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リチャードアレン New Golden 8T

岩崎千明

ステレオサウンド 32号(1974年9月発行)
「AUDIO MY HANIECRAFT C・Wホーンシステムの制作と試聴記(下)」より

 20cmユニットにしては、アルテック403Aと並んで手頃な価格である。英国製ユニット特有の、高域での華やかさが特長といえ、その高域の華やかさは、本来は、バスレフ型と組み合わせて低域の豊かさを強めて、量感を充分
にしてバランスさせる使い方が好ましいわけだ。ユニット自体のもっている音は、エレクトロボイスSP8Bに似ているのだが、高域が、よりきらびやかに満ちてるのが特徴だ。中高域の華やかさに対し、低音は、重低域に偏っているという傾向がある。もう少し中低域にいたるまでの帯域に量感が欲しい。
 ここで鳴らしたバックロードホーンによって低音はかなり量感を増し、このユニットのおそらく出し得ることができる低音の良さを最大限に出しているだろう。しかし、もともとこのユニットにおいて欲しいはずの中音域以下での両ンかがさらに低い方に移ってしまって、それが、このユニットの組合せでのマイナス面として出てきてしまったと思われる。したがって中高域は確かに良く、華やかなのだが、少しうるさい感じになってしまう。低音の力強さに対して中高域の華やかさが浮上ったことで、うまくバランスしていないのだ。
 フワッとした低音ばかりでなく、量感があったほうがおそらくこのスピーカーの秘めている中域での良さとプラスできたのではないかと思う。その点で、アンプのラウドネスを入れた状態で、高域を少し絞って聴くというような、変則的な使い方のほうがリチャードアレンの特色を活かすバランスにもっていける。つまり400Hz以下200Hz位の低音を補うわけだ。このユニットの使い方のコツとしては、その高域の美しさ、見事な中高域をいかに活かすべきかが、大きな問題となる。
 このバックロードホーンに入れた場合には、たとえば、コントラバスの音が出ていながら、チェロの音がちょっとさびしいし、あるいは線が細い。あるいは女声ヴォーカルに関しては、よく聴こえるのだが、男声ヴォーカルがやせてしまうという傾向を持つわけ。ごく一般的な音楽ファンにとってはおそらく、このユニットの高い方がうるさいという感じを受けるのではないかと思う。
 ある意味では、中低域が抑えられて音が出しゃばることがなくて、かえって、いわゆるきれいという言葉で表現される中高域の美しさが感じられ、クラシックを専門に聴くのだったらこのスピーカーに対して満足できる方も少なくない。オーケストラの雰囲気、あるいは弦合奏の美しい響きなど美しく再現してくれる。しかし、いわゆるオーケストラの厚みとか、ジャズの熱の入ったソロ楽器の迫力などの再生は、中低域から中音域にかけての補整をしなければ望めそうにない。
 特に中低域の豊かさというものをあまり必要としない、強いていうならばバロックとか女声ヴォーカルなどには、見事でびっくりするようなきれいさが出てきてくれるともいい得るだろう。しかも低音の、非常に低い方のエネルギー感は充分なので低域のレンジの広さも感じられるし、品が良く、中高域の美しさも持っていて、よく英国風といわれるサウンドをそのままそなえているので聴くものによっては大変捨て難い魅力となるだろうことは想像できる。

JBL D130

岩崎千明

ジャズ 8月号(1974年7月発行)
「コルトレーン、すなわちジャズを感じるにはJBLの何がよいか」より

 日本列島のほぼ中央に位置し、典型的な地方都市である静岡市の夜は早い。冬の土曜日の夜をオレは、泊るべき宿にあぶれてまだ九時だというのに暗く人通りの少ない街をさまよった。結局は、いつものようにオールナイトの場末の映画館の席に仮眠の場を求めることになってしまったが、それはそれで結構居心地がいいものだ。健さんのドスの血吹雪も二度目はうつらうつらとしかつき合ってはいられない。間もなくだらしなく眠りこけてしまったが、健さんの背中のほり物が、どこでどう混乱したのか、コルトレーンの 「アイ・ウォント・トウ・トーク・アバウト・ユー」が例の「セルフレスネス」のB面1曲目のあの曲が、頭の中いっぱいに、決して耳からではなく、脳の方から耳へ伝達して、頭蓋骨の内部にとめどもなくいつまでもあふれ流れていた。
「六時で閉館ですよ」という掃除夫にゆり起こされて、立上ろうとしても足もとがふらついて、立てそうにないのにコルトレーンのテナーだけは朗々とまだ響いていた。今までジャズが夢の中で鳴り響いたことがないわけではなかったけれど、この時ほど、永く、強く、自分の内部に我を忘れて続いたことはなかった。フレーズのひとつひとつが、これほどまで確かな形で。
 多分、その期間、ジャズオーディオという自分の溜り場で、毎日、JBLによってコルトレーンに酔いしれていたことが、この夜の夢となって、自ら気付かなかった内側のコルトレーンを導き出したのだろう。
 コルトレーンの常に自らの中に深く探究して止まないサウンドは、だからジャズを知るものにとって、ひとつの最終目標となるのだろうが、オレにとっても、それは例外ではなく、コルトレーンはジャズ・サウンドの典型として乃至は象徴として、考えるべきだし、そうなれば、コルトレーンの再現を求むるとき、それをいかなる形で具現化すべきかは、ジャズ・ファンにとってもっとも大きな課題といってよかろう。
「ジャズ向き」ということばで、まったくいやになってしまうほどイージーな受け止め方でJBLのサウンド・リプロデューサー(音響再生機)は判断されてしまう。
「ジャズ向き」なんていう判定とか別け方が、あってたまるか。ジャズ・ミュージシャンの、つまりジャズの心を再現し得るシステムなら、それこそ古典楽曲だって古今の偉大なマエストロやコンポーザーだって、その内側を露出でき得よう。なにもジャズ・ミュージシャンには限るまい。
 だが今や、いかに安っぽくJBLのシステムが選択されてしまうことか。いわく、ランサー101は名器!? いわく、オリンパスは最高!? いわく、スタジオ・モニター4320こそ最終システム!?
 すべてジャズ・サウンド風の完全なアプローチには役不足なのだ。なぜか。それはすべて広帯域を優先したため、ベースレフレックス方式かパッシブラジェタ一により最低音域でのレンジは確かに延ばしているものの、パルシブなアタックに対しては甘い。
 コルトレーンにはやはりエルビンのどぎつく強烈なドラミングでなければならないし、マッコイのとぎすまされたタッチがからむのでなければテナーの朗々たる響が活きない。サンダースのずぶとく鮮かなタンギングが、ねぼけた姿となって寄り添ったのでは、あの熱っぽくくりひろげられるコルトレーンのサウンド・スペースはヴィヴイッドな生命力を失うのだ。
 だから、オレは、誰がなんといおうとも、誰に高音が粗いといわれようと、D130に固執するのだ。15インチのフルレンジD130のスケールの大きな、それでいて緻密な中声域は、他に同じサウンドを求めようとしてあり得ない。僅かにスケール感を除けば20センチのLE8Tがあるのみだ。
 しかし、それとてエルビンの鮮烈で複雑きわまるシンバルワークは歯が立つまい。D130の唯一の弱点(ウィークポイント)は確かに音量感と力の激減するその高域にある。
 それだからといって、なにもあわてて、高音用を追加しなくてはとあせることはない。D130さえ手元におけば、その秘めたるパワーをまずフルに活かすことだ。
 高能率だからD130は確かに、ハイパワーアンプでなくたって十分に迫力をみせる。今日の平均的なブックシェルフでは到達せられっこない激しい中に強大なエネルギーを秘めて爆発寸前にまでふくれ上るジャズ・サウンドをストレートに感じさせてくれる。だからといってハイパワーアンプがいらないのではない、D130ただ一本を活かすのはやはり絶対的なハイパワーなのだ。今や50ワット/50ワットの出力は国産アンプの高級品の平均といってもよかろう。しかし、できればもっと欲しい。このところ、各社で力を入れる片側100ワット・クラスの強力なジャンボ・アンプの数々こそ、D130の偉力を、理想の形で発揮させられよう。なにも、決して大きい音量を出そうというのでなくとも、ジャズにおいて絶対的な条件といえる「眼前に間近かに位置するミュージシャンのソロのサウンド」は、録音の際に幸いなことに、今日のオンマイク録音によってレコードの音溝には間違いなく刻みこまれているのだから、それを再現する側の努力だけで、それがフルに活かされ得る。それはハイパワーアンプのもつパワーのゆとり以外にあり得ない。
 D130の良さについて、意外に気付かれていないのは最大音量の絶対的大きさ、つまり音量エネルギーの絶大なる大きさだが、それを一層、力強い形で発揮させるのが、ピークに対する比類ない応答ぶりだ。過大ドライブ入力つまり許容範囲を越える動作において、当然発生するべき歪は、それが聴き手の側でははっきりした形で意識されないのだ。マグネットの絶大な大きさによって生きるボイスコイルの大入力振幅時に対する強さがその根底にある。これと同じ条件を具えたスピーカーはD130系の、ウーファー130Aと、そのプロ級ユニットを除いては、日本の三菱の誇る放送局仕様のウーファーだけだがそのウーファーは価格的にもJBLのD130をはるかに上廻るはずだ。
 高能率という根本条件を失うことなくこうしたピーク入力に対する歪発生が極めて少ない特性は、それを得るために、絶対的巨大なマグネットを要求するから、価格的にも想像を越えたものとなってしまうわけなのだが、それはそのままもうひとつの大きな特長をもたらす。それが、過度特性つまり音の立上りの良さなのだ。よく立上りよい音と簡単にいうが、本当にそれをサウンドの上で、はっきりした形で意識でき得るのはジャズ・サウンドを理解するハードなジャズファンのみである。
 例えばマイルスのミュート・トランペットにおける強い音圧、コルトレーンの激しく断続するテナーのリードの振動。マッコイの一音一音区切られながら叩きつけるタッチ、こうしたファクターがすべて立上りの優れたスピーカーの再生を要求して止まない。それをはっきりとした形でこなし得るのがハイエネルギーのD130系のユニットであり、それを受け止め得るのはジャズ・リスナーだ。
 ジャズの持つ中域から高域の鮮かさを強めんと旧くはアンプの高音を強め、あるいは、相対的に同じ効果を得ようと、低音を減衰させることがよく行われたが、それはそのまま、高域上昇によるみかけの立上りの良さを追究したといってもよい。こうした立上りの良さを、アンプに求めるなら、それはハイパワー・アンプ以外にはあり得ないのだ。
 山水のAU9500がジャズにおいて強力ぶりをみせるのも、デンオンPMA700がジャズ・サウンドをみずみずしく生き返らせるのもすべて、ハイパワーなればこそであるし、オレがケンソニックのハイパワーアンプを常用するのも、テクニクスのSE9600にジャズを再発見したのも、それらがむろん超広帯域特性に加えて50〜150ワットと強力なためだ。
 同一時間内に、といってもそれは1/50秒とか1/100秒という瞬間的な時間経過だが、そうした瞬間にハイパワーアンプはそのパワーの許容し得る範囲までの最大値に達することが可能だ。同じ条件で、半分の出力しかないアンプでは立上りは半分の大きさでしかあり得ないし、その事実が実はそのまま立上り特性を示すわけだ。だからハイパワーアンプほど、さらにこれを音響出力として考えれば、最大エネルギーの大きいスピーカーほど立上りは良いといえるのである。
 さて、こうした事実を追究すればD130をハイパワーアンプでドライブすることこそ、立上りの良さを実現できるといい切ってよい。さらにいま一歩深くつっこんで考えれば立上りの良さをより向上するために、さらに音響出力の大きい高音用ユニットを加えることが、ジャズ・サウンドへのより情熱的なアプローチといえよう。
 LE85が、かくて浮上してくる。ここでは一般的な175DLHでなくて同一構造ながらマグネットのはるかに強力なるLE85ユニットでなければならない。そして、そのホーンも175DLHのように音響レンズでの減衰の大きなホーンではなく、エネルギーのストレートに得られるスラントプレート型の拡散器(デュフェーサー)のHL91でなければならない。
 375はここでは不要というよりも好ましくはない。なぜなら高域のなだらかな減衰は歴然で、そうなればさらに超高域ユニット075が必要となり、振動板が「低音」「中音」「高音」と分離しなければならないことによって、単一楽器のサウンドが聴き手において三つからバラバラにおそってくるというめんどうきわまりないことになってしまう。ドラマーのベースドラムと、スネアーと、タムタムと、シンバルとそれぞれが3つのユニットから出てくることによるドラマーの位置のボケルというマイナス以上に、テナーのような広音域楽器の音像のボヤける方が恐いと考えるのはジャズ・ファンとしては当然であろう。
 かくて、D130にLE85プラスHL91のこうしたシステムがハードなジャズ・ファンの考える最終日標となってくるのだ。
 国産スピーカーの中にD130系の以上のような特長を求めるならば、それはきわめてシビアな選別とならざるを得まい。
 しかし、その最右翼がコーラルBL20Dであるのは、それが最大エネルギーの点でJBL製品に匹敵するからに他ならない。
 三菱の新システムDS36BRもサウンドの特長とバランスがJBL的な点を買おう。
 国産システムでも特異な存在・日立HS1500はサウンドへのアプローチがJBL志向である点を注目しよう。
 使用プレーヤーはマイクロのSOLID5、DCサーボなのだが性能の上ではDD並で、アームの良さも国産製品はおろか海外製品にも匹敵する。
 カートリッジLM20は、外観上の薄さが非常に現代的デザインで内容においても現在トップクラスのものだ。

キャバス Sampan Leger

菅野沖彦

スイングジャーナル 8月号(1974年7月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 ムッシュ・キャバスによって1950年創立されたフランスの音響機器専門メーカーについては日本ではあまり知られていない。従来、製品が本格的に輸入販売されていなかったからである。今回、試聴する横合を得たサンパン・リーガー31000というシステムが、私にとっては同社の製品との初対面であった。
 キャバス社は資料によると、もともとスピーカーの専門メーカーとしてスタートし、その後アンプにも着手、主にプロ機器を手がけてきたメーカーである。ヨーロッパではかなりの実績をもつメーカーなのである。このブックシェルフ・システムを聞いても、並々ならぬ実力が感じられるのである。生産は比較的小量らしく、入念な作り方をされているようだが、素朴ともいえる何の変哲もないシステムに見えながら一度音を出すと、その素晴しさ、オリジナリティの美しさに、すっかり魅せられてしまった。
 3ウェイ3スピーカーで使用ユニットはオール・コーン、63×40×31(cm)の比較的大型のブックシェルフ・システムである。外見上変っているところといえば、ハイ・フリクエンシー・ユニットのボイス・コイル・ボビン前面に、普通ならダスト・カバーか、それ兼用のドーム型のキャップがつけられているが、この製品では、それが円筒状のプラスチック製キャップつきのポールピースとなっているくらい。しかしコーン紙の質はよく見てさわるとなかなかユニークで、どこかしっとりとした感触をもっていて、適度な内部損失を推測させる。深いコーンをもったウーハーのエッジ・サポート部分などにも一見それとわからぬが細かい工夫と独創性がある。特に上出来とはみえないエンクロージャーだが、材料と構造には豊かな経験とデータの蓄積が生んだ吟味が感じられる。バッフルへのユニット取付にもフェイズを充分考慮に入れた跡が感じられ、このメーカーの質の高さが理解できる。一見きわめて無雑作でありながら、ポイントだけはしっかり押えられたかなり緻密な科学技術力による設計生産品であることが感じられた。
 3ウェイのレベル・アッテネーターはなく各ユニットのレベル・バランスは調整不能であるが、これにも同社の強い姿勢を感じる。こんなところに金をかけて、基準を失うようなことはする必要なしといわんばかりである。しかし、プロ用ならともかく、一般用として、特に輸出までするとなると、どんな再生条件になるかわからないのだから、中高域のレベル・アッテネーター(ノーマルから±に増減できるもの)はやはり必要だと思う。
 ところで、この音についてもう少し詳しく感想を述べると、私にはやはりフランスの音という個性が感じられてならない。メーカーとしては無響室データーを基準につくっていて、特に意鼓した個性的表現はおこなっていないというかもしれないが、この音は明らかに一つの美しく強い個性である。センスである。ふっくらと豊かで透明な中音域の魅力! 音楽のもっとも重要な音域が、こんなに充実して味わい深く鳴るスピーカーはめったにない。楽器がよく歌う。もちろん、低音も高音もよくバランスしているからこそ、調和した美しさが前提でこそ、こうした中域の魅力が語られ得る。まるでルノアールの女像のように水々しく柔軟でいて腰ががっしりしている。ジャズをかけても大きなスケール感も、微視的に拡大するシンバルやハイ・ハットの質も、ベースの弾みも、リードやブラスの歌も文句ない。それでいて全体に潤沢で、輝かしく、しかも特有のニュアンスを持つ。色合いは深く濃い。しかし、決してくどくない。モーツァルトのデュポールのヴァリエ−ションが素敵な佇いと、うるわしいとしかいいようのないソノリティで私を魅了してしまったのである。全く別な持味で私を魅了したブラウンのスピーカーと対象的に、惚れこんでしまったのであった。惜しむらくは、エンクロージャーのデザイン、フィニッシュが一級とはいえないことだ。ウォルナット、チーク、オーク、マホガニーという4種類の仕上げが用意されているらしいが、実際に4種共が輸入されるかどうかは知らない。今回聴いたものはチーク・フィニッシュのものだった。
 このスピーカーの高い品位を十分に発揮させるためには、優れたハイ・パワー・アンプが必要だと思う。試聴はマッキントッシュC28、MC2300というコンビでおこなったが、ピークで1150Wはラクラクと入る。このスピーカーの許容入力は35Wであるが、これはコンティヌアスなマキシム・パワーであるから、瞬間的なピークなら、200〜300Wには耐え得る。安全と必要との合致点からみて70〜100Wクラスのアンプがほしいところだろう。
 近来、稀に得た、フレッシュな音の世界の体験であった。

アドヴェント Smaller ADVENT

岩崎千明

スイングジャーナル 8月号(1974年7月発行)
「ベスト・バイ・コンポーネントとステレオ・システム紹介」より

 ブックシェルフ型という形式のスピーカー・システムが登場したのは、AR1のデビューした57年以来、18年になるが、今ではスピーカー・システムといえはそれはブックシェルフ型を意味するようにまでなってしまった。つまりひとつの歴史がARによって始まったと言ってもよかろう。57年に特許を獲得したエドガー・ビルチャーのこのアコースティック・サスペンジョン方式は、しかし、商品として完成されたのはこの30センチと20センチの2ウェイというAR1によってではなく、25センチと2コの10センチの2ウェイのAR2によってなのだった。AR1の12”ウーファーを独立させて、当時評判の高かったジェンセンの中高音用コンデンサー・スピーカーと組合せるべく作ったAR1Wのみが、ARの初期の商売上の成功のすべてであった。
 その時期におけるアコースティック・サスペンジョン方式のスピーカー・システムとして実質的に市場において成功していたのはARではなくて、その特許を買ってシステムを作り出したKLH社のモデル4だったという事実は注目に価する。しかもこのモデル4以後6、7と、長い期間ARと互角に製品を送り出し、今日の総合メーカーに拡大したKLH社の基礎を固めることになったのがKLHのスピーカー・システムであり、その優れた評価なのである。そのスピーカーを創りあげるのに大きな役割を果たしてきた技術者は、AR社社長ビルチャーのもとに片腕としてスピーカー作りに重責を握っていたヘンリー・E・クロス氏だった。その彼がKLHを飛び出して、今度は自分自身で会社を興し、ブックシェルフ型スピーカー・システムを作り始めたときけば、これはもう品物が出来上る前に高い評価を得るだろうことに疑問を持つ者はいまい。その通り、アドヴェントのスピーカーは市場に送り出されるや早々に米誌コンシュマー・レポートにおいて並びいる無数の他のブックシェルフ型を押えて「A Best Buy」に選ばれてそのデビューを飾り、一躍市場のベスト・セラーに踊り出たのが4年前。以来アドヴェントはスピーカー・システムとしては、ただこの1種のみを作り続けてきた。なお、申し添えると、このアドヴェントのもう一つの有名製品はドルビー付きの「高級カセット」があり、昨年やっと一回り小型のスピーカー・システム、スモーラー・アドヴェントを送り出したのだ。日本市場でも海外製品が最近は珍らしくなくなった。特にスピーカーに関しては、人気商品の半分が海外スピーカー・システムで占められるこの頃だ。
 米国の製品は、その中でもっとも数が多くあらゆる価格レベルにおいて充実している。だから、その中にあって、たった2種しか出していない新参アドヴェント、目立つわけがない。形もオーソドックスで、何の変哲もなく、目を惹くいかなるものもないのだから、当然なのだ。米国におけるアドヴェントのようにすでに高い価値をコンシューマー・レポート誌によって認められたという無形の、しかし確かなる背景も、日本ではほとんど通用しない。
 だが、ひとたびその真骨頂であるサウンドに接すれば、たとえきわめて高いレベルのオーデオ・ファンでも、ジャズ・ファンでも、納得させられるに違いない。いや、ハイレベルのファンほど、サウンドの確かさを知らされるだろう。それは米国切っての強固なる支持を持つコンシューマー・レポートによって代表される米国のユーザーの良識によって認められたベスト・システムとしての真価なのだ。
『すべての音楽ファン、オーディオ・ファイル(マニア)の期待に応え、しかも可能な限り価格をおさえる』というこの点にアドヴェントの製品の他にみない特長がある。これは2ウェイによって最高級システムが作り得るという確信が開発・製作者にあったからこそ成し得たのだが、その自信は、すでにAR2により、またKLH4、KLH6というかつての空前のロングセラー、ベストセラーから生じた自信以外のなにものでもなかろう。
 その自信を裏づけするようにこの小型のシステム、スモーラー・アドヴェントは実にふかぶかとした、ゆとりある低域と歪感の極度に少ない中低域から中高域、ハイエンドをややおさえて得た刺激が少なく、しかも立上りよさに新鮮なサウンドを感じさせる。あらゆる虚飾を配した、ということばはまるでこのアドヴェントのスピーカーにとっておいたようなことばだが、そっけないそのスタイルには、実はもっともハイ・クォリティーのサウンドが求められているのだ。それは「羊の皮を着た狼」のスピーカー版とでもいったらわかっていただけようか。
 ジャズを聴いても、バロックにも、はたまたロックによし、ポピュラーも抜群、つまり当るに敵なしとはこのアドヴェントのシステムのことだろう。
 本来、イースト直系のシステムとしての筋金が、このアドヴェントの音作りの基盤となっているのだからバロックやオーケストラが一番得意なはずであるのだが、イイモノハイイという言葉通り、ジャズでも生々しい楽器のサウンドをいかんなく発揮してくれるし、ヴォーカルの自然なプレゼンスも見事だ。普通聴きこんでくるに従っていろいろと物足りなく思えてくるのが安物の安物たるウィークポイントなのだがアドヴェントにはそうした安物らしさがいくら聴いても出てはこない。価格の3万何千円は何びとたりとも音を聴いてる限り決して意識されることがない。
 だから、平均的リスナ一に対してアドヴェントを推める理由の最大なものは、そのリスナーの向上によってスピーカーをよりハイレベルのものに移向することを望めない場合に、もっとも発揮されることになる。
 逆にいえば聴き手がどんなに向上してもアドヴェントひとつで間に合うのである。そうなれば、もっとも平均的なジャズ・リスナーの選ぶにふさわしいコンポの一翼を担って登場させるべきであろう。だからといってそれは決して平均的という言葉から想像されるような甘いものでは決してない。もっとも現代的なハイ・クォリティー・レシーバーの代表としてサンスイ771をここに選んだが、それはトリオのKR7400であってもいいし、パイオニアのSX737であってもいい。ただひとつパワーの大きいことがアドヴェントをよく鳴らすコツであることを知っておこう。
 プレイヤーは使いやすさという点でレシーバーと共通的な気易さで接しられるオートチンジャーの高級品を選んだ。その代表的ブランド、英国の伝統に生きるBSRの高級機種はマニュアル操作でも第一級のプレイヤーで使いやすい。
 このBSRのもうひとつの大きな魅力は日本市場における特典でもあるがシュアのカートリッジが着装されている点だ。シュアもアドヴェントと同じようにジャズ、オーケストラ、歌と何でもこなすという点が高く買われているわけでその点アドヴェントとの組合せは普遍性を高めている組合せとなるわけだ。
 もし、キミがすでに大がかりなコンポーネント・システムを持っていたとしても、リスニングルーム以外でのジャズの場を持とうとするときに、あるいは持ちたいと思うときに、このスモーラー・アドヴェントを基としたシステムはハイ・クォリティー、ローコストの上、万全の信頼をもって支えてくれるに違いない。

アルテック Crescendo (605B)

岩崎千明

スイングジャーナル 7月号(1974年6月発行)
「ベスト・バイ・コンポーネントとステレオ・システム紹介」より

 大口径スピーカーのみの持てる、ハイ・プレッシャー・エナジーの伝統的な迫力の洗礼を受けたのは、アルテックの15インチによってであった。38センチという言い表わし方ではその迫力の象徴を表現するには絶対的に不足で、オレにはどうしても15インチ以外はピンとこない。
 それは昭和26年頃の、まだ戦後の焼跡の生々しい銀座の松坂屋裏のちっぽけな喫茶店であったっけ。重いドアを押して中に一歩踏み入れた途端、奥まで紫煙が立ちこめ、そこに群がる黒人兵達の嬌声やらどなり声を圧するが如く、ニューオリンズ・ジャズのホーンの音のすさまじさ。動くこともできず思わずその場にたたずんではしばし、呆然としていた。
 初めは本物のバンドが紫煙の奥に在るのかと、いぶかしくなるほどにそのサウンドは生々しくリアルで力に満ちていた。奥に入っていって、そのジャズ・エネルギーがなんとスピーカーであることを知らされた。その名、アルテックの603Bは、死ぬまで忘れられない名としてオレの脳裏に刻み込まれたのだった。この邂逅はその後のオレのオーディオ・ライフへの道を決めてしまった劇的なものであった。
 この戦後の東京では最も古いに違いない喫茶店「スイング」は今も渋谷は道玄坂の一角で、その時のあの15インチ〝603B〟が、今もなお健在で集まってくる若人に20年前と同じ圧倒的な迫力をもって応じている筈である。
 この603Bが、今日の新たなる技術をもってリファインされたのが「クレッセンド」のユニットの605Bに他ならない。
 さて、15インチ2ウェイ・コアキシャル型の605Bは、その名から推測されるようにプロフェッショナル・モニター用として名の轟く604Eを基準とした製品だ。ユニット自体は604Eの11万強に対して約9万と安い。だから、しばしば604Eの普及型というとらえ方をされる。事実外観上の差はほとんどなく、マグネット・カバー上の型番を見るまでは見分けることすら難しい。
 だが、604Eが音質チェックを目的としたモニター(監視用)であるのに対して605Bはあくまで音楽再生を目的とした、アルテックきっての高級スピーカーなのである。つまり、音楽をサウンドとしてではなく、音楽とのかかわりを深く求めんとして再生する限り、この605Bの方がより好ましいのである。それは音色の上にもはっきりと現れて604Eがしばしばクリアーであるが、堅い音として評されるのに対して、605Bのそれは何にも増して「音楽的な響きをたたえた暖か味」を感じさせる。604Eの力強いがなにかふてぶてしく、鮮烈であるが華麗ではないサウンドに対して、605Bはこのうえなくバランス良く豊麗ですらある。
 つまりいかなるレベルの音楽愛好者といえどもこの605Bの魅力の前にはただただ敬服し、感じ入ってしまう品の良いサウンドであることを知らされるに違いない。しかもこのサウンドは、単に音が良いというだけでなくしばしば言われる〝シアター・サウンド〟を代表するアルテックという、世界で最もキャリアのある音楽技術に裏付けられた物理特性あっての成果なのだ。電気音響界きっての誇りと伝統と更に現代技術の粋とを兼ね備えた音楽再生用スピーカーとしての605Bの優秀さは、もっと早くから日本市場にも紹介されるべきであったのだ。
 これがかくも遅れたのは、このスピーカーが抜群の高音響出力を持つためだ。高いエネルギーを可能とすることには付随的なプラスαとして無類の高能率があるのだ。そうした場合、スピーカー・ユニットを組込むべき箱は実に難しく、多くの点を規制され充分な考慮をせずには成功しない。箱の寸法とか補強措置や板厚のみならず、その材料にまで充分に注意を払わねばならない。つまり箱に優れたものをなくしては優れた本来の性能を出せなくなってしまうのだ。
 幸いなるかな日本市場では605Bは「クレッセンド」と呼ぶシステムとして優れたエンクロジュアに組込まれた形でユーザーの手に渡ることになっている。つまり605Bの良さは損なわれることなく万人に知られ得るに違いないし、それはしばしば誤られるごとく「ウエスト・コースト・サウンド」といわれるものではなく、この30年間常に、いや創始以来ずっとハイファイをリードし続けた、アメリカのオーディオ界の良識たるアルテック・サウンドの真髄を発揮した「サウンド」なのである。
 まずクレッセンドが比類なく高能率、高音響出力という前提では、アンプにはさして大出力は不要ということになる。その結論はひとつの正しい判断として間違いないし、そうした決定から国産の平均的アンプ、40/40W程度のものを対象としても、アルテック・クレッセンドはその実力を充分に発揮してくれ、そのサウンドは、間違いなくそこに選ばれたアンプが「かくも優れたものであったか」ということを使用者におそらく歴然とした形で教えるに相異あるまい。
 だからといって、このひとつの結論としてのそのサウンドがアルテック・クレッセンドの良さをフルに引き出したのかというと、残念ながら決してそうではないのである。国産の40/40Wのアンプは矢張りその価格に見合った性能しか秘めていない。倍にも近い価格の、だから多分高出力になっているに違いないより高級なアンプの持っている諸特性を考えれば40/40Wの手頃な価格のアンプはやはりそれなりの特性でしかないのだ。
 つまりクレッセンドの内蔵する
アルテックの605B、その輝やかしい歴史と伝統に支えられた15インチ・コアキシャルは、もっとずっと、否、最高級のアンプで鳴らした時にこそ、最高の性能を発拝してくれるのである。
 それはイコライザー回路から、トーン・コントロールから、およそ回路の隅々にまで至るすべての点に最高を盛り込んだアンプのみがアルテックの傑作中の傑作を最も本格的に鳴らしてくれるのである。
 そしてそういう結論を大前提とし、なおかつ、大出力は必要条件ではないとしてもすべてを満たし得るアンプ、その少なくない国産品から選べば、次の3機種こそアピールされてよかろう。①ソニー:TA−8650②オンキョー:Integra711③ヤマハ:CA1000 以上のアンプは最大出力は100/100Wを下回るものの価格的にはヤマハを除いては割安とは言い得ない。つまり、メーカーとしてはどれもがそのメーカーの最高機種としての誇りと技術を託した高級アンプなのであり、そうしたベストを狙ったもののみがクレッセンドの良さを最も大きく引き出せよう。特にヤマハのアンプは品の良さと無類の繊細感で.この中では最高のお買物として若い人にはアピールされよう。ソニーの場合新開発FETアンプの持つ真空管的サウンドを買ったのだ。オンキョー711については、使うに従ってその良さが底知れぬ感じで期待でき、是非これに605Bを接いでみたい誘惑にかられているのだ。プレイヤーはプロ志向の強いトーレンスTD125MKII。カートリッジとしては、使い易さと音の安定性からズパリ、スタントン600EEを推そう。

オルトフォン SL15

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 個性的な魅力と欠点が交錯して存在した忘れがたいカートリッジであるS15に続いて発表されたこのSL15は、しばらくの間はSPUの存在があまりにも大きいために忘れていたのだが、折にふれて使ってみるとオルトフォンの音を受継ぎながら現代化された魅力が次第に感じられてきた。私にとって、いわば大器晩成型のカートリッジである。ストレートな表現ながら適度の情趣性がある。やはり、オルトフォンはオルトフォンなのだ。

マッキントッシュ MC2105

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 C28プリアンプをはるかに上回るパネルデザイン。片チャンネル150ワットの大出力と、重厚な音のイメージは、このアンプの大きさ、重さ、デザインと完全に一体になっていて、どこにも無峻や違和感がない。ブルーにイルミネイトされる出力レベル・メーターの色のギリギリの線で嫌らしく青くなるのを押えた明度と色調。まさにアクアブルーの自然の神秘さを再現する。これを真似た国産のアンプのすべては嫌らしい失敗作である。

オルトフォン SPU

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 数多くの海外製品、国内製品が発表され消えていく中にあってステレオ初期以来MCカートリッジの王座を維持している実力は大変なものである。豊かな低音をベースにして明快で適度の響きをもった中域から高域のソノリティはレコードファンの誰しもが感じるあの魅力をもっている。感覚的に古さを感じてはいながら使うたびに一種の安心感と新しい喜びを感じさせるのは何なのだろうか。現在、消えてしほくない製品の筆頭である。

シュアー V15 TypeIII

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 エラックとクロスライセンスをもつシュアーはMM型のオリジネーターであり製品の豊富さでも屈指の存在である。V15タイプの第3世代として登場したV15/IIIは、シュアーサウンドと呼ばれたV15/IIを音質面、物理特性面ともに一段とリファインして完成したシュアーの傑作である。フラットに延びきった周波数レスポンスとトラッキング能力は抜群で、V15/IIIを聴いてみて髄15/IIの色づけの濃さが確認できるようだ。

デッカ Mark V

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 独特な垂直系のカンチレバーを採用したダイレクトカップリング方式とマトリクス内蔵の構造を一貫して通しているのは異例な存在である。従来から音色上でも異色といわれ、ある範囲のソースに対しては抜群の表現力をもつ、いわば単能カートリッジといわれていたが、このMKVは伝統を保ちながらよりバーサタイルな性格をもっている点がよい。明るく輝かしい音ながら緻密であり、ニュアンスの表現でも見事である。

エンパイア 1000ZE/X

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 このカートリッジほど使用する人によって評価が変わる例はあるまい。けっして表面的に個性の強さを感じるような性格ではないだけに大変に興味深いものがある。ヨーロッパ系のカートリッジがもつ明快さや輝きといった美点こそないが、都会的に洗練された陰影の深い音はソフィスティケートされた、このカートリッジならではの魅力であり、欠かすことのできない存在である。内面的な個性の豊かさでは、右にでるものはない。

B&O Beogram 4000

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 いわゆるヨーロッパ調デザインのオリジネーター的存在であるB&Oのオーディオ製品はオーディオに限らず世界のインダストリアルデザインに影響力をもつといわれている。ベオグラム4000は超薄型のシステムながら完全にフールプルーフな純電子的コントロールによるフルオートプレーヤー機構を備えている。メカニカルなフルオートにくらべレコードサイズの自動識別、自動変速などの新機能を備えた未来志向型の典型だ。

エンパイア 598 New Troubadour

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 すべてを濃いゴールド系の色調で統一したニュートラバドール598は、旧タイプほどのアクの強さは、薄らいでいるがアメリカならではつくりだしえない雄大なスケール感をもっているのは見事というほかない。システムのトータルなバランスは、完全なハウリング対策をベースとしているだけに優れたものがある。機構的には実用上で不便に感じる面ももつが、却って自己主張の強い魅力と受取れるところがオーディオである。

トーレンス TD125MKII

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 かつてのTD124の面影こそないが数少ないヨーロッパ系のマニュアルプレーヤーシステムの最右翼に位置する製品である。薄型でキュービックなデザインであるが完全なハウリング防止対策、交換可能なアームボード、クラッチ機構付のサーボベルトドライブなどプレーヤーシステムに要求される基本を確実に把握したトータルバランスの良さでは、DD方式を武器とした数多い国産プレーヤーシステムの遠く及ばざるものがある。

マッキントッシュ MC2300

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 超弩級ハイパワーアンプ。片チャンネル300ワットのモンスター・アンプ。その次元の違う再生音のスケールの大きさは、鳴らしてみれば納得するだろう。少々ちゃちなスピーカーでもガッシリと鳴る。ただし、いい気になってパワーを入れるとヴォイス・コイルが焼けてすっ飛ぶ。8ℓFFキャディラック・エルドラードを思わせるアンプだ。重さに匹敵する価値を感じる事だろう。こういうアンプを他に先がけて商品化する底力が凄い。

フェログラフ S1

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 いわゆる英国の音がもつ伝統を守りながら新しい英国系モニタースピーカーは大幅なグレイドアップをなしとげたようだ。比較的小型で奥行きが深いプロポーションをもち、拾い周波数レンジと能率が極めて低いことが共通な特長といえよう。S1システムは、バランス上、やや高域と低域の周波数レスポンスが少々する傾向をもつが、ステレオフォニックな拡がりと、定位の鮮明さに優れる。格調が高く緻密な音は素晴らしい。

JBL 4320

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 JBLプロフェッショナルシリーズのモニタースピーカーは現在4機種あるが近日中に、さらに充実したシステムがシリーズに加わると予測されている。4320は旧D50SMモニターをベースとしてモディファイしたプロフェッショナルモニターの中心機種である。とかくモニターといえばドライ一方の音になりやすいが、表現力が豊かであり強烈なサウンドも、細やかなニュアンスも自由に再現できるのは近代モニターの魅力だ。

JBL L26 Decade

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 JBLの新世代を象徴する新しい魅力をもったシステムである。米国では約130ドルで現在ではJBLのもっともローコストなシステムであるが、このディケードの音は、まさしくJBLの、それもニュージェネレーションを感じさせる、バイタリティのあるフレッシュで、かつ知的なサウンドである。米国内でも爆発的な人気らしく、JBLのラインのほとんどがこのシステムでしめられていたのを見ても裏付けられるようだ。

アメリカ・タンノイ Mallorcan

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 マローカンは、英タンノイのユニットでは比較的なじみの薄いモニター12ゴールドを米タンノイがブックシェルフ型エンクロージュアに収納したシステムである。英国の音のティピカルな存在である。タンノイの音から想像すると驚かされるほど、このマローカンの音はボザーク、KLHと共通性をもった米東岸の音をもっている。まさにニューイングランドの音といってよいだろう。小型ながら適度のスケール感と高品位な音が魅力。

ジョーダン・ワッツ Module Unit

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 いまはなき、ローサーと並ぶフルレンジユニット、グッドマンAXIOM80の設計者であるEJジョーダンが自らの名を冠したユニークなフルレンジユニットである。10cm口径の一体成型軽合金コーンにベリリュウムカッパー線を3本使ったダンパーなど構造上でも異色の存在である。明るく滑らかで反応の早い音は小口径フルレンジユニットのファンの琴線に触れる魅力であろう。現在数少ない個性豊かなユニットの典型である。

マッキントッシュ C28

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 シンメトリックなツマミ配置が完成の域に達したコントロール・アンプ・デザイン。なんといっても、イルミネーションのグラス・パネルが創り出す、ファンタジックな効果が印象的。絶対に指紋をつけっぱなしにしておけないという代物だ。もし、これを指紋だらけで平気で使っていられるとしたら、そんな無神経な奴は死んでしまえ! である。重厚な落着いたサウンドは、やや陰りを感じさせる渋さで黒光りといったイメージだ。

ウーヘル Compact Report Stereo124

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 手帳一冊よりも小さなカセットテープに録音するのに現在のようなアンプ一台ほどの大きなデッキが必要だということを誰も疑問に思わないらしいことが逆にわたくしは不思議でならない。たしかにメカと電気回路で中味はいっぱいだが、それはメーカーの都合で既製の大型パーツを流用しているからで、本質から考え直して練り直してみればこんなに小さなメカニズムで往復再生さえできることを、ウーヘル124が教えてくれる。

オルトフォン SPU-GT/E, RS212

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 他のカートリッジでは絶対に聴くことのできない重厚な豊かさと、その厚みにくるまれて一見柔らかでありながら芯の強い解像力は、もはや一メーカーの商品であることを離れてひとつのオーディオ文化とさえ言いたい完成度を示していた。残念ながら経営者の代が変って、最近の製品の音質は少々神経質な鋭さが出てきたし、専用のダイナミックバランス・アームも製造中止になってしまった。何とか以前の音質を保たせたいものだが……。

SME 3012, 3009/S2 Improved

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 ごく初期に少数市販された製品は、軸受まわりが現在のようなオムスビ型ではなく、丸いリングを切りっぱなしで、その他細部も今ほど練り上げられていない。山中敬三氏の話ではそれ以前にもっと別の試作品に近い形の製品もあったらしいが、一応現在のスタイルで市販されてからでもすでに15年。その間幾度かマイナー・チェンジが施されている。こういう年月を経て名器が完成するという代表的なサンプルだろう。

EMT 930st, 927Dst

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 やや旧式ながらヨーロッパの伝統的な機械の美しさをいまだ受け継いでいる、いわゆるスタジオ用のマシーンだが、人間と機械との関係にいかに血の通った暖かさを思わせる手触りや、取り外してみるとびっくりする分厚いターンテーブルや、ほとんど振動の無い駆動モーターのダイナミックバランスのよさなど、むろんカートリッジや内蔵のヘッドアンプの良さを含めて、ディスク・プレーヤーの王様はこれだと思わせる。