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スタックス SR-ΛPro + SRM-1/MK2Pro、AKG K240DF

菅野沖彦

ステレオサウンド 75号(1985年6月発行)

特集・「実力派コンポーネントの一対比較テスト 2×14」より

 本誌72号で私は、スタックスのSRΛプロとSRM1MK2というエレクトロスタティックヘッドフォンを〝とっておきの音〟として紹介した。そこで私が述べたことは、リスニングルームの影響を受けやすいスピーカーシステムのセッティングやバランス調整において、感覚の逸脱のブレーキとして役立つこのヘッドフォンの効用についてであった。詳しくは、72号を御参照願いたいが、質のよいヘッドフォンが、一つのリファレンスとして有効であることを再度強調したいのである。いくら、シンプルな伝送系で音の鮮度を保つのがよいとはいえ、部屋の欠陥をそのままにしてピーク・ディップによりバランスのくずれた音を平然と聴いているようでは困るのである。その調整が、部屋の音響特性の改善であれ、イコライザーによるコントロールであれ、音響特性の測定だけでは、まず絶対といってよいほど、音のバランスを整えることは無理である。一つの目安・判断の材料として測定は有効だし必要だが、仕上げは耳によるしかないというのが私の持論である。しかし、ここには大きな落し穴があって、不安定な情緒に支配されやすい人間のこと、測定データ以外に、実際の音のリファレンスがあることはたいへん便利である。その点、ヘッドフォンは、部屋の影響は皆無であり、必要帯域のバランスを聴きとるにはたいへん都合がよいのである。もちろん、ヘッドフォンとスピーカーとでは、その伝送原理が根本的にちがうので、何から何まで同じにすることは不可能であるし間違いでもあるが、音楽のスペクトラムバランスのリファレンスとしては充分に活用出来るのである。
 SRΛプロは、そうした意味で、ここ一年あまり、私の調整の聴感上のリファレンスとして活躍しているのである。また同時に、ヘッドフォン特有の効用で、これで音楽を楽しむのも面白いし、このヘッドフォンのトランジュントのよい、自然な音色は、その圧迫感のないハーフオープンの快さと相侯って、質のよいサウンドを聴かせてくれている。
 そしてごく最近、オーストリアのAKGから出たK240DFスタジオモニターという、ダイナミック型のヘッドフォンに出合い大いに興味をそそられている。このヘッドフォンは、まさに、私がSRΛブロを活用してきた考え方と共通するコンセプトに立って開発されたものだからである。K240DFのカタログに書かれている内容は、基本的に私のSRΛプロの記事内容に共通するものであるといってよい。ただ、ここでは、これを使って調整するのは、部屋やスピーカーではなく、録音のバランスそのものなのである。つまり、よく整った調整室といえども、現実にその音響特性はまちまちで、同じモニタースピーカーが置かれていてさえ、出る音のバランスが違うことは日常茶飯である。私なども、馴れないスタジオやコントロールルームで録音をする時には、いつもこの問題に悩まされる。便法として、自分の標準とするに足るテープをもっていき、そこのモニターで鳴らして、耳馴らしをするということをすることさえある。さもないと、往々にしてモニタ一にごまかされ、それが極端にアンバランスな場合は、その逆特性のバランスをもった録音をとってしまう危険性もある。
 K240DFは、こうした問題に対処すべく、ヘッドフォンでしかなし得ない標準化に挑戦したもので、IRT(Institute of Radio Technology)の提案によるスタジオ標準モニターヘッドフォンとして、ルームアクースティックの中でのスピーカーの音をも考慮して具体化されたものである。そして、その特性は平均的な部屋の条件までを加味した聴感のパターンに近いカーヴによっているのである。つまり、ただフラットなカーヴをもっているヘッドフォンではない。ダイヤフラムのコントロールから、イアーキヤビティを含めて、IRTの規格に厳格に収ったものだそうだ。そのカーヴは、多くの被験者の耳の中に小型マイクを挿入して測定されたデータをもとに最大公約数的なものとして決定されたものらしい。AKGによれば、このヘッドフォンは〝世界最小の録音調整室〟と呼ばれている。部屋の影響を受けないヘッドフォンだからこそ出来るという点で、私のSRΛプロの使い方と同じコンセプトである。
 録音というものは、周波数やエネルギーのバランスだけで決るものではないから、これをもって万能のモニターとするわけにはいかないが、最も重要な部分を標準化する効用として認めてよいものだと思う。ステレオの定位や左右奥行きの立体スケール、距離感などは、スピーカーのコンセプトでまちまちであり、これをバイノーラル的なヘッドフォンで代表させることには問題があるが、この件に関しては、ここでは書き切れない複雑なことなのである。
 しかし、このK240DFのコンセプトは、スタジオモニターとしてのヘッドフォンの特質をよく生かしたもので、私が、ことさら興味を引かれた理由である。
 そこで、この二つのヘッドフォンを比較試聴したのであるが、コンデンサー型のSRΛプロと、ダイナミックのK240DFとでは当然、音の質感に相違がある。
 SRΛプロの高域の繊細な質感は特有のもので、ダイナミック型を基準にすれば、ある種の音色をもっているとも感じられる。これはコンデンサーマイクロフォンにも共通した問題で、私個人の意見では、生の楽音を基準にすれば、どちらも同程度の音色の固有現象をもつものだと思うのである。ハーモニックス領域の再生はSRΛプロのほうがはるかにのびているが、これは、通常、音楽を聴く条件では空間減衰聴こえない領域ともいえる。コンデンサーマイクロフォンによって近距離で拾ったハーモニックスの再生が、よく聴こえすぎるために、高域に独特の質感を感じるものともいえるのである。この点、K240DFのほうは、最高域がおだやかで、空間減衰を含めたわれわれの楽音の印象に近いので、より自然だという印象にもなるだろう。低域もちがう。K240DFはシミュレーションカーヴのためか、たしかにスピーカーの音の印象に近く実在感のある低音である。SRΛプロは、風のように吹き抜ける低音感で、これが、また、スピーカーでは得られない魅力ともいえるのだ。ただ、やや低音のライヴネスが豊かに聴こえる傾向で、これはキャビティ形状などの構造によるものと思われる。
 しかし、両者におけるバランスのちがいは、スピーカー同士の違いや、部屋の違いそして、置き場所や置き方の違いなどによる音の差と比較すると、はるかに差が少なく、いずれもがリファレンスたり得るものだと思って間違いない。そしてリファレンスとしてではなく、ヘッドフォンとして楽しむという角度からいえば、SRΛプロの、コンベンショナルなスピーカーシステムでは味わえないデリカシーとトランジェントのよさが光って魅力的である。重量は、K240DFが240g、SRΛプロが325gだが、耳への圧力感ではSRΛプロのほうが軽く感じられる。しかし、装着感のフィットネスはK240DFのほうがぴたっと決って心地よい。SRΛブロのほうは、やや不安定に感じられるが、これは、個人の頭蓋の形状やサイズにもよることだろう。価格の点ではSRΛプロはイヤースピーカー用のドライバーユニットを必要とするコンデンサー型であり、当然高価になるので、両者のトータルパフォーマンスを単純に比較するのは無謀というものであろう。
 ヘッドフォンは、つい簡易型あるいはスピーカーの代用品のように受けとられがちだが、決してそういう類いのものではなく、独自の音響変換器として認識すべきものである。いうまでもないことだが、耳の属性と心理作用と相俟って、全く異なった音像現象を生むもので、ヘッドフォンによるバイノーラル効果は、伝送理論としてもステレオフォニックとは独立した体系をもつものである。
 この二つの優れたヘッドフォンは、それぞれ異なるコンセプトと構造によるものであるが、いずれも、録音モニターとしても再生鑑貴用としても高度なマニア、あるいはプロの要求を十分満たすものであることが実感できた。

スタックス SR-Λ Pro

菅野沖彦

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」より

 スピーカーとリスニング・ルームとの関係は難しい。個々の部屋は固有の音響特性を持つ。スピーカーのセッティングや、家具類、カーテン、絨緞などの配置で、その癖を出来るだけ抑え込むことが必要だが、それで理想的になるとは限らない。音響設計をして部屋を整えるというのも大変なことだし、それも常に成功するとは限らない。第一、その費用は膨大なものになるし、失敗した時のやり直しは容易ではない。遮音と室内の整音とでは互いに相反する矛盾条件を抱えているので、やるからには大変な費用を覚悟しなければならないし、その上でスペースと自然な生活環境を兼ね備えようとなると気の遠くなるようなコスト・リスクを負わねばなるまい。もともと、レコード音楽の本質は、家庭で居ながらにして音楽を楽しむというのが大前提だから、まるで、スタジオのような費用と生活の雰囲気を犠牲にするというのは決して薦められることではない。部屋に無関心でいい音を聴くのは難しいが、すべてを部屋のせいにして諦める必要もないだろう。そこで現実は、与えられた条件の中であれこれ工夫して残響周波数特性を出来るだけ整え、しっかりとした機器の設置を工夫し、反射音や、定在波に対処する努力をするわけだ。さらに、それらの音響的処理でも不十分な場合には、イクォライザーを使って電気的に調生することも悪くない。イクォライザ一素子が介入することによって音の鮮度が若干おちることは仕方がないが、大きなピーク・ディップをそのままにして聴くことと、どちらがよいか? 昔とちがって、現在の優れたイクォライザーなら、SN比の点でも、歪の点でも、大きなピーク・ディップによりマスキングされた音からすれば問題にはならないといえるだろう。ただし、この調整にはかなりの熟練を要することは当然であるが……。
 もっとも難しいのが、マイクロフォンの測定ポジションの問題である。リスニングポジションに置いての測定、数ヵ所での測定の平均値の算出など、それぞれに一理はあるが、いずれも、非現実的で、目安程度の判断にしかならないと思う。かといって、測定データを無視して、ただ聴感だけでおこなうことはもっと難しいし、危険でもあろう。一応の目安は測定により知るべきだと思う。測定データだけを頼りに周波数特性だけをそろえても、まず聴感上では好ましい音にはならないのが普通である。より大がかりで精密な測定器があれば、周波特性と各周波数での残響時間を測定することにより、もう一歩、適確に状況判断がつくが、部屋の残響周波特性は、イクォライザーでは調整不可能である。かりに、理想に近い三次元測定と、その結果の調整が可能であるとしても、それには大変な費用がかかり、かつそれで最高の音が得られるとは限らないのがオーディオの面白さ、難しさなのである。ましてや、不備な測定データを丸ごと信じて、それでよしとしていては、機器の能力をフルに発揮させることは出来ないし、美しい音の実現には程遠いといってもよいだろう。
 録音から再生までのトータルでの仕掛けでもあるオーディオのメカニズムは、それが仕掛けであるがゆえに、必要悪も、ギミックも含まれることは当然で、いい音の達成のためには、科学的な技術知識と、それを補う感性が絶対に要求されるものである。そこで、本題のスタックスのコンデンサー型ヘッドフォンについてだが、私は、このSRΛプロとSRM1MK2プロを、もともと、自分の録音したレコードの制作プロセスで、カッティングのバランスなどのチェックに重宝してきたのである。私のスピーカーシステムは、バランス的に、ある客観的なレベルにあるつもりだが、決してフラットではないし、部屋を含めた私の嗜好の範囲で鳴らしている。つまり、マイ・サウンドである。したがって、商品としてレコードにする場合、最終確認を、部屋の要素が入り込まず、細部のデリカシーもよく聴きとれて、しかも、周波数的なバランスに優れているこのヘッドフォンでチェックするのは大変有効なのである。もちろんインピーダンス制御のヘッドフォンとスピーカーを一緒にすることは出来ないし、バイノーラルとステレオフォニックなイメージを混同するものでもない。
 こうした目的に使っているうちに、いつしか、例のスピーカーのバランス調整のチェックにも利用すると便利なことに気がついた。一応の測定データに基づいて、電気的に、音響的にチューニングをした後のつめは、私の耳によって、各種の音楽レコードを聴きながらおこなっているが、人間の悲しさ、疲れていたり、情緒不安定であったりすることもないとはいえない。だから、結果的には数日、数週間、あるいは数ヵ月を要して音をつめるのだが、そうした時の感覚の大きな逸脱のブレーキとして、このヘッドフォンが役立ってくれるのである。ステレオイメージや音場感は別として、先述の音楽バランスや、音色感などは、部屋の要素が入らず、耳への周波数的時間遅れのないヘッドフォンは大いに参考になる音を聴くことができるのだ。最近は、優れたヘッドフォンが多いようだが、私が人知れず、便利に使っている、とっておきの音を聴かせてくれるのが、このSRΛプロである。そして、ヘッドフォンとスピーカーの音の相違を通して、実に多くの音響的ファクターを類推することも面白くいろいろなことを学ぶことも可能である。同時に、この優れたヘッドフォンは、頭にかぶり、バイノーラル的サランドイメージを覚悟すれば、美しい音楽の鑑賞用としても抜群だ。