2010年4月アーカイブ

ヤマハ HP-2

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瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 HP1と共通の、イタリアの鬼才マリオ・ベリーニのデザインだが、ユニットの大きさが違うせいで、パッド部分の直径がHP1より小さく、総体に重量も軽くなっている。実に微妙なもので、これだけの差でHP1とかなりかけ心地が違う。どちらかといえばHP1の重さとバンドの圧力の方が耳にしっくりくる(或いはHP2の方がイヤパッドが小さいために、バンド圧を強くすると耳たぶを圧迫しすぎるようになることを避けたのかもしれない)。いずれにしてもこういうキメの細かい作り方が音質にもあらわれていて、この価格帯の中では目立ってバランスが良く、音の品位の高いことが好ましい。全帯域にわたって強調感が少なくおとなしい音なので、長く聴いて疲労感が少ない。ただ、欲をいえば音の艶をいくらかおさえすぎていて、トーンコントロールなどの高域の倍音領域にはほんの少し味つけをして聴いた方が楽しめるように思った。

ビクター HP-660

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瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 中〜高域に一種の華やぎの感じられる音色だが、バランス的には、どのプログラムソースに対してもどこかおかしいというようなことはもなく、周波数レインジも十分とはいえないまでも高・低領域によく伸びている。耐入力は十分あって、かなり音量を上げても音がくずれるようなことがなかった。ただ、この価格ということを頭に置かなくてはいけないのだろうが、どこか品位を欠く音色で、楽器のもっている音色の格調の高さが出にくいのは致し方のないところだろうか。ステレオのひろがりと定位はふつうだが、どちらかといえば「耳もとで鳴っている」感じが強く、音が耳もとを離れて空間に漂うようには鳴ってくれない。もうひとつ、イヤパッドの形が耳たぶをややおさえすぎる感じがあって長時間かけ続けていると疲労感の増す傾向のあることも、音を耳もとに意識させる一因かもしれない。デザイン的には、ヘッドバンドを含めて総体に大げさでない作り方は好ましい。

パイオニア SE-300

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瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 7〜800Hzから1kHz近辺──つまりピアノの中央Cの約2オクターブ上あたりの周辺──にエネルギーが集中して、低域も高域もあまり伸ばしていない、いわゆるカマボコ型のナロウレインジのバランスらしく、ことにピアノの打鍵音で、頭の芯をコンコンと叩かれるような圧迫感があって、音量を上げるとやかましい傾向がある。この音だけをしばらく聴いていると多少聴き馴れて、それほど変には思わなくなるが、しかしやや力で押しまくる感じの鳴り方はあまり快適とはいいがたい。トーンコントロールで高・低領域をかなり補強してやるとバランスは一応よくなるが、高域があまり伸びていないせいか、音の繊細な感じが出にくく、どちらかといえば音像が頭の中に集まる傾向のきこえ方で、ステレオの音場の広がりや奥行きもあまりよく出ない。ヘッドバンドやパッドのデザインは良好で、耳によくフィットし、かけ心地は悪くない。

ホシデン DH-90-S

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瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 まず全体の感じでは、中音域──おそらく1kHz前後の音域──にエネルギーを集中させたバランスのように聴きとれる。その意味ではパイオニアのSE300と一脈通じる音色で、相対的に低音と高音はおさえ気味のところもよく似ている。したがって、ややハードな傾向の音質で、感度が割合に良い方であることとあいまって、ポップス系のパーカッシヴな音など、頭の芯まで叩き込まれるような力がある。しかし低音の量感や、高音の繊細な、あるいは柔らかな表情を求めるのは少々無理のようで、こころみにトーンコントロールで低・高両端を強調してみたが、本質的にレインジが広くないのだろう、高級機のようなひろがりを聴くのはむずかしい。価格的にやむをえないのだろうか。デザインはちょっと国産らしからぬ洒落た部分もあって、見た目には楽しい。スピーカー端子にダイレクトに接続した方が、音が引締って、クリアーになる。

ラックス 5C50

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瀬川冬樹

ステレオサウンド 49号(1978年12月発行)
特集・「第1回ステート・オブ・ジ・アート賞に輝くコンポーネント49機種紹介より

 ラボラトリー・リファレンス・シリーズと名づけて、ラックスが全面的にイメージチェンジをはかった一連のシリーズの中心をなすものが、この6C50と、パワーアンプの5M21だろう。
 こんにち管球式のアンプになお相当の比重を置いている唯一の国内メーカーだけに、トランジスターアンプに関しては、とちらかといえばや保守的な姿勢をとり続けてきたようにみえた。もちろんトランジスター化は意外に早く、すでに一九六二(昭和37)年に、トランジスタータイプのコントロールアンプPZ11を発表している。これはいまふりかえってみると、こんにちの超小型アンプのはしりとも考えられないことはない。そして翌年にはプリメイン型のSQ11を作っていて、トランジスター化では最も早い時期とされているトリオのTW30にくらべても、そんなに遅れをとっていない。
 その後SQ301で、いわゆる高級プリメインの線を一応完成させたが、しかしラックスのトランジスターアンプが本当の意味で高く評価され広く認められるに至ったのは、SQ505,507の2機種以後のことだ。これはのちに505X、507Xのシリーズでさらに改良されて、当時の他の類機を大きくひき離して注目を浴びた。
 けれど、それからあとのしばらくのあいだは、外野からみるかぎり、ラックスのアンプはあちこちと迷いはじめたようにみえた。いくつもの新製品が発表され、部分的にはラックスらしいユニークさがみられたにせよ、総合的なまとまりという意味では507Xの完成度の高さに及んでいない。
 三年まえ(一九七五年)に、創業五十周年を迎えて発表したハイパワーアンプM6000及びM4000で、ラックスのトランジスター技術は再び注目されはじめた。だが、これとおそらくはペアとして企画されたらしいコントロールアンプC1000は、そのかなり異色のデザインがユーザーを戸惑わせたようだ。ラックスは以前からトーンコントロールをはじめとする音質調整方法には熱心で、コントロールアンプも管球式に関するかぎりCL35シリーズのような佳作を生み出しているが、トランジスターでのコントロールアンプに関しては、多くの人たちを普遍的に説得できるほどの完成の域には、いまひとつ達していなかったと思う。
 その意味では5C50は、ラックスが久々に──というよりトランジスタータイプのコントロールアンプとしては初めて、そしてようやく、だがみごとに──放ったヒットだと思う。おそらく、ラックスの内部で何かがひとつふっ切れたような、迷いのない透明で十二分に美しい質感。とても品の高い、素晴らしく滑らかな音質。現代のアンプに要求される入力に対する応答も早く、音の解像力も、すみずみまで見通せるように優秀だ。そういう音質は、とうぜんの結果としていくらか冷食系のクールな印象を与える。また、ぜい肉の抑えられた感じになるから音がいくらか細い印象を与える。しかしそれは必要な肉までそぎ落すギスギス型ではない。
 ただ私個人は、この5C50は単体としてではなく、トーンコントロールアンプ5F70と一体にした形を基本に考えている。5F70は、音質を劣化させずにトーンバランスをコントロールできる優秀な製品だ。75Hzから150Hzのあいだに任意のディップを作るアコースティックコントロールも、部屋の音響特性によってはきわめて有効でユニークなコントロールだ。未確認の情報だが、QUADがそらく近々発売するコントロールアンプには、ラックス独創のリニアイコライザーに似たコントロールがついているといわれる。本当だとしたら、誇りに思っていいだろう。

トリオ L-07C II

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瀬川冬樹

ステレオサウンド 49号(1978年12月発行)
特集・「第1回ステート・オブ・ジ・アート賞に輝くコンポーネント49機種紹介より

 こんにちの精度の高い各種の測定器及びそれを駆使しての測定技術の範囲内で、特性を良くするというだけではもはや現代のアンプを作るには不充分だということは、第一線のエンジニアの等しく認めるところだ。測定技術ではもはや追うことのできなくなったところから先で、回路構成や部品の配置やパーツ自体を変更して、聴いてみると明らかに音が違ってきこえる。耳ではその違いが聴き分けられるのに、測定器ではその差が掴めない。アンプの入力端子から出力端子までの何十、何百という箇所で、どこひとつ変えても、その差はきわめて微妙であるにしろ音が変る。どちらがよいのか測定データには出てこないのだから、もはや客観的にきめる方法はない。
 日本の凝り性のマニアだけがこんなことを言っているわけでは決してない。たとえばマーク・レビンソンも、彼のプリアンプは測定で差の掴めなくなってからあと、約二年以上は聴感を頼りに音質に磨きをかけて市場に送り出した、と言っている。しかもなおその後も、彼は着々と小改良を怠らない。
 そういうプロセスを終るのだから、アンプの音の仕上げには、その音を判定するヒアリングテスターのセンスが反映される。しかしまた、聴いた結果さらにこういう方向に音質を向上させたいという要求、回路技術で正しく応えられなくては、良いアンプは生み出せない。感覚と技術の絶妙にバランスしたポイントでこそ、優れたアンプが生み出される。
 トリオというメーカーが、そうした意味でほんとうに聴感と技術のバランスポイントを探りあてたのは、プリメインアンプのKA7300D以後だと私は思う。それ以前のKA9300にすでにその芽生えはあったが、まだ完成の域に達していない。やはり7300D以後、真の意味で音楽を愛好する人々の心をとらえる音で鳴りはじめたといってよいだろう。
 セパレートタイプでは、L05Mからようやく、KA7300Dの延長線上にあるナイーヴでバランスがよく、音楽の表情をとても生き生きと聴き手に伝える音が鳴りはじめた。05M以前に作られた07シリーズの改良が強く望まれた。
 しかし07シリーズは、音質ばかりでなくデザイン、ことにコントロールアンプのそれが、どうにも野暮で薄汚かった。音質ばかりでなく、と書いたがその音質の方は、デザインにくらべてはるかに良かったし、そのために私個人も多くの愛好家に奨めたくらいだが、ユーザーの答えは、いくら音が良くてもあの顔じゃねえ......ときまっていた。そのことを本誌にも書いたのがトリオのある重役の目にとまって、音質について褒めてくれたのは嬉しいが、デザインのことをああもくそみそに露骨に書かれては、あなたを殴りたいほど口惜しいよ。それほどあのデザインはひどいか、と問いつめられた。私は、ひどいと思う、と答えた。
 その07シリーズがマークIIに改良された。パワーアンプの外観の印象は変らないが、コントロールアンプは、ツマミなど基本の配置は大幅に変っていないのに、イメージは大幅に一新されたと思う。まだ満点とはゆかないが、これなら、レコード愛好家も手もとに置く気に十分になれることだろう。
 音質については、この価格帯では一頭地を抜いて、音の量感や力強さと、繊細でナイーヴな印象とが巧みにバランスしていて、何よりも音楽を生き生きと蘇らせる点が素晴らしい。なお、今回の選定では惜しくも入賞を逸したが、パワーアンプ07M/IIも、むしろ07C/IIを上廻る出来栄えだと私個人は信じている。
 07C、07Mとも、鳴らしはじめて時間のたつにつれて、いっそう滑らかな音に仕上ってくる点は、SAEなどによく似ている。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 49号(1978年12月発行)
特集・「第1回ステート・オブ・ジ・アート賞に輝くコンポーネント49機種紹介より

 つい最近、おもしろい話を耳にした。ロンドン市内のある場所で、イギリスのオーディオ関係者が数人集まっている席上、ひとりの日本人がヴァイタヴォックスの名を口にしたところが、皆が首をかしげて、おい、そんなメーカーがあったか? と考え込んだ、というのである。しばらくして誰かが、そうだ、PA用のスピーカーを作っていた古い会社じゃなかったか? と言い出して、そうだそうだということになった──。どうも誇張されているような気がしてならないが、しかし興味深い話だ。
 ヴァイタヴォックスの名は、そういう噂が流れるほど、こんにちのイギリスのオーディオマーケットでは馴染みが薄くなっているらしい。あるいはこんにちの日本で、YL音響の名を出しても、若いオーディオファンが首をかしげるのとそれは似た事情なのかもしれない。
 ともかく、ヴァイタヴォックスのCN191〝コーナー・クリプシュホーン・システム〟の主な出荷先は、ほとんど日本に限られているらしい。それも、ここ数年来は、注文しても一年近く待たされる状態が続いているとのこと。生産量が極めて少ないにしても、日本でのこの隠れたしかし絶大な人気にくらべて、イギリス国内での、もしかしたら作り話かもしれないにしてもそういう噂を生むほどの状況と、これはスピーカーに限ったことではなく、こんにち数多く日本に入ってくる輸入パーツの中でも、非常に独特の例であるといえそうだ。
 本誌16号(昭和45年秋)の海外製品紹介欄に、その頃初めて正式に入荷したCN191を山中敬三氏が解説された記事の中にもすでに「......現在は受注生産の形でごく限られた数量のみが製作され、本国のイギリスでもその存在は一般にはあまりしられていないようだ。」とあるとおり、当時すでに製造中止寸前、いわば風前の灯の状況にあったものを、日本からの突然の要請によって生産を再開したという事情がある。そしてこれ以後は絶えることのない注文のおかげで、製造中止をまぬがれながら、こんにちまでほとんど日本向けのような形で生産が続けられているのである。ましてその後新しい製品の開発が全くないのだから、イギリス国内で忘れられた存在であっても不思議とはいえない。
 ヴァイタヴォックス社は、一九三二年にロンドン市ウェストモーランド・ロードに設立された。トーキー用などプロフェッショナル関係のスピーカーをおもに手がけて、一時はウェストレックス、RCA、フィリップス等のイギリス支社に、プロ用スピーカーをそれぞれ納入していた実績もある。
 CN191の別名「クリプシュホーン」は、アメリカの音響研究家ポウル・クリプシュが一九四〇年に設計したコーナー型フロントロード・ホーン・エンクロージュアを低音用として採用しているところから名づけられている。そして500Hz以上は、3インチという口径の大きなダイアフラムを持つウェストレックス型のホーンドライバーS2に、CN157型ディスパーシヴホーンを組合せて、2ウェイを構成している。エンクロージュアはクリプシュを基本としてV社独自の改良が加えられ、独特の渋い意匠とすばらしい音質を生んでいる。
 この音質は、古い蓄音機の名機の鳴らす音に一脈通じるように、こんにちの耳にはとても古めかしく聴こえるが、気品に満ち、精緻で量感豊かな音は、新しいスピーカーに求めることのできないひとつの魅力といえる。
 ただ、クリプシュ・コーナーホーンはその構造上、設置される部屋のコーナーの、システムを囲む両壁面と床面とが、できるかぎり堅固な構造であることが、必要。まなコーナー設置のために部屋のプロポーションやリスナーとの関係位置が大きく制約されるというように、条件が整わないと本来の良さが発揮されないという点が一般的ではない。

QUAD ESL

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瀬川冬樹

ステレオサウンド 49号(1978年12月発行)
特集・「第1回ステート・オブ・ジ・アート賞に輝くコンポーネント49機種紹介より

 このエレガントなスピーカーの完成したのは、一九五四年または五五年とされているから、おどろくべきことにもう二十年以上もほとんど同じ形で、モデルチェンジなしに作り続けられている。もともとQUADの製品は寿命の長いことが特徴だが、それでもアンプの場合は、モノーラルの管球式からステレオへ、そしてトランジスター式へ......と、少しずつ姿を変えている。しかしESLだけは、ほとんど変っていない。
 いくら頑固なメーカーでも、それがこんにちのレベルで通用しない製品なら、これほど一貫して作り続けることをしない筈だ。だがQUAD・ESLは、二十年あまりを経て古くなるどころか、むしろ逆に新しい魅力が発見され、愛用者の増加する傾向すらある。これが驚異でなくて何だろう。
 QUADというのはいわばトレイドマークで、会社名を Acoustical Manufacturing Co., Ltd. という。現会長のピーター・J・ウォーカーが一九三六年に創設したというのだから、四十年あまりの歴史を持つ老舗である。P・ウォーカーはもともとが技術者でオーディオの愛好家だが、彼の作る製品はすへで、ごくふつうの家庭で音楽を鑑賞するというひとつの枠の中で、大げさでなく存在を誇示しない控えめな、しかし洗練を窮めた渋い音質とデザイン。それでいて必要なことには少しも手を抜かない。本当の意味で高い品質を維持した実用に徹した作り方をしている。そのことは、QUADの商品名である Quality Amplifier Domestic(高品質の家庭用アンプリファイアーとでもいう意味)に端的にあらわされている。
 ESLは Electro-Static Loudspeaker(静電型またはコンデンサー型スピーカー)の頭文字。いまさら説明の要もないほど馴染み深い、前面のゆるやかに湾曲した赤銅色(または艶消しのチャコール色)の金属グリルに特徴を見せる優雅なパネル状で、寸法は幅が約88、高さ約79、そして奥行きが約27(各センチ)。この中に、導電性の薄い振動膜が、中央のタテに細長い高音用、その左右にやや幅のひろい中音用が一対、そして両サイドの面積の大きな低音用が同じく対称的に一対と、合計五つのエレメントに分割され、スリーウェイ・システムを構成している。クロスオーバー周波数は発表されていないが、約400ないし600Hz付近と、約4ないし6kHz付近の二ヵ所。ユニットの背面下部に、正極用の電源とネットワークを内蔵している。
 QUAD・ESLは、インピーダンス特性が一般のダイナミック型スピーカーとかなり異なり、低域から高域にかけて低下するカーヴを示す。低域の最大点では約40Ω強。中域では約12ないし16Ωを保つが、6kHz付近から急に下降して15kHzあたりで2Ω近くまで低下し、それ以上ではやや回復するという独特の傾向なので、パワーアンプの高域での動作が低抵抗負荷及び容量負荷に対して十分に安定であることが要求される。この点で同じQUADの♯405は傑出している。
 静電型の一般のスピーカーともうひとつの大きな相違点は、振動膜の前後にほぼ均等にエネルギーの出る、いわゆる双指向型の指向特性を持っているということ。このため、背にも十分に広い空間を持たせる必要があり、設置条件にやや制約を受ける。QUADでは少なくとも部屋を三分して前面に2/3、背面に1/3ぐらいの割合で空間をとるよう、示唆している。また、部屋容積は50㎥以上あることが好ましいとしている。部屋の音響条件はライヴ気味が好ましい。
 これらの条件を考えると、ふつうの和室ではなかなかうまく鳴らしにくいことが想像されるが、しかし現実には六畳の和室でも結構美しい音を楽しんでいるケースを知っている。背面を壁に近づけざるをえないときは、スピーカー後部の吸音と反射のバランスをいろいろくふうすることが鳴らし方のキイポイントだろう。

ラックス MQ36

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井上卓也

ステレオサウンド 50号(1979年3月発行)
特集・「栄光のコンポーネントに贈るステート・オブ・ジ・アート賞より

 現在でも管球式アンプをつくりつづけているラックスには、それぞれの時代に名を残した名作が多いが、そのなかでも傑出した製品は、このMQ36をおいて他にないだろう。
 管球式のパワーアンプでは、パワー管とスピーカーのインピーダンスマッチングのために必然的に出力トランスを使わざるをえない。出力トランスの得失はあるにせよ、アンプの物理的な特性を向上するには、この出力トランスの存在が大きなネックとなり、出力トランスを使わないアウトプット・トランス・レスの方式がかなり以前のモノーラル時代から研究され、特殊なハイインピーダンスのスピーカーを前提として製品が海外で開発された例もあった。
 現在では、アンプがソリッドステート化され、OTL方式は当然のこととなり、逆に出力トランスを採用したパワーアンプのほうが例外的な存在となっているが、かつてはOTL方式は夢のパワーアンプとして考えられはしても、現実の製品は海外製品を含めて無にひとしい時代であった。
 MQ36は、管球式からソリッドステート式に移りかわる時代に、管球式パワーアンプの性能限界に挑戦するかのように開発された、同社トップランクのパワーアンプであるとともに、管球式パワーアンプの代表作としてデザイン、性能、音質を含めて、オーディオの歴史に残るラックスの最大傑作である。
 特殊双三極管6336Aを片チャンネルあたり2本をSEPP構成としたステレオパワーアンプで、物量を投入した回路構成もさることながら、シャーシーを含むパワーアンプのコンストラクション、オーバーオールのデザインなど、どの点をとってもパワーアンプの頂点に位置するものがあり、現在に生きている素晴らしい製品である。

マランツ Model 2

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井上卓也

ステレオサウンド 50号(1979年3月発行)
特集・「栄光のコンポーネントに贈るステート・オブ・ジ・アート賞より

 マランツの製品は、最初から単純なコントロールアンプとパワーアンプの組合せではなく、モノーラル時代としては前衛的な、エレクトロニック・クロスオーバーを含めたマルチ・チャンネル方式に発展可能な、いわばシステムアンプの構想をもっている点が、他には見られないユニークさである。
 パワーアンプMODEL2は、その後MODEL5,8B、9とつづく一連のマランツのパワーアンプの原点と考えられる作品である。シャーシーコンストラクションは、他のマランツのモデルとは大きく異なり、パワートランスとアウトプットとランスを組み込んだ長方形の重量感のあるブロックが構造的な基盤であり、これから、片持ち式にひさし状の真空管や電源部のコンデンサーなどを取り付ける、いわゆるシャーシーが取り付けられ、この部分を包むように、横方向からパンチングメタルのカバーがかかる特殊な構造である。
 メインブロックには、出力管のバイアス、ACとDCバランスをチェックするためのメーターとチェック用スイッチがあり、いわゆるシャーシー部分には、出力管を3極管接続と5極管接続に切替使用するスイッチ、ダンピングファクターコントロール、グリッド直結ジャックを含む3系統の入力端子、それに、ダンピングファクターコントロール用端子をもつ出力端子などがある。
 回路構成は、出力管に6CA7/EL34をプッシュプル構成で使い、6CG7のカソード結合位相反転段でドライブするタイプで、電源部の整流管の使用と、出力が40WであることがMODEL5や8Bと異なっている。
 内部の部品配置、配線は見事なもので、丹念に手がけられており、音質も、マランツのアンプのなかで、もっとも素直でクリアーな印象である。

JBL SG520

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菅野沖彦

ステレオサウンド 50号(1979年3月発行)
特集・「栄光のコンポーネントに贈るステート・オブ・ジ・アート賞より

 JBLの三文字は、最高級スピーカーの象徴のようによく知られている。アメリカのスピーカーメーカーの名門として、たしかにJBLは数々のスピーカーシステムの傑作を作り出してきた。しかし、アンプの世界でもJBLの傑作が存在することを知る若い人は意外に少ない。現在もJBLのカタログには、いくつかのエレクトロニクスの製品が載ってはいるが、それらはきわめて特殊なもので、どちらかというと業務用のものだ。もっとも業務用の製品が、むしろ民生用以上に一般家庭用としても尊ばれる日本において、現在のJBLのアンプに対する関心の薄さは、製品があまりに特殊なこともさることながら、その内部への不満も否定できない事実である。JBLは、元来一般家庭用の最高級機器のメーカーであって、その卓抜のデザイン感覚によるハイグレイドなテクノロジーの製品化に鮮やかな手腕を見せてくれてきた。このSG520というコントロールアンプは、そうしたJBLの特質を代表する製品の一つで、アンプの歴史の上でも重要な意味を持つ製品だろう。このアンプが作られたのは一九六四年、もう15年も前である。ソリッドステート・コントロールアンプならではの明解・繊細なサウンドは、管球式アンプの多くがまだ現役で活躍していたときに、大きな衝撃を与えたものだ。それまでのソリッドステートアンプは、管球式に対して常に欠点を指摘され続けていた時代であったように思う。おそらく当時、その新鮮なサウンドを、違和感なく魅力として受けとめられた石のコントロールアンプは、このSG520とマランツの7Tぐらいのものだったであろう。そして、その音は現在も決して色あせない。事実、私個人の常用アンプとして、音質面でもSN比の面でさえも、最新のアンプに席をあけ渡さないで頑張っているのである。当時のアンプとしては画期的といえる斬新なデザインは、パネル面に丸形のツマミをツマミを一切持たず、すべて直線的なデザインだ。コンピューターエイジの感覚を先取りした現代センス溢れるものだけに、今でも古さは全く感じさせない。

マッキントッシュ MC275

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菅野沖彦

ステレオサウンド 50号(1979年3月発行)
特集・「栄光のコンポーネントに贈るステート・オブ・ジ・アート賞より

 マッキントッシュが世界のアンプメーカーの雄として君臨することになったのは、多分このMC275によるといってよいではなかろうか。このアンプが発売されたのは一九六一年待つであるから、もう18年前のことである。六一年といえば、ステレオレコードがようやく本調子になって普及した頃であり、このMC275は、業務用としても最高級のステレオアンプとして、多くのレコード会社でカッティングにも使用された。マッキントッシュ社の創業は一九四九年(前3年は準備期間とみてよい)だから、このアンプが出るまでに、すでに10数年を経ている。同社独自の高能率で、優れた特性をもつB級動作のアンプ技術は、バイファイラーワインドトランスとともに磨きをかけられ、その設計開発、製造技術の頂点に達した絶頂期の傑作なのである。そしてまた、管球式アンプの最後の最高の作品としても、オーディオ誌上に不滅の存在といってよいアンプであろう。その堂々たる風格は、アンプの造形美といってよいもので、全くの必然性からのみ構成された一つのオブジェだ。その質感とフィニッシュの高さは内に秘められた優れた動作特性、そして、それらの印象といささかの違和感をも感じさせない緻密で重厚な風格をもつサウンドと相まって、理解力のある人には、見ているだけで最高のオーディオの世界を感じさせずにはおかない魅力的な芸術品といってもよいだろう。10年以上にわたって製造され続けたが、残念ながら今はない。

T.T.O. R-12

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瀬川冬樹

ステレオサウンド 50号(1979年3月発行)
特集・「栄光のコンポーネントに贈るステート・オブ・ジ・アート賞より

 東京テレビ音響──といっても秋葉原のテレオンとまちがえられそうなほど、このメーカーを知る人はもはや少ないが、ティアックの前身、といえばわかりが早い。いまやテープレコーダーの専業メーカーとして名高いこのメーカーの最初の作品は、しかしディスク・ターンテーブルであった。型名をR12というリムドライブ型2スピードで、78/33がR12A、45/33がR12B。駆動モーターをインダクションでなくヒステリシスシンクロナスにしたものが、それぞれR12HA、HB。発表は昭和28年末だが、一般への発売は翌年に入ってからだった。当時、不二家の電蓄用リムドライブか、アカイのC3,C5ぐらいしかまともなモーターのなかったところへ、このプロフェッショナルタッチの本格的ターンテーブルの出現はショッキングで、私は吉祥の外れにある工場までこれを買いに行った。二年ほど後にこのターンテーブルはヤマハに買収され、GKデザイン研究所の手でリファインされて、KT1,KT1Hの名に変るが、ともかく、日本のLP初期にこのターンテーブルの果した役割は大きい。かつて日本電気音響KK(現DENON三鷹工場)で、NHK納入用はじめ本格的なプロ用機器の設計技術陣の中心人物であった、谷勝馬、阿部美春、井上丘氏らの作品なのだから、設計が良いのは当り前。

グラド Laboratory Tone-Arm

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瀬川冬樹

ステレオサウンド 50号(1979年3月発行)
特集・「栄光のコンポーネントに贈るステート・オブ・ジ・アート賞より

 古いカタログを探し出してみると GRADO LABORATORIES, INC. 4614 Seventh Ave. Brooklyn 20, N.Y. 価格は$39.50. とある。
 LP以後のアメリカのオーディオ機器のいわば第一期黄金時代というべき一九五〇年代。そのピークを飾ったマランツのアンプの全盛の頃、グラドは、ピックアップの分野でいわばマランツ級の超一流の評価を得ていた。それば単に性能の優れていたばかりでなく、デザインや仕上げが、複雑で洗練されていて、製作者の教養を感じさせる品位の高さがある。
 グラドは、モノ時代から主材に銃床(ガンストック)用のきわめて堅固なよく枯れたウォルナットを削り出した、流麗なスタイルのアームを作って、我々をびっくりさせた。無理のない美しい曲線が、極上のウォルナットの質感をよく生かして、見ただけで欲しくなるアームだった。ステレオ時代に入って、ラボラトリー・トーンアームと名づけて軽質量化したのが写真のアームで、モノ用よりもスリムになって、いっそう洗練の度を加えた。ウォルナットの地肌に、地色のままのアルミニウムの艶をおさえた白。メインウェイトの支持部とラテラルウェイトは支持部とラテラルウェイトは真鍮にブラッククロームメッキ。アーム根元のベースは、硬質ゴムを機械加工しているが、わざと平面でなく厚みをかえていて、取付後に回転させながらアームの水平を調整するという素晴らしい着想。アームレストにはマグネットキャッチが仕込んである。
 構造はダイナミックバランス型で、針圧は付属の針圧計による点は、当時の他の大半のアームと同様だ。カートリッジはテフロン製のスライドにとりつけて、先端部のネジでしめつける交換式。
 ステレオ初期の設計なので、針圧2グラム以下ではやや感度が鈍るが、たとえばオルトフォンSPUなど、3グラム以上かけてよいカートリッジなら、こんにちでも、上質のウッドアームのよく制動の利いた緻密な音質を楽しむことができる。

SME 3012

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瀬川冬樹

ステレオサウンド 50号(1979年3月発行)
特集・「栄光のコンポーネントに贈るステート・オブ・ジ・アート賞より

 SME3012は、いわゆる16インチLP用のロングサイズアームだが、これが同社の最初の作品で、一九五九年に発売された。当時はナイフエッジを支える軸受部が、のちにSMEの形を特長づけた例のオムスビ型の成型品ではなく、おそらく適当なサイズの金属パイプを輪切りにしただけで、いかにも生産量の少なさを思わせる。ヘッドシェルには、MADE IN DENMARK の刻印の入ったオルトフォンG型シェルを、ネームプレートだけSMEに貼りかえて流用していた。このオルトフォン型のプラグインコネクターを採用したことが、その後の、ことに日本のアームに大きな影響を与えたが、当初の製品はアルミニウムでなくステンレスパイプに制動材をつめていた。インサイドフォースキャンセラーもまだついていない。メインウェイト(バランス用)は、ヘッドシェル30グラム以上に対応できるよう大型で、ライダーウェイト(針圧加圧用オモリ)も、二分割できて、二個重ねると最大5グラムまでかけられる。G型シェルはカートリッジの取付位置を修整できないから、カートリッジ交換にともなって針先の位置の違いを修整するために、アームベースを前後にスライドさせる。軽針圧でのアームの操作の安全のために、油圧式のアームリフターが考案されている──というように、それ以前のいかなるアームよりも根本の動作原理を正しく解析し、正しいしかもユニークな解答を与えた点がSMEの大きな功績で、このことが、やがて軽針圧時代を迎えた世界じゅうのピックアップに、どれほど大きな影響を及ぼしたか測り知れない。
 いま考えてもふしぎなことは、オルトフォンがSPUを発売した一九五九年に、いち早くエイクマン(SME社長)が殆どそのSPUのための精密アームを仕上げている点だ。だが、その後シュアに転向して、徹底的に軽針圧を追求するようになるのもおもしろい。それにしてもSMEは、ふつう言われているユニバーサルアームではなく、一個のカートリッジに対して、特性を徹底的に合わせこんでゆくというのが、本来の思想であることを、蛇足ながら申し添えたい。

EMT 927Dst

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瀬川冬樹

ステレオサウンド 50号(1979年3月発行)
特集・「栄光のコンポーネントに贈るステート・オブ・ジ・アート賞より

 原形はR80と呼ばれ、なんと一九五三年に完成している。すでにフレーム(シャーシ)やターンテーブルの構造は、927と殆ど同じもので、少量(50台といわれる)が供給されたが、これをもとにEMT927シリーズは出来上った。
 ♯927は大別して三つのパートから構成される。第一に、直径16インチの超重量級ターンテーブル。これを支えるシャフトは、直径約20ミリ、長さは軸受部に入っている部分だけでも約160ミリ。材質は吟味され、高い精度の加工と入念な焼入れによって、数千時間を経ても摩耗を生じない。軸受中央部には、容量約23ccの油槽があって、シャフトの一部に油漬けになっている。
 ターンテーブルを駆動するのは、スタジオ用テープデッキのキャプスタンモーターとほぼ同等の大形シンクロナスモーター。回転中に手を触れても、僅かの振動も感知できないほどダイナミックバランスが完璧だ。この静粛かつ強力なモーターで、慣性モーメントの大きなメインターンテーブルにリムドライブで、強力な回転エネルギーを与える。
 メインターンテーブル上には、プレクシグラス(硬質プラスチック)または硬質ガラスのサブターンテーブルが載る。ガラスの載ったものが927D(ステレオ用は927Dst)。いま日本で流行のガラスターンテーブルは、EMTがとうの昔にやっている。
 プレクシグラス製のほうは、930シリーズ同様、ブレーキによってサブターンテーブルの外周をおさえてスリップさせ、クイックスタート/ストップができる。これはリモートコントロールもできる。Dタイプは、ガラスのためこのメカニズムは使えない。
 ただしDタイプは、センタースピンドルにわずかなテーパーがついている。このスピンドルはバネで支えられていて、付属のセンターウェイトを載せると、ゆるく沈み、レコードをあいだにはさむ形──というよりターンテーブル上に貼りつけたように固定する。ガラスターンテーブルとエラスティック・スピンドルはD型だけの特徴だ。
 第二の部分は、TSD15に代表されるEMTカートリッジと専用のアーム。アームをコントロールするリフターがたいへん素晴らしいメカニズムで、オイル又は空気でダンプなどしていない直結型だが、手前のレバーを上下させる指の感触と、アーム(針先)の上下動の速さとが感覚的にみごとに一致していて、あたかも針先をじかに指でつかんで操作するかのような一体感がある。
 もうすとつはオプティカル・グルーヴ・インジケーター。右手前の細いすりガラスの窓に、ミリメートルスケールの精密目盛が刻まれている。スケール上にはタテに一条の細いライトビームが焦点を結ぶ。アームに移動にともなって、この光条は右から左に移動して、針先(音溝)の位置を知らせる。このスケールはオプションで、とりつけたものを927Aと呼ぶが、後述の927Dになると、スケールは四倍に拡大され、レコードの芯ブレや溝の送りの荒さまでが精確なミリメートル値で読みとれる。この部分だけでも、ちょっとした精密光学機器だ。
 第三は、スタジオ用ターンテーブルの常識として、ライン出力まで増幅するイコライザーアンプと、その電源が内蔵されていること。電源部には、リモートコントロール用のリレーも含まれる。
 927シリーズは元来モノフォニック時代の製品だったが、のちにステレオアンプが組込まれ、927st、927Ast、927Dstの3機種が追加された。
 この927シリーズを原形として、12インチLP専用にモディファイされたのが930シリーズだが、こちらにはガラスターンテーブルはつかない。また、フレームは(一見しただけではよくわからないが)927のような金属の鋳物ではなく、ガラス繊維入りの強化プラスチックになっている。アームもちがう。これらの相違のせいか、同じTSD15をつけても、まるで格の違う音がする。私はいまだ927以上の音のするプレーヤーを知らない。

グッドマン AXIOM 80

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瀬川冬樹

ステレオサウンド 50号(1979年3月発行)
特集・「栄光のコンポーネントに贈るステート・オブ・ジ・アート賞より

 外径9・5インチ(約24センチ)というサイズは、過去どこの国にも例がなく、その点でもまず、これは相当に偏屈なスピーカーでないかと思わせる。しかも見た目がおそろしく変っている。しかし決して醜いわけではない。見馴れるにつれて惚れ惚れするほどの、機能に徹した形の生み出す美しさが理解できてくる。この一見変ったフレームの形は、メインコーン周辺(エッジ)とつけ根(ボイスコイルとコーンの接合部)との二ヵ所をそれぞれ円周上の三点でベークライトの小片によるカンチレバーで吊るす枠になっているためだ。
 これは、コーンの前後方向への動きをできるかぎりスムーズにさせるために、グッドマン社が創案した独特の梁持ち構造で、このため、コーンのフリーエア・レゾナンスは20Hzと、軽量コーンとしては驚異的に低い。
 ほとんど直線状で軽くコルゲーションの入ったメインコーンに、グッドマン独特の(AXIOMシリーズに共通の)高域再生用のサブコーンをとりつけたダブルコーン。外磁型の強力な磁極。耐入力は6Wといわめて少ないが能率は高く、音量はけっこう出る。こういう構造のため、反応がきわめて鋭敏で、アンプやエンクロージュアの良否におそろしく神経質なユニットだった。当時としてはかなりの数が輸入されている筈だが、AXIOM80の本ものの音──あくまでもふっくらと繊細で、エレガントで、透明で、やさしく、そしてえもいわれぬ色香の匂う艶やかな魅力──を、果してどれだけの人が本当に知っているのだろうか。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
「JBL♯4343研究(2)より

 アンプの性能で差がつくのは、価格で√2倍または1/√2というわたくし流の説によれば、10万円クラスの下は7万円以下ということになる。つまり6万円から6万9千8百円といった価格帯のアンプを思い浮かべていただければよい。するとこのクラスが、♯4343を鳴らすためのプリメインとしてまあ最低の限界だろう。他の機会に試みたことがあるが、これ以下のアンプでは♯4343は鳴らせないと思って間違いない。これ以下のアンプでは、いくら包容力のある♯4343でも、アンプの性能をカバーしきれない。逆に、♯4343だからこそ、6万円クラスのプリメインの、時としてクォリティの手薄になりがちな部分をスピーカーの方で積極的にカバーして聴かせてくれることを知るべきだ。しかしこのクラスのアンプに見合った組合せを作れば、それなりの音が楽しめるにしても、かえって、あまり価格の高くないアンプであることをゅ♯4343で鳴らしたときよりもょはっきりと意識させられてしまうことが多い。
 日頃わたくしの部屋で、プリメインで♯4343を聴くときは、ほとんど最高級機で聴くのが常だったが、今回かなりローコストの製品でも鳴らしてみた結果、スピーカーに不相応なほどアンプのランクを落しても、♯4343の持っている良さが一応出てきて、けっこう音楽を楽しませてくれることが改めて確認できた。けれど一通りの試聴が終って、最後にもう一度、マーク・レビンソンの組合せに戻した時は、わたくしばかりでなく居あわせた編集部員数人が、アッと声にならない驚きを顔に現わして、互いに顔を見合わせたのだった。桁外れて価格が高いとはいえ、アンプのクォリティはいうにいわれずスピーカーの音の品位、密度を支配するものだということも確認できた。
 JBL♯4343は、はかり知れない可能性をもったスピーカーであるだけに、費用や手間を厭いさえしなければ、今日考えうる最高クラスのアンプと組合わせて、プレーヤーシステムからプログラムソースまででき得る限りクォリティを高めて鳴らせば、再生音楽とは思いもよらない凄みさえ聴かせてくれる。それでいて、スピーカー1本の1/10の価格のプリメインで鳴らしても、バランスを崩すことなくスケール感も楽しませてくれる。♯4343以前の大型フロアータイプ・スピーカーでは、なかったことといってよいだろう。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
「JBL♯4343研究(2)より

 25万円から6万円弱と、4倍以上の価格差のあるプリメインアンプを集中的に聴いてみると、さすがに20万円以上の製品はそれぞれに優れていると思った。このクラスでは、パワーもチャンネル当り100W、150Wと、プリメイン型としては少し以前までは考えられなかったような、ハイパワーを安定に発揮し、SN比の良さ、内蔵MCヘッドアンプのクォリティの高さ、コントロールファンクションの充実、そして見た目の美しさや信頼感を含めて(今回試聴した以外の製品の中にはいくつかの例外があるものの)、愛好家にとって良い製品を手に入れたという満足感を与えてくれるものばかりだ。
 少し値段が下がって15万円クラスになると、さすがに各社の高級機が揃っているクラスだけに、♯4343を鳴らして相当音量を上げても、量感、スケール感での不満はあまり感じない。ごく最新のアンプではより一層その感が強い。プリメインとして割り切るのなら、このクラスがねらいどころだろう。逆にいうと、先ほどのマランツ、アキュフェーズ、トリオ・クラスで、20万円以上も出してこれだけの大きさ、機能とパワーをもったプリメインアンプを手にしてみると、もう少し奮発してセパレートにした方がよかったのじゃないか、と迷うことがあるのではないだろうか。事実このクラスから上のセパレートアンプには、比較的(セパレート型としては)ローコストでも結構良い製品もあるのだ。
 10万円のクラスはどうだろう。この価格帯のプリメインアンプは、♯4343を鳴らすために買ったとしたら、買った後でいちばん迷いが出てくるのではないだろうか。このクラスの製品を買おうというからには、いろいろ前後の製品を研究してのことだろう。15万円までは出せないが7万円以下では満足できそうもないということで、奮発して10万円というランクに考えが落ち着いたのではないだろうか。今日一流メーカーの製品で10万円も支払えば、中身に裏切られることはない。価格相当の、あるいは価格以上の音がする。が、今回のテーマのように、♯4343を最終的にはできるかぎり良いアンプで鳴らしたいが、当面はプリメインアンプで実力のせめて60ないしは70%の音を抽き出そうと考えて選んだ場合、できることならこのクラスは避けた方が良さそうだ。もう少し予算を足してもう少し音を善くしたいと思う反面、もう少し安いランクのプリメインで聴いていて、あとで一挙にセパレートにグレードアップした方が......とも考えられる。やはり10万円という価格ランクは、もう少し出しておきたい、あるいはそこまで出さなくてもよいのではないかという印象を、今回の試聴ではうけた。誤解しないでいただきたいが、これはあくまで「♯4343をとりあえず鳴らす場合」なのであって、10万円のプリメインにバランスのとれたスピーカー、プレーヤー、カートリッジを組合わせてシステムを構成する場合は、先に述べたように価格相当以上の音が楽しめる。そういう良いアンプが多いといえる。

テクニクス SU-V6

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瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
「JBL♯4343研究(2)より

 今回試聴したアンプの中で最もローコストの製品で、外観を眺め価格を頭におくかぎり、正直のところたいして期待をせずにボリュウムを上げた。ところが、である。価格が信じられないような密度の高いクォリティの良い音がして驚いた。ヤマハオンキョーのところで作為という表現を使ったが、面白いことに、価格的には前二者より安いV6の音には、ことさらの作為が感じられない。
「つくられた音」ということをあまり意識させずに、レコードに入っている音が自然にそのまま出てきたように聴こえ、えてしてローコストのアンプは、安手の品のない音を出すものが多いが、その点V6は低音の量感も意外といいたいほどよく出すし、音に安手なところがない。
 他の機会にこのアンプを聴いて気づいたことだが、今回のテストのように、スイッチを入れてから3時間以上も入力信号を加えてプリヒートしておかないと、こういった音は聴けない。スイッチを入れた直後の音は、伸びのない面白みのない音で、もっとローコストのアンプだといわれても不思議ではない音なのだが、鳴らしているうちに音がこなれてきて、最低でも一時間以上、二時間もたってみると、聴き手をいつまでもひきつけておくような魅力的な音になっているのである。最近のローコストアンプの中でも傑出した存在だろう。内蔵のMCヘッドアンプも、価格を考えれば立派というほかない。
 しかし、あえて苦言を呈すれば、オリジナリティに欠けるデザインポリシーは、全く理解に苦しむ。この価格帯のアンプを買うであろうユーザー層を露骨に意識した──しかも当を得ているとはいいがたい──メカっぽさ。少し前の某社のアンプデザインを想い起させ、イメージもマイナスだし、いかにも機械機械した印象は、鳴ってくる音の美しさ、質の高さとはうらはらだ。

オンキョー Integra A-805

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瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
「JBL♯4343研究(2)より

 プリメインアンプの中級クラスとでもいえる価格の製品。しかしこの価格を頭において試聴をはじめるとオヤッと驚かされる。鳴らしているスピーカーはペアで116万円だが、百万円をこえるスピーカーを6万5千円のアンプで鳴らしたらどうなるか。おそらく多くの人がはじめから不安感を抱くと思う。わたくし自身も、このクラスのアンプで♯4343がどの程度鳴ってくれるか自信がなかった。しかし接続を終えボリュウムを上げて鳴ってきた音は、そんな心配を一瞬忘れさせる、たいへん好ましい音だった。滑らかで、独特に広がる雰囲気をともなった美しい音に、まずびっくりさせられた。
 むろん時間をかけて聴き込むと、たとえば「ザ・ダイアログ」のドラムスとベース、「魔法使いの弟子」のオーケストラのトゥッティで、音のクォリティやスケール感の上から、やはりローコストなアンプだということがわかる。しかしずいぶん聴き手を楽しませる、たいへんうまいまとめ方をしたアンプといえる。ヤマハのところで作為という言葉がなにげなく出てきたのだが、その意味でA805にも相当作為があるといってよいだろう。この価格のプリメインを即物的に設計・製作したら、これほど聴き手をひきつける好ましい雰囲気は出ないはずだ。細かな点を指摘すれば、バスドラムやスネアのスキンがピシッと張っている感じが少し湿り気をおび、いわゆるスカッとした音とは違う。反面、弦やヴォーカルはとても滑らかなイメージを展開することで、聴き手に好感をもたせるアンプだ。

ヤマハ CA-S1

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瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
「JBL♯4343研究(2)より

 ここで再び価格ランクが一段下がる。
 音の質感は相当高度だ。ヤマハがCA2000の頃から完成しはじめた音の滑らかな質感、クォリティバランスとでもいうべき音の質感の整った点は、9万5千円という価格以上の音と思わせる場合がある。しかし数多くのレコードを聴き込んでゆくにつれて、どこか音に「味の素」をきかせたとでもいおうか、味つけが感じられる。たとえば「ザ・ダイアログ」のドラムスの音。バスドラムの量感、スケール感、パワーを上げた時に聴き手の腹の皮を振動させるかのような迫力が、この上の15万円クラス、あるいは20万円クラスのプリメインでは、セパレートと比べると、本当の意味で十全に出にくい。ところが高価格の製品から聴いてきて、CA−S1まできてむしろそういう部分が一種の量感を伴って出てくるように感じられた。しかしこの価格のプリメインで本当にそういう音を再現することは、無理があるわけで、そこが、なんとなく「味の素」を利かせた、という感じになるのだ。このクラスのプリメインでは、その辺の量感が不足しがちなことを設計者自身が意識して、意図的に作為をもって量感を加えるように計算づくで味つけしたように、わたくしは感じた。それはあるいは思いすごしかもしれないが、プリメインを何台か聴いてきて、そういうことを意識させる点がまたCA−S1の特徴、といえないこともないだろう。
 中音域以上はクォリティの良い、たいへん滑らかな、密度の十分な安定感や伸びが、90W+90Wというパワーなりに感じられる音だ。しかし高域にわずかに──たとえばフランチェスカッティのヴァイオリンの高域で、弦そのものの音を聴いているというより、上質なPAを通して聴いていると思わせるところがある。あくまでも録音した音を再生しているのだと意識させる、その意味でもかすかな作為が感じられる。低音に関しても高音に関しても、つい作為ということばを使いたくなったという点が、このアンプ自体、一種上等な「味の素」のような調味料をうまく利かせてまとめられているという説明になるだろうか。

ラックス L-58A

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瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
「JBL♯4343研究(2)より

 ラックス久々の力のこもった新製品だという印象をもった。15万円前後のプリメインアンプは、前記したビクターA−X9をはじめ、長いことベストセラーを続けているヤマハCA2000、最近のヒット商品サンスイAU−D907など、それぞれに完成度の高い製品がひしめているクラスに、あえて打って出たということからもラックスの意気込みが感じられる。それだけに前記のライバル機種と比較してもL58Aの音は相当に水準が高いといえるだろう。現時点での最新機種であるだけの良さがある。
 ラックスのプリメインアンプから受ける印象として、ここ数年、たいへん品は良いのだがもう一歩音楽に肉迫しない、あるいはよそよそしくひ弱な感じがあった。本当の意味での低域の量感も、やや出にくかったように思う。しかしL58Aではそれらが大幅に改善された。たとえば「ザ・ダイアログ」で、ドラムスとベースの対話の冒頭からほんの数小節のところで、シンバルが一定のリズムをきざむが、このシンバルがぶつかり合った時に、合わさったシンバルの中の空気が一瞬吐き出される、一種独得の音にならないような「ハフッ」というよな音(この「ハフッ」という表現は、数年前菅野沖彦氏があるジャズ愛好家の使った実におもしろくしかも適確な表現だとして、わたくしに教えてくれたのだが、)この〈音にならない音〉というようなニュアンスがレコードには確かに録音されていて、しかしなかなかその部分をうまく鳴らしてくれるアンプがないのだが、L58Aはそこのところがかなりリアルに聴けた。
 細かいところにこだわるようだが、これはひとつのたとえであって、あらゆるレコードを通じて微妙なニュアンスを、このアンプはリアルに表現してくれた。細かな、繊細な音さえも、十分な力で支えられた緻密さで再生してくれていることが、このことから証明できる。
 低音に十分力があり、そして無音の音になるかならないかの一種の雰囲気をも、輪郭だけでなく中味をともなったとでもいう形で聴かせてくれることから、よくできたアンプだと思った。しかし、試聴したのは量産に入る前の製品だったので、量産機の音を改めて確認したいと思う。
 今回聴いた製品に関しては、試作機的なものだからか、MCヘッドアンプの音は、L58Aが本来もっている音に比べ、もう一歩及ばないと聴いた。アンプ全体のクォリティからすれば、もう少しヘッドアンプの音が良ければと思わせる。しかし14万9千円のアンプにそこまで望めるかは微妙な問題で、価格を考慮すれば、この音のまま量産されることを前提に、たいへん優れたアンプといえる。

ビクター A-X9

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瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
「JBL♯4343研究(2)より

 ここで価格ランクが一段変わる。このビクターと後のラックスが15万円クラスの代表ということになる。
 A−X9は新しい回路構成を採用し、外観のデザインも一新したビクター久々のニューラインの最高機種だ。このアンプは、わたくしのリスニングルームでの試聴では、かなり個性的な音を聴かせた。もちろんいままでに聴いたマランツ、アキュフェーズ、トリオ、それぞれに個性を持っているのだが、その中にまぜても、ビクターは一種独得な音だと思わせる個性をもっている。具体的には、同じレコードでも音の表情、あるいは身振りをやや大きく表現する。別な一面として、鳴ってくる音に一種独得な附帯音──この表現はとても微妙でうまく言い表せないのだが──というか、プラス・アルファがついてくる印象がある。「魔法使いの弟子」で、フォルティシモの後一瞬静かになってピアニシモでコントラファゴットが鳴り始める部分、このレコード自体にホールトーンあるいはエコーが少し録音されているのだが、そのエコー成分が他のアンプよりはっきりと意識させられる。このアンプには、エコーのような、楽音に対するかくれた音を際立たせる特徴があるのかもしれない。「ザ・ダイアログ」でも、シンバル、スネアー、ベース......多彩な音が鳴った時、それらがリアルに目の前で演奏されているというより、少し遠のいた響きのあるステージで演奏されているかのように再現される。ことばにするとオーバーなようだが、これは他のアンプでもいえることで、本当に微妙なニュアンスの問題だが、それにしてもわたくしには、独得な雰囲気感がつけ加わっている不思議な音、と受けとれた。あるいはこういう音は、極端にデッドなリスニングルームで聴くと、評価が高くなるのかもしれない。

トリオ KA-9900

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瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
「JBL♯4343研究(2)より

 トリオの最新のアンプの音──より正確にいうなら、前作KA9300あるいはKA7300D、その後あいついで発表されたL05/L07シリーズあたりを境にして──は、目指す方向がはっきりしてきた。トリオならではの性格が確信を持って表現されるようになった、とわたくしは思う。トリオのアンプだけがもっている独得の音。それはレコード、FM、テープどんなプログラムソースを聴いても、聴き手に生き生きとした感覚をつたえてくれる。同じレコードをかけても、その演奏自体がいかにも目鼻だちのクッキリして目がクリクリ動くような表情がついてくるように聴こえる。裏返していうと、音楽の種類によっては、ほんの心もちわずかといいながらも表情過多──という言葉を使うこと自体がすでにオーバーだが──と思わせる時がないでもない。しかし全体としてみると、音楽の表情を生き生きとつたえてくれるという点で、わたくしの好きな音のアンプといえる。このKA9900はそうしたトリオの最近の特徴をたいへんよく備え、セパレートL07シリーズにも匹敵するクォリティさえもつプリメインの高級機といえる。
 音を生き生きと、コントラストをつけて表現するためか、音の輪郭がはっきりしていて、それは時として、音が硬いかのように思わせる場合がある。このアンプを長期間、自宅で個人的にテストして気がついたのだが、他の多くのアンプと比べると、スイッチを入れてから音がこなれていくまでの時間が長く、その変化が大きい。長い時間音楽を聴けば聴くほど、音がこなれてきて、柔らかくナイーヴになって、聴き手をひきつける音に変化してゆく点が独特といえる。
 内蔵MCヘッドアンプの音もかなりグレイドが高く、オルトフォンMC30を使うと、E303に比べ少々ノイズが増すようだが、アキュフェーズとの5万円の価格差を考えれば優秀といってよい。かなり豊富なコントロールファンクションを備えているが、それぞれの利き方がたいへん適切で好ましく、中間アンプをバイパスしてイコライザーアンプとパワーアンプを直結したDCアンプ構成にしても音質の変化が少ないことから、中間アンプ自体の設計も優れていることを思わせる。あらゆる点から高級機らしさを備えているといえよう。
 しかしこのデザインは何とかならないものか。このパネル面を見ていると、自家用の常用機として毎日使おうという気がどうしてもおきない。マランツにしろアキュフェーズにしろ、出てくる音とアンプ全体の雰囲気はイメージ的に似ていると思うが、トリオは一種男性的な──若さゆえに粗野が許されるといった──イメージだが、出てくる音はナイーヴなエレガントな面ももっているのだから、外観にも音と同じくらいのデリカシーがほしい。

アキュフェーズ E-303

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瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
「JBL♯4343研究(2)より

 アキュフェーズ初期の音から、新シリーズは少し方向転換したという印象を受けた。セパレートのC240+P400などを聴いても、明らかに音の傾向を変えた、というより、アキュフェーズとしてより完成度の高い音を打ち出し始めたと思う。それがE303にも共通していえる。たとえば、弱音にいたるまで音がとても滑らかで、艶というとオーバーかもしれないが、いかにも滑らかな質感を保ったまま弱音まできれいに表現する。本質的に音が磨かれてきれいなため、パワーを絞って聴くと一見ひ弱な感じさえする。しかし折んょウを上げてゆくと、あるいはダイナミックスの大きな部分になると、音が限りなくどこまでもよく伸び、十分に力のあるアンプだということを思わせる。
 マランツPm8の音のイメージがまだ消えないうちに、このE303を聴くと、Pm8ではプリメインという先入的イメージの枠を意識しなくてすむのに対して、E303は「まてよ、これはプリメインの音かな」とかすかに意識させる。言いかえるとPm8よりややスケールの小さいところがある。しかし、そのスケールが小さいということが、このE303の場合は必ずしも悪い方向には働かず、むしろひとつの完結した世界をつくっているといえる。Pm8ではプリメインの枠を踏み出しかねない音が一部にあったが、E303はこの上に同社のセパレートがあるためかどうか、プリメインの枠は意識した上で、その中で極限まで音を練り上げようというつくり方が感じられた。たとえば、「ザ・ダイアログ」でドラムスやベースの音像、スケール感が、セパレートアンプと比べると心もち小づくりになる。あるいはそれが、このンあプ自体がもっているよく磨かれた美しさのため、一層そう聴こえるのかもしれない。これがクラシック、中でも弦合奏などになると、独得の光沢のある透明感を感じさせる美しい音として意識させられるのだろう。
 内蔵MCヘッドアンプのクォリティの高さは特筆すべきで、オルトフォンMC30が十分に使える。Pm8では「一応」という条件がつくが、本機のヘッドアンプは、単体としてみても第一級ではないだろうか。
 総じて、プリメインアンプとしての要点をつかんでよくまとまっている製品で、たいへん好感がもてた。

マランツ Model Pm-8

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瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
「JBL♯4343研究(2)より

 今回のテストの中でも、かなり感心した音のアンプだ。この機種を聴いた後、ローコストになってゆくにつれて、耳の底に残っている最高クラスのセパレートアンプの音を頭に浮かべながら聴くと、どうしてもプリメインアンプという枠の中で作られていることを意識させられてしまう。つまり、音のスケール感、音の伸び、立体感、あるいは低域の量感といった面で、セパレートの最高級と比べると、どこか小づくりになっているという印象を拭い去ることができない。しかしPm8に関しては、もちろんマーク・レビンソンには及ばないにしろ、プリメインであるという枠をほとんど意識せずに聴けた。
 デュカスの「魔法使いの弟子」で、オーケストラがフォルティシモになって突然音が止んでピアニシモに移る、つまり魔法使いの弟子が呪文をとなえて、箒に水を汲ませているうちに、箒が水を汲むのをやめなくなって、ついに箒をまっぷたつに割ったクライマックス、そして一旦割れた箒がムクムクと起きあがるコントラファゴットで始まるピアニシモの部分の、ダイナミックレンジの広さ。試聴に使ったフィリップス盤では、この部分が素晴らしいダイナミックスと色彩感をもって、音色の微妙な変化まで含めて少しの濁りもなく録音されている。また、菅野録音の「ザ・ダイアログ」冒頭のドラムスとベースの対話。この二枚とも相当にパワーを上げて、とくに「ダイアログ」ではドラムスが目の前で演奏されているかのような感じが出るほどまで音量を上げて楽しみたいのだがこれはアンプにとってたいへんシビアな要求だ。だがそのどちらの要求にも、Pm8はプリメインという枠をそれほど意識せずに聴けた。
 初期のサンプルより音がこなれてきているのだろう。最初にこの製品を聴いた印象では、華麗な、ややオーバーに言うと音が少々ギラギラする傾向が感じられ、それがいかにも表だって聴こえた。しかし今回聴いたかぎりでは、それらがほとんど姿を消し、一種しっとりした味わいさえ聴かせた。
 バッハのヴァイオリン協奏曲では、フランチェスカッティのヴァイオリンは相当きつい音で録られているため、本質的にきつい音のアンプだとこれが強調されてしまうが、Pm8は弦の滑らかさ、胴鳴りの音もかなりよく再現した。
 中間アンプのバイパス・スイッチをもつが、このスイッチをオン・オフしてみると、バイパスした方が音の透明度が増し、圧迫感、混濁感が減るようだ。こう書くとその差が実際以上に大きく感じられそうだが、バイパスすると前述した点が心もち良くなるという程度の違いでしかない。内蔵MCヘッドアンプは、オルトフォンMC30のように出力の低いカートリッジだと、いくぶんノイズは増えるものの、音質的には十分実用になる。
 総合的には、同価格クラス、あるいはもう少し高価なセパレートアンプと比較しても十分太刀打ちできる、あるいは部分的には上廻っているプリメインといえるだろう。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
「JBL♯4343研究(2)より

 テストしたプリメインアンプは、価格的には最高が25万円、最低が5万9千8百円。これをランク別に分けると、①20万円以上25万円までの、いわばプリメインの最高価格・最高水準のグループ、②15万円前後の高級機、③10万円前後の製品、④6万円をはさんだ価格グループ、にせいりすることができる。今日市販されているプリメインアンプを広く展望し、その中で優れた製品を選び出してみると、まず6万円近辺に優秀な製品が集中している。このグループから性能の差をはっきりつけるためには、少なくとも8万円から10万円前後の製品でなくてはむずかしい。さらにもう一段性能の向上をはかるのなら、15万円クラスにしなくては意味がなく、その上は20万円以上になる。わたくしの昔からの主張だが、明らかに性能の差をつける──性能を向上させよう──としたら、価格体で最低でも√2倍の差をつけたい。本当に性能が向上したといえるのは、実は、2倍以上の価格差がつかなくてはいけない、というのがわたくし流の理論だが、この線にそってプリメインを分けてみたわけだ。これ以外のランクの製品も確認のために聴いてはみたが、結果的には、その前後の製品に比べて、必ずしも性能の差が目立つということもなかった。そこで今回取り上げた8機種に絞って話を進めることにしたい。
 試聴に入る前に、アンプの最高水準をつかむという意味で、マーク・レビンソンのLNP2Lの最新型と、ML2Lのこれもごく新しい製品の組合せを聴き、その後、プリメインの高級機から順次試聴していった。

●試聴に使用したレコード一覧
デュカス 交響詩「魔法使いの弟子」
ジンマン指揮ロッテルダム・フィルハーモニー(フィリップス X-7916)
ラヴェル 歌曲「シェラザード」
デ・ロスアンヘレス(ソプラノ) プレートル指揮パリ・コンセルヴァトワール管弦楽団(米エンジェル 36105)
バッハ ヴァイオリン協奏曲第2番
フランチェスカッティ(Vn) パウルムグルトナー指揮ルツェルン祝祭管弦楽団(独グラモフォン 2530242)
デューク・エイセス・ダイレクトディスク
(東芝プロユースシリーズ LF95015)
孤独のスケッチ/バルバラ
(フィリップス FDX-194)
ザ・ダイアログ
猪俣猛(dr)荒川康男(b)他(オーディオ・ラボ ALJ-1059)
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
「JBL♯4343研究(2)より

 前述したように、♯4343というスピーカーは、それ自体が、スピーカー以外の周辺機器のクォリティが少々低くてもカバーしてしまう包容力のようなものをもっている。そこで今回は、♯4343からどこまで性能を限界を抽き出せるかということのちょうど反対の、組合わせるアンプリファイアーの価格をどこまで落としたら、というと語弊があるが、つまり、♯4343をいろいろなグレードの比較的ローコストのアンプで鳴らした場合、ごく高級なアンプと比べるといったいどのような違いが出てくるのかを実験してみようと思う。かなりローコストのアンプでも♯4343の特徴をはっきり出すか出さないか、そこに焦点をあててみることにした。
 ♯4343を前提とした場合、まず当然のようにセパレートアンプを組合わせることが考えられる。しかし今回のテストからはセパレートアンプは除外し、プリメインアンプの中から比較的最近の製品を選び、なおかつその中から試聴によって選抜した製品によってテストしている。試聴にはわたくしのリスニングルームを使っている。この部屋での♯4343のセッティングに関しては、わたくし自身このリスニングルームでの体験がまだ浅いので、最終的な置き方が決まっているとはいえない。ただし、♯4343のセッティングの基本パターンともいわれる、ブロックなどの台などにのせて、背面を壁から離して置く方法とは全く逆に、背面は硬い壁に近接させて、台などは使わずに、床の上に直接置いている。おそらく、一般のオーディオ愛好家が♯4343のセッティングとしてイメージしている置き方とは違うが、このリスニングルームでは右の状態で一応満足しうるバランスを得ている。一般にいわれているのとは全く異なったセッティングだが、こうすることによって、♯4343の弱点、あるいは♯4343に好感を持たない人には欠点としてさえ指摘される、低音の鳴り方の重さ、低音のほんとうに低いところが伸びずに、中低音域の量感が少し減る反面、あまり低くないファンダメンタル音域で一ヵ所重くなったままその下で低音がスパッと切れてしまったように聴こえやすいという点が、比較的救われているといえるだろう。わたくしにはかなり低いところまで低温化伸びているように聴きとれる。この同じ条件で、別項のためのセパレートアンプの試聴をおこなったが、その時たまたまIVIEの周波数分析器でチェックしてみたところ、菅野沖彦氏録音の「ザ・ダイアログ」のドラムスの音が32Hzで109dBの音圧に達していることが確認できた。
 わたくしの♯4343WXは、このリスニングルームで鳴らしはじめてから約6ヵ月たつが、ある程度鳴らし込んでから細かな調整に移るという目的から、トゥイーターの取り付け位置の変更もしていないし、レベルコントロールの位置もすべてノーマルポジションのままだが、ほぼ満足すべきバランスで鳴っている。
 試聴に使用した機材について補足しておくと、テストするアンプ自体はプリメインアンプクラスであるにしても、それ以外のパーツに問題があってはいけないと思い、わたくし自身が納得のゆくものを使用した。プレーヤーは、ここ数ヵ月の間いろいろテストした中で、音質の点で最も信頼をよせているマイクロの5000シリーズの糸ドライブターンテーブルに、オーディオクラフトのAC3000MC(アーム)を組合わせたものを使った。カートリッジはオルトフォンMC30とEMT/XSD15をメインに、その他代表的なカートリッジを参考のために用意してある。MC型カートリッジの昇圧には、マーク・レビンソンJC1ACを2台、モノーラル・コンストラクションで片チャンネルにつき1台使うという、いささかマニアックで贅沢な使い方をしている。プログラムソースはレコードで、代表的なものは別表に示しておくが、この他にも鳴った音から触発されて、思いつくままに相当数のレコードを聴いている。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
「JBL♯4343研究(2)より

 本誌51号の読者アンケート(ベストバイコンポーネント)の結果をみるまでもなく、JBL♯4343は、今日の輸入スピーカーの中でも飛び抜けて人気の高い製品だといえる。愛好家の集いなどで全国各地を歩くにつけて、行く先々のオーディオ愛好家、あるいは販売店などで話を聞くと、この決して安いとは言えない、しかも今日の水準では比較的大がかりな構成のスピーカーとしては、異例な売れゆきを示していることがわかる。それだけ多くの人達に理解され支持されているスピーカーだといえるだろう。
 最近、ある雑誌の企画で、音楽評論家の方々と、内外のスピーカーを数多く聴くという機会をもった。この企画に参加した各分野の方々がいろいろなスピーカーを聴き比べた上で、♯4343にはほとんど最高といってよいくらいの讚辞がよせられている。この一例からも、♯4343はあらゆる分野のあらゆる聴き方をする人達を、それぞれに説得するだけの音の良さを持っているといえるだろう。販売店などでよく聞く話だが、夫婦づれで来た、オーディオにはなんの興味もないだろうと思われる奥さんの方が、♯4343WXを見ると「これすてきなスピーカーね」と気に入ってしまうとか、歌謡曲や演歌のファンまでが♯4343の音の良さに理解を示す。あるいはオーディオに相当のめり込んだ、キャリアの長い人が聴いても、やはり鋸スピーカーは良いという。これほど広い層から支持されたスピーカーは、過去、歴代の高級スピーカーの中では例外的といえるだろう。例外的とはいったものの、それは何もこのスピーカーが高級機の中では特異な存在というわけではなく、むしろ、かつて♯4343が出現する以前の大型の高級スピーカーは、周波数レンジ、フラットネス、音のバランス、解像力、そして見た目のまとまりの良さ等々、いろいろな面から見てそれぞれかなり強い個性を持っていた。それだけにある特定の層に好まれる版面、どうしても好きになれないという反対意見を持つ人が多かったのも事実だ。しかし♯4343にはそういった意味での強烈な個性がないところが、おおぜいの人達から好まれる理由といえるのではないだろうか。
 これだけ日本国中にひろがった♯4343ではあるが、いろいろな場所で聴いてみて、それぞれに少なくとも最低水準の音は鳴っている。従来のこのタイプのスピーカーからみると、よほど間違った鳴らし方さえしなければ、それほどひどい音は出さない。これは後述することだが、アンプその他のパーツがかなりローコストのものでも、それらのクォリティの低さをスピーカーの方でカバーしてくれる包容力が大きいからだろう。反面、♯4343の持っている音の真価をベストコンディションで発揮した時の素晴らしさ。一種壮絶な凄みのある音を鳴らすことも可能でありながら、チェンバロやクラヴィコードなどといったデリケートな楽器の繊細さを鳴らすこともでき、音楽のジャンルを意識する必要なしに、それぞれの音楽の特徴をひきだしてくれるところにある。やはり名器といってよいと思う。
 ところで、♯4343のクォリティ的な可能性については、それを今日考えうるかぎり、最高にひき出す手段はいくらでもあり、その一つとして、マーク・レビンソンのアンプ群を使い、とくにパワーアンプはML2Lを6台、そのうち4台は2台ずつのブリッジ接続で低音用として使い、あとの2台は高音用として使うバイアンプ方式が考えられる。このバイアンプ方式についてはすでに、新宿西口にある「サンスイ・オーディオセンター」で公開実験をおこない、本来ならその実験結果を本号でリポートすることになっていた。しかし諸般の事情により、同じような実験をわたくしのリスニングルームでもう少し入念にすることになり、今回は少し切り口をかえて♯4343を研究してみようと思う。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶかより

     *
 今回試聴したアンプは、実はここに書いた機種の倍以上の数に上る。そのすべてについて書くべきだったのかもしれないが、わたくしとして印象に深く残ったアンプに重点を置いて書くうちに、すでに指定された枚数を大幅に超過してしまった。試聴後これを書いているきょうまでのあいだに、かなりの日時が過ぎているが、裏返していえば、それだけの日時を経てなお、記憶に鮮明に浮かんでくる音は、メモを見直さないとくわしく思い出せないアンプにくらべて、やはり一段階上にある音だと考えてよいように思う。これら以外に、目立たない平凡な音、しかしそれだけに永く聴いて飽きないかもしれない音、また反対におそろしく主張の強い、主張というよりは大見得切った一大スペクタクル・サウンドとでもいいたいような音もあった。実にさまざまのアンプがある。そこがオーディオのおもしろいところだろう。いかに自分の感覚に合った音のアンプを探し出すか、自分の大切なスピーカーを、どれだけ良く鳴らすアンプを探しあてるか、そこがアンプを聴き分け、選びわける醍醐味ともいえそうだ。
     *
 しかしアンプそのものに、そんなに多彩な音色の違いがあってよいのだろうか、という疑問が一方で提出される。前にも書いたように、理想のアンプとは、増幅する電線、のような、つまり入力信号に何もつけ加えず、また欠落もさせず、そのまま正直に増幅するアンプこそ、アンプのあるべき究極の姿、ということになる。けれど、もしもその理想が100%実現されれば、もはやメーカー別の、また機種ごとの、音のニュアンスのちがいなど一切なくなってしまう。アンプメーカーが何社もある必然性は失われて、デザインと出力の大小と機能の多少というわずかのヴァリエイションだけで、さしづめ国営公社の1号、2号、3号......とでもいったアンプでよいことになる。──などと考えてゆくと、これはいかに索漠とした味気ない世界であることか。
 まあそれは冗談で、少なくともアンプの音の差は、縮まりこそすれなくなりはしない。その差がいまよりもっと少なくなっても、そうなれば我々の耳はその僅かの差をいっそう問題にして、いま以上に聴きわけるようになるだろう。
 それでも、アンプの音は無色透明になるべきだ、理想のアンプの音は、蒸留水のようになるべきだ、と感がえておられる方々に、わたくしは最後に大切なことを言いたい。
 アンプの音に、明らかに固有のクセのあることには、わたくしも反対だ。広い意味では、アンプというものは、入力にできるだけ正直な増幅を目ざすべきだ。それはとうぜんで、アンプがプログラムに含まれない勝手な音を創作することは、少なくとも再生音の分野では避けるべきことだ。
 しかし、アンプの音が、いやアンプに限らずスピーカーやその他のオーディオ機器一切の音が、蒸留水をめざすことは、わたくしは正しくないと思う。むろん色がついていてはいけない。混ぜものがあっても、ゴミが入っていても論外だ。けれど、蒸留水は少しもうまくない。本当にうまい、最高にうまい水は、たとえば谷間から湧き出たばかりの、おそろしく透明で、不純物が少なくて、純水に近い水であるけれど、そこに、水の味を微妙に引き立てるミネラル類が、ごく微量混じっているからこそ、谷あいの湧き水が最高にうまい。わたくしは、水の純度を上げるのはここまでが限度だ、と思う。蒸留水にしてはいけない。また、アンプの音が、理想の上では別として現実に蒸留水に、つまり少しの不純物もない水のように、なるわけがない。要は不純物をどこまで少なくできるかの闘いなのだが、しかし、谷間の湧き水のたとえのように、うまさを感じさせる最少限必要なミネラルを、そしてその成分と混合の割合を、微妙にコントロールしえたときに、アンプの音が魅力と説得力をモチる。そういうアンプが欲しいと思う。そして水の味にも、その水の湧く場所の違いによって豊かさが、艶が、甘味が、えもいわれない微妙さで味わい分けられると同じように、アンプの音の差にもそれが永久に聴き分けられるはずだ。アンプがどんなに進歩しても、そういう差がなくならないはずだ。そこにこそ、音楽を、アンプやスピーカーを通じて聴くことの微妙な楽しみがある。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶかより

     *
 少し脱線したが、国産アンプの中で、いまふれたトリオは、価格とのかねあいという上で評価されるべき製品といえるのに対して、さきのデンオン、そして最後にふれるアキュフェーズなどは、価格の割には......といった注釈なしに受け入れることのできる、現在最高水準をゆく音、といってよいと思う。
 アキュフェーズのC240、P400、T104の新シリーズは、昨年秋からことしにかけて、順次発表された。C240は、わりあい早い時期から試聴の機会にめぐまれたが、この音は、ほんとうに久々にわたくしをわくわくさせる素晴らしい出来ばえだった。LNP2Lがわたくしの最近最も永いあいだの常用かつ標準機だが、C240の音は、それと比較してどうこうというよりも、LNPとはまた別の路線上で、ひとつの完成度に到達したみごとな音質だといえる。LNPの音は、どこまでも切れこんでゆく解像力のよさ、芯のしっかりした、一音一音をくっきりと浮かび上らせる,それでいながら音どうしが十分に溶け合い、響き合い、立体感と奥行きを感じさせる。
 C240の音は、LNPよりもいくぶんウェットだ。そこはいかにも日本のアンプだ。そしてLNPのようにどこまでもこまかく音を解像してゆくというよりも、複雑にからみあい響き合い溶け合う音を、できるかぎり滑らかに、ことさらに音の芯を感じさせずに、自然に展開させてゆく。その音のウェットさゆえに、そしてまたLNP2LやM6の透明感のある解像力と比較するといくぶん曇りを感じさせる点に、ネガティヴな意見を言う人があるが、私はむしろそこを含めて、音のマッスとしての響きの滑らかさを好む。一見見通しがよくないようだが、よく聴くと細かな音は十分に過不足なく解像され、音のマッスの中にきれいにならんでいる。パワーアンプにオースチンのTVA1を組合わせたときの音の良さについてはすでに書いたが、本来のP400がこれに加わってみると、C240の音には意外にシャープな面もあることが聴きとれて興味深い。あるいはP400のほうに音のシャープネスが強調されていてそれをC240がうまく中和するのかとも思えるが、いずれにしてもこの組合せから得られるとても滑らかでありながらよく切れ込み、そしてよく溶け合い響き合う音の快さは、近来類のない質の高い音だと思う。このところアキュフェーズの音には、個人的にかなりシビれているものだから、ついアバタもエクボになっているかもしれないが、しかしデンオンといいアキュフェーズといい、これ以前までの各機種は、これほどまでに完成度の高い、説得力ある音を鳴らしはしなかったことを思うと、今回の新型の、ともに水準の高さがいっそう際立った快挙に思えてくる。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶかより

     * 
 国産セパレートアンプでは、トリオの07/IIシリーズに、ずっと、音楽の表現力の豊かさという点で好感を持っていた。愛好家の集まりなど、行く先々でこれを用意してもらってよく鳴らすが、平均して性能も安定している。ところが、今回の試聴ではひとつ妙なことがあった。私の装置に07IIを接続して鳴りはじめ、むろんその音はすでに何度も聴き馴染んだいつもの音が聴こえていたのだが、立ち会っていた編集部のM君が、変だ変だと句碑をかしげるのである。理由を聞いてみると、今回のステレオサウンド試聴室でのテストでは、07IIの音があまり芳しくなくて、日頃07IIを指示していた菅野氏らも、今回の結果に首をひねっていたという。そこから話が発展して、それでは試聴に使った07IIと、別の同じ機種と二組集めて、わたくしの家で比較してみようということになった。翌日早速、前日と同じ条件で、つまり編集部でのテストと同様にあらかじめ三時間以上電源を入れておいて、しかも入力信号を加えて十分に鳴らし込んだ状態で、二組の07IIを比較してみた。しかし結果は前日同様、どちらもとてもよい音がしたし、むしろこの試聴によって、07IIの製造上のバラつきがたいへん少ないことさえ証明された。
 そうなると、同じ機種が試聴の条件によってそれほど違った音を聴かせるという理由は何だろうと疑問が残る。試聴室の音響特性の違い、というのはまず誰でも思いつく。けれど、こういう皮革を何十回となく過去に繰り返してきた本人として、そういう違い、つまり試聴室の差はおろか、試聴するスピーカーやカートリッジやレコードが変ったとしても、少し時間をかければまず正しく掴むことができることを、体験から断言できる。
 しかしそうなると問題は少しも解決しない。いったいどういうことなのか。
 ひとつ言えることは、一台のアンプを、鳴らす条件が変ってもひとりの人間が操作するかぎり、前述のようにその結果は大局において相違はない。けれど、仮に扱う人間が変れば、ボリュウムコントロールのセッティングひとつとってみても、鳴ってくる音には意外な違いの出ることがあることを、これも体験的にいえる。音量もまた音質のうち、なのである。むろん原因はそれひとつといった単純なものではないが、ただ音量のセッティングひとつとってみても、微妙に音質の違いが生じるとすれば、アンプを操作するオペレーターが変れば、アンプにかぎらずオーディオ機器は別の鳴り方をする。同じカメラで同じ場面を撮影しても、半絞りの差でときとして色彩のニュアンスに大きな違いのあることがある。音もまた同様だ。
 だからといって、前述の差を、単に扱い方の問題ひとつに帰してしまうのもまた短絡的すぎる。本当のところ、どういう理由またはいかなる原因で、同じアンプの音が違って鳴るのかは、まだよくわかっていない。ただ、そういうことは珍しくないという事実は、テストの数を重ねた人間は日常体験している。なぜかよくわからないが、たしかに違った音で鳴る。この問題は、今後大いに追求する必要のある重要なテーマだろうと思う。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶかより

 デンオンは、数年以前に、プリメイン型のPMA500、700でその技術のたしかさを強く印象づけて以後、いつまにか方向を転換してしまったのか、最近までの製品は、どことなくかつてのあのぐいぐいと聴き手の心をとらえる音がしなくなってしまっていた。
 それが、今回の新型セパレート、PRA2000とPOA3000との登場で、一挙に飛躍をはかったと聴きとれた。PRA2000のほうがひと足先に完成しているが、試作初期の段階では、どちらかといえば今どきこんな音のプリじゃどうしようもない、というような印象だった。ところが、二度めに聴かされたプリプロ(量産直前の生産モデル)機では、一転して、音の質の良さ、鮮度の高さ、解像力と立体感の表現のよさ、あらゆる点からみて、第一級のプリアンプに仕上っていた。
 POA3000は、試聴時の製品はプリプロ機なので、量産に移った製品がこの音質を保つかどうかは、いましばらく確認の時間と機会を待たなくてはならないが、しかし現時点での音をひとことでいうと、きわめて上質のウエルバランス、
とでも言ったらいいのだろうか。
 国産アンプの性能が一様に高い水準に達した現在でも、その音色、音の質(品位、クォリティ)、そしてバランス、音の鮮度(フレッシュネス)、そして音の生きている感じ、などといったいろいろの角度からみるかぎり、満点のつけられる製品は決して多くはない。概して国産アンプの音色は湿り加減、というよりも湿気を含みすぎているようだ。それだからときとしてアムクロンのような、乾いた音の快さを感じるのかもしれない。音の質はよく磨きあげられて粗さはほとんどおさえられているが、それと同時に音の生命感までも抑え込んでしまって、音楽の躍動感、実在感が希薄になってしまうようなアンプも少なくない。バランスという点では、これも概して低音の量感、ほんとうの意味での量感が不足している例が多い。ニセの量感で鳴るアンプはある。けれど音楽を確かに形造る腰の坐りのよい、しかし重くならないで、生き生きとよく反応する機敏さを保ちながら、十分の量感で土台を支える音は、アンプばかりでなく国産の音の最もニガ手の部分だろう。
 デンオンがそうした面のすべてをうまく鳴らす、などとオーバーなことはこの際言わないけれど、まず鳴りはじめから、国産らしからぬ、嫌な湿度を感じさせない快く乾いた質感にオヤ? と思わせられる。十分にひずみ感の取除かれた美しい音質だが、某社のようにどこか作りもの的な、まるでノイズストレッチャーを通したかのような人工的な白痴美の音でもないし、反対に血の通わないメカニックな正確さでもない。また、これぞ解像力といったような音の鮮度をことさら誇示するわけでもなく、要するにそれらが過不足なくよくバランスしている。つまり鳴っている音の部分部分に気をとられることなく音楽そのもの、または楽器自体の持っている美しさとその美しさを形造っている音色の特質を、十分にとまではゆかないまでも、こんにちの最高クラスのアンプと比較してもなお、相当の水準で鳴らし分ける。ことさらの作為を感じさせない。音のまとめ方──というより聴かせ方は、アムクロンとも一脈通じるかもしれないが、アムクロンほど即物的でなく、力感と繊細さ、男性的な堂々とした印象と女性的な色艶とが、くどいようだが十分とまではゆかないにしても、対比されつつ鳴ってくる。必要な音が必要なだけ出てくるという感じで、むろんボリュウムを思い切りあげてみても、たとえば「ダイアログ」のバスドラムの音の力感もまず不足はない。たまたま、IVIEの簡易アナライザーで某氏が測定していたところ、バスドラムの低音で、32Hzの目盛が109dB/SPLまで振れた。そういうパワーを鳴らし続けても、聴き手に不安を与えない点もまたみごとといえる。
 少しほめすぎになってしまっただろうか。ともかく、パワーアンプがプリプロ機であったから、前述のように量産に入ってからぜひもう一度聴き直してみたいアンプであった。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶかより

 ここまで触れたアンプはオースチンTVA1を除いてすべてアメリカ製であった。これ以外にも、アメリカ系の音をかなりまとめて聴いている。そのあとに、突然QUADが鳴った。その瞬間、あ、これはもうどうしてもアメリカでは鳴らせない音だ、と思った。
 QUADから♯405が発売されてからもうずいぶん経っている。最初の頃は405に組合わせるプリが出るものと期待したが、一向にその気配もない。ピーター・ウォーカー(QUADの創設者、現会長)に、そのことを質問すると、「♯33の音でどこか不満か?」逆に質問されて、ぐっとつまった話はもう以前にも書いたが、しかし♯44が発売されてみると、どうやら我々はP・ウォーカーにすっかりとぼけられていたらしい。実は昨年の秋のオーディオフェアの頃、来日したKEFのレイモンド・クックからは、QUADが新型のプリを作っている、という情報を聞いていた。ともかく、いかにもQUADらしいのんびりした製品開発だが、しかし鳴ってきた音は、なるほど、と唸らせるだけのことはあると思った。
 ♯44と♯405の音は、従来のQUADと同じく、どちらかといえば骨細だし、スケール感も決して堂々たるといった感じにはならない。どこか小じんまりとして、ひっそりしている。けれど、この音が鳴っていると、しぜんに、レコードもモーツァルトや、フランス近代や、室内楽などに手がのびる。そしてまたそういう曲への期待を裏切らない音がするし、そのままずっとテストをやめて音楽に身をゆだねたいという気持になってゆく。こういうしっとりした味わいは、アメリカのアンプのどれを持ってきても決して聴くことができないというのが実にふしぎだ。そしてQUADの音をしばらく耳に馴染ませてしまうと、いったい何を好んでアメリカ製のあの高価で大げさなアンプに灯を入れて、スペクタルなサウンドを鳴らす必要があるのだろう、という気分になってくる。なにしろ、レコードを次から次へとかけかえ、トーンコントロールなども適度に調整しながら、音楽をしばらく聴きふけりたいと思わせたのは、今回、QUADとマッキントッシュと、それにさっきのC240+TVA1の三機種だけだった。そしてマッキントッシュは、アメリカ製とはいうもののむしろこんにちのアメリカの高級アンプの水準からみれば、ひかえめなほどひとつの枠の中で世界をきずきあげていることを思うと、結局、音楽を楽しむためのアンプというもののありかたを、もういちど考えさせられてしまう。
 だがそうはいっても、それならお前、いますぐマーク・レビンソンその他の大型アンプをきっぱり捨てて、QUADか、せいぜいマッキントッシュの世界に切りかえられるか、と問いつめられたとしたら、やっぱりそれはできそうもない。せめてC240+TVA1なら、けっこう満足するかもしれない。ただ、TVA1のあの発熱の大きさは、聴いたのが真夏の厚さの中であっただけに、自家用として四季を通じてこれ一台で聴き通せるかどうか──。
 そう思いながら、しかしQUADやマッキントッシュの完結した小宇宙は、ひどくわたくしを誘惑する。いまある装置を一切放り出して、ギリギリに切りつめた再生装置一式を揃え直して、もう音うんぬんを考えるのをやめて、楽しくレコードを聴きたいという気持に襲われる。夏の疲れのせいばかりではない。やはりわたくしの中に、こういう簡潔な装置にあこがれる気持が、昔から一貫して流れつづけているらしい。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶかより

 アムクロンは、かなり早い時期に大出力のDCアンプ、DC150で日本にも知られている。しかし初期の製品は、アメリカのPA用ハイパワーアンプの例によく見受けられるように、1ワット以下での日本の愛好家の多くの常用パワーでは、むしろ歪が多く、音のキメが粗くて過程での音楽鑑賞用という感じではなかった。IOCという名で改良されてからのモデルにはその弱点が薄れて、これは立派に現代の尖端をゆく優れたパワーアンプだという感想を持った。そして今回はさらに新型のプリとメインになって試聴に登場した。ただひとつ、しかし最も特徴的であるのは、この最新の電子式コントロールアンプにはフォノイクォライザーが組み込まれていない点で、そのことからみても、このアムクロンが、ここ数年来アメリカではPA用としてつとに名を高めていることと考えあわせて、一般的なレコード鑑賞用のアンプとして企画されたのではないことがはっきりといえる。それでいて、音の質は、鑑賞用として聴くに耐えるだけの磨かれた美しさを持っている。そしてこの音にはわたくしは相当に好感を抱いた。
 それは、プロ用として堅実に徹した音だけが持つ爽快感とでもいったらいいだろうか。本質的に音が乾いている。つまり鳴ってくる音にうじうじした湿り気がない。言いかえればどこかあっけらかんとした明るさがあるのだが、しかし、コンシュマー用のアンプのある種の製品によく聴かれる、聴き手への媚がない。あるいはことさらの音の誇示または顕示がない。聴かせてやろう、とか、こう聴かせたらお前らしびれるだろう、的な悪い作為がまったく感じられない。ただ正確に、安定に、電気的性能をきちっとおさえて作った、という印象で、そこが聴いていてまことに爽やかである。パワーを上げても音の腰の坐りがよく、安定感があって危なげが少しもない。コントロールファンクションをいろいろいじってもよくこなれているのは、プロ用としては当然だろうが、ボタンに触れるだけで音量が増減し、デジベル数値がディジタルで表示されるボリュウムコントロールの感触も楽しい。まあ、どことなく「クロウトさんのお使いになるアンプ」といったイメージがあるが、しかしこういう中庸を得た媚のない音の快さというものは、近ごろあまり聴くことができなかったように思う。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶかより

 ずっと以前の本誌、たしか9号あたりであったか、読者の質問にこたえて、マッキントッシュとQUADについて、一方を百万五を費やして語り尽くそうという大河小説の手法に、他方をあるギリギリの枠の中で表現する短詩に例えて説明したことがあった。
 けれどこんにちのマッキントッシュは、決して大河小説のアンプではなくなっている。その点ではいまならむしろ、マーク・レビンソンであり、GASのゴジラであろう。そうした物量投入型のアンプにくらべると、マッキントッシュC29+MC2205は、これまほどの昨日と出力を持ったアンプとしては、なんとコンパクトに、凝縮したまとまりをみせていることだろう。決してマッキントッシュ自体が変ったのではなく、周囲の状況のほうがむしろ変化したのには違いないにしても、C29+MC2205は、その音もデザインも寸法その他も含めて、むしろQUADの作る簡潔、かつ完結した世界に近くなっているのではないか。というよりも、QUADをもしもアメリカ人が企画すれば、ちょうどイギリスという国の広さをそのまま、アメリカの広さにスケールを拡大したような形で、マッキントッシュのサイズと機能になってしまうのではないだろうか。そう思わせるほど近ごろ大がかりな大きなアンプに馴らされはじめた目に、新しいマッキントッシュは、近ごろのアメリカのしゃれたコンパクトカーのように小じんまりと映ってみえる。
     *
 ところで、音の豊かさという点で、もうひとつのアンプについて書くのを危うく忘れるところだった。それは、イギリスの新しいメーカー、オースチンの、管球式パワーアンプTVA1の存在だ。
 管球式のアンプが、マランツ7を最後に我が家のラインから姿を消してすでに久しい。その後何度か、管球アンプの新型を聴く機会はあったにしても、レビンソンは別格としても出来のよいトランジスターの新しいアンプたちにくらべて、あえて管球式に戻りたいと思わせるような音には全くお目にかからなかった。わたくし自身は、もうおそらく半永久的に管球に別れを告げたつもりでいた。
 そういうつもりで聴いたにもかかわらず、TVA1の音は、わたくしをすっかりとりこにしてしまった。久しく耳にしえなかったまさにたっぷりと潤いのある豊かな響き。そして滑らかで上質のコクのある味わい。水分をたっぷり含んで十分に熟した果実のような、香り高いその音を、TVA1以外のどのアンプが鳴らしうるか......。
 仮にそういう良い面があったにしても、出力トランスを搭載した管球式パワーアンプは、トランジスターの新型に比較すれば概して、音の微妙な解像力の点で聴き劣りすることが多い。そういう面からみれば、TVA1の音は、レビンソンのように切れこんではくれない。それは当然かもしれないが、しかし、おおかたの管球式の、あの何となく伸びきらない、どこかで物が詰まっているかのような音と比較すると、はるかに見通しがよく、音の細部の見通しがはっきりしている。
 中音域ぜんたいに十分に肉づきのよい厚みがある。かつてのわたくしならその厚みすら嫌ったかもしれないが。
 TVA1は、プリアンプに最初なにげなく、アキュフェーズのC240を組合わせた。しかしあとからいろいろと試みるかぎり、結局わたくしは知らず知らずのうちに、ほとんど最良の組合せを作っていたらしい。あとでレビンソンその他のプリとの組合せをいくつか試みたにもかかわらず、右に書いたTVA1の良さは、C240が最もよく生かした。というよりもその音の半分はC240の良さでもあったのだろう。例えばLNPではもう少し潤いが減って硬質の音に鳴ることからもそれはいえる。が、そういう違いをかなりはっきりと聴かせるということから、TVA1が、十分にコクのある音を聴かせながらもプリアンプの音色のちがいを素直に反映させるアンプであることもわかる。
 今回の試聴では、この弟分にあたるTVA10というのも聴いた。さすがに小柄であるだけに、兄貴の豊かさには及ばないにしても、大局的にはよく似た傾向の音を楽しませる。オースチン。この新ブランドは、近ごろの掘り出しものといえそうだ。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶかより

 かつてC22とMC275の組合せの時代にしびれるほどの思いを体験したにもかかわらず、マッキントッシュの音は、ついにわたくしの装置の中に入ってこなかった。その理由はいまも書いたように、永いあいだ、音の豊かさという面にわたくしが重点を置かなかったからだ。そしてマッキントッシュはトランジスター化され、C26、C28やMC2105の時代に入ってみると、マッキントッシュの音質に本質的に共感を持てないわたくしにさえ、マッキントッシュの音は管球時代のほうがいっそ徹底していてよかったように思われて、すますま自家用として考える機会を持たないまま、やがてレビンソンやSAEの出現以後は、トランジスター式のマッキントッシュの音がよけいに古めかしく思われて、ありていにいえば積極的に敬遠する音、のほうに入ってしまった。
 MC2205が発売されるころのマッキントッシュは、外観のデザインにさえ、かつてのあの豊潤そのもののようなリッチな線からむしろ、メーターまわりやツマミのエッジを強いフチで囲んだ、アクの強い形になって、やがてC32が発売されるに及んで、その音もまたひどくアクの強いこってりした味わいに思えて、とうていわたくしと縁のない音だと決めつけてしまった。
 C29が発売されて、MC2205との組合せで、全く久しぶりに、ましてわたくしの家では本誌3号以来十数年ぶりに、マッキントッシュを聴いた。そして認識を新たにした。というよりも、マッキントッシュの音に、再びあのC22+MC275時代で築いた確固たる豊かさが蘇った。もう少し正確な言い方を心がけるなら、C22時代のあのいくぶん反応の鈍さとひきかえに持っていた豊かさ、あるいはC32で鳴りはじめた絢爛豪華で享楽的なこってりした味わい。そうした明らかな個性の強さ、というよりアクの強さが、ほどほどに抑制されて、しかも音に繊細な味わいと、ひずみの十分に取り除かれた滑らかさが生かされはじめて、適度に鮮度の高くそして円満な美しさ、暖かさが感じられるようになってきた。
 レビンソンのアンプが、発売後も大幅に改良されていることはすでに書いたが、マッキントッシュのアンプもそれほどではないにしてもやはり、発売後も少しずつ改良されているらしいことは、ずっと以前から推測できた。たとえばMC2105でも、初期のモデルと後期のそれとでは多少音質が違っているし、プリメインのMA6100に至っては、発売当初はひどく歪みっぽい音がしたのに、後期のモデルではすっかり改善されていた。
 MC2205を久々に聴いて、同じような印象を持った。あるいはそれはC29との組合せの結果であったのかもしれないが、以前に試聴したモデルにくらべると、弱音でのディテールの表現にわずかに感じとれた粗さがなくなって、管球時自体に築いた音の豊かさに、現代のトランジスターアンプならではの音の鮮度の高さや解像力の良さがほどよくバランスして、ひとつの新しい魅力を表現しはじめた。マッキントッシュは確かに蘇った。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶかより

 ところで、ML6の音は良いと思い、ML2Lの音にまた感心し、両者を組合わせたときの音の素晴らしさに惚れ込みながら、しかしその音だけでは十全の満足が得られないように思われる。それは一体何だろうか。
 おそらく、音の豊かさ、それも、豊潤(あるいは芳醇)とか潤沢とか表現したいような、うるおいも艶もそして香りさえあるかのような豊かさ。光り輝くような、それも決してギラギラとまぶしい光でなく、入念に磨き込まれた上品な光沢、といった感じ。
 そんなリッチな感じが、レビンソンの音には欠けている。というよりもレビンソン自身、そういう音をアンプが持つことを望んでいない。彼と話してみてそれはわかるが、菜食主義者(ヴェジタリアン)で、完璧主義者(パーフェクショニスト)で、しかもこまかすぎるほど繊細な神経を持ったあの男に、すくなくとも何か人生上での一大転換の機会が訪れないかぎり、リッチネス、というような音は出てこないだろうと、これは確信をもっていえる。
 いわゆる豊かな音というものを、少し前までのわたくしなら、むしろ敬遠したはずだ。細身で潔癖でどこまでも切れ込んでゆく解像力の良さ、そして奥行きのある立体感、音の品位の高さと美しさ、加えて音の艶......そうした要素が揃っていれば、もうあとは豊かさや量感などむしろないほうが好ましい、などと口走っていたのが少し前までのわたくしだったのだから。たとえば菅野沖彦氏の鳴らすあのリッチな音の世界を、いいな、とは思いながらまるで他人事のように傍観していたのだから。
 それがどうしたのだろう。新しいリスニングルームの音はできるだけライヴに、そしてその中で鳴る音はできるだけ豊かにリッチに......などと思いはじめたのだから、これは年齢のせいなのだろうか。それとも、永いあいだそういう音を遠ざけてきた反動、なのだろうか。その詮索をしてみてもはじまらない。ともかく、そういう音を、いつのまにか欲しくなってしまったことは確かなのだし、そうなってみると、もちろんレビンソン抜きのオーディオなど、わたくしには考えられないのだが、それにしても、マーク・レビンソンだけでは、決して十全の満足が得られなくなってしまったこともまた確かなのだ。
 それならそういう音を鳴らすアンプが現実にあるのか──。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶかより

 さて、ここにこれも新型のML3(パワーアンプ)を持ってくるとおもしろい。いままでの話は、パワーアンプにML2Lまたはその他のメーカー製品を組合わせていたときのことだが、ML6とML3の組合せでは、どこか頼りないというあの感じがいっそう際立ってくる。全体に柔らかく甘い雰囲気が漂っていて、LNP2L+ML2Lのようないくぶん硬質のピシッと締った音とはかなり傾向を異にしている。したがって、ヴァイオリンのソロなど、それもやや硬めに録音されたレコードなどでも、高域がことさらきつくなるようなことがない。ただ、ジャズ等の場合でのドラムスやスネアの、打音の力感、あるいはスネアドラムの引締った乾いた音を求めて聴くときには、ML3ならむしろLNPでドライヴしたほうがピントが合ってくるし、逆にML6のどこまでもこまかく切れこんでゆく解像力を生かすのなら、パワーアンプはML2Lのほうが正解ではないかと思う。
 言うまでもなくML2Lは純Aクラス・モノーラル構成で公称25ワット、ML3はABクラスのステレオ構成で公称200ワット。この両者を比較すれば、ML3のほうがよほど力のあるアンプのように思えるが、現実に鳴ってくる音はどちらかといえばむしろ逆で、ML2Lの力感は音を聴いているかぎり25ワットの出力などとは(輸入元の話では最近のモデルは50ワット以上出ているそうだが、それにしても)とうてい信じ難い。引締った打音の迫力や、ぜい肉を少しもないしかし徹底的に鍛えた筋力をみるようなしなやかな力感は、さすがと思わせる。一方のML3は、200ワットという出力への期待の割には、低音域での力を露に感じさせない。その点ではML2Lのほうが、コリコリと硬質の低音を聴かせるのにML3の低音は、芯をほぐして量感をややおさえる感じだ。つまりレビンソンに関する限り、小出力のML2Lのほうが総体に硬めの音がして、大出力のML3のほうが柔らかく、弦やヴォーカルの滑らかな感じが一見よく出るかに思わせる。
 LNP以来レビンソンの音を気に入って愛用しているひとりとして、現時点でどれをとるかといわれれば、ML6+ML2L(×2)ということになりそうだ。この組合せが最も音の透明度が高く、そしてML6がML2Lの内包している音の硬さを適度にやわらげてくれる。ML6のコントロール・ファンクションの全くないこと、そしてボリュウムなどが連動しないモノーラル構成のためやや扱いにくいこと、はこの際言ってもはじまらない。わたくし個人はトーンコントロールのないプリアンプはレコードを聴く側として大いに不満なのだが、しかしML6の音の透明感は、そうしたコントロール・ファンクションを省略したからこそ得られたものにちがいないことが、音を聴いて納得させられてしまう。その点、従来からあったいくつかの内外のプリアンプが、トーンコントロール類を省略してもなおかつ、LNPの透明感にさえ容易に及ばなかったのにまさに雲泥の相違といえるだろう。それにしてもML6は、手もとに置いて永く使っていると、その音質にますます惚れ込んでゆきながら、それと反比例してコントロール類のいじりにくさ、少なさに、次第に欲求不満がこうじてきそうな気がするのはわたくしひとりだろうか。しかし音が良い。困ったものだ。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶかより

     *
 レビンソンは、最初LNP2とJC2という二種類のプリアンプと、MCヘッドアンプしか発売しなかったから、せっかくのLNP2の透明な音質を生かすために、パワーアンプにはずいぶん迷った。エクスクルーシヴのM4をやや長いあいだ聴いているうちにSAEのMARK2500を聴く機会があった。このパワーアンプは、300W+300Wという大出力ながら、それ以前のアメリカの大出力アンプに共通の、弱音での音のにごりや汚れの感じられない点に好感を持ったが、それよりも、LNP2と組合わせたときに、MARK2500の、どちらかといえば手綱をゆるめた感じの低音、それゆえのふっくらした豊かな鳴り方、が、LNPの、というよりレビンソンの本質的に持っている線のやや細い、いくぶん冷たい音質をうまく補ってくれて、総合的にとても良い組合せだと感じた。MARK2500のごく初期のサンプルを知人がいち早く購入してその音の良さは知ってはいたが、決して安くはないので少々ためらっていたところ、本誌特別増刊のアンプ特集号(昭和51年/1976年)の試聴で、その当時気になっていたいくつかのアンプと比較しても、LNP+SAEの組合せに感じていた好ましい印象は全く変らなくて、少なくともわたくしにとっては最良の組合せに思えたので、MARK2500を購入。この組合せが、永らくわたくしの愛機でもあり比較のときの標準尺度ともなっていた。レビンソンからは、やがてML2Lが発表された。聴けば聴くほど、その音の透明でどこまでも見通しのよい感じの解像力の高さや、ひずみ感の全くない音の品位の高い美しさに惹きつけられた。反面、LNPと組合わせたときに、とうぜんのことながらレビンソンの体質そのものとでもいいたいような、いくぶんやせすぎの、そしてどこか少々強引なところも感じられる音を、果して自家用としたときに永く聴き込んでどうなのか、見きわめがつかないまま、購入を見送っていた。わたくし個人には、やはりSAEと組合わせたときの音の豊かな印象のほうが好ましかったからだ。
 昨年の暮に新しいリスニングルームが完成し、音を出しはじめてみると、こんどは残響を長く、部屋の音を豊かにと作ったせいか、SAEの鳴らす低音を、心もちひきしめたくなった。そこで試みにML2Lを借りてきてみると、以前よりは気にならないし、なにしろその解像力の良さはどうしても他のアンプでは及ばない。それでML2L×2も自家用のラインに加えて、ここしばらくは、組合せをときどき変えながら様子をみてきた。
 そこに今回の試聴である。
 新型のプリアンプML6Lは、ことしの3月、レビンソンが発表のため来日した際、わたくしの家に持ってきて三日ほど借りて聴くことができたが、LNP2Lの最新型と比較してもなお、歴然と差の聴きとれるいっそう透明な音質に魅了された。ついさっき、LNP(初期の製品)を聴いてはじめてJBLの音が曇っていると感じたことを書いたが、このあいだまで比較の対象のなかったLNPの音の透明感さえ、ML6のあとで聴くと曇って聴こえるのだから、アンプの音というものはおそろしい。もうこれ以上透明な音などありえないのではないかと思っているのに、それ以上の音を聴いてみると、いままで信じていた音にまだ上のあることがわかる。それ以上の音を聴いてみてはじめて、いままで聴いていた音の性格がもうひとつよく理解できた気持になる。これがアンプの音のおもしろいところだと思う。
 ともかくML6の音は、いままで聴きえたどのプリアンプよりも自然な感じで、それだけに一聴したときの第一印象は、プログラムソースによってはどこか頼りないほど柔らかく聴こえることさえある。ML6からLNPに戻すと、LNPの音にはけっこう硬さのあったことがわかる。よく言えば輪郭鮮明。しかしそれだけに音の中味よりも輪郭のほうが目立ってしまうような傾向もいくらか持っている。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶかより

 先ほどもふれたアメリカのオーディオ機器の一時的な衰退あるいは不毛から脱出するきっかけを作ったのは、アンプの分野ではマーク・レビンソンの出現であったことに異論はあるまい。レビンソンは、1973年に、彼の最初の市販品LNP2型コントロールアンプを発売している。この製品が日本に広く知られるのは1976年以降のことになるが、永いあいだ、真の意味での優秀なオーディオアンプが誕生しなかったアメリカで、LNP2以後、続々と若い世代がアンプメーカーを興しはじめて、それらのほとんどが、スペック(規格)を発表する際に『レビンソンと比較して......』といった表現をとっていたことから、逆に、レビンソンの性能がいかに大きな影響を及ぼしたかが伺い知れる。
 LNPを最初に自宅で聴くことができたのは、1975年だった。この試聴はそして、マランツ、JBL、マッキントッシュ以来、絶えて久しくおぼえたことのなかった驚異をもたらしてくれた。JBL以後の新しいトランジスターアンプへの永いあいだの疑念を、LNP2は一挙に拭い去ってくれた。かつてあれほど、JBLの透明な解像力の良さに驚かされたはずなのに、LNP2を一度聴いたあとでは、JBLでさえすでに曇って聴こえた。電子工学の進歩を、ほんとうに思い知らされた。だが、SG520の発売が1963年。すると、マーク・レビンソンまでの10年ものあいだ、SG520は、トランジスター・プリアンプの王座を保ち続けたことになる。これもまた、たいした偉業と言ってよいだろう。
 さて久々に良いプリアンプにめぐり会って、わたくしの衝動買いの癖はたちまちLNP2を手に入れたが、実はこのコントロールアンプくらい、発売以後いろいろと手が加えられ、音質の改善されている製品も珍しい。LNP2がLNP2Lとなり、その後電源が新型のPLS153Lに改善された、という程度にしか、外観からの変化は見つけにくい。だが、実際には、増幅素子のオペアンプ・モジュールの変更、プリント基板やボリュウム・スイッチ類の改善、その他のこまかな改良等、LNP2の音質はずいぶん変化している。そして、改良のプロセスごとに、音質はいっそう透明度を増し、聴感上の音のひずみや濁りが減少して美しい音質にはいっそうの磨きがかけられてきた。我が家のLNP2も、やがてLNP2Lとなり、最近になって新電源つきの新製品にと、つごう三回、交換されている。もともとやすくないアンプだが、だからといって、一旦改良型の音を耳にしてしまうと、多少の無理をしてでも交換したくなるというのが口惜しいところだ。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶかより

     V
 ......と、ようやくここからが本論のような形になってきたが、今回の本誌のアンプ特集の一環として、内外の話題作を比較試聴する機会が与えられたとき、ここまで書いてきたような、アンプの変遷が、わたくしの頭の中を去来したからだった。アンプの音質が、なんと向上したことだろう。また、なんと全体の音質の差が縮まってきたことだろう。だがそれでいて、数多くのアンプを短時日に集中的に聴きくらべて、その興奮が去ったあとで、レコード音楽の受けとめ手としてのわたくしたち愛好家の心に残る音が、果してどれだけあったのだろうか。かつて、マランツ、マッキントッシュ、JBLを、それぞれの音の個性のみごさゆえに、三者とも身辺に置きたいとさえ思った。それほどに聴き手を魅了する個性ある音が、果してこんにちどれほどあるか。そしてまた、こんにちのオーディオアンプが、それほどまでに個性のある音を鳴らすことを、ほんとうに目ざしているのかどうか。オーディオアンプの究極の理想が、もしも、よく言われるような「増幅度を持ったストレートワイヤー」にあるのならば、つまり、入力に加えられた音声電流を、可及的に正確に拡大することがアンプの理想の姿であるのなら、アンプ個々の音質の差は、なくなる方向にゆくべきではないのか。アンプの個性とは、結局のところアンプの不完全さ、未完成の状態をあらわしていることになるのではないのか......。
 そうした多くの設問について、限られたスペースでどれだけ言えるかはわからない。が、ともかく現実に聴きくらべたいくつかのアンプにことよせて、こんにちの、そして今後のアンプの問題のいくつかを考えてみたい。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶかより

 少し前、これはテクニクスの石井伸一郎氏だったか、それともラックスの上原晋氏から伺った話だったか、ちょっとそこの記憶があいまいだが、おもしろい説を伺ったことがある。それは、こんにちのオーディオアンプは、その最先端では、こんにちの電子工学のほぼ最高の成果をいち早くとり入れて作っているが、その点で、そのオーディオアンプを測定する測定器自体も、アンプの技術水準以上のものであるわけがない。むしろ開発の早いオーディオアンプのほうが、電子工学的には測定器を上まわっているというのが現実ではないか。そうであるのなら、と、ここからは石井氏の説になるが、アンプがアナログ増幅器である以上、測定器もアナログで追いかけていたのではナンセンスではないか。S/Nも、歪も、周波数レインジも、アンプと測定器とが同格の性能であるなら、どうしても、ディジタルその他の全く別のテクノロジーを、測定技法に導入しないかぎり、アンプの動作状態をいま以上に精密に分析することは不可能なはずだ、という説である。
 このことに関連して思い出すのはもうひとつ別のあるメーカーの技術社の話で、それは、こんにちのアンプが右のような段階にある以上は、そのメーカーとしては、ある意味で頼りになりにくい聴感を頼りにしてアンプの開発をするという手法を一旦捨てて、アンプとしてあるべき理想の姿についてひとつの仮説(理論)を立てる。その理論は、進歩の時点時点で少しずつ修正しなくてはならないかもしれないが、測定できる部分は測定で、また測定不可能の部分はその時点で最良と思われるひとつの仮説(理論)にもとづいて、あるべき姿に近づけるべく改良を加えてゆく。その改良のプロセスで、仮に、聴感上どういう結果になろうと、いつかその仮説の十全に具現できた暁での音質の改善を信じてアンプを改良してゆく、という話なのだ。抽象すぎてお分かりにくいかもしれないが、それはこういうことなのだ。
 アンプを改良してゆくプロセスで、ある段階でたしかに音がよくなってくる。だが、そこから次の段階に進んだとき、理論的には明らかに進歩であるはずなのに、聴感上はどうも改良以前のほうがよかった、というような結果の出ることがよくある。問題はここからなのだが、仮ににそういう結果の出たとき、その理由のはっきり糾明されるでは、中途での改良をやめて元に戻すというのが、一般的に言って商品づくりのうまさであり、また、ユーザーにとってもそのほうがいいはずだ。
 だが、右の技術者はそうではない。ひとつの理論が正しいと信ずるに値するかぎり、というよりその理論が違っているという証明のできないかぎり、正しいと信ずる理論にしたがって、アンプの音をその方向に修正する。仮にその音に、以前にくらべてかえってよくない部分が出てきたとしても、めれはもしかしたらアンプ自体の問題でなく、スピーカーやプログラムソースやリスニングルームその他すべての周辺の問題まで含めての疑問であるべきで、周辺機器の矛盾をアンプに負わせるべきではないという説なのだ。
 まあ、こういう問題をあまりこまごまと紹介することは、かえって混乱を招くもとになるかもしれないのでほどほどにしておくが、あえてこうした問題にいくぶんのスペースをさいたのは、次項の、新型アンプの試聴の話を受けとめて頂く上で、アンプの開発がいまこういうシビアな段階にさしかかっているということを、知っておいて頂くほうがいいのではないかとの老婆心からである。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶかより

     IV
 70年代に入ってもしばらくは、実り少ない時代が続いたが、そのうちいつともなしに、アメリカで、ヴェトナム戦争後の新しい若い世代たちが、新しい感覚でオーディオ機器開発の意欲を燃やしはじめたことが、いろいろの形で日本にも伝わってきた。ただその新しい世代は、ロックロールからヒッピー文化をくぐり抜けた、いわゆるジーンズ族のカジュアルな世代であるだけに、彼らの作り出す新しい文化は、それがオーディオ製品であっても、かつてのたとえばマランツ7のパネル構成やその仕上げの、どこか抜き差しならない厳格な美しさといったものがほとんど感じられず、そういう製品で育ったわたくしのような世代の人間の目には、どこか粗野にさえ映って、そのまま受け入れる気持にはなりにくい。
 そういう違和感は、音質面でも同様に感じられた。アメリカでは、前述の不毛の時期にたとえば大型のフロアータイプのスピーカーはほとんど姿を消して、大半が、手抜きの量産型ローコスト・ブックシェルフスピーカーになり果てていた。そういう手軽な音で育った若い世代たちは、とうぜんの結果として、かつての50年代の黄金時代にアメリカの築いたあの物量をぜいたくに投入した最上の音と、そういう音を鳴らした名器の歴史の大半を知らずに、ただ新しい電子工学の成果をオーディオに反映させているにすぎなかった。前項でもふれたマランツ、マッキントッシュ、JBL以降、マーク・レビンソンの出現までの、ほぼ5年以上のあいだに作られたアメリカのトランジスターアンプの音質に、ほとんど聴くべきものは何もない。まるでコンピューターのように感情を拒否するかのような、正確かもしれないが無機的な冷たさを持った音が、音楽の愛好家を感動させるはずがない。むろんそんな音をアメリカのアンプばかりが鳴らしていたわけではない。日本のアンプもまた、少し前の一時期は、そういうおもしろみのない音を鳴らす製品が多く、しかしそれでいながら、測定データが悪くないことを理由に、設計者側はその音のどこかおかしいという我々の意見をみとめようとしない時期があった。
     *
 アンプが電子工学の産物である以上、アンプの音質のちがいを、できるかぎり科学的にとらえ、解析してゆきたい。けれど現実にアンプの研究を続けてゆくと、実際にスピーカーをつなぎ、レコードをかけて聴いたとき、確かに誰の耳でも聴き分けられる音色の変化を生じる。ある一ヵ所の配線を変えると、音が変ることがわかる。近ごろは、コンデンサーや抵抗一本でも、同じ数値で別のメーカーの、あるいは同メーカーでもタイプの違うものを交換すると、聴きくらべたとき確かに音の違うことが知られはじめている。配線一本でも、アースのとりかたを一ヵ所かえてでも、音の変化の聴きとれることが多い。けれどその差を測定で掴もうとすると、最新・最高の測定器をもってしても、どうしても差があらわれない。耳では明らかに聴き分けられる二つの音色の差が、測定にはあらわれてこない。メーカーがアンプを設計する場合、結局、その段階になると、数人の耳の良い担当者が、聴きながらパーツを交換し配線を変更し、少しずつ音を改善の方向に向けながら製品としての完成度を上げてゆくといった手段に頼らざるをえなくなってくる。マーク・レビンソンと数年まえに話をしたときにも、彼もまたそういう手法でアンプを市販まで漕ぎつけるのだと言っていた。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶかより

 わたくし自身はそのころ、マランツ7でなくJBLのSG520に切りかえはじめていた。JBLのアンプは、はじめSA600を聴いた。オーディオ仲間のある男がSA600の音をもの凄いというので、当時はそろそろ取材の名目で製品を借り出せるようになっていたから、早速借りてきたが、これがまさにマランツ以来の、そしてマランツ以上の驚きだった。そして、それはトランジスターアンプに初めて、真空管以上の可能性を見出させてくれた音、でもあった。なにしろ、何度もくりかえし聴いて隅々まで音を知っているはずのレコードから、いままで聴こえなかった細かな音、そしてそういう細かな音の聴こえてくることによって生ずる微妙な雰囲気、音の色あい、デリケートなニュアンスが聴きとれはじめたのだから、SA600を借りてきて最初の三日間というものは、誇張でなしに寝食を惜しみ、仕事を放り出して、朝から晩までその音に聴き耽った。
 一週間ほどで返却の期限が来て、我家から去ったSA600の音が、しかし耳の底に焼きついて、しばらくのあいだは、ほかのアンプでレコードを聴こうという気になれない。結局、借金をしてSG520+SE400Sを入手して、それがわたくしのメイン装置のアンプとして働きはじめた少しあとに、前記SS誌第三号のアンプテストがあり、そこでマッキントッシュのあの豊麗きわまりない、潤沢な音質の良さに陶然たる思いを味わったのだった。マランツ、マッキントッシュ、そして(アンプの分野では)新顔のJBLが加わって高級アンプのシェアを三分していた一九六〇年代半ば、マランツの音を中庸とすれば、音の充実感と豊潤さでマッキントッシュが、透明感と解像力の良さでJBLが、それぞれに特徴のある個性を聴かせた。そしてこの特徴は、一九七〇年代に入るまで続き、やがてJBLはコンシュマー用のアンプの製造を中止し、マランツは大手スーパースコープの経営する量産メーカーとなり、マッキントッシュはひとり高級アンプの分野で独走を続け、管球式のC22+MC275も、やがてトランジスター化されてC26、C28という二つの名プリアンプ、そしてパワーアンプMC2105で、名声を保ちつづけていた。だが、泥沼のようなヴェトナム戦争と法外な宇宙開発競争に明けくれるアメリカの荒廃が、オーディオの分野をむしばみはじめ、その後の目ぼしい製品が続かなくなってゆき、ちょうどその機を待っていたかのように、日本国内でも高級セパレートアンプの良い製品が、抄く誌ずつ台頭してきた。たとえばテクニクスの10000番シリーズ、パイオニアのエクスクルーシヴ・シリーズ、アキュフェーズやラックスその他──。だがそれにしても、かつてマランツが、マッキントッシュが、JBLが、それぞれ我々を感激させたのにくらべて、その後のアンプの新顔たちは、よくできてはいたものの、オーディオにのめり込んできた愛好家たちを心底驚かせるような凄みを持ってはいなかった。アンプの性能のゆきつくところは、せいぜいこの辺で終りなのか、というどこか寂しい気持にさせられて、オーディオの趣味からちょっとばかり醒めた気分を味わわされたのは、わたくしばかりではないと思う。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶかより

     III
 こうして何年かが過ぎた。わたくしのオーディオ装置はその間いろいろ変化したが、プリアンプのマランツ7だけは、これに勝るものがなく、そのままメインとして居坐りつづけた。前項で書き忘れたが、マランツのほかにもう一台、フィッシャーのモノーラル・プリアンプ(モデル80C)を、割安に手に入れて聴いてみたが、こちらの音は少しも驚くようなものではなかった。この音質なら、わたくしの作っていたプリアンプでも、むしろそれ以上に鳴っていた。ただ、さすがにキャリアを積んだメーカーだけあって、おそろしく小型に組んだ電源内蔵型なのに、ハムのきわめて少ない点には敬服した。
 と、また話が脱線しかかったが、つまりわたくしの体験の中で、マランツ7だけが飛び抜けて優秀な音を鳴らしたことを補足しておきたかったわけだ。
 ところで、マランツと並んでアメリカのオーディオ界で最高級アンプの名声を二分していたマッキントッシュについては、まだその真価を知る機会がなかった。すでに書いたように、マランツのプリ一台でも、そのころの貨幣価値からいってひどく高価であったため、当時の日本では、まだ、そういう高価なアンプを購入しようとする人はきわめて稀な存在だったから、製品そのものが専門店のウインドゥに並ぶ機会も稀だったし、まして、こんにちと違ってそういう製品を借りて聴けるような機会は全くなかった。それだからこそ、製品については、これもまたこんにちにくらべるとほとんど紹介される機会もなく、せいぜい海外の専門誌上での小さな広告などから、製品を知る以外に手がなかった。
 それだけに、わたくしたちのそれら製品に対する認識は、おそろしく片寄った先入観に支配されていたし、もっともらしい噂話に尾ひれがついて、製品の真価が曲げて伝えられていた。
 お恥ずかしい話だが、そういうわけで、マッキントッシュのアンプをごくたまにウインドゥの中で眺めても、スイッチの入っていない彼は、あの黒いガラスのパネルに金色の文字、そして両サイドにもツマミにも金色がふんだんに使ってあることが目につくばかり。電源を入れるとその金文字が美しいグリーンに一変するということなど、全く知らない。まさに井の中の蛙そのままだが、別にわたくしばかりではない、オーディオに相当以上の興味を持っているアマチュアでも、ほとんどの人は同じような状況に置かれていた。
 とうぜん、マッキントッシュのMC240や275の音質の良さ、おそらくマランツ7と同じ頃に聴いたとしたら、同じくらい驚かされたに違いないその音質について知ったのは、もう少しあとになってからだった。
     *
 昭和41年暮に、「ステレオサウンド」誌の創刊号が発刊された。ほんとうの意味でのオーディオ専門の定期刊行物がここで初めて誕生したわけだが、編集兼発行人の原田勲氏は、それ以前のこの分野の誰もが考えたことのなかったもうれつな計画を立てた。その頃日本で入手できた内外のアンプを、できるだけ数多く集めて、同条件で比較試聴しようという、こんにちではステレオサウンド誌のひとつのパターンになってしまったいわゆる〝総まくりテスト〟を、ステレオサウンド誌42年夏号(創刊第三号)で実現させたのである。
 この頃になると、わたくし自身もすでに内外の代表的な製品のいくつかを、自分で購入もしていたし、また他の雑誌の取材等でいくつか実際に聴いてはいたがしかし、レシーバー(総合アンプ)からプリメイン、そしてセパレートまで、そして当時は真空管式トランジスター式とが半々に入り交じっていたような状況下で、65機種もの製品を一同に終結させての比較試聴というのは、全く生れて初めての体験だった。ステレオサウンド誌自身もまだ試聴室を持っていなくて、わたくしの家、といっても妻の実家の庭に建っていた六畳と四畳半、二間きりの狭い家に、岡俊雄、山中敬三の両氏にお越し頂いての試聴だったが、初夏の頃、前後一週間近くを尽くしての大がかりな比較になった。そこではじめて、わたくしばかりでなく岡、山中の両氏も、マッキントッシュの凄さを知らされたのであった。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶかより

     II
 余談が長くなってしまったが、そうして昭和三十年代の半ばごろまでアンプは自作するものときめこんでいたが、昭和36年以降、本格的に独立してインダストリアルデザインの道を進みはじめると、そろそろ、アンプの設計や製作のための時間を作ることが困難なほど多忙になりはじめた。一日の仕事を終って家に帰ると、もうアンプの回路のことを考えたり、ハンダごてを握るよりも、好きな一枚のレコードで、何も考えずにただ疲れを癒したい、という気分になってくる。そんな次第から、もうこの辺で自作から足を洗って、何かひとつ、完成度の高いアンプを購入したい、というように考えが変ってきた。
 もうその頃になると、国内の専業メーカーからも、数少ないとはいえ各種のアンプが市販されるようになってはいたが、なにしろ十数年間、自分で設計し改造しながら、コンストラクションやデザインといった外観仕上げにまで、へたなメーカー製品など何ものともしない程度のアンプは作ってきた目で眺めると、なみたいていの製品では、これを買って成仏しようという気を起こさせない。迷いながらも選択はどんどんエスカレートして、結局、マランツのモデル7を買うことに決心してしまった。
 などと書くといとも容易に買ってしまったみたいだが、そんなことはない。当時の価格で十六万円弱、といえば、なにしろ大卒の初任給が三万円に達したかどうかという時代だから、まあ相当に思い切った買物だ。それで貯金の大半をはたいてしまうと、パワーアンプはマランツには手が出なくなって、QUADのII型(KT66PP)を買った。このことからもわたくしがプリアンプのほうに重きを置く人間であることがいえる。
 ともかく、マランツ7+QUAD/II(×2)という、わたくしとしては初めて買うメーカー製のアンプが我が家で鳴りはじめた。
 いや、こういうありきたりの書きかたは、スイッチを入れて初めて鳴った音のおどろきをとても説明できていない。
 何度も書いたように、アンプの回路設計はふつうにできた。デザインや仕上げにも人一倍うるさいことを自認していた。そういう面から選択を重ねて、最後に、マランツの回路にも仕上げにも、まあ一応の納得をして購入した。さんざん自作をくりかえしてきて、およそ考えうるかぎりパーツにぜいたくし、製作や調整に手を尽くしたプリアンプの鳴らす音というものは、ほとんどわかっていたつもりであった。
 マランツ7が最初に鳴らした音質は、そういうわたくしの予想を大幅に上廻る、というよりそれまで全く知らなかったアンプの世界のもうひとつ別の次元の音を、聴かせ、わたくしは一瞬、気が遠くなるほどの驚きを味わった。いったい、いままでの十何年間、心血そそいで作り、改造してきた俺のプリアンプは、一体何だったのだろう。いや、わたくしのプリアンプばかりではない。自作のプリアンプを、先輩や友人たちの作ったアンプと鳴きくらべもしてみて、まあまあの水準だと思ってきた。だがマランツ7の音は、その過去のあらゆる体験から想像もつかないように、緻密で、音の輪郭がしっかりしていると同時にその音の中味には十二分にコクがあった。何という上質の、何というバランスのよい音質だったか。だとすると、わたくしひとりではない、いままで我々日本のアマチュアたちが、何の疑いもなく自信を持って製作し、聴いてきたアンプというのは、あれは一体、何だったのか......。日本のアマチュアの中でも、おそらく最高水準の人たち、そのままメーカーのチーフクラスで通る人たちの作ったアンプが、そう思わせたということは、結局のところ、我々全体が井の中の蛙だったということなのか──。
 マランツ7の音に心底びっくりさせられたわたくしは、会う人ごとにそのすごさを説いた。その中に、当時オーディオテクニカを創設されて間もない松下秀雄氏がおられた。松下氏は早速、そのころ試聴室として公開しておられたご自宅の装置に、マランツ7を迎えられた。松下氏のそれまで使っておられたのは、わたくしなどよりよほど腕の立つエンジニアの作ったプリアンプだったはずだが、それにもかかわらず、松下氏もまた、本当にびっくりした、とわたくしに洩らされた。
 マランツ7にはこうして多くの人々がびっくりしたが、パワーアンプのQUAD/II型の音のほうは、実のところ別におどろくような違いではなかった。この水準の音質なら、腕の立つアマチュアの自作のアンプが、けっこう鳴らしていた。そんないきさつから、わたくしはますます、プリアンプの重要性に興味を傾ける結果になった。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶかより

     *
 アンプの設計者には、どちらかといえばプリアンプに妙味を発揮するタイプの人と、パワーアンプの方が得意な人とに分けられるのではないかと思う。たとえばソウル・マランツは強いていえばプリアンプ志向のタイプだし、マッキントッシュはパワーアンプ型の人間といえるだろ。こんにちでいえば、GASの〝アンプジラ〟で名を上げたボンジョルノはパワーアンプ型の男だし、マーク・レビンソンはどちらかといえばプリアンプ作りのうまい青年だ。
 で、わたくしはといえば、マランツ、マーク・レビンソン型の、つまりプリアンプのほうにより多くの興味を抱くタイプだった。だった、といまうっかり過去形で書いてしまったが、この点はたぶんいまも同じだ。いや、少なくともごく最近まで、そうだった。
 パワーアンプは本質的にフラットアンプで、決められたインプット(入力電圧)に対して必要な出力をとり出す。そのプロセスで、入力は型をできるだけ忠実にそのまま出力端子まで増幅すればそれでよい。これに対してプリアンプ(コントロールアンプ)は、フォノ入力のようなミリボルト級の微小電圧と、チューナーまたはテープデッキの少なくとも0.1ボルト級以上の入力とを交通整理しながら、フォノ入力に対してはイクォライザー、そして必要に応じてトーンコントロールやフィルター、ラウドネスの補整、さらにモードスイッチやバランス調整......というように、数多くの複雑なコントロール機能を巧みに配置しなくてはならない、という制約が数多くあって、それはまるで、厳格に法則の定められた複雑なパズルを解くに似た難しさ、それゆえの汲めども尽きない面白さがある。回路のブロックダイアグラムを何度も作り直しては、細部の設計と計算をくりかえす。それこそ、一年や二年ではとても理想の回路には到達できない。実際に製作に着手する以前のそうした設計自体が、何とも興味深い頭脳プレイであるために、一旦この楽しさにとり憑かれたら、容易なことでやめるわけにはゆかない。昭和二八〜九年頃から、専らこのおもしろさに惹きつけられて以来、前述のように三十年代の半ばすぎまでは、プリアンプのブロックダイアグラムを、回路のディテールを、何百枚書き直したことだろう。
 プリアンプのもうひとつのおもしろさは、これはいわゆる〝回路屋さん〟一本槍の人にはわからない部分だが、全体のシャーシコンストラクションと、パネル面のファンクションの整理、そのためのデザイン、といった、立体的かつ実際的な部分をあれこれ考える楽しさもある。わたくしなど、そのことのほうがおもしろくなってしまって、それが高じてインダストリアルデザインを職業に選んでしまったといってもいいくらいだ。
瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶかより

     I
 アンプは「買う」ものでなく「作る」ものと、相場がきまっていた。古い話である。といって、なにも好んで昔話などはじめようというのではない。こんにちの新しいアンプたちについて考えてみようとしたとき、ほんの少しばかり過去にさかのぼって振り返ってみることが、何かひとつのきっかけになりそうな気がするからだ。
     *
 アメリカでは一九五〇年代の後半にはすでに、マランツ、マッキントッシュに代表される超高級アンプをはじめとして、大小の専業メーカーが、あるいは一般家庭用の、あるいはオーディオ愛好家むけの、それぞれに完成度の高い各種のアンプを市販していた。
 けれど一方の日本のオーディオは、まだおそろしく幼稚な段階にあった。いや、ごく少数の熱心な研究家や数少ない専門の技術者の中には、当時の世界の水準をいち早くとり入れて優秀なアンプを製作していたケースもあったが、当時の日本のオーディオまたはレコード愛好家の数からすれば、そうしたアンプが商品として一メーカーを支えるほどには売れるものではなかった。
 商品としての良いアンプが入手できないのだから、それでも何とか良いアンプが欲しければ、自分で作るか、それとも誰か腕の立つ技術者に一品注文の形で製作を依頼するほかはない。アメリカやイギリスの優れたアンプは、まだ自由に輸入ができなかったし、入荷したとしてもおそろしく高価。それよりも、海外の本当に優れた製品を実物で知ることができなかったために、いわゆる有名メーカーまたは高級メーカーの製品といえども、そんなに高価な代償を支払ってまで入手する価値のあるものだとは、ほとんどの人が思っていなかった。わたくし自身も、マランツやマッキントッシュの回路そのものは文献で知っていたが、回路図で眺めるかぎりはそれがそんなにズバ抜けて音質の良いアンプだとはわからない。なに、高価なだけでたいしたことはない、と思い込んでいたのだから世話はない。
 アンプの性能を、回路図から推し量ろうというのは、ちょうど、一片の白地図か、あるいはせいぜい住宅の平面図から、その場所あるいは出来上った家を推測するに等しい。だがそういう事実に気づくのはずっとあとの話である。
     *
 良い製品を自作する以外に手に入れる方法がないというのが半分の理由。そしてあとの半分は、いまも書いたように、わざわざ高い金を払って買うこたぁないさ、という甘い誤算。そんな次第でわたくしも、もっぱらアンプの設計をし、回路図を修正し、作っては聴き、聴いては改造し、またときには友人や知人の依頼によって、アンプを何台も、いや、おそらく何百台も、作ってはこわしていた。昭和35年以前の話であった。
 昭和26年末に、雑誌「ラジオ技術」への読者の投稿の形でのアンプの研究記事が採用されたことが、こんにちこうしてオーディオで身を立てるきっかけを作ってくれたのだったが、少なくとも昭和40年代半ば頃まではたかだか専門誌への寄稿ぐらいでは生計を立てることは不可能で、むろんその点ではわたくしと同じ時代あるいはそれ以前からオーディオの道にのめり込んでいた人たちすべてご同様。つまりつい十年ほど前までは、こういう雑誌に原稿を書くことは、全くのアマチュアの道楽の延長にすぎなかった。言いかえれば、その頃までは少なくともほとんど純粋のアマチュアの立場で、オーディオを楽しむことができた。アンプを自分で設計し組立てていたのは前述のようにそれよりさらに10年以上前の話なのだから、要するにアマチュアのひとりとして、アンプを自作することを楽しんでいたことになる。費用も手間も時間も無制限。一台のアンプを、何年もかけて少しずつ改良してゆくのだから、こんなにおもしろい趣味もそうザラにはない。
菅野沖彦

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか 最新セパレートアンプ32機種のテストリポートより

 カリフォルニアのサクラメントにあるスレッショルド社は、高級アンプの専門メーカーで、いわゆるアンプ界のニューウェイヴとして我が国でも注目されているメーカーの一つである。こうした新しいメーカーの製品は、それぞれに、技術的特徴をもち、エレクトロニクスのニューテクノロジーを標榜しているが、中でも、スレッショルド製品は、ひときわユニークな存在である。
 スレッショルド社は、ルネ・ベズネとジョー・サミットという二人のオーディオ気違いが、遂に趣味の領域を脱して、高級コンポーネントを自ら創り出すことの止むなきに至り、若いエレクトロニクスエンジニアのネルソン・パスという人物と出合って会社を創立したという背景をもっている。パスは天才的なエンジニアといわれ、完璧主義、ベズネはデザイナーとしてこれに協力しているらしい。サミットはもっぱら資金面を担当しているらしいが、自身も大変な音好きで、この三人がとことん満足のいくものが出来ないと、製品として登場してこないという、いかにも専門メーカーにふさわしい体質を持っている。
 SL10と4000カスタムは、現在、同社を代表する新しい機種であるが、それぞれ、スレッショルドらしい特徴と技術的個性をもった興味深い製品であるとともに、そのデザインや仕上げの完成度が、こうした小規模な新しいメーカーのものの中では際立って優れていて、製品としての完成度が高い。
SL10の特徴
 SL10は、DCアンプ構成のハイスピード・プリアンプで、入力端子から出力端子までの信号の伝達速度は10ナノセカンド、つまり一億分の一秒、スルーレイトは150V/μsecという応答特性をもっているという。加えて、大量のアイドリング電流によるAクラス動作となっていて、ユニークな補正回路の採用で、DCアンプの安定化を計っている。使用パーツも厳選され、抵抗、コンデンサー、スイッチ、レベルコントローラーには高精度の高級パーツが使われている。操作、機能はきわめてシンプルなもので、余分な機能を一切排除し、信号系路の純度を確保している。ユニークなデザインはパネルの色調、表面のフィニッシュ、ツマミの形状などに並々ならぬ個性と雰囲気を備えていて、オリジナリティを強く感じさせる高級品にふさわしいものだ。
4000カスタムの特徴
 4000カスタムのほうも、これに劣らずオリジナリティをもったパワーアンプである。スレッショルド方式といわれる効率のよいAクラス動作は、すでに国産アンプにもいくつかの亜流を見出すことが出来る。同社独特の回路によるものだ。全段カスコード接続、クラスA動作のDCアンプ構成で、200W+200W(8Ω)の出力をもち,ブリッジ動作でモノーラルアンプとして使えば700Wの大出力を得ることができる。同社の技術思想のバックボーンともいえる、ハイスピードのコンセプトはここにも見られ、ライズタイムは1μsec、スルーレイトは50V/μsecと発表されている。LEDによるピークレベルとアベレージの2段表示パネルを中心に、いかにもパワーアンプらしいデザインは重厚感と、スタイリッシュな感覚がよくマッチした、個性的で美しいフェイスである。このパワーアンプは、単独でよく使う機会があるが、音質は大変優れていて、一種の粘りのある、弾力性に富んだ質感は、人の感覚に快いものだ。力感は溢れているが、荒々しさがなく、音像の立体感も豊かで、実感のあるプレゼンスが魅力的だ。
SL10+4000カスタムの音質
 今回のテストでは、このSL10、4000カスタムという同社の組合せで試聴したわけだから、これこそ、スレッショルドの主張する音と考えてよいだろう。
 前述した4000カスタムの弾力性のある粘る音の特質は、この組合せにおいても同じ傾向であったが、SL10とのコンビでは、それが、やや、好ましくないほうにいくようだ。とういよりも、これがスレッショルドの志向する音の方向なのだろうが......。私個人の好みからすると、もっと明解で鮮烈な響きであってほしい気がする。たしかに、キメの細かく、スムースな、艶と柔軟性をもった品位の高い音ではある。ヴァイオリンの音が、やや、ウェットで、擦過音が押えられ、少々太い響きだし、ピアノの音も丸みがあるのはよいのだが、鋭いタッチの輝きが、甘く重いムードになる。アカペラのコーラスを聴いたが、本来の明晰な軽やかなソノリティが、重厚で深々としたものになった。こういう音の質感、色彩感といった領域になると、もう完全に個人の嗜好の問題といわざるを得ない。音のように無限の表情、質感、色合いをもつものは、単純に、ある素性だけをよしとするわけにはいかないと思う。しかし、数々のレコードを聴いて、そのどれにも、ある種の癖らしい固有の質感があまり強くつきまとうというのは感心出来ないのである。
 スレッショルドのアンプは、パワーアンプのほうが好ましいというのが私の結論である。4000カスタムについては、第一級のパワーアンプであることを認めよう。しかし、SL10プリアンプのほうは、同列に評価するには抵抗があった。それにしても、不思議なことに、ハイスピードを標榜するアンプの多くが、一様に、眠たい、もやっとした傾向の音を聴かせるのはどういうわけだろう。ライズタイムやスルーレイトだけを追求する立場からは、それが本物の音だという主張が生れるであろうけれど、それは音を理屈で云々することになりはしないだろうか。立上りと立下りのバランスによっても、音の傾向は変ってくる。バランスをくずしてまで、立上りがよくなってもいけないようだ。

QUAD 44, 405

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菅野沖彦

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか 最新セパレートアンプ32機種のテストリポートより

 全体にナローレンジの傾向をもつ、聴きやすい音だ。節度と品位のある鳴り方で、音楽の重要な骨格はきちんと聴かせてくれる。特性のよさが表に出た機械的な感触の音よりもはるかにいいとはいえるが、現代的な音楽では物足りなさが残る。
菅野沖彦

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか 最新セパレートアンプ32機種のテストリポートより

 製品としての完成度の高さの点で、現在、マッキントッシュのアンプの右に出るものはないといってよかろう。デザインのオリジナリティと、そのクォリティ、コンストラクションなどの総合的なバランスのよさは、まさに、専門メーカーとしてのキャリアと風格を証明し、アマチュアに毛の生えたような製品の多い昨今、ますます、その存在が輝きを放っている。仕上げの高さ、創りのよさといった見地からみると、アンプに関して、いまや国産の高級機を凌ぐ外国製品の数は、それほど多くはない。前述した、アマチュアに毛の生えた程度の作りの粗さや未熟さは、メーカー製にはあってはならないものだろう。真に価値のあるものは、中味にふさわしい外観、外観にふさわしい中味の各々相まって然るべきである。音さえよければそれでいいという考え方は未熟である。それも、買い手がいうのならまだしも、作り手や、売り手が口にすべきことではない。ましてや、作りの粗さや雑なところが、いかにも専門メーカーの小量生産品らしくてよいなどというのは、詭弁以外のなにものでもない。外観の風格は、中味の充実からくるものであるし、その品位と重みといった雰囲気は一朝一夕に出来上がるものであるはずがない。マッキントッシュの製品は、こういう観点から見た時、真の一流品、高級品といえる数少ない現役製品のひとつだ。
 このC29、MC2205という製品は、現在のマッキントッシュのラインアップのなかでは最も新しい設計による矢野で、一貫したマッキントッシュの風格は、その外観にも音にも堅固に生き続けている。
C29の特徴と音質
 C29コントロールアンプは、価格的にみればC32の下のクラスということになるが、必ずしもC32の普及モデルというのではなく、むしろ、C28の新型が、このC29で、C32は新しいコンセプションによるニューモデルと考えるのが妥当であろう。それは、コントロールアンプとしての機能や、音の上からも肯定できるところであって、C32の豊潤な艶は、従来のマッキントッシュのサウンドとはやや異質だし、コントロールアンプとしてはコンセプトの異なるものだ。また、多分割のバンド型トーンコントロール機能も、マッキントッシュ伝統のものとはいえない。その点、このC29はオーソドックスで、シンプルなコントロールアンプで、必要なファンクションは完備したマッキントッシュ伝統のコンセプトを反映しているものである。グラスパネルのイルミネーションは、いまさらいうまでもなく、ユニークで美しく、機械の精度の高さをよく表現し、かつ、マッキントッシュのガウ社長のいう「エモーショナルレスポンス・フォー・ミュージック」を感じる心に豊かに呼応するフィーリングである。従来の同社のコントロールアンプは、いわゆるS(スイッチ)付ボリュウムを使っていたが、新シリーズから、パワースイッチとボリュウムは分けられ、プッシュ式の角型スイッチで電源のオン・オフをおこなうようになったのは好ましい。S付ボリュウムというのは、たしかに普及品のイメージに連なることは否定できない。パワースイッチにふれたついでだが、このプッシュボタンの色は、あまり好ましいとはいえない。新シリーズの出始めの頃は、他の一群のプッシュボタンと同じ、黒であったが(私が現用しているC32はそれだ)、見分けにくいということで、現在の色にしたらしい。しかし、この赤茶のような透明感のない色の質感は、マッキントッシュにしては、少々不満なクォリティであると思う。
 そして、音は、充実した質感......いかにも中味がつまっているといったソリッドネス......力と重みのある堅固な造形感をもった音像再現の見事さといった、マッキントッシュ・サウンドに、明るい陽光が射し込んだような、透明さが一段と冴え渡るようになったフレッシュなものなのである。
MC2205の特徴と音質
 新しいマッキントッシュのアンプに共通していえることだが、コンストラクションの確かさは、その精選されたパーツとのコンビネーションで最新のエレクトロニクステクノロジーをオーディオ的に洗練し、見事な再生音楽のリクリエイトに成功している。その伝統ゆえに、古い世代のアンプという偏見をもつ人がいるが、愚かな認識である。確かに、マッキントッシュは、実験的な突飛なパーツや回路は採用しないが、これは、同社が、製品の信頼性と、音楽の豊かな情緒的再現を重視しているからである。ポルシェが、市販車にターボチャージャーを装備したのは、大変な実験とレース実績の積み重ねをしてからであった。BMWが、それより先にターボチャージャーを装備した車を売り出し、そのレスポンスのタイムラグや故障のために生産を中止した事実とは対照的である。マッキントッシュのプロダクションの考え方には、これと一脈通じるものがある。やれDCアンプだ、サーボアンプだと大さわぎをしてはいるが、はたして音はどうなのだ? はたしてオーディオにとって本当に有効な技術進歩かどうか? そんなことは半年やそこいらで結論が出るものではないだろう。往年のマランツやマッキントッシュほどのものになると、10年前の製品でも、オーディオ機器として最新の製品と堂々と比肩する性能をもつものである。人によっては、昔のもののほうを高く評価するという事実もある。
 MC2205は、こうした音とテクノロジーの関連を、マッキントッシュらしい慎重さと、豊かな想像力で検討し、有能なエンジニア達が、古くからの体験に基づき、よいものを大切に、新しいテクノロジーの中から厳重に選択したポイントを盛り込んで作り上げられただけあって、外観も、お供、まさに威風堂々の充実感を覚える力作である。これらのすべてが、今回のテストで改めて如実に確認できた。

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