、しなやかな柔らかい音への対応ということでもう一歩といった印象をぬぐいきれなかった。

ギルティ
バーブラ・ストライザンド/バリー・ギブ
❶のエレクトリック・ピアノのひびきのやわらかではあってもクールな肌ざわりが大変にこのましい。❸のギターの音とベースの音の対比のされ方は絶妙である。ギターの音などは織細さのきわみというべきであろう。また❷でのストライザンドの声は女らしさを感じさせて大変にこのましい。さらに吸う息もまことになまなましい。❹でのひびきのひろがりも充分にあきらかにして、さわやかさを示す。

ショート・ストーリーズ
ヴァンゲリス/ジョン・アンダーソン
アタックの鋭い音に対しての反応が充分なために、このレコードでのきこえ方は、総じてシャープである。❷でのティンパニの音などにしても、ひびきがふくれすぎないために、音像が小さめで、それだけに鋭さをきわだてている。❸での左右への動きなどもスピーディで、したがって❹での疾走感は完璧にあきらかにされている。さらにブラスのつっこんでくる力のあるひびきに対しても充分に反応しえている。

第三の扉
エバーハルト・ウェーバー/ライル・メイズ
❶でのベースの音がふくらみすぎないために、ピアノの音との対比が申し分なく効果的である。❸ないしは❹でのシンバル等のひびきはくっきり示されるが、質感の提示ということでもう一歩と思わなくもない。❺から加わりはじめる木管楽器のひびきも、その特質をあきらかにしつつ、これまでの部分との音色的な対比も充分につけている。このレコードの特徴あるサウンドをこのましくきかせて、見事である。

ヤマハ NS-2000

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より

 いい意味での現代的な音のスピーカーといえるようである。①のようなレコードに対しても、つかいこんで、いわゆるエイジングをおこなえば、音の角がとれて、さらにこのましくきこえるようになるのかもしれぬが、今回試聴したかぎりでは、しなやかな音への対応ということで、いま一歩といわざるをえない。
 しかしながら、②、③、それに④のレコードでのきこえ方は、すばらしかった。これらのレコードにもりこまれている新しい感覚をききてに感じさせる新鮮さがきわだっていた。総じて音色的にあかるいために、フレッシュで生き生きした気配を強めたと考えてよさそうである。しかもこのスピーカーは、力にみちた音に対してもしっかり対応できるので、ダイナミックな部分でも腰くだけにならない。保守的な感覚の人にはどうかなとも思うが、このスピーカーのきかせるさわやかな音は大変に魅力的であった。

タンノイ Edinburgh

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より
4枚のレコードでの20のチェック・ポイント・試聴テスト

19世紀のウィーンのダンス名曲集II
ディトリッヒ/ウィン・ベラ・ムジカ合奏団
❶での総奏での円やかさは魅力がある。このふっくらとしたひびきはこのましい。❷のヴァイオリンもしなやかさを失っていない。さらにこのましいのは❸や❺でのコントラバスのひびきである。コントラバスならではのゆったりしたひびきをきかせながら、しかしぼってりしない。音場感的なことでは特にひろびろとしているとはいいがたいが、まとまりはいい。このレコードには適しているスピーカーといえる。

ギルティ
バーブラ・ストライザンド/バリー・ギブ
❶のエレクトリック・ピアノが音像的に大きい。❷での声の音像も大きめである。しかし、声のなまなましさはよく示す。このスピーカーがきめこまかな音にこのましく対応できるためと考えてよさそうである。❹でのストリングスもひびきに艶があって、充分にひろがる。❺でのはった声が硬くならないのはいいところであるが、バックコーラスとのかかわり方で、もう少しすっきりした感じがほしい。

ショート・ストーリーズ
ヴァンゲリス/ジョン・アンダーソン
このスピーカーには適していないレコードのようである。このレコードできけるような音楽はシャープにきこえてこないとたのしみにくいが、全体的にどろんとした感じになりがちである。それにさまざまな音の音像が大きめなのも災しているようである。❷でのティンパ二の音などにしてもひびきとしての力強さは感じられるが、鋭さということではいま一歩という印象である。ひびきが総じて重くなっている。

第三の扉
エバーハルト・ウェーバー/ライル・メイズ
❶でのピアノの音とベースの音のきこえ方のバランスは大変にこのましい。しかも音に暖かさのあるのがいい。❷での右と左の区分はかならずしも鮮明とはいえない。❸、❹でのシンバル等の打楽器のひびきの輝きが多少不足ぎみに感じられる。その辺のことが改善されると、このスピーカーの音はさらに鮮度をまし、いきいきとしたものになるであろう。❺の木管のひびきは特徴をほどほどに示すにとどまる。