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アルテック 755E

瀬川冬樹

ステレオサウンド 35号(1975年6月発行)
特集・「’75ベストバイ・コンポーネント」より

 パンケーキの愛称どおり、眺めても実に可愛らしく楽しい。大きめの位相反転型エンクロージュアに収めると、独特の厚みのある、よく練れたバランスの良い音を聴かせる。

マッキントッシュ C26

瀬川冬樹

ステレオサウンド 35号(1975年6月発行)
特集・「’75ベストバイ・コンポーネント」より

 C28よりも回路構成も音質も、こちらの方が優れていると思う。デザインも、C28の対称型にくらべて、こちらの方が簡潔だし洗練されていると私には思える。

ダイヤトーン P-610A

瀬川冬樹

ステレオサウンド 35号(1975年6月発行)
特集・「’75ベストバイ・コンポーネント」より

 モニター用として設計され、永いあいだ改良を加えながら作り続けられただけあって、さすがに完成度の高いユニットである。世界に誇れる16センチ・スピーカーだ。

外観と内容にごまかしのない嘘のない製品には魅力がある

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 オーディオ機器はレコードやテープやFMから音楽をより美しい音で抽き出し鳴らす道具だ、という点を第一に明確にしておく必要がある。万年筆は文字を書く道具、カメラは写真を撮る道具、釣竿は魚を釣る、かんなは木を削る、ゴルフのクラブは球を打つ道具だというのと全く同じ意味でオーディオ機器は音楽を鳴らす道具である。あらゆる道具というものを頭に浮かべてみれば、良い仕事をするには良い道具が必要で、その何かをするという目的に厳しい態度で臨む人ほど道具に凝る。しかしまた、良い道具を手に入れればそれで道具が勝手に仕事をしてくれるわけではなく、道具の善し悪しと関係なく道具は使いこなさなくては能力を発揮しない。この、使いこなす、という一点で道具がそれ自体独立した存在でなく人間と一体になって仕事をする、まさに「道具」なのだということはが明らかになる。そのことから道具は手段であると言いかえることもできるが、それだから目的をなし遂げさえできれば道具はどんなものでも構わないということにはならないので、大工が鋸やかんなに凝るというのが専門職だけのことだというなら、素人にも毎日の食事をとる箸や茶碗にさえ気に入りの道具というのがあって使い馴れない箸ではものの味さえ変るという例をあげればよい。するとそこには使い馴れるという問題も出てくることになる。しかしそれではまだ、使い馴れさえすれば道具に凝る必要は無かろうという疑問に答えたことにはならない。古くから「能書筆を選ばず」の諺があって、腕の良い人間に良い道具は不必要であるかのように誤解されているが、それは道具の能力に頼って技を磨く努力を怠る人へのいましめであって、弘法が良い筆を持てばいっそう優れた字を書くだろうことに疑いを抱く人はあるまい。しかしここでさらにつけ加えれば、穂先のチビた筆よたも良質の毛の揃った筆の方が良いという単純な問題でなく、書きたい文字によっては穂先を散切りに断ち切って筆を作りかえ或いは意識的に使い古しの筆を選ぶ場合もあるように、すべて道具は目的に応じて作られ選ばれ或いは作りかえられ使いこなされる。そこで道具とその使い手が一体になる。使い手が変れば、つまり使い手の意図が変れば別の道具が選ばれ、だから反面、同じ道具でも使い手が変ればそこから別の能力が抽き出される。そうした能力を思いきり抽き出す人を達人と呼び、そのことに十分応えるばかりでなくそういう人の能力をよりいっそう高めるような道具を名器という。名器は達人の使いこなしに耐えられるばかりでなく人間の潜在能力を触発する。道具もそこまでに至ると、手段としての役割を離れて一個の「もの」の良さとして、それ自体が鑑賞の対象にさえなる。刀剣の美しさ、茶碗や皿の、釣竿の、さらに鋸やかんなでさえ、永い年月に磨き上げられ洗練の極みに達した道具は、まさに一個の美術品になる。カメラや時計やオーディオ機器のような機械(メカニズム)もこの例外でない。しかしこれもまた誤解を招きやすい言い方なので、単に見栄や投資や利殖から、或いは中には金の使い途が無いからなどという馬鹿げた理由から、むやみに高価なものを買い漁り価値の分かりしないのに丸抱えするような書画骨董への接し方は、わたくしの最も嫌うところである。そうではなしに、写真を撮ることが好きで写った写真の結果をさらに良くしたいからとより良いカメラを求め、もっと良い音質で聴きたいとより良いスピーカーやアンプを求める全く素朴な欲求が人間にはあり、そうして入手したカメラやアンプが、本来の写真を撮る或いは音を鳴らすという目的とは別にメカニズムそのものの美しさで人を魅了し、だからそれを愛玩するという、人間の心の自然な流れを批判したりするのは見当外れの話なので、人を斬らずに刀剣を蒐(あつ)め、茶を飲まずに茶碗や壺の美しさを愛で、郵送する目的でなく切手を蒐集する趣味を誰も不思議に思わないのに、なぜ、写真を撮らないカメラの蒐集、音を聴かないオーディオパーツの蒐集を誹るのだろうか。
 あらゆる品物、あらゆる道具は、その目的に沿って磨き上げられれば自らにじみ出る美しさを具えはじめる。本来の目的から離れ一個の「もの」として眺めてなお十分に美しく魅力的であるほどの道具なら、本来の目的のために使われればそれぞれに最高の能力を発揮するはずのものであり、オーディオパーツの能力とは、言うまでもなく音楽を素晴らしいバランスで鳴らし、良い音質が人の心をもゆり動かす、ということに尽きる。それがもし刀剣であれば本当に「斬れる」刀と、単に取引や利殖の対象の美術品であることを目的とした似非刀剣との大きな違いになる。
 曇りのない直観で眺めた目には、ものはそのあるべき能力がそのまま形になって見える。身近な例をあげても、マッキントッシュ275のあの外観は全く出てくる音そのままだ。目に写ったとおりの音、音そのままの外観。マランツ7型プリアンプ、9型パワーアンプ、JBLのスピーカー群、アンペックスのプロ用デッキ……例はいくらでもあげられる。高価な外国製品ばかりをあげる必要は少しもなく、たとえばフォスターのFE103屋テクニクスの20PW09(旧8PW1)やダイヤトーンのP610Aなど、性能を追いつめて行って自然に生まれた美しい形、優れた製品がある。ローコストにはローコストの、無駄の無い美しさがある。ここまで来てやっとひとつの結論を言えば、外観と内容にごまかしの無い、嘘の無い製品には見陸がある。魅力ある製品、優れた製品というものは、どこまでが外観の魅力なのかどこからが内容の魅力なのか、そのけじめが渾然と一体になでいるものなので、現在の多くの市販製品のように、内容は技術課が設計し外観は内容を知らない意匠課のデザイナーが担当する、といった企業体質からは、本ものの魅力を生むことは不可能でないにしても極めて困難である。
 そのことからソウル・B・マランツとA・ロバートソン=エイクマンの名をあげてみたい。前者はかつてのマランツの、後者はSMEの創始者である。マランツは工業デザイナーであり自身チェロを弾くアマチュア音楽家であり、エイクマンは精密機械工場の経営者であり機械エンジニアで、ともに熱烈なオーディオ愛好家であった。マランツはそれまで市販されていたアンプに、エイクマンは同じくトーンアームに、自身満足できるような理想像を見出すことができず、自らの理想を実現するために努力して、永い年月をかけけてあの優れた製品(マランツ・モデル1からSLT1
2に至るアンプとプレーヤー、そしてSMEのアーム)たちを世に送った。彼らはそれを商品としてでなく、自身の高い理想を満たす、自分で使うために作ったのであり、その妥協を排したごまかしのない作り方が、同じ理想を理解する多数の愛好家の心を動かし、製品が支持され、一つの企業として成立さえするに至ったのである。右の二人のような会社の創始者ではないが現在のJBL社長であり、マランツと同じく優れたデザイナーとして、JBLの一連のデザインポリシーを確立したアーノルド・ウォルフの名もぜひあげておきたい。こういう形はオーディオの世界ばかりでなく、たとえばヴィクター・ハッセルブラッドや、古くはオスカー・バルナックにもみられる例である。言うまでもなくハッセルブラッドとライカの創始者であり、どちらも自分が使うために作ったカメラが現在の製品のプロトタイプとなり、ことにハッセルブラッドが1948年以来その原型を基本的に変えていない点がSMEのアームに良く似ている。
 右のような姿勢──それまで市販された製品に理想像を見出すことができない故に、いわばやむにやまれぬ衝動が優れた「もの」を生む動機になった──例は古今に限り無くあったのだろう。しかしその動機は同じでも、結局、洗練された感性と自身に対して厳しい態度で臨むことのできる優れた人間の作ったものだけが、永く世に残って多く人たちの支持を受けることになる。理想と現実とのあいだに立って、クールな眼で自分の生み育てた作品を批判できる人だからこそ、一歩一歩改良を加え永い年月をかけて立派な作品二仕上げることができる。そういう製品が、本ものの魅力を具える。価格が安かろうが大量生産品だろうが、洗練された感性に磨かれれば自然に魅力ある製品に仕上ってくる。そういう魅力は、現在の日本の工業製品の大多数がそうしているような多数決方式からは生まれにくい。また、頻繁なモデルチェンジ──それも原型(プロトタイプ)を簡単に水に流していつでもスタートし直しのような──態度からも、製品の魅力は育たない。人間のこころの機能を無視して、人間の機能を単に生理的・物理的な動物のようにとらえる誤った態度からは、魅力どころかまともなオーディオ製品すら生まれない。ことにオーディオ機器は、芸術と科学と人間との完璧な融合がなくては、魅力ある製品に仕上りにくい。データには表わしにくい人間の感性にもっと目を開かなくては、立派な製品は作れても魅力ある商品(それに見合った金額を払うに値する製品)は生まれない。

ウーヘル Compact Report Stereo124

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 手帳一冊よりも小さなカセットテープに録音するのに現在のようなアンプ一台ほどの大きなデッキが必要だということを誰も疑問に思わないらしいことが逆にわたくしは不思議でならない。たしかにメカと電気回路で中味はいっぱいだが、それはメーカーの都合で既製の大型パーツを流用しているからで、本質から考え直して練り直してみればこんなに小さなメカニズムで往復再生さえできることを、ウーヘル124が教えてくれる。

オルトフォン SPU-GT/E, RS212

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 他のカートリッジでは絶対に聴くことのできない重厚な豊かさと、その厚みにくるまれて一見柔らかでありながら芯の強い解像力は、もはや一メーカーの商品であることを離れてひとつのオーディオ文化とさえ言いたい完成度を示していた。残念ながら経営者の代が変って、最近の製品の音質は少々神経質な鋭さが出てきたし、専用のダイナミックバランス・アームも製造中止になってしまった。何とか以前の音質を保たせたいものだが……。

SME 3012, 3009/S2 Improved

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 ごく初期に少数市販された製品は、軸受まわりが現在のようなオムスビ型ではなく、丸いリングを切りっぱなしで、その他細部も今ほど練り上げられていない。山中敬三氏の話ではそれ以前にもっと別の試作品に近い形の製品もあったらしいが、一応現在のスタイルで市販されてからでもすでに15年。その間幾度かマイナー・チェンジが施されている。こういう年月を経て名器が完成するという代表的なサンプルだろう。

ソニー PS-2410

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 レコードというデリケートな素材を載せて回すプレーヤーのフィーリングは、物心ついた年齢からレコードが身近に回っていたような育ち方をした人間にでなくてはつかめない言い表し難いある種の感性が必要だが、その点、国産のプレーヤーに、満足な製品の殆ど無いのは仕方ないことかもしれない。中ではソニーの一連の製品、ヤマハの一部の製品、パイオニアのPL41の頃の製品の一部に、多少はマシといえるものがある。

EMT 930st, 927Dst

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 やや旧式ながらヨーロッパの伝統的な機械の美しさをいまだ受け継いでいる、いわゆるスタジオ用のマシーンだが、人間と機械との関係にいかに血の通った暖かさを思わせる手触りや、取り外してみるとびっくりする分厚いターンテーブルや、ほとんど振動の無い駆動モーターのダイナミックバランスのよさなど、むろんカートリッジや内蔵のヘッドアンプの良さを含めて、ディスク・プレーヤーの王様はこれだと思わせる。

B&O Beogram 4000

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 近ごろ最も頭に血が上った製品で、写真よりも実物の方がいっそうチャーミングでしかも写真に写るよりも実物の方がはるかに小型でキュートである。フールプルーフのオートメカニズムやそれを誘うするワンタッチのコントロールパネルの感触や、ストレートラインのアームの動きなどまるでドリーム・デザインのようでありながら実に良く練り上げられている。蛇足ながら専用のSP15型カートリッジの音質も独特のクールな魅力。

B&O Beomaster 3000-2

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 B&Oというメーカーも、他に類型の少ない独特のデザインポリシーで際立っているが、一連のレシーバーのデザインは、とくにどの型ということなく、どれをとってもそれぞれに素晴らしい。残念ながら日本ではFM放送の波長の違いからそのままでは楽しめないが、一台ぐらい手許に置きたい魅力がある。パネルの白いアルミニュウム(機種によってプラスチックもあるが)やレバースイッチの形状など、ヤマハ製品にB&Oの影響がみえる。

ダイヤトーン DA-A100

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 どことなくマッキントッシュやその類型のイメージが拭いきれなくて無条件にとはいえないにしても、ある種の凄味を感じさせ、ハイパワーアンプとして良いまとまりをみせている。この系統には管球式ではダイナコのMKIII、ラックスのMQシリーズや、トランジスターではC/Mラボの35Dなどのすばらしくチャーミングなデザインもあって、三菱だけが抜群という意味ではない。ペアになるプリはデザイン、性能とももう一息。

テクニクス ST-3500

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 黒い窓の中に原色系の派手なグリーンあるいはブルーの文字がケバケバしく浮かび、同じく安っぽい赤かオレンジ色の指針をとり合わせるというパターンが国産のチューナーやレシーバーの典型的な表情だったが、テクニクス、ヤマハ、ラックスなどの新しい試みによって新鮮で清楚な、精密間、高級感に溢れたスタイルが生まれはじめたことは喜ばしい。なかでは、通信機ふうのイメージでまとめたテクニクスが、性能を含めて好きだ。

ナグラ IVSD

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 テープデッキというよりはまるで精巧な時計やカメラを思わせるメカニズムとその仕上げの精密さで、驚くほどコンパクトな設計でありながらプロ用として絶対の信頼をかちえているところが実にニクい。純然たるプロフェッショナル用の設計であるところが、我々に馴染みの深い一般アマ機とは勝手の違う面が多分にあるが、類型のない(ライバルに同じスイスのステラボックスがあるにしても)発想に学ぶ面が多分にある。

ルボックス A77MKIII

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 10号リールのかかる家庭用デッキの中では、最もものものしさが少なく、アンペックスkのメカニズムにくらべると使いこなしに多少の馴れが必要であるにしても、そこがヨーロッパ系のメカニズムの伝統ともいえ、安心して愛好家に勧められるデッキのひとつである。新形のA700も、77の発展というよりは全く新しいメカニズムで生れ変った本格的なマシーンだが、メカも操作系も実に洗練されていて不消化なところが全くない。

アンペックス AG500

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 昨今の国産のオープンリール高級機のようにいかにもメカメカしい、ラウドにわめき散らすような、やたらと白い枠で囲んだ劇画調の子供じみたメカニズムにくらべて、AC500が何と洗練されて控え目にみえることか。むろんこれは7号リール専用機で、10号リール用としてのAC440Bはもう一段風格があるが、むしろ7号リールに徹したコンパクトな設計のよさが全体の調和を保っている点にこそ、AG500の魅力がある。

パイオニア Exclusive C3 + Exclusive M4

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 プリアンプのパネル・レイアウトは国産機の大半が目差している機能的・人間工学的な処理法のひとつの典型だが、ノブ類の配置や感触やレタリングなど、キャビネットの質感の良さも含めてかなり練り上げられて安っぽさを感じさせない点、ようやく日本にも本当の意味での高級機が完成しはじめたと言えそうだ。パワーアンプも神経がゆきとどいている。合わせて63万円という価格には多少の疑問も残るが音質も素直である。

QUAD 33 + 303 + FM3

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 プリアンプの小型で精巧な造形処理と、パワーアンプの工業用機器を思わせる緻密な形態と、全く異質とも思える意匠を巧みに融合した手際の見事さ。意匠も色彩も他に類型の出現する余地の無いほど独特でしかも完成度が高い。初期の製品はいかにもトランジスター臭い粗さがあったが、現在の製品は音質の面でもまた一流である。この場合はチューナーもぜひ同じシリーズで揃えないと魅力が半減する。

マッキントッシュ C26 + MC2505

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 どの製品をとってもこれほど永いあいだ一貫して独特のデザインと音質のポリシーを保ち続けているところがJBLとは全く対照的ながら大きな魅力になる。ただしこのメーカーの製品は、放っておくとやや成金趣味的な或いはいくぶん図太い神経がちらほらみえるところがわたくしの好みとは本質的に相容れない部分で、しかし中ではそういう面の最も少ないのが、C26とMC2505の組合せだろうと思う。

アコースティックリサーチ AR-Amp

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 数あるアンプの中でもこれほど簡素で端正に整った美しい製品は少ない。仕上げが実に良く真鍮色の光沢のある磨き上げたようなパネルとツマミ、ARのマークと紅色のパイロットランプの対比の見事さは印刷や写真でなく実物を目にするまでは実感として伝わりにくいが、なにしろ魅力的なアンプだ。現時点では残念ながら音質が少々古くなってきたがデザインだけでも買いたくなる。そんな製品はそうザラにないだろう。

フォステクス FE-103Σ

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 特性の向上を目差して無駄を省いたごまかしの無い製品には、素朴ながら飽きのこない簡素な美しさがある。このほかにも、P610A、8PW1、5HH45,ゴトーユニットのトゥイーター各種など、海外ではグッドマンAXIOM80、ローサー各タイプ、アルテックの604Eや755E、ジョーダン・ワッツなど、それぞれに独特の、手にとって眺めるだけでも魅力的なユニットがいろいろある。そういうものはみな音質もいい。

JBL Speaker Units

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 スピーカー・ユニットというものは原則としてキャビネットに収めるのだから、外形などどうでも良いという考え方があるが、JBLのユニットは、磁束を有効に利用するための理想的な磁気回路の形状の追求や、大きな音圧にも共振したりたわみを生じたりすることのないダイキャスト・フレームというような、性能のオーソドックスな追求から、自然に生まれた美しい形態で、ネットワークも含めてどの一つをとっても何とも見事な形だ。

ヤマハ NS-690

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 JBLのL26〝ディケード〟とほとんど前後して発表されて、どちらが先なのかよくわからないが、むしろこの系統のデザインの原型はパイオニアCS3000にまでさかのぼるとみる方が正しいだろう。最近ではビクターSX5や7もこの傾向で作られ、これが今後のブックシェルフのひとつのフォームとして定着しそうだ。NS690はそうしたけいこうをいち早くとらえ悪心つも含めて成功させた一例としてあげた。

フェログラフ S1

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 ほかのスピーカーにちょっと類型のないほどのシャープ音像定位が、このスピーカーの第一の特徴である。左右に思い切り拡げて、二つのスピーカーの中心に坐り、正面が耳の方を向くように設置したとき、一眼レフのファインダーの中でピントが急に合った瞬間のように鮮鋭な音像が、拡げたスピーカーのあいだにぴたりと定位する。独特の現実感。いや現実以上の生々しさか。デザインのモダンさも大きな魅力。

タンノイ Autograph

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 コーナータイプという構造の制約から、十分に広い条件の良いリスニングルームで、左右に広く間隔をとって設置しなくてはその良さを発揮できず、最適聴取位置もかなり限定される。大型のくせにたった一人のためのスピーカーである。オートグラフのプレゼンスの魅力はこのスペースでは説明しにくい。初期のニス仕上げの製品は、時がたつにつれて深い飴色の渋い質感で次第に美しく変貌するが、最近はオイル仕上げでその楽しみがない。