菅野沖彦
ステレオサウンド 74号(1985年3月発行)
特集・「ベストコンポーネントの新研究 スピーカーの魅力をこうひきだす」より
ボストンアクースティックスのA400というスピーカーの外観上の一番大きな特徴は、エンクロージュアのプロポーションにあります。ユニットの口径に対して、比率でいうと、大きなバッフル面積をもっていて、しかも奥行きの短いフラットな形です。これはいわゆるバッフル効果を考えている証拠だと思います。バッフル効果というのは、スピーカーの放射する音の廻り込みを抑えるので、フェイズをコントロールするのに大変に素直な状態に持っていくことができる。そのために、いわゆる平面バッフル、無限大バッフルにユニットをつけて鳴らしたときの効果に似ていて、音に癖がなくて、そしてステレオ・ペアとして使った場合に、極めて広い、独特の音場感ができます。
それから、エンクロージュアの奥行きが浅いために、低域にエンクロージュアのキャビティによる影響が出にくく、いわゆる箱くささのない音です。
低域がすっきりとしているため、量感的には多少すくない感じがしますが、その分、濁りも少ない。こういう広い面積を待ったバッフルにつけることによって、部屋の影響も受けにくくなっています。これがこのスピーカーのデザインポリシー、技術的な設計のポリシーの特徴でしょう。
ユニット構成で面白いのは20cm口径のウーファーを二発使っていることです。現代のスピーカー理論からいうと、よい低音を出すという点では口径を上げていった方が有利ですが、磁気回路と振動系の関係で、現在の技術レベルでは、特性のすぐれたスピーカーをつくるには、おのずから大きさに限界がある。そのことは、セレッションのSL6とか、SL600の主張にもはっきりとあらわれています。
僕は自分でも大口径ウーファーを使ってますけれども、それも時代を追って変化してきています。今から十五年ぐらい前までは、良質な低音を得ようとしたら、せいぜい25cmまでが限界で、それ以上は無理だとか……。その後やっと、30cm口径まで使えるような時代になったとか、ようやく38cmでも使えるユニットが出現するようになったとか、そういうプロセスをずっと体験してきているわけです。ですから、もちろん今、自分のマルチウェイシステムでは38cmウーファーを使っているし、いいスピーカーユニットも数多くありますけれども、確かに技術的にいろんな面の無理ない設計をすると、16cmとか18cm、あるいは20cm、このぐらいのところが技術的には問題のないサイズだということも言えるわけです。
したがって、あえて大口径ウーファーを使わないで、小口径ウーファーを二発使ったというところにも、このスピーカーの特徴があると思います。当たり前のことですが、大口径にすればするほど、指向特性が高い方では悪くなりますから、そういう意味で、小さな口径に抑えたというところに、このスピーカーの設計の意図がはっきりとでています。それが、このエンクロージュアのフラットな、そして表面効果の大きなフロントバッフルとマッチして、癖がなく、重くるしくなく、左右と奥行きにすぐれた音場感の再現ということにつながっているのでしょう。このボストンアクースティックスというメーカーは、アクースティックサスペンション方式のオリジネ一夕ーと言えるARの流れをうけついだメーカーです。このA400もアクースティックサスペンション方式を採用して、比較的小さな口径のスピーカーを完全密閉箱に入れることで、十分な低音を出すことに成功しています。そういう意味で、基本的な技術のコンセプトはARの流れを踏襲しているけれども、昔のARのスピーカーというのは、どうしても重く、少し鈍い低音でした。そのままでは現代スピーカーの要求にマッチしないわけです。そこで、同じアクースティックサスペンションの理論を使いながら、明るく、引きずらない、重苦しくならない低音を出したのが、このスピーカーのすばらしいところだと思います。アクースティックサスペンションが持っているよさを活かしつつ、悪い部分を大幅に改善している。
家庭用として使う場合にも、奥行きが浅いということは、とてもスマートだと思います。実際に今、この試聴室では割合に壁から離して使いましたけれども、もし壁に近づけて置いても、それほど低域の持ち上がりがありません(コーナーに置いてしまっては無理ですが、コーナーから多少離して、左右方向の長さがとれる部屋でしたら、壁にかなり接近させて置いても、低域が不明瞭にならないよさがあります)。奥行きが少なく、高さは少し高目だけれども、高さ方向というのは居住空間にさほど邪魔にならないわけで、むしろこのぐらいの高さの方が普通のリスニングポジションには、高域のディスパージョンがちょうど合っています。クラシック音楽のときに特に感じることですが、音源が自分の位置より低いよりも、少し上ぐらいの方がナチュラルに聴こえます。演奏会場のいいポジションというのは、多少ステージを見上げるようなポジションが普通ですから、そういう習慣からもスピーカーは、少し高目ぐらいがいい。その意味で、スピーカーの下に台を置く必要がなく、ちゃんとスタンドがついていて、この高さということは、家庭での実用という点からも、非常によく考慮されているスピーカーだと思います。
最近は日本のスピーカーは一般的にサテンの色が黒とか、濃紺とか、濃い色が多く、存在感が強すぎると思うんです。その点、A400のように中間色のサランネットの方がスピーカーの存在感が強過ぎなく、部屋の中で適応性も広いと思えます。モダンでいてクラシック。そういう外面的なコスメティックなデザインの面でもなかなかすぐれたスピーカーです。
音の特徴は、何といっても、全帯域のバランスが非常に素晴らしいということにつきます。一聴したところ個性がないように感じられますが、非常に美しく緻密な、いかにもファイングレインといえる、きめの細かい音です。音の質感がナチュラルで、ホームリプロデュースの可能性と限界というものをほどよくバランスさせた明確なコンセプトが感じられる音です。このスピーカーはばかでかい音でガンガン鳴らすということは考えていないでしょうが、しかし、現代の技術水準をクリアーした、かなりリアリティーのある、そこに何か楽器を置いて演奏するかのごとき音量ぐらいまでは十分再現できる。今のオーディオの中庸をとらえたスピーカーだといえます。
値段的にも外国製スピーカーで、この質の高さからするとリーズナブルです。輸入品でこの価格というと、おそらく一般にはもう少し低いクォリティのスピーカーを想像すると思いますが、このスピーカーの持っているクォリティは見事で、これの倍ぐらいの価格がついていても、恥ずかしくないサウンドクォリティを備えています。
A400は使いやすいスピーカー、偏らないスピーカーと言えますが、その分個性は淡泊です。ですから、猛烈に深情けで惚れる、というスピーカーではない。しかし、何をかけても、何を聴いても、ちゃんと満足させてくれる数少ないスピーカーの一つです。
このスピーカーを鳴らすに当たって、用意したプログラムソースですが、いろいろなものを揃え、特定のジャンル、傾向、表現性格に偏らないものを選びました。
一枚はミケランジェリのピアノと、それエドモンド・シュツッツ指揮のチューリッヒ・チェンバー・オーケストラの共演しているハイドンのピアノ・コンチェルトのアナログレコードです。これは十年前のアナログレコーディングで、 チューリッヒ・チェンバー・オーケストラというのは意外にレコードが少ないんですけれども、アンサンブルがしなやかで非常にいい室内オーケストラです。このレコードはEMIですが、チューリッヒ室内オーケストラのレコードは、昔、ヴァンガードでステレオ初期に何枚も出ているのを大分聴いて、このアンサンブルの音色をよく知っています。そのしなやかなアンサンブルは、組合せを選択する上においても一つのテストソースとして非常にいい。こういう古典をきちんと古典らしく聴かしてくれるということが、優れた再生装置の一つの条件です。そういう意味でこのハイドンのピアノ協奏曲を一枚選んだのです。
それから、リヒャルト・シュトラウスの有名な三つの交響詩が入ったCD。アンタル・ドラティが指揮するデトロイト・シンフォニーで「ドン・ファン」と「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」と、それから「死と変容」です。これは、同じオーケストラでもチューリッヒ室内オーケストラとは全然性格の違う、もう少し大きなオーケストラ編成です。その二枚をクラシックとして選びましたが、同じクラシックでも性格は非常に違います。
ポピュラーの方も性格の違うものを選びまして、一枚はダイアン・シューア。今、話題の歌手ですが、盲目の女性歌手です。彼女の声の変化がすばらしい。この人はゴスペル的な歌い方もできるし、ブルース的な歌い方もできる。それから新しい、かわいらしい声で歌うこともできる、声の変化のうまい人です。新しいレコードだけに、デイヴ・グルーシンのアレンジでバックがついていて、今の、ナウい音楽的なサウンドも同時にこのレコードの再生では当然要求されます。それでいて、決してディスコミュージックだとか、ある種のフュージョンなどに出てくるヴォーカルのような、それこそハーモナイザーを使った、ぐしゃぐしゃにされたヴォーカルではありません。声はちゃんと彼女のナチュラルな声ですが、バックには適度にエレクトリックサウンドが使われ、そういうナウい音楽に対する適応性もありながら、オーソドックスなヴォーカルとしてもいける。いいかえれば、逆に、ナウな音楽的なよさを活かさないと、このレコードはまた生きてこないと思います。
もう一つは、非常にオーソドックスな、アコースティックのジャズです。それも非常に古い、今から二十五年も前、コンテンボラリーというレーベルで活躍したロイ・デュナンといって、僕がジャズの録音の仕事をするときに最もお手本としたミキサーが録音した、ソニー・ロリンズの「ウェイ・アウト・ウェスト」という古いレコードのCD化されたものです。
ロイ・デュナンのレコーディングの特徴として、一つ一つの楽器の音のクリアネスというのがすばらしいと同時に、当時としては珍しく、ちゃんとステレオフォニックな空間をつくつている。しかもとても自然なライヴネスなんです。当時は、鉄板エコーが一般的だったころですが、そんなものは全く使っていません。人工的なものは、一切使用せずに、自然の空間でのライヴネスというものと、そしてジャズに要求される楽器の近接感、リアリティをよくバランスさせています。CD化されたものを聴いてみますと、これが二十五年前の録音かと思うほどSN比も高く、帯域も広く、立派なものだと思います。そして、何よりも、こういうアコースティックなジャズに表現されるプレーヤーの個々の生きた表現、これが細かなところまで再生されないとジャズの息吹というものが出てきません。そういう意味で、さきほどのダイアン・シューアのものと同じポピュラー系レコードながら全然違う音楽で、当然、再生装置に要求される要素も違います。結果的には四つの全くバラエティに富んだプログラムになったということです。
組合せをつくっていく過程でいろいろなアンプを聴いてみましたが、アナログレコードのよさ、たとえば、チューリッヒのしなやかなアンサンブル、それからミケランジェリが使っているピアノ──これは古いスタインウェイで、ピアノとしては古典に入るぎりぎりのところですが──その独特の音色が、まず、どういうふうにアンプによって変わるかを、最初に聴いてみました。ところが、おもしろいことにこれが全部、見事に違うのです。
一番最初にトリオのKA1100SDを聴きましたが、このアンプは実に何も難点のない、ごくごくまっとうな音です。ただ、僕は高い方にちょっとしなやかさがないように思いました。そこがちょっと気になる。ヴァイオリンのパートが分かれたハーモニーのときに、ちょっとぎすぎすした感じになる。その辺でちょっと気になったけれども、全体としてはこのレコードを比較的正しく再生してくれたと思います。またピアノが引き込まずに再生されるよさがあります。ポジショニングとして、このレコーディングの場合には、決してオーケストラにピアノが囲まれたというような録音ではなく、ピアノがちょっと前面に打て、その後ろにオーケストラがいるという録音ですが、その感じが非常によく出ている。全体として、充分に使えるアンプです。
次は、ヤマハのA2000。このアンプは非常に独特な美しさを待ったアンプです。そして、美音のアンプです。高域が、特にこのレコードを聴いた場合に少し脚色されますが、その脚色は美しさと説得力を持ち、「ああ、きれいだな」と思って聴かされてしまいます。しかし、このチューリッヒのアンサンブルが持っている音として、少しくすんだところがなくなり、やや明るくなり過ぎる。全体的にいえば見事なのですが、ただもう少し、独特の陰影が出てほしいといえます。
次がラックスL550X。これがチューリッヒ・アンサンブルの音色の陰影を一番よく出しました。一番よく出しましたけれども──これは50Wというパワーのせいかもしれないのですが──骨格のしっかりしたところがやや弱い。ただし、音としては、このチューリッヒ・アンサンブルに関する限り、非常にいい。恐らく、今まで聴いてきたアンプの中では一番いいという感じがしました。
それから、アキュフェーズE302。このアンプは、他のアンプと比較して、全く違う音がしました。アンサンブルの音がアレンジされたという感じなんです。全く別の楽団のような音がしました。それなりにすばらしく、ものすごく輝きがあって、透明で、それはすばらしいのですが、このアナログレコードの音にしては少々色づけがある。多少あり過ぎるという感じがして、異質な感じを持ちました。バランスであるとか、パワーだとか、オーディオ的な音だとかいう点では大変にいいアンプだと思いますが、その色合いの点で、このレコードからは少し異質感を感じたわけです。
次にビクターのA-X1000。全体に音が非常に柔軟で、高域の荒れが一番少ないアンプです。使用したレコードのなかで、もうぎりぎりのところでもって荒れそうなところが何ヵ所かあるんだけれども、そこの荒れが気にならないでスムーザに響いたのがこのアンプです。ほかのアンプがひずみがあるわけではないのですが、ヴァイオリンの音の荒れの一番目立たなかったのがこのアンプです。
そういう点で確かにいいアンプだと思うし、ある種のソースに限定したら、これは非常にクローズアップするに値いするモデルです。アンサンブルを聴いたとき、ヤマハと対照的なわけです。ヤマハの場合、少しきれい過ぎて、美し過ぎて、明る過ぎると言ったけれども、ビクターの場合には少し暗くて重い。重心が少し低く過ぎる。
次がアルパイン/ラックスマンのLV105。このアンプは、僕がこのアンサンブルを聴くときに非常に重要視するビオラ、チェロの内声部がとてもいい。指揮者のハーモニー感覚にごく近いわけです。オーケストラでは、メロディというのは、ほとんどの場合、ヴァイオリンで出てくる。そして、ハーモニーで一番下のベースを受け持つのがコントラバスセクションです。ビオラとチェロというのがその間に入って、しっかりした色合いとボディをつくるわけだけれども、その内声から多少メロディとベースを浮き上がらせる、そのぎりぎりのところのバランスというのが、このアンプの場合、見事なわけです。録音でもハーモニー感覚のいい指揮者とハーモニー感覚のいいミキサーがいないといいバランスのレコードができずに、大体メロディーが浮き立って、そして低域がゴーンと出て内声部がおろそかになる。メロディーも良く、ベースの音もしっかりして、さらに内声の動きと厚みがちゃんと出てくることが大事です。それはアンプやスピーカーにもいえることで、LV105は内声が非常によく出ますが、ちょっと下と上が弱い。ほかのアンプにないよさを持ち、ほかのアンプの持っているよさがないという、非常に微妙なアンプです。
そこで、マランツPM84を聴いてみました。これがなかなかバランスがいい。このアンプを聴いて、一番、中庸を得たモデルだとおもいました。それまでのアンプが聴かせた音の振幅のなかで、それがちょうどピシッといいところにきたなという感じが、このマランツでしたわけです。
アンプを選ぶ過程において、ナウなサウンドのサンプルとしてダイアン・シューアを聴いてきたんですけれども、ダイアン・シューアのバックのデイヴ・グルーシンの演奏も、このアンプが一番リズムががっちりと明確でした。それでいて細かいエレクトリック楽器のエフェクトもはっきりと聴き取れ、ナウい要求にもこたえられるということで、結局、このマランツPM84が残ったわけです。
つぎに、さきほどのR・シュトラウスの三つの交響詩と、もう一枚のジャズの「ウェイ・アウト・ウェスト」、この二枚をCDで聴きました。そこで大きな問題があった場合つぎの候補を捜す必要があるわけで、そんな心配もしながらCDを聴きましたが、結果は非常によかった。特にロイ・デュナンの録音した、二十五年も前のソニー・ロリンズのレコード「ウェイ・アウイ・ウェスト」がとてもよかった。
ソニー・ロリンズは、ご承知のようにニグロで、イーストコーストの非常にガッツのある、重厚なテナーサックス奏者です。ついせんだって亡くなった、非常にセンスのいい、よくスウィングする卓抜のテクニックを待ったウエストコーストのシェリー・マン、同じく卓越したテクニックと、いいサウンドを持ったベースのレイ・ブラウンの、その二人とロリンズがミートしたところに「ウェイ・アウト・ウェスト」の音楽的な特徴があるわけです。このレコードはそういう意味で企画的にも非常におもしろいわけです。
したがって、このレコードはガッツのある、どろどろっとしたイーストコースト的な音になってしまっては困るんです。かといって、スカーッと晴れ上がったウエストコーストになり切ってはまた困ると言うところに、このレコードの音楽的特徴とともに再生する上での難しさがあります。これはうがった話ですが、聴いていて僕が感じたのは、ボストンアクースティックスというスピーカーが実にそういう音になってます。つまり、本当にアクースティックサスペンションの落ちついたよさを持ちながら、重さがとれて、明るさが出てきたんです。だから、このレコードの性格とこのスピーカーの性格というのはピシッと合った。これは一番満足して聴けました。
それから、リヒャルト・シュトラウスの交響詩三つが入ったドラティのレコードは、英デッカの録音で、最新録音というわけでもありません。そして、多少きらびやかなところがあるんだけれども、しかしリヒャルト・シュトラウスの色彩的なオーケストレーションにはこのぐらいのきらびやかさも決して違和感がないんです。そういうリヒャルト・シュトラウスの、複雑な色彩感を待ったオーケストレーションのあやみたいなものをよく生かした録音だけれども、今の組合せで聴いた音というのは、そのあやをよく出しています。ときには、少々、弦などに英デッカ独特のキャラクターがつき過ぎている感じがしないでもないですが、レコード音楽として、特にこういうリヒャルト・シュトラウスのようなオーケストレーションには、むしろこういう音は効果的です。決して音楽の本質から外れたエフェクトではなくて、いいエフェクトだと思えますが、それがボストンアクースティックスで鳴らしたときに非常に生きたと思います。加えて、プレゼンスも非常によかった。いかにも二つのスピーカーから出てきたという音場感ではなくて、そこに奥行きを持った一つの空間が、むしろ音としては面で迫ってくる。きれいに融合したいい感じの音場できて、オーケストラの量感というものが非常によく再現されたと思います。オーケストレーションの細かいところは実に明確に録音されているんだけれども、それが全部出てました。
特に「死と変容」の、スコアで三枚目ぐらいのところだろうと思いますが、フォルテになるところがあります。その前に、チェロのトレモロがあるんです。そのトレモロの感じというのはこのスピーカーで聴くと独特の魅力があります。普通のスピーカーでは、中でごそごそという感じになりがちなんです。ところが、それがちゃんとスピーカーの前にきて、いかにもそこで弦が並んでトレモロをやっているという感じの、いい感じで出てくる。大型スピーカーでガーンと、本当に生らしいというようなイリュージョンを聴かせるところまではいかないけれども、家庭用としてはほどよいリアリティーとエフェクトだと思います。
CDプレーヤーとレコードプレーヤーシステムについて、最後に触れておきたいんですが、レコードプレーヤーは、特にアナログのプレーヤーというのはいろいろなコンセプトがあって、どこをどう変えてもすぐ音に影響するというのがアナログの良さでもあり、悪さでもあります。とにかく使う材料をちょっと変えれば変わるし、目方をちょっと変えれば変わる。つまり、どこかのバランスをちょっと変えれば、必ず音が変わってしまう。そういうアナログプレーヤーにあっては、これが絶対のものだということはあり得ない。結局、限られた現実の中でもって、いかにしてバランスのいい音をつくるかということが絶対必要だと思います。その点で、比較的そういうバランスを気にしないで、モーターならモーター、ターンテーブルならターンテーブル、トーンアームならトーンアームの物理的特性だけを追求していく傾向にある日本のプレーヤーは、なかなか優秀なプレーヤーではあるのですが、やはり使ってみると音に違和感が感じられる場合が多い。カートリッジにもそういうことが言えます。
結果的に、ARのターンテーブルにトーンアームはSMEの3009SII、これにB&OのMMC1カートリッジでまとまったわけです。決して最高のものとは言えないけれども、妥当なバランスでまとまっていると思います。プレーヤーとして本当にコンパクトで、大げさでないモデルです。多少、フローティングサスペンションのスプリングをダンプする構造がもう一つ加わってほしいことと、使い勝手の点で──揺れて、しばらく揺れがとまらないというところで──ちょっと使いにくいところがあるし、あるいはSMEの3009SIIも、アームレストがどうも使いにくくて困るんだけれども、これはなれていただくことにして、トータルパーフォーマンスとして、ちょうど僕はボストンアクースティックスA400と同じレベルにバランスしているプレーヤーだと思う。全体の組合せとして考えたときに、実にいいコンビネ-ションと言えるでしょう。
CDプレーヤーはLo-DのDAD600を使いましたけれども、これはLo-DのCDプレーヤーとしては三世代目になります。このDAD600は、バランスのいいCDプレーヤーで、特にアナログ的にフワッとする音でもないし、デジタル的にぎすぎすしたところのない、中庸をいくモデルです。値段の点からいくと中級機種ですが、まずCDの音を間違いなく、あるバランスで聴かせてくれるプレーヤーだと思います。もちろんCDプレーヤーは、各社からいろいろなモデルがでていて、ファンクションの点でも、音の点でも、これを越えるものはたくさんありますけれども、組合せのバランスからいくと、パーフォーマンスも、値段も、やはりちょうどいいところにあると思います。
取り立てて高価ものを使っているという組合せではなく、バランスがとれて、お金のかからない方向というので考えたわけですけれども、出てきた音を聴きますと充分納得できる値段だと思います。
さらにチューナーを加えるとすると、マランツではPM84とのペアモデルはだしていませんので、ケンウッドのKT2020がいいと思います。この組合せはパネルデサインの面でもマッチします。このKT2020はAMも備えたFMチューナーとして、最近の製品の中では一頭地を抜いたモデルと言っていいでしょう。
●スピーカー
ボストンアクーティックス:A400
●プリメインアンプ
マランツ:PM84
●CDプレーヤー
Lo-D:DAD600
●ターンテーブル
AR:AR turntable
●トーンアーム
SME:3009SII/Imp.
●カートリッジ
B&O:MMC1
●チューナー
ケンウッド:KT2020
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