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ATC SCM50, SCM100

井上卓也

ステレオサウンド 99号(1991年6月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 英国、ラウドスピーカー・テクノロジ一社のスピーカーシステムは、74年に創立された同社の当時の社名であるアコースティック・トランスデューサー・カンパニーの頭文字ATCをブランド名として、昨年からわが国にも輸入され始めた製品である。このATCの製品は、従来の英国スピーカーの枠を超えた、新しいスピーカーの流れとして注目されている。
 昨年輸入されたモデルは、アンプ内蔵型の3ウェイシステムSCM100Aと、2ウェイシステムのパッシヴ型SCM20の2機種であるが、これに加えてLCネットワーク採用のSCM100と、3チャンネルアンプ内蔵型SCM50A、そしてLCネットワーク採用のSCM50が輸入されることになった。なおSCM50Aは前号の本誌で紹介済みなので、今回試聴をしたモデルは、ともにコンベンショナルなLCネットワークを採用したSCM100とSCM50である。
 同社のモデルナンバーの数字は、エンクロージュアの内容積を示しており、50は、50ℓの意味だ。SCM100は、3チャンネルアンプ内蔵のSCM100Aを一般的なLCネットワーク採用としたもので、単純明快に、リアパネルにあるアンプ収納部にパッシヴ型ネットワークを組み込んだタイプである。バスレフ型のエンクロージュアは、現在の製品としては珍しく、バッフルが取り外せる設計で、使用材料は、ロスの多い柔らかい木材で、制動をかけた使い方である。使用ユニットは、当然SCM100と変らず、低域がSB75-314コーン型、中域がSM75-150ソフトドーム型、高域がSH25-100ポリエ
スチルドーム型である。低域と中域の型名で、SB、SMに続く数字はボイスコイル口径であり、続く3桁数字は、いわゆる口径を表わすが、中域はホーン開口径である。
 ネットワークは、かなりグレードの高い素子を使った設計で、大型の空芯コイルと、これも大型のチューブラータイプのポリプロピレンコンデンサーの組合せである。これは3チャンネルのディバイダー組み込みのアンプを使うSCM100Aと同等のサウンドクォリティを保つための採用と思われるが、このネットワーク素子を重視する傾向は、タンノイの新スタジオシリーズにも近似したグレードのLC素子が採用されており、ヨーロッパ系スピーカーの新しい特徴として注目したいものである。
 SCM50系は、SCM100系の特徴をより小型化したシステムで実現させた小型高密度設計に最大の特徴がある。ユニット構成の基本は、上級機SCM100系を受け継いだ3ウェイ構成で、高域と中域のユニットは同じであるが、低域ユニットは口径31cmのSB75-314から1サイズ小さい口径24cmのSB75-241に変更され、バスレフ型エンクロージュアの内容積を50ℓと半減させたために、外観から受ける印象はかなり凝縮した密度感の高いものとなり、オーディオ的に十分に魅力あるモデルだ。
 最初の内は全体に軟調でコントラストの不足した反応の鈍い音であるが、約30分間ほど経過をすると、次第に目覚めたように音が立ちはじめ、それなりの反応を示しはじめる。基本的にはやや重く、力強い低域をベースとして、安定感のある中域に特徴がある重厚な音である。バランス的には、一体感がある低域と中域に比べると、高域に少し飽和感を感じるのは、SCM100Aと共通だが、聴感上でのSN比が高いのが、このモデルの最大の魅力のポイントである。かなり、ウォームアップが進むと、いかにも現代のモニターシステム的な情報量の多い音場感的な見通しの良さが聴かれるようになるが、音の表情は全体に抑制が効き、音離れが悪い面が若干あるため、ドライブアンプには駆動力が十分にあり反応の速いタイプが望まれる。最近のスピーカーシステムとしては、異例に密度感が高く、重厚で力強い音が聴けるこのシステムの魅力は非常に大きい。
 SCM50は、25cm口径の低域の特徴を出した、個性的なバランスの昔である。低音感は十分にあるが、中低域の量感がやや抑え気味で、音場感的なプレゼンスはミニマムの水準である。この傾向は特に小音量時に目立ち、音量を上げると本領が発揮されるタイプだ。
 弦楽器はしなやかで、パーカッシヴな音もナチュラルに再現し、ピアノの実体感も良く引き出す。安定しているSCM100に比べると、本機の場合はどうにかして思い通りに鳴らしてみたい、といった意欲にかられる挑戦し甲斐のあるモデルだ。

アポジー Centaurus

早瀬文雄

ステレオサウンド 97号(1990年12月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 アポジーは、スピーカーシステムの低域から高域まで、アルミリボンという一つの素材を用いることによっていわゆるフルレンジリボンという言葉を定着させた。
 もちろん、これはたとえばコーン型ユニットでいうところのフルレンジ(一個のユニットで全帯域を受けもち、ネットワーク素子を必要としないもの)とは異なる。僕自身も使用しているカリパーシグネチュアーもフルレンジリボン型だけれど、2ウェイ構成であり、ネットワークをもっている。
 つまり、アポジーのいうフルレンジというのは、低域にもリボンを使ってるという、その画期的な事実を強調するための、いわば意味の異なるフルレンジなのだ。しかも、その低域は箱型のエンクロージュアをもたないため、設計が悪いと出がちな『箱』独特のクセから解放されたよさが聴ける。そういう事実があったからこそ、新しい時代のスピーカーと言われることになったと僕は思う。
 たとえば、リボンによるラインソース(細長い音源)は、高域の繊細感と浸透力を両立させて、平面振動板による低域はふわりとひろがる奥行き感を巧みに演出していた。おそらく、こういう絶妙なバランスは、他ではめったに聴くことができないアポジー独自の個性だと言いきることもできるはずだ。
 そのアポジーから、なんとコンベンショナルの箱型のエンクロージュアと、ダイナミック型ユニット組み合わせたハイブリッドシステム、ケンタゥルスが登場したのだ。僕は度肝を抜かれた。本当に、そう言ってもけして大袈裟じゃないほどびっくりしたのだ。
 ここではアポジー・ステージ1で採用された約60cmの長さを持つリボン型ユニットに、ポリプロピレンのダイアフラムを持つ20cmウーファーが組み合わされている。アポジーは、どちらかといえば静的な描写によるコントラストを基調とした端正な表現を得意とするスピーカーであり、低域にコーン型特有の表現法を取り込んだ場合のバランスの崩れに対する懸念がまっ先にたったのが正直なところ。
 しかし、一聴すると使いこなしが難しそうだという第一印象をいだくものの、一般家庭での平均的な音圧レベルでは、とてもバランスがいいと感じる。さりげなくピンポイントで定位する音像や、音程の変化で楽器の位置や大きさが変化しない良さはなかなかのものだ。
 ハイブリッド化の恩恵で、インピーダンスは4Ω、したがってプリメインアンプでもドライブ可能だ。すっきりとしたデザインに合わせて、たとえばオーラデザインのVA40あたりで鮮度の高い、繊細に澄んだ響きを楽しんでみるのもいいだろう。ただし、ボリュウムを上げ過ぎると、バッフル/エンクロージュアの音が出始めるので要注意だ。

ルボックス H5, H2, H1

早瀬文雄

ステレオサウンド 97号(1990年12月発行)
「SS・HOT・NEWS」より

 業務用テープレコーダーで不動の地位を確立したスイスのスチューダー社、そのコンシュマーブランドにあたる『ルボックス』から久々に新シリーズが登場した。
 今回発表されたHシリーズは、従来のシリーズとデザインコンセプトまでを含め、いろいろな点で異なったアプローチが試みられている。
 HはHumanの頭文字であり、リモートコントロールを中心にした〝シンプルな操作系〟をテーマにし、マルチルーム(最大8部屋)コントロールにも対応している。
写真からも明らかなように、旧来の、ややプロ用機器的なある種の機能美をもったクリーンなスタイルから、コスメティックな様子を盛り込んだ、化粧っ気の多い顔になった。目に飛び込んでくるルボックスの大きなエンブレムには、ザ・フィロソフィー・オブ・エレガンスと刻印されている。
 中でも、プリメインアンプH5のフロントパネルは、煩雑なデザインが多いわが国の製品と比べれば、おそろしくシンプルではある。
 シンクロケーブルでCDプレーヤー、カセットデッキなどをプリメインアンプにつないでおけば、一つのリモコンで集中操作も可能だ。同シリーズに共通したデザインコンセプトに基づき、CDプレーヤー、プリメインアンプ、カセットデッキ、それに付属のリモコンとは別に、オプション設定された液晶ディスプレイを持つリモートコントローラーH210も近日発売される。
 今回聴いた製品はプロトタイプなので、音について断定的なことは言えないが、少なくとも相当な飛躍をなし遂げていることだけは確かなようだ。
 特にCDプレーヤーに関してそのことが言える。1ビットDACを採用したH2がそれで、ディテールのニュアンスが豊かで、有機的につながった穏やかで上品な響きには見た目の印象を越えた美しさがある。
 プリメインアンプは従来の製品のような、ややクールで澄んだ冬の青空を思わせるような響きから、春の日溜まりのような温かみをもたせた音作りに変った、と僕は感じた。カセットデッキはソースに忠実な真面目なレコーディングをしてくれ、一部の国産機器のように下手な味付けはない。音の骨格を崩さない、安定した録音再生可能だが、レベルの設定にはかなり敏感なようである。
 なお、同シリーズには、ブラック、チタン、シャンペンゴールドの3つのカラーバリエーションがあり、より広いニーズに対応している。

ダリ・ダカーポ Planer One

早瀬文雄

ステレオサウンド 97号(1990年12月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 デンマークのオーディオノート・ダンマーク社は1975年に設立され、現在では北欧諸国中、最大のスピーカーメーカーである。
 ダリ・ダカーポは同社のハイエンド・ブランドである。今回発表されたプレーナーワンは、アポジー/ケンタゥルス同様、細長いリボントゥイーターとコンベンショナルなダイナミック型コーンウーファーを組み合わせたハイブリッド構成をとっている。
 トゥイーターユニットは長さ102cm、幅25mmのアルミリボン、ウーハーは20cm口径のカーボン入りポリプロピレンダイアフラムをもつ。2つのユニットはクロスオーバー周波数450Hz、12 dB/octで橋渡しされている。
 システムとしては、これもアポジー・ケンタゥルス同様、4Ωのインピーダンスで、まあ普通のアンプでドライブ可能な範囲に収まっているといえる。ただし、聴感上の能率はケンタゥルスよりは低く、一聴すると穏やかな印象である。
 音場はやわらかくゆったりと広がり、相対的に音像はきりっとコンパクトに引き締まっている。
 異なる2つのユニットのつながりは比較的素直であり、いかにも異なるユニット同士を組み合わせたハイブリッドという印象は少ない。
 目がさめるような透明感や、輪郭のくっきりした立体感はない代りに、おだやかでやわらかな響きには春のさわやかな風のようなニュアンスがある。
 音量を上げていくとそれなりにパワーにも反応し、ハイブリッド型にありがちな音像の崩れも比較的少ない印象で、低域が鈍くこもるような感じもない。様々な楽器の相対的な位置関係の音程の変化による音像の移動は極小の部類に入る。神経質な感じを表に出さず、それでいてけっこう克明な表現もしてくれるところはなかなかのもの。シンプルでお洒落なデザイン、仕上げの良さを活かして、あまり大袈裟にならない組合せを作りたい。
 とくに音楽のジャンルを選ぶことはないけれど、当然のことながら、叩きつけるような迫力をこのスピーカーには望めない。
 これはプレーナー型に共通していることだけれど、音像のでき方や音場の感触というものが、ルームアコースティックの状態によってかなり影響を受ける。したがって、壁の左右の条件が違う部屋では曖昧になったり、音場の広がり方がいびつになって、なんとなく聴いていて落ち着かないといった心理的な悪影響をきたすことがある。思いどおりの音を再現することができなくても、スピーカーやアンプを疑う前にセッティングの工夫をして、定位感のコントロールをして欲しい。条件によっては、単純にシンメトリカルに壁からの距離を等しくセットしただけでは、いい結果は得にくいだろう。

リン Helix II

早瀬文雄

ステレオサウンド 97号(1990年12月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 リンといえば、そもそもアナログプレイヤー『ソンデックLP12』で有名になったメーカーだ。現社長のアイバー・ ティーフェンブルンによって1972年から活動を開始した同社は’70年代の中頃より、早くもスピーカーの製造を開始している。同社のスピーカーシステムは、それまで他メーカーが無視していたとしか思えない、現実的な使用状況を考慮した設計がされているのが特徴といえる。
 つまり、一般家庭内ではほとんどの場合、スピーカー背後の壁面にエンクロージュアが近接した状態で使用されるという事実だ。ちなみに、国産スピーカーシステムはあいも変らず、無響室の特性を重視して設計され、エンクロージュアの背後に壁がないフリースタンディングの状態で音決めされている。
 同社の高級システム、アイソバリックDMSなど、壁にぴったりと付けた状態でもすっきりとひろがる音場を壁の向こう側まで広げてくれる様は、実在錯覚としての音像、音場のシミュレーターとしてのスピーカーのあり方を再考させられる。
 今回発表されたヘリックスIIは、壁からの距離に関しては特に指定はない。いろいろ試してみたがステレオサウンドの試聴室では、スピーカー標準位置よりやや後ろに下げて聴いた方がバランスがとれるようだ。
 3kHzのクロスオーバーポイントを持つ19㎜のポリアミド・ドームトゥイーターと20cmカーボン混入ポリプロピレン・ウーファーで構成される2ウェイシステムである。単に物理的な情報量という観点からだけでものをいえば、国産スピーカーにはかなわないだろう。しかし、ヘリックスIIで聴けた音には、いい意味で、ちょっと醒めた、クールで個性的な響きがあり、これは見た目の直線的なデザインから受ける印象にも重なるものであり、組合せを考えるときにも全体の雰囲気を統一しやすいと思う。
 ポップスやフュージョン系の録音のいいディスクを楽しく聴かせてくれ、低音楽器もふやけたりリズムを重くひきずったりしない良さがある。
 ディテールをひたすら細かくひろっていくようなタイプではないけれど、全体の音のバランスや演奏者の意図を拾い落とすことがないところはさすがだ。
 編成の大きなオーケストラや、古い録音の名演名盤を中程度の音量で再生したときに、その演奏に内在する音楽のエネルギー、あるいは演奏者の勢いというべきものが、引き締まった音場の中に巧みに再現される。
 軽い感じの、澄んだ音のアンプが似合いそうで、温度感の高い、暖色系の響きを持ったアンプやCDプレーヤーとは相性が悪いかもしれない。あまり音量を上げすぎると、フロントバッフルのプラスティックの共振からくる付帯音がやや気になることがあった。しかし、これも一般的な聴取レベルでは問題ないはずだ。

メリオワ Digital Center, CD-DECK, Bitstream Converter

早瀬文雄

ステレオサウンド 97号(1990年12月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 メリオアは、カナダ製のお洒落なコンポーネントとして世界的にも認知された感のあるミージアテックス社のブランドで、同社には他にマイトナー・シリーズがある。
 今回シリーズに加わったのはコンパクトな筐体をもつ1ビット、ビットストリーム方式採用のその名もビットストリームコンバーターと、19ビット8倍オーバーサンプリングの D/Aコンバーターを内蔵したデジタルコントロールセンター、そしてDACレスCDプレーヤーであるCDデッキの3機種である。
カエデ材の、やや赤味のさした美しいウッドケースに、ブラックのシンプルでグラフィカルなデザインをもつパネルフェイスが組み合わされている。当初、やや見慣れないせいか違和感があったが、かつて取材のために何日か手元に置いて使用してるうちに、不思議に部屋の空気にも溶け込んでくれたことを思い出す。
 そう、これはそういう製品なのだ。ある種の個性的な存在感を持っているのに、部屋の空気をかき乱すことがない。その装置がそこにあるだけで、部屋全体の雰囲気が損なわれてしまうようなオーディオ機器とは違うのだ。
 デンマークのB&Oのように、できればワンブランドで統一して使いたいと思う。
 ビットストリームコンバーターは、フィリップスのSAA7350チップを使用し、入力はコアキシャルとオプティカルを各1系統ずつもっている。実に穏やかでマイルドな響きをつくってくれるD/Aコンバーターだ。
 メカニズムにフィリップス製CDM3を採用したCDドライブユニットのCDデッキは、オーソドックスで真面目な表現をする製品で、当たり前とはいえ、ビットスリームコンバーターと素直なマッチングをみせる。スケール感やダイナミックなコントラストは弱まるが、耳障りな付帯音やノイズ成分を丁寧に取り除いたような聴きやすさをもっている。言ってみればとても落ち着いた、大人っぽい響きということもできるだろう。
 デジタルセンターはデジタルのみ4系統の入力を持つプリアンプである。サンプリング周波数は自動選択で、コアキシャルまたはオプティカルの入力が一つ、オプティカルのみの入力が二つ、そして同軸のみの入力が一つという構成だ。当然のことながら、アナログ出力しか持たない機器は接続できない。また、オプティカルによるデジタル出力をもち、昨今、話題が集中しているDATとのダイレクトな接続が可能である。
 ボリュウムをはじめ、すべてのコントロールをデジタルで処理するDAC内蔵のデジタルセンターにCDデッキをダイレクトにつないでみると、響きは一転して、輪郭がくっきりしたコントラストの強い音になった。

マイクロメガ TRIO.CD., TRIO.BS.

早瀬文雄

ステレオサウンド 97号(1990年12月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 フランスのCDプレーヤー。ヨーロッパ圏で唯一のCDプレーヤー専用メーカーである同社の製品は、すでにCDF1プレミアムが紹介されていた。そのアナログプレーヤー的な使い勝手や音質、特に色彩感やニュアンスの豊かさはADファンからも関心を集めていた。
 ちなみに、同社のサーキット・エンジニアであるダニエル・シャー氏は、過去米国のハイエンドアンプメーカーとして知られる某社に籍を置いていたという逸材だ。
 今回発売されるモデルはソロと呼ばれる一体型、およびセパレート型のデュオCD+デュオBS(D/Aコンバーター)、そしてトップモデルであるトリオCD+トリオBSである。
 どの機種も画一的なデザインの多い国産CDプレーヤーに比べ、コンパクトながら個性と機能をうまくまとめた魅力的な製品に仕上がっていると思う。
 D/Aコンバーターには、いわゆる1ビットタイプのフィリップス・ビットストリーム方式のSAA7323チップを採用しているところも注目に値する。
 電源のオン・オフにかかわらず、コンセントを差し込んだ状態で常に通電されるアナログ回路は、デジタル部から完全に分離した電源部をもつ。出力段は低インピーダンス化が徹底して図られたディスクリート構成で、無帰還ピュアAクラス動作としている。
 ドライブメカニズムは従来通り、フィリップスである。
 各モデル共通のディスク・スタビライザーは、ケブラー繊維とカーボンファイバーディスクからなり、これに120gの真鍮製ウェイトを組み合わせたものである。
 セパレート型のトリオCD+トリオBSは、写真でご覧いただけるように3つの筐体で構成されている。一番上がディスクドライブにあたるトリオCDで、下位モデルのデュオCDから電源を取り除きシャーシ底部を強化したもので、全体のS/Nの向上を図っている。二番目と三番目がD/Aコンバーターと電源部からなるトリオBSである。トリオCDを含め、各筐体は3つの脚部のうち、手前左側がピンポイントになっており、明確なメカニカルアースがとれるように配慮されている。このピンポイントはシャーシを貫通して、天板上にその頭を出しており、コイン状にフラットになったその部分で、重ねて使用したときに上の筐体のピンポイントを受けるようになっている。したがって3つのシャーシを重ねて使用しても、メカニカルアースがとれることになる。
 セパレートタイプのトリオCD+トリオBSの組合せは国産高級機との比較で、圧倒的ともいえるディティールのニュアンスや色彩化の豊かさを誇示し、感心させられた。

オーラデザイン VA-40

早瀬文雄

ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 オーラデザインは英国の新しいメーカーであり、VA40はそのデビュー作となる片チャンネル40Wの出力をもつコンパクトなプリメインアンプである。
 クローム仕上げ(ブラックもあるが、断然クロームがいい)のパネルをよく見ると、とても繊細なロゴで、AURAとある。
 オーラは、人や物から発する特異な雰囲気、という意味だ。まあ、小さいけれど、これは本当に虹のような後光がさした製品のように見える。それほど個人的には、このデザインに一目惚れだ。それにしても、国産にどうしてこういう粋なデザインの製品が一つもないのだろう? あれほど沢山のプリメインアンプが溢れているのに、どれもこれも似たように大袈裟な顔をしている。どうだ、これでもか、みたいな製品ばかりじゃないか……。
 さて、VA40の音だ。たまたま別の場所で、JBLの4312XPで聴いた印象が抜群によかったので、ここでも4312XPで聴くことにした。
 まさかこのアンプで4344を鳴らす人もいないだろうし、現実的な組合せとはいえない。負荷としては重すぎるのだ。
 それにしても、こうしてきちんとした入力を用意し、オーディオ的に整理された環境で試聴してみると、これが実に端正で精緻な音の世界を作ってくれることに驚かされる。いわばミニチュアライズされた精巧な音場を俯瞰するスリルを堪能させてくれることがあらためて確認できた。
 透明でありながら、色彩感のうつろいが微妙で、ちょっとした響きの陰影も、洩らさずすくいだす。これにはまいった。
 MOS-FETのシングルプッシュプルというシンプルな構成は、大音量さえ望まなければ沢山の増幅素子をパラったハイパワーアンプにはない澄んだ響きを作ってくれる可能性がある。
 横にいた担当編集者のT君に、これ買って帰りたいけど、と真顔で言ってしまったほどだ(で、結局、翌日買ってしまった……)。まあ、こうしていろいろなオーディオ機器に出会えるというマニアとしては役得にみちた場所にいながら、その出会いの瞬間、純粋にオーディ的興味や感動を味わうことのできる製品となると、きわめてその数は少ない。このVA40はそんな貴重な体験を久し振りにさせてくれた。
 何しろ、感動するということがこのところめっきり少なくなっていたのだから……。たとえ、こんなに可愛らしいプリメインアンプでも、そうしたオーディオ的感動を人に与えることができるというよい見本だ。それにしても、これはデビュー作としてはちょっと出来過ぎじゃなかろうか。

アカペラ 5th Avenue

早瀬文雄

ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 アカペラ・ミュージック・アーツ社は、1976年西独でデビューして以来、ヨーロッパのハイエンドオーディオ・シーンで、着実にその地盤を固めつつあるメーカーだ。ドイツ製のスピーカーといえば、なんといってもシーメンス・オイロダインを筆頭にがっしりとした立体感を持った堅牢、重厚な響きが思い出される。しかしアカペラの製品は、先に紹介されたフィデリオ同様、現代的な透明感やワイドレンジ感を備えた、これまでのドイツ製品にはない繊細感を備えている点が興味深い。
 実物を見ると、まずその大きさに驚かされる。(W41×H130×D50cm)。高さ130cmというと、目の前に置くと結構圧迫感があるものだ。まあ、そういう感じがしないほど、広い部屋で鳴らすべきものなのかもしれない。
 しかし、音には圧迫感なんて全然なく、すっきりとした、どちらかといえば硬質な響きで、まじめで潔癖な印象を抱かせるものだった。
 音像は引き締って存在感がしっかりしており、蜃気楼的に漂う音の対極に位置する。しかし、トールボーイ型のメリットなのか音場の見通しはクールな爽快感を伴うほどで、特に天井がすっと抜けたような、縦方向の広がり感の演出には、ちょっとしたやり手ぶりを覗かせる。
 低域ユニットは正面から見える17cm口径のウーファーの他に、30cm口径のサブウーファーがエンクロージュアの天板に上を向けて取りつけてあり、エンクロージュア内の音響迷路(折り曲げホーンのようなものだが、ホーンのように開口面積が徐々に大きくはならない)を持つラビリンス方式を採用している。ベントは正面からは見えないが、エンクロージャーの下部に開口している。
 このサブウーファーによって、オーケストラのうねるような低音や電子楽器の持続音などを重みのあるどっしりとした響きでうまく聴かせる。しかし、ウッドベースのキレはやや甘く、時に箱の響きが気になることもあった。
 ただ、響きそのものが綺麗なので、けして耳ざわりではない。それは、ヨーロピアン・チェリーの上品な木目仕上げからも類推されよう。ユニットはトゥイーター、スコーカーともソフトトームではあるが、ピアノのアタックには実体感がきちんと出ていた。
 弦の響きも辛口でいかにも玄人好み、通好みの音だといえる。あいまいさはないが、かといってアラを拡大するようなモニター的なところはなく、この辺りが家庭用として十分に練られた成果なのかもしれない。
 なお、仕上げはヨーロピアン・チェリー、ローズと、ピアノフィニッシュブラックの3種類が用意されている。

アカペラ Triolon MKII

早瀬文雄

ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「アカペラ・オーディオ・アーツ 超弩級オールホーンスピーカーを聴く」より

 最近日本でも販売されるようになった、アカペラ・オーディオ・アーツのスピーカーは、僕がこれまでドイツのオーディオ製品に抱いていたイメージとはガラッと違う、とてもマイルドな音を聴かせてくれる、印象深いスピーカーであった。
 アカペラ・オーディオ・アーツの正式な社名は、AUDIO FORUM H・WINTERS KG。同社は1976年に、元、西ドイツのシーメンス社の技術者であったヘルマン・ヴィンテルスとアルフレッド・ルドルフの二人によって設立されたオーディオメーカーだ。
 そのアカペラに、オールホーン型の超弩級スピーカーシステムがあることは、以前から海外のオーディオ雑誌によって知ってはいた。どんな音がするんだろうと、あれこれ想像していたところ、なんと日本でも聴けるようになったとの電話を編集部よりもらい、早速、輸入元である中央電機のリスニングルームに出掛けていったわけだ。
 この巨大なオールホーンシステム、トリオロンMKIIは、1986年に発表されたトリオロンの改良モデルである。
 30畳はあろうかという、中央電機のリスニングルームに、ドーンといった感じで収まったトリオロンMKIIの姿は、今でも日本に根強いファンがいる、古くからのオールホーンシステムをちょっと思い出させるようなところもあるのだが、それよりもまず、中央にある壁面の突出が目をひいた。これは、実は、スーパーウーファーなのだ。この巨大なエンクロージュアには、42cm口径のユニットが二本内蔵され、150Hz以下の音域を受け持っており、さらに壁面をホーンの一部として利用しているのだ。トリオロンMKIIの価格には、この壁に設置すべきホーンの設計料、およびシステムの調整料も含まれている。中低域は30cm口径のポリマーコーンとエクスポーネンシャルホーンを組み合わせ、150Hzから600Hzをカバー、中域は54mm口径のソフトドーム型ユニットをドライバーとして用い、600Hzから4・8kHzをうけもたせている。さて、残るは高域ユニットだが、このユニット、どこかで見たことあるな、と思われた読者も多いとおもう。それもそのはず、これは以前から輸入販売され、評価の非常に高かったATRのイオントゥイーターそのものなのだ。1986年にATR社は、ブランド名をATRからアカペラに変更していたのだ。初めて実用的な製品として送り出された、振動板を全く持たないイオンスピーカーが、トリオロンMKIIに搭載されている。
 で、肝心の音であるが、設置して間もないということで調整不足の感もあったのだが、通常のホーンの音からは想像もつかない、エネルギー感を抑制した、耳を圧迫せず、部屋全体が震えるような不思議な音響空間が提示された。相当に特殊な世界ともいえるけれども、このすさまじい存在感は貴重なものだ。

アポジー Diva + DAX

黒田恭一

ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「ヴァノーニとの陶酔のひとときのためならぼくはなんだってできる」より

「俺さあ……」
 Fのはなしは、いつも、このひとことからはじまる。
 しかし、問題なのは、その後につづくことばである。いつだって、その後につづくFのことばは、こっちの意表をつく。
「俺さあ……」
 しばらく間があった。
「今夜のミミ、よかったと思うんだよ」
 Fとぼくは、そのとき、ウィーンの国立歌劇場で「ボエーム」をきいた後であった。もともと、その夜のミミには、チェチーリア・ガスディアが予定されていた。しかし、ガスディアが急病ということで、ポーランド出身のソプラノ、ヨアンナ・ボロウスカがミミをうたった。
「そんなによかったかな、あのミミ?」
「うん。よかった。よかったと思う」
 そういいながら、Fは、しきりにうなずいていた。どうやら、Fは、ヨアンナ・ボロウスカの声や歌についてではなく、彼女の容姿についていっているようであった。そんなことがあって後、ぼくは、二日ほどウィーンを離れた。ウィーンに戻ったとき、Fは、こういった。
「俺さあ……、ヨアンナと食事したんだけれど……」
 Fは、ヨアンナを楽屋に訪ね、深紅のバラの花束をとどけた。大いに感激したヨアンナは、Fの招待に応じ、食事をともにした、ということのようであった。ところが、ヘビー・スモーカーであり、おまけにヘビー・ドリンカーでもあるFは、オペラ歌手であるヨアンナを前にして、タバコをすいつづけ、ワインをのみつづけたために、ヨアンナのひんしゅくをかった、ということを、別の筋からきいた。相手がオペラ歌手であるにもかかわらず、煙草をすいつづけるところがFのFならではのところであった。
 Fの「俺さあ……」の後には、どのようなことばがつづくか、予断をゆるさない。Fが「俺さあ……」といったときには、心して耳をすます必要がある。Fは、これはと思えば、ウィーン国立歌劇場の歌い手に花束をとどけ、食事に誘うぐらいのことは、すぐにもやってのけるのである。
 Fは、写真家で、普段は、ウィーンの、もともとは修道院として十六世紀に建てられたという、おそらく由緒があると思える建物に住んでいて、ときどき日本にもどってくる。Fが日本にもどってきたときには、ぼくの部屋で、Fとぼくとの共通の恋人であるオルネラ・ヴァノーニのCDなどをききながら、あれこれ、どうということもないことをはなしながらすごす。
 そのときである。また、「俺さあ……」であった。
「めったに東京にもどってこないしさあ、今の部屋はでかすぎるから、小さな部屋にかわろうと思うんだよ」
 そこまではよかった。そうか、そうか、それもいいだろう、といった感じできいていた。ウィーンで住んでいるところも大きいから、きっと東京のFの住処も馬鹿でかいのであろう、と想像しながら、なま返事をしていた。
「このアポジーさあ、バイアンプでならしてみたらどうかな。そのほうがいい音がすると思うけれど」
 Fのはなしには、いつでも、飛躍が或る。つまり、エフとしては、このようにいいたかったのである。小さな部屋にかわるにあたっては、チェロのパフォーマンスなどという非常識に大きいパワーアンプが邪魔であるから、お前がつかってみては、どうか。Fがチェロのパフォーマンスをつかっているのは、前にきいたことがあって、しっていた。
 冗談じゃない。あんな、ごろっとしたものを一セットおいておくだけでも、めざわりでしかたがないのに、もう一セットおくなどとんでもない、と思い、適当にうけながしておいた(ご参考までに書いておけば、チェロのパフォーマンスは、幅と奥行がそれぞれ47cm、高さが22cmの本体と電源部が、それぞれ二面ずつで一セットである)。そのとき、ヘビー・ドリンカーのFは、かなり酔ってもいたので、いい案配に、自分がいったことも忘れているであろうと、たかをくくっていた。
 数日して、電話があった。
「おぼえているかな?」
「なにを?」
「アンプのことなんだけれど……」
 そういわれれば、おぼえていない、とはいえなかった。
 そのようにして、ぼくは、自分が愚かなことをしているのを自覚しながら、乱気流のなかにつっこんでいた。
「マルチ」は、オーディオにとびきり熱心なひとがするべきものであって、ぼくのような中途半端なオーディオ・ファンが手をだせば火傷をするのがおちである、と自分にいいきかせていた。したがって、ぼくとしては、これまで、「マルチ」をやっている友だちのはなしをきかされても、ごく冷静にうけとめてきた。
 しかし、今や、「マルチ」を対岸の出来事と思っていることはできなかった。Fのところからチェロのパフォーマンスがもう一セットはこびこまれてくる、という現実を前に、ぼくはすくなからずうろたえ、とるものもとりあえずM1に電話した。このときのM1の電話の対応を、できることなら、おきかせしたいところである。あのとき、M1は、サディスティックな快感に酔っていたにちがいなかったが、けんもほろろに、こういってのけたのである。
「ただアンプを2台(4台か)にしても、さしてよくはなりませんよ。電源のこともあるから、かえって悪くなるかもしれないし……、いずれにしろチェロのパフォーマンスをもう一セットつかえるかどうかアンペア数をチェックしたほうがいいですね」、そういっておいて、憎きM1は、いかにも嬉しそうにクックックと笑った。
「どうすればいい?」
 こっちは、ほとんど、ザラストロの前にひきだされたパミーナのような心境になり、おずおずと尋ねないではいられなかった。
「DAXという、アポジーのためのエレクトロニック・クロスオーバー・ネットワークがあるから、それをつかうんですね」
 ぼくは、それまでの状態で充分に満足していたので、おそらく、「このアポジー、バイアンプでならしてみたらどうかな。そのほうがいい音がすると思うけれど」、といったのがFではなかったら、いささかのためらいもなく断わっていた。しかし、困ったことに、ぼくは、人間としてのFも、Fの仕事も好きであった。それに、それまで自分のつかっていたアンプをぼくにつかわせようと考えたFの気持も、うれしかった。
 これはやっかいなことになったかな、と思いながら、ぼくは、受話器のむこうのM1に、こういった、
「そのDAXという奴をつかうと、どうなるの?」
「音の透明度が格段によくなるんですよ」
 M1のことばは自信にみちていた。
「それでは、それにしてみようか」
「それしかないですね」
 そういって、M1は、また、クックックと笑った。
 その数日後、DAXがとどけられた。そして、ぼくは、ああ、こういう音のきこえ方もあるのか、と思った。そのとき、ぼくの味わった驚きは、それまでに味わったことのないものであった。そして、なるほど、オーディオに深入りしたひとたちの多くが「マルチ」をやるのもわからなくはない、と遅ればせながら、納得した。そうか、そうだったのか、と思いつつ、その日は、窓の外があかるくなるまで、とっかえひっかえ、さまざまなCDやLPをききつづけた。
 いわゆる音の質的な変化であれば、これまでも再三経験してきたから、あらためて驚くまでもなかった。「マルチ」にしたことでの変化は、ただの音の質的な変化にとどまらなかった。基本的なところでの音のきこえかたそのものが、「使用前」と「使用後」では大いにちがった。そのための、そうか、そうだったのか、であった。
「使用前」と「使用後」でちがったちがいのうちのいくつかについて書いてみると、以下のようになる。すでにオーディオに熱心にかかわっている諸兄にあっては先刻ご存じのことと思われるが、駆けだしの素朴な感想としてお読みいただくことにする。
 最初に気づいたのは、音の消えかたであった。
 コンサートなどで、演奏が終ったか終らないか、といったとき、間髪をいれずに、あわてて拍手をするひとがいる。あの類いの、音楽の余韻を楽しむことをしらないひとには関係がないと思われるが、CDなりLPなりをきいていて、もっとも気になることのひとつが、最後の音がひびいた、その後である。もし、そのとききいていたのがピアノのディスクであると、ピアニストがペダルから足を離して、ひびきが微妙にかわるところまできくことができる。
 その部分の微妙な変化が、より一層なまなましく、しかも鮮明になった。ぐーと息をつめてきいていって、最後の音の尻尾の先端を耳がおいかけるときのスリルというか、充実感というか、これは、いわくいいがたい独特の気分である。
 ぼくは、コンサートで音楽をきくのも好きであるが、それと同じように、あるいはそれ以上に、ひとりでCDやLPをきくのが好きである。その理由のひとつとして、CDやLPでは、望むだけ最後の音の尻尾の先端を耳でおいかけはられることがあげられる。コンサートでは、無法者に邪魔されることが多く、なかなか、そうはいかない。
 したがって、音の消えていくところのきこえかたは、ぼくにとって、まことに重要である。思わず、息をのむ、というのは、いかにもつかいふるされた表現で、いくぶん説得力に欠けるきらいがなくもないが、ぼくは、DAX「使用後」、まず、その点で、息をのんだ。
 そのこととどのように関係するのかわからないが、次に気づいたのは、大きな音のきこえかたであった。
 おそらく、心理的なことも影響してのことであろうが、大きな音は近くに感じる。しかし押し出されすぎる大きな音は゛音としての品位に欠けるように思え、どうしても好きになれない。わがままな望みであることは百も承知で、たとえ大きな音であっても、音と自分とのあいだに充分な距離を確保したい、と思う。むろん、そのために、大きな音が大きな音たりうるためにそなえているエネルギーが欠如してしまっては、それでは、角を矯めて牛を殺す愚行に似て、まったく意味がない。
 あらためてことわるまでもないことかもしれないが、このことは、いわゆる音場感といったこととは別のところでのことである。今ではもう、かなりシンプルな装置でさえ、大太鼓はオーケストラの奥のほうに定位してきこえるようになっている。しかし、多くの装置では、音量をあげるにしたがい、どうしても、楽器や歌い手が、全体的に前にせりだしてきてしまう。
 ぼくは、かならずしも特に大きい音で再生するほうではないが、その音楽の性格によっては、いくぶん大きめの音にすることもある。たとえば、最近発売されたディスクの例でいえば、プレヴィンがウィーン・フィルハーモニーを指揮して録音したリヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」(日本フォノグラム/テラーク PHCT5010)などが、そうである。このディスクをききながらも、ひびきは、充分に壮大であってほしいが、押しつけがましく前にせりだしてきてほしくない、と思う。
 しかし、DAX「使用前」には、クライマックスで、どうしても、ひびきが手前のほうにきがちであった。「使用後」には、もうすこし静かに、というのも妙であるが、ひびきが整然としてしかもひとつひとつの音の輪郭がくっきりとした。
 しかし、この頃は、楽しみできくディスクといえば、「アルプス交響曲」のような大編成のシンフォニー・オーケストラによる演奏をおさめたディスクであることは稀で、せいぜいが室内管弦楽団の演奏をおさめたディスクであることが多くなった。俺も、年かな、と思ってみたりするが、大編成のシンフォニー・オーケストラによってもたらされる色彩的なひびきは、音響的にも、心理的にも、どうも家庭内の空間とうまくなじまないようにも感じられる。
 最近、好んできくCDのひとつに、トン・コープマンがアムステルダム・バロック管弦楽団を指揮して録音したモーつ。るとのディヴェルティメントのディスクがある(ワーナー・パイオニア/エラート WPC3280)。このディスクには、あのK136のディヴェルティメントをはじめとして、四曲のディヴェルティメントがおさめられている。アムステルダム・バロック管弦楽団は、その名称からもあきらかなように、オリジナル楽器による団体である。
 当然、DAX「使用後」にも、このディスクをきいた。特にK136のディヴェルティメントなどは音楽のつくりの簡素な作品であり、また演奏が素晴らしいので、各パート間でのフレーズのうけわたしなども、まるで目にみえるように鮮明にききとれて、楽しさ一入である。しかし、このディスクにおいてもまた、「使用前」と「使用後」では、きこえかたがとてもちがっていた。
 ここでのちがいは、演奏者の数のわかりかたのちがい、とでもいうべきかもしれなかった。「使用前」でも、弦合奏の各パートのおおよその人数は判断できた。しかし、「使用後」になると、わざわざ数えなくても、自然にわかった。むろん、演奏者の顔までわかった、などとほらを吹くつもりはないが、あやうく、そういいたくなるようなきこえかたである、とはいえる。
 ただ、ここで、ひとつおことわりしておくべきことがある。
 今回もまた、前回同様、複合好感をおこなってしまったことである。今回は、アポジーDAXを導入しただけではなく、WADIA2000に若干手をいれてもらった。ぼくのところにあるWADIA2000は、いわゆる「フレンチカーブ」といわれる最初のバージョンのものであったが、それに手をくわえて最新の「ディジマスター/スレッジハンマー」仕様にしてもらった。「フレンチカーブ」と「ディジマスター/スレッジハンマー」では、特に音のなめらかさの点で、かなりのちがいがあるように思えた。ただ、「ディジマスター/スレッジハンマー」より「フレンチカーブ」のほうがいい、というひともいなくはないようであるが、ぼくは、「ディジマスター/スレッジハンマー」のなめらかさに軍配をあげる。
 つまり、ここでいっておきたいのは、これまで書いてきたことは、WADIA2000を「フレンチカーブ」から「ディジマスター/スレッジハンマー」にかえたことも微妙に関係していたかもしれない、ということである。
 これを、幸運というべきか、不幸というべきか、それはよくわからないが、ともかく、これまでずっと、ぼくには、M1に目隠しされたまま手をひかれてきたようなところがあって、いつも、なにがどうなったのか正確には把握できないまま歩いてきてしまった。それで、結果が思わしくなければ、M1を八裂きにしてやるのであるが、残念ながら、というべきか、喜ばしいことに、というべきか、いつも、M1に多大の冠者をしてしまうはめにおちいる。その点で、今回もまた、例外ではなかった。
 そして、もうひとつ、これは、恥をしのんで書いておかなければならないことがある。DAXには、当然のことながら、高音や低音を微妙に調整するためのつまみがついているが、ぼくは、まだ、それらのいずれにも手をふれていない。調整する必要をまったく感じないからである。
 むろん、つまみういろいろ動かせば、それなりに音が変化するであろう、とは思う。しかし、すくなくとも今のぼくは、なにをどう変化させたらいいのか、それがわからないのである。多分、ぼくは、今の段階で、現在の装置のきかせてくれる音を完全には掌握しきれていない、ということである。
 完全なものなどあるはずもないから、現在のぼくの装置にだって、あちこちに破綻もあれば、不足もあるにちがいない。しかし、それが、ぼくにはみえていないのである。このような惚けかたは、どことなく結婚したばかりの男と似ている。彼には、彼の妻となった女のシミやソバカスも、まだみえないのである。彼が奥さんのシミやソバカスがみえるようになるためには、多少の時間が必要かもしれない。シミやソバカスがみえてきたとき、ぼくはDAXのつまみを、あっちにまわしたり、こっちにまわしたりするのかもしれないが、できることなら、そういうことにならないことを祈らずにいられない。
 パフォーマンスのアンプをもう一セットふやし、DAXを導入したことで、今、一番困っているのは熱である。パフォーマンスのアンプにはファンがふたつついている。ということは、アンプのスイッチをいれると、合計八つのファンがまわりだす、ということである。八つのファンからはきだされる熱気は、これはなかなかのものである。普通の大きさのクーラーをかけたぐらいでは、ほとんどききめがない。おまけに、今年の夏はやけに暑い。はやく涼しくなってくれないか、と思いつづけている。
 DAXが設置された日、朝までききつづけていて、最後にきいたのは、「IL GIRO DELMIO MOND/ORNELLA VANONI」(VANI;IA CDS6125)であった。そのときのぼくの気持は、最後に食べるために大好きなご馳走をとっておく子供の気持とほとんどかわりなかった。このアルバムの一曲目である「TU MI RICORDI MILANO」が、まるで朝もやが消えていくかのように、静かにはじまった。音にミラノの香りがあった。「トゥ・ミ・リコルディ・ミラノ……」、ヴァノーニが軽くうたいだした。この五分間の陶酔のためなら、ぼくはなんだってできる、と思った。
 この音は、どうしてもFにきかせなければいけないな、と思い、翌日、電話をした。Fはすでにウィーンに戻ってしまった後で、電話はつながらなかった。

エピキュア MODEL 1 SYSTEM

早瀬文雄

ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 米国エピキュア社より最新シリーズが本邦に紹介される運びとなった。
 今回聴くことができたのは、同シリーズ中トップエンドにある4ウェイ5スピーカーという構成をもつシステムである。
 トゥイーターは2・5cmポリカーボネイトドーム、パラレル駆動されるスコーカーは、ウーハー同様、鉱物材を混入したミネラル・フィルド・ポリプロピレン(MFP)で口径は10cm。そしてダブル使用のウーファーは20cm口径だが、二つのユニットは異なる帯域で使用され、上のユニットはミッドバス的に用いられている。
 エンクロージュア下方のスリットはバスレフのベントである。
 ユニークなのは低域コントロール用のイコライザーを持つことで、プリとパワーの間に挿入し、スピーカーが置かれる状況の変化に対応しようとするものだ。
 低域は30Hzあたりを中心に最大15dBブーストでき、また、40Hzでプラス2dB、60Hzでマイナス3dBといったうなりを付けることも可能な点が、狭い日本の住宅での使用で威力発揮しそうだ。さらにミッドバスコントロールとの併用で使いこなしの幅を広げている。
 エンクロージュアはサイドパネルがテーパー状に絞りこまれ、背面にむけてコーナーはラウンド化されているので内部定在波が発生しにくく、かつ音場感の再現性の向上にも寄与している。
 箱そのものは、響きを抑えるリジットな構成ではなく、本機はむしろ積極的に鳴きを利用していく作りがなされているようだ。
 さて、注目のサウンドだが、見た目の現代的な雰囲気からすると、かたすかしをくらうほどオーソドックスで、やや古典的ともいえる響きで驚く。
 カラーのカタログ写真のように、ほのかにくすんだ色彩感の提示をし、ここには原色のまぶしさというものはまったくない。落ち着いて、安心して音楽が楽しめるチューニングだ。
 また、音場感の提示もわざとらしい透明感を強調するタイプではなく、落ち着いた光りで音像を浮かびあがらせていくような鳴り方だ。陰影感の表現に何かしらくすんだ気配のようなものがつく点がある種の音楽をよりいっそうリアルにし、くらがりに沈み込むような情緒的な響きを自然に捉えてくれる。
 ディティールを分析的に鳴らすほうではないが、かといって、ぼけた音ではなく、ヴァイオリンのきりっとしたテンションの高い響きや深みのある、抑制の効いた艶もいい。これを渋いといってしまうと何かしら全体を一色に塗りつぶしてしまうような印象を与えがちだが、モデル1は芯のしっかりした実在感や色彩感を失なうことがなかった点がとても印象深かった。

ジャモ Concert VII

早瀬文雄

ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 これは同時に聴いたエピキュアと、あらゆる意味で異なる性格を持つ製品だった。
 デンマークに大規模なファクトリーを構えるジャモ社は20年の歴史を持ち、ヨーロッパでは高いシェアを誇る大メーカーだ。何しろ年間75万台ものスピーカーシステムを生産しているのだそうで、これには驚く。これまでわが国に本格的な紹介がされていなかったことが不思議なほどだ。
 今回、同社の製品中もっとも先端的な内容を持つコンサートVIIが先陣をきって発売されることになった。
 一見、なんの変哲もない2ウェイシステムに見える3ウェイ4スピーカー構成のシステムである。
 フロントバッフルは特許のNCCボードが採用されているが、これは特殊なプラスチックでフォーム材をサンドイッチした構造をもち、不要共振をダンプしている。
 正面から見ると、まず目を引くのが二重になったバスレフのダクトだ。それぞれに違ったチューニングが施され、内部には向かい合せにセットされた二本の20・5cmウーファーが隠されている。この二本のウーファーに位相を反転した信号を加えることにより、プッシュプル動作をさせている。
 2・5cmハードドームトゥイーターの上方にあるユニットはミッドレンジ用で16・7cm口径。
 システムトータルの音作りは、あくまでも雑共振を抑制し、S/Nを上げることを目指していることが各部の仕上げをみるとわかる。
 じっさいに音を出す。とても淡白でくせのない、穏やかな透明感のある響きだ。強調感のない上品な高域とリジットで弾力性があり、しかも十分な重量感を感じさせる低音が鋭いレスポンスで再現されるところが爽快だ。内部定在波をわざと立て、特定帯域を強調するといった小手先のテクニックを弄しておらず、したがってアコースティックなウッドベースやピアノの響きにも汚い付帯音がのらず、実にすっきりしている。
 いかにも現代的ハイテクスピーカーらしい音だが、これが時として、情緒感不足のそっけなさとして取られることもあろうが、これは無駄な共振を徹底して減らしたスピーカーに往々にして感じられる第一印象に共通したものだと思う。
 しかし、逆に言えば、この純度の高い音に耳が馴染んでくると、他の製品の雑共振が耳につくようにもなる。
 本機のパワーにも強く、相当な音量でも音が混濁せず、端正な音像、音場をキープするあたりなどは、あらためて価格を見て感心させられた。コストパフォーマンスという言葉はあまり好きじゃないけれど、これは不気味な価格であり、国際的戦略機種なのかな、とうがった見方をついしてしまう。

ヤンキー FPR-72

早瀬文雄

ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 アメリカ、カリフォルニア州ビスタから、実に陽気なネーミングを持った新しいスピーカーが登場した。ヤンキー・オーディオ社のFPR72がそれで、学生の頃からオーディオが趣味であったJ・タイラー氏が、自身の好む究極のサウンドを求めて、1985年に会社を設立し、スピーカーシステムの開発に着手して完成したものという。
 本機はプレーナータイプで、これはアポジー同様、リボン型スピーカーである。しかし、アポジーとは異なり、ヤンキーはシングルダイアフラムで正真正銘のフルレンジ。表面積はコーン型に換算すると、なんと45cm口径のユニットで4個分もある。このメーカーの主張は、そのシンプルな全体の構成や、音から、実にはっきりと感じとることができる。それはもう、気持ちがいいくらいに単純にして明快なのだ。何も小細工をしていないプレーンなダイアフラム。ネットワークなんて当然ない。音楽信号が通過する経路には、L成分もC成分もない、シンプルそのもの。
 そのせいかどうかわからないけれど、音にはアポジーのようなエネルギー感は望めない。でもいいのだ、これはこれで。
 なにしろスピーカーのインピーダンスは3Ωと公表しているのに、メーカーは必要なパワーアンプとして、アポジーのように大袈裟なものを要求していない。クレルやマークレビンソンは要らないのだ。50Wから75W。ソリッドステートでも真空管アンプでも可。これが公式見解である。驚きだ。
 つまり、そのくらいのパワーで十分な音量で聴きなさいと指定されていると解釈していいと思う。じっさい、試聴時もボリュウムをぐいぐい上げていっても音圧は実に遠慮しがちにしか上がっていかない。
 それに幅の広い平面振動板により純平面波が作られるせいで水平の指向性がやけに鋭く、頭をわずかに動かしただけで、音像はコロコロ移動する。
 さらに、聴感上の周波数特性も激変してしまう。ダイアフラムを垂直に貫通する軸をしっかりとリスナーの耳に向けておかないと、ぼんやりとした寝ぼけた音にもなってしまう。
 それでも、小音量で、ピシッとピントを合せ、頭を動かさないようにして聴くバロックやアコースティックギターの繊細感やヴォーカルの不気味なほど生々しい定位感は、傅信幸さんの言う『イメージがぽっと浮かぶ』をはるかに通りこして、もはやある種の形而上的な雰囲気さえ漂っている。
 音はすべからく浮遊し、蜃気楼のごとく宙で揺らめくのだ。もの凄い個性であるといえるだろう。
 これが気にいればもうほかの製品はいらないという人がいてもおかしくないだろう。

JBL XPL90

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
特集・「最新スピーカーシステム50機種 魅力の世界を聴く 小型グループのヒアリングテストリポート」より

 音場の温度がほんのりと低下したような、やや醒めた表情がつく。冷徹、あるいは冷酷なまでにすべてを分析していくような厳しさは、ここにはなく、ある種の穏やかさや丸さ、おとなしさ、と言った、これまでのJBLの音を語る時に出てこなかったような修辞が並ぶ。それでも、情緒過多になったり、軽薄さに近いあっけらかんとした明るさとは無縁の、知的響き、無駄をそぎ落としたようなある種のストイシズムというJBLの特質の一側面はあわせ持っている。JBLフリークには良い子になりすぎた存在で、個人的にもかつての鋭敏さがもう少し欲しいとも思う。しかし、一般的にはニュートラルになった個性、中和された鋭敏さはむしろメリットになろう。

BOSE Model 501SE

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
特集・「最新スピーカーシステム50機種 魅力の世界を聴く 小型グループのヒアリングテストリポート」より

 同社イルソーレでシステムのスピーカー部分を単売したようにも思えるが、音の傾向は微妙に違い、こちらの方がいわゆるこれまでのボーズ・カラーをよく持っているように聴けた。いわば洗練よりおおらかさを感じさせる。かといってピーキーなじゃじゃ馬的な要素はなく、むしろ家庭用のイージーハンドリングな製品として、実にうまい音作りがなされている。刺激的な音は出ず、サテライトスピーカーのサイズの小ささが、功を奏して音の広がりはなかなかだ。
 とりわけサックスの響きには形而上的な黒っぽい雰囲気がついて楽しめる。ディテールにこだわった聴き方をする製品ではないことを承知していれば、使いこなしも楽しめる。

アヴァロン Eclipse

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 前号この頁に初登場した米国アバロン社のスピーカーシステム/アセントIIの下位モデルであるエクリプスが発表された。
 アセントIIが3ウェイであったのに対し、今度のモデルは2ウェイ構成で、チタン製ドームスコーカーが省かれている。チタンドームトゥイーター、およびノーメックスケブラーと呼ばれる繊維を織り込んだ複合素材からなる22cm口径のウーファーは、同様のユニットがそのまま採用されている。また、アセントIIではサブエンクロージャー内に別付けされていたネットワークが、本機では一般的スピーカーシステム同様、本体エンクロージュア内に収められるようになった。
 エンクロージュアのサイズからすると、わが国の感覚ではややウーファーが小さいように感じるかもしれないが、これは完全密閉のエンクロージュアで理想的な特性を得るためのものと考えたい。密閉型では、エンクロージュアの内圧が相当に高くなるわけで、ユニットの口径を大きくするには、振動板の強度を高める必要があり、振動板の重量増を招きかねない。
 したがって、密閉型では低域の再生限界を補うため、ユニットにたいしてエンクロージュアを十分に大きくし、強度を高め、かつユニット自体の磁気回路や振動板の質量、エッジの硬さ、あるいは内部の吸音材の量、そういった多面的な要素をふまえた上でバランスを取る必要がある。
 スピーカーシステムの実際の低域特性は、ユニットそのもののf0のほかにf0における制動状態=Q0に影響されるのだが、エクリプスでは42Hzで0・5のQを設定している。一般的には0・7以上はアンダーダンピング、0・7以下ではオーバーダンピングといわれているが、ケースバイケースでの検討が必要だろう。
 実際の再生音は反応が早く造形のたしかな低域が聴けた。
 ユニットは完璧な新品であり、鳴らし込みが十分にされていないため、ややニュアンスにぎこちないさが感じられた。2ウェイでもあり、クロスオーバーポイントが下がってトゥイーターにかかる負担が増え、下方に距離を置いてマウントされたウーファーの高域特性の是非にも大きく依存することになるため、上級期アセントIIの圧倒的な透明感や精鋭ながらも、スムーズな響きにはやや水を開けられてると言う印象はいなめない。価格も100万円ほど安くなっているのだから、直接的な比較は意味がないのかもしれないが……。
 それでも手の込んだ贅沢なエンクロージュアのおかげで、音場の自然な広がりや安定した定位感のよさは楽しむことができる。おそろしく立派な装丁を施された分厚いオーナーマニュアルや、今時めずらしい板による厳重かつ堅牢な梱包がなされていることにメーカーの意気込みやプライドというものを如実に感じた。

ソナス・ファベール Minima

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
特集・「最新スピーカーシステム50機種 魅力の世界を聴く 小型グループのヒアリングテストリポート」より

 アコースティックな楽器がもつ音色感の変化に対する描きわけに、独特の緻密さがあり、しかもその色一つ一つにある種の強さが感じられる点が、総じて淡白な国産スピーカーにはない魅力である。濡れたような質感と艶は、クリアカラーの吹きつけ塗装をしたみたいな光沢をつけ、この点が好みの別れるところかもしれない。エンクロージュアの作りのよさが、響きのよさに正しく反映されており、弦やピアノをよく歌わせてくれる。低域の量感はミニマムだが、不思議によく歌う性格の明るさに助けられ、音楽を楽しく聴かせててくれる。ディティールの描写力もあり、あいまいな音楽性という言葉で、情報量という絶対的物理量を誤魔化さない真面目さも併せもっている。

インフィニティ Modulus

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
特集・「最新スピーカーシステム50機種 魅力の世界を聴く 小型グループのヒアリングテストリポート」より

 ローインピーダンスでハイパワーアンプでないと鳴らないという風評だったが、常識的な音量で聴くかぎり、とくに破綻をみせることはなかった。というより、僕はこのスピーカーはやや音量をしぼって、しんと静まりかえったプライベートな空間で楽しむべき存在だと聴けた。なにしろ麻薬的に音がやわらかであり、ハイエンドが繊細なのだ。これほど傷つきやすく損なわれやすい個性は昨今めずらしく貴重だ。うっかりすると寝ぼけた音と誤解されそうなほど、音の輪郭、エッジは淡くあやうい。けだるくアンニュイな、まるで陽炎のような音の漂いにそっと耳をそばだて、やわらかな空気に浮ぶような浮遊感に遊ぶのも、またひとつの行き方だと納得させられる。

プロアック Response 2

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
特集・「最新スピーカーシステム50機種 魅力の世界を聴く 小型グループのヒアリングテストリポート」より

 サイズやユニット構成からすると割高感もあるだろう。しかし近年の注目株だけに、かなり手なれた作り手の存在を感じさせる、したたかな製品だ。モニター的な分解能の高さと耳あたりの良さを両立させ、上品によくのびた高域と、類型他製品に散見する、ポリプロピレンくさい響きをよくコントロールした低域が、巧妙にバランスしている。各楽器の音像サイズが、音程で不自然に小さくなったり肥大したりもせず、演奏のデリケートな陰影感を端正に提示するあたり、価格を納得させるものがある。
 ソフトドーム型のトゥイーターは、一見、スペンドールそっくりだが、随分と鳴り方が違うものだ。

アカペラ Fidelio

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
特集・「最新スピーカーシステム50機種 魅力の世界を聴く 小型グループのヒアリングテストリポート」より

 専用スタンドの背が高く、音が上方から降りてくるような感じだが、それにしてもよくひろがる雰囲気の良い音だ。声のもつエネルギー感がやや薄くなるものの、これがむしろ僕にとってはよい方向に作用して、春の霞たなびく、といった独特のエコー感とあいまって、情緒的でしっとりしたニュアンスが堪能できる。ふっくらした低域の支えも充分で、うっすらと甘い弦の艶や、弾力性のあるピアノの質感は、素直な自然さが感じられ、わざとらしさがない。ドイツにもこんなにマイルドな音があるのだと、越境的に変化するオーディオの個性より、やはり作る人の個性の差の方が大きくなりつつある、昨今のオーディオ界を暗示する象徴的な作品。

ネイム・オーディオ Nac63, Nac72, Nap90, Nap140, Hi-Cap

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 1974年、ジュリアン・ベリカーという一人のオーディオマニアの手によって設立されたネイムオーディオ社は、現在英国のソールズベリーに64名のスタッフを擁する工場を持つに至っている。
 かつてコンパクトでこざっぱりしたデザインを持つプリメインアンプのNAIT2を目にした時、新鮮な驚きを覚えたことを思い出す。スリムなアルミ引き抜き材を使った堅牢なシャーシは、新しいプリアンプ/NAC62及びNAC72にも継承されている。目をひくのはフロントパネルのネイムのロゴで、バックライトによって文字の厚み部分が鮮やかなグリーンで照明され、文字そのものが黒いパネルから薄く浮き上がったように見える。ファンクションの文字が同様に見えるとなおよかったのだが、残念ながらブラックのままなので、逆にこの部分はかなり見にくく、しっかりと光りをあてたいと、何が何処にあるのかさっぱりわからない。
 入力はフォノ(MM、MC、およびリンKarmaとTroika専用のモジュールがある)、AUX(入力感度調整可能)、テープ(NAC72はテープ二系統)、チューナーの4回路をもち、一般的なRCAピンプラグではなく、以前のクォードの製品のようにDINプラグを採用している。
 プリアンプは両者とも内部にパワーサプライを装備していないため、実際の使用にあたっては、今回同時にご紹介するパワーアンプ/NAP90およびNAP140から専用の接続ケーブルで電源の供給を受ける。これは4ピンのDINプラグを持つケーブルでシグナルラインもその中に含まれ、電源と音楽信号は同一ケーブル内に同居する格好である。
 一方、オプションの電源ユニットHI-CAPを追加すれば、より一般的なプリアンプとしても使用可能だ。
 さて、価格順にNAC62とNAP90のペア、次にNAC72とNAP140、そして最後にプリアンプを単体電源のHI-CAPで駆動した音を順番に聴いていった。スピーカーは本誌リファレンスのJBL4344とはせず、この組合せでより一般的なものとして考えられる製品を選んで行なった。
 やや硬質の質感をもつ真面目な音作りで洒落た感じというよりは、見た目のとおり沈思黙考型の響きとでもいいたくなるような、無駄な光沢感を抑制した地味な印象を受ける。上級機ではさすがにスケール感の拡大を示し、音像にも立体感が徐々につきはじめる。別電源の使用では、さらに音場の広がりがぐっと奥行きを増し、このクラスとしては標準的なまとまりを見せてくれた。

NHT Model 1

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
特集・「最新スピーカーシステム50機種 魅力の世界を聴く 小型グループのヒアリングテストリポート」より

 鈍いスピーカーでは、とってつけたように人工的なエコー感でべったりとおおわれたようになる録音でも、嫌味なく再生しうる透明感がある。
 音の輪郭は硬質だが線が細いために固いという印象にはならず、むしろ繊細でやわらかなイメージをつくっている。声には、淡白さともいえる微妙なニュアンスもでかかっていた。
 音像の実体感を強調するより、全体の響きの綺麗さをねらっているようで、たとえば、シンバルのアタック感は弱まるが、パッと水面に石を投げ込んだ時にひろがる波紋のように、ディスパーションをとても爽やかに表現していた。サックスの響きは、やや上品すぎるか。

アコースティックエナジー AE2

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
特集・「最新スピーカーシステム50機種 魅力の世界を聴く 小型グループのヒアリングテストリポート」より

 プロアック同様、イギリスの注目株。顔つきは正反対で、真っ黒けでそっけないが、音は見かけによらず無骨さは微塵もない。一見スタティックな面があるや、とおもわせるほど、響きに定着感のよさがあり、ブレたり浮き上ったりしない、安定した音像定位が得られる。情緒的な色艶をやや抑制するが、各楽器のまわりには曖昧なもやつきがなく、すっきりと広がる響きのディスパーションパターンが綺麗に再現された。やわらかい音はやわらかく、硬い音は硬く、きちんと描き分けることのできる数少ないスピーカーで、どちらかに偏る傾向もない。
 ニュートラルなモニターとして有用。家庭用としても見た目を気にしなければ特選。

スペンドール SP2/2

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
特集・「最新スピーカーシステム50機種 魅力の世界を聴く 小型グループのヒアリングテストリポート」より

 やや箱の響きが重いと感じる。特に中低域から低域にかけてややボンつくようなこもり感が、どうしても気になってしまう。たぶん試聴で使用した置き台との相性、あるいはアンプやCDプレーヤーとのマッチングが致命的に悪かったのかもしれない。弦も響きがドライで、ピアノも左手の低い音域がかぶり気味になる。アタックののびも頭打ちで平板なのだ。こんなはずはない。高域はトランジェントがやや穏やかに過ぎ、このクラスとしてはディティールの再現性がもう少しあってもいいのではないか、の不満ばかりだ。本機そのものが不調だったのかもしれず、不本意な結果だった。しかし、これは純粋に僕の嗜好と生理的にミスマッチだったのかもしれない。