「戻ってこれたぁ、戻ってきました」
25年ぶりに、菅野沖彦氏のリスニングルームに入られたときの、川崎和男氏の言葉が――あえて繰り返すが――「戻ってこれたぁ、戻ってきました」である。
25年の歳月は長い……、けれども川崎氏の言葉は大袈裟じゃないかと受けとられる方もいるだろう。
1324日――、私(『audio sharing』の宮崎)が、菅野沖彦氏(オーディオ評論家)と川崎和男氏(名古屋市立大学大学院教授・医学博士・デザインディレクター)の対談をやりたいなぁと思った日から、実現するまでの日数。
1998年11月18日――、今回の対談の発端となった文章を読んだ日である。川崎氏がMacPower誌(アスキー社刊)に連載されている『Design
Talk』に書かれた『得手』というタイトルの文章だった。
「男ならカー・カメラ・オーディオ・オートバイ」という言い方を私は口癖にしている。男はこうしたモノへの興味、執着心のようなものを感じるということだ。
このほかにもまだある。ライター・万年筆・腕時計・自転車・模型機関車(私はメルクリンのZゲージに限るのだが)・モデルガン・釣り具・サングラス・スポーツ用品など、いずれも趣味性を超越してモノとして収集する対象だ。
これらに携帯電話やモバイルコンピューターも加えて、次々と新製品を収集し出す。もちろん、こうしたモノの収集にはそれ相応のお金がかかる。車なら「いつかはフェラーリ」(私はランボルギーニ)だが、それを所持できる人は限られている。今は買えなくても、そうしたモノへの憧れや執着心がバネになって、金儲けをしようという人もいるだろう。
キティちゃんグッズも集めた。軽くなってきた携帯電話にキティちゃんグッズがジャラジャラ。とても携帯できるものではない。情報社会のモノのデザインについての講演では、これをいわゆる「デジジャラ」=デジタル製品にキャラクターグッズをジャラジャラするほど付けることがなぜ流行りだしたかを解説する際のサンプルに使っている。またドラピッチこと「ドラえホン」やドラえもんグッズから、米国で最も多くのエグゼクティブが選んでいるモトローラ社のブルーの携帯電話、そしてベンツの携帯電話までを採り上げ、所有性や使用性、ブランド戦略デザイン、デジタル技術への不安感という下意識、などを例示できる。
ドラえもんグッズにウルトラマングッズ、それにさまざまなタマゴッチとその類似品、これらもすでに「ロボット」になり始めているから収集している。ホテルのボールペンや、ポーカー専用のトランプカードも対象だし、デザイン用具もいろいろ集めている。色鉛筆はセットでいくつも所有しており、しかも使っていない。眺めているだけで美しいのだ。使用することと所有することは訳が違う。
いよいよ、たくさんのモノがたまってきた。50歳近くになって、収集物が氾濫してきている。
愛犬の彩(かざり)と祭(まつり)のためのぬいぐるみは、彼らにとっての噛み心地を推測して買い求めた。その結果、いつの間にか部屋にいっぱいころがっている。ニューヨークのF.A.Oシュワルツで買ったぬいぐるみを持っている犬はそういないだろう。
でも、祭は流行にビンカンなのか、ピカチュウのぬいぐるみがお気に入りのようだ。しっぽが取れたちょっと汚れたやつで、「投げてくれ」「ワン!」と何度か遊ぶと、もう飽きたといってピカチュウに首を載せている。「かわいいだろう」という具合に。
収集とは「何が足りないかを考え、まだ手に入れていないモノを知り尽くしていく」という行為である。
私の場合、デザイナーとしてまずは所有し使用してみなければ納得がいかない。そうすることが、自分だったらこんなデザインにしたいというアイデアの蓄積になる。
社会人になって、サラリーマンデザイナーとしてスタートした私は、「オーディオ機器」のデザインが好きだったことから、(株)東芝でハイファイ・オーディオのデザインをしていた。いわゆるハードウェアのデザインである。
しかし、あるときレコードの録音技術から盤の素材までが気になりだした。そこで、東芝EMI(株)のレコーディングスタジオで、ミキシング技術の手ほどきを受けた。もちろん当時はアナログだった。そして、デジタル録音やPCM技術、マイコンチップの登場時に交通被災者となって東芝を去った。
カートリッジからスピーカー、マイク、ヘッドホンとずいぶん商品化してきた。オーディオブームだったから、全国の主要都市でショールームの設計やオープニングイベントなどの企画・演出も行った。そんなこともあって、レコード販売会社からは毎月サンプルレコードが私あてに送られてきた。オーディオ評論家の先生たちからも、「レコード再生」についてのうんちくはずいぶんと勉強した。
現在でも、JBLのスタジオモニター「4343」をメインにしている。すべての部屋にそれなりの音響システムがあり、音楽を聴くというより「音質」を確かめてしまうというクセから抜け出せない。
音響システムに対する熱はしばらく冷めていたが、最近とてつもなく面白い音響理論で実現されたスピーカーやアンプを聴いてしまった。「焼けぽっくりに火がついてしまった」。
こうなると、もういけない。自宅の音響システムが気になってしまって、あれこれとまたシステムを再構成し始めている。もうパソコンの音など、とても耐えられるものではない。持っているCDも「音質チェック」というカテゴリーで分類を始めている。
車の中はいわば局部音場だから、ここでも音質をチェックしたいCDを聴いている。ピアノ、ベース、ドラム、パーカッション、そしてボーカルまで、CDによってはわざわざ車に乗り込んで音質をチェックする。結果をメモしてデータベースにしようかなどとも考えている。もちろん、この革新的な音響理論をコンピューターで実現する計画である。
アナログ時代の音響再生に関する経験を基に、デジタル時代の革新的な「音質設計」ができそうだ。20年ぶりに、音響システムをデザインできる可能性が出てきた。
アスキーの西和彦取締役も、音響には一家言を持っている。会うと、もう「音響」の話ばかりしている。コンピューターの未来に音響が不可欠であることに始まり、USBでのサウンドコネクションから、再生のための音響のあり方にまで話が及ぶと、たまらなく楽しい未来論になっていく。
「コンピューターの西」は知られているが、「オーディオの西」は知られていない。彼のマニアぶりは、コンピューター以上(異常)かもしれない。
USBへの移行は、ひとつのインターフェース革新だ。今こそ、コンピューターと音の議論を開始しなければならない。
年齢のためか、クラシックやオペラが体質的にもなじみだしている。20代のころは、クラシック音楽といえば、華美な感じの音ならまあ音質チェックで「音」を聴いてもいいか、という具合だった。
「レコード演奏家」というグループがある。かつて東芝マンだったころに何度も試作品の音質を確認してもらったオーディオ評論家のS・O氏が主宰されている。同氏には、車・パイプ・西洋人形という収集品についても彼なりの美学を聴かせていただいた。生意気盛りの私は、そこからモノの美学性を衝撃的に学ぶことができた。
S・O氏からいただいたLPレコードは宝モノになっている。また、日本でもトップのミキサーである彼の推薦新譜批評は読み続けてきた。いずれ、また会える機会が必ずあると思って楽しみにしている。
当時はイヤなオーディオ評論家もいた。そんなやつに限って私のデザインを全面否定した。否定されたからイヤな評論家だというのではない。その評論家の趣味性や音・音楽・音響の「得意」性を疑っていたのだ。S・O氏は、初対面でこの人はデザインが語れると直感できた人物である。
もう私などS・O氏には忘れられてしまっているかもしれない。オーレックス('70年代の東芝のハイファイ・システム)ブランドで、エレクトレットコンデンサー・カートリッジのアンプ「SZ-1000」のデザインについてアドバイスをいただいた。その機種が私の東芝時代最後のデザインとなった。
「レコード演奏家」というのは、実に良い名称だと感じる。それならば、コンピューター演奏という領域の定義を、「レコード演奏家」からご教示してもらう必要がある。
確かに、技術はDVDによるマルチメディア(大嫌いなことば)、いやメディアインテグレーションへと進化してきた。しかし、かつてのオーディオブーム時代の蓄積は、得喪してしまっている。無念なことだ。
コンピューターやビデオ・映像関連のマスコミにも、この「再生=演奏」を批評するための知識的基盤はまったくない。映像と音響も統合しなければならない時代に入っている。
すでに郷愁かもしれないが、オーディオは私が得意とする分野だ。
デジタル時代になって、アナログ再生に深く関与できた青春は終わったと思っていた。しかし、今この得意領域に立ち戻るつもりだ。それは、20年間もの醸造時間をかけてきた祈念ですらあるわけだ。
CRTモニターや液晶モニター、プラズマモニターをデザインしながら、音響については空洞感が残っていた。それを埋めることができるかもしれない。
得意とは、何を喪っているかの裏返しであり、当然ながら技術はこの得喪のバランス上で進化していくものである。
収集という行為は、何をまだ所有していないかを自己確認することに等しい。これと同様に、得意とは、何が欠落しているかを知り尽くしているから自克できる能力のことだ。得意な領域があればこそ、自分が不得手なこともわかるわけだ。そこから「得手」になっていく方法を見いだそうという発想が生まれ、実践していくことになる。
デジタル時代になって、音響の革新がようやく始まる。その革新のために、私自身が「得手」になるための術を知り尽くさなければならない。不得手を克服することが最初のスタンスだろう。
音響デザインを「得手」と感じていたのは、アナログの時代だ。デジタル時代の革新的な音響デザインのために、不得手であることを再確認する時期が私に訪れたのだと思う。
まだまだ不得手なことがあることに気付いた。しかもそれは得手だった音響についてのデジタル化のデザインがテーマだ。最も得手になる、それもトップクラスの得手になる自分を早く発見したい。
(MacPower 1998年12月号より。川崎和男氏とMacPower編集部の許諾を受け、全文引用しています。)
レコード演奏家を主宰する「オーディオ評論家のS・O氏」――、菅野沖彦氏のことである。
菅野氏と川崎氏との接点があったとは……。しかも川崎氏の「東芝時代最後のデザインとなった」エレクトレットコンデンサー・カートリッジ専用のフォノイコライザーアンプSZ-1000のデザインについて、菅野氏から「アドバイスをいただいた」とある。
この文章から溯ること4年前。1994年、赤坂の草月ホールで行われた川崎氏の講演会。Aurex(オーレックス)時代にデザインされた製品のスライドがスクリーンに映されていく。まず「Aurex」のロゴ、それからヘッドフォンやスピーカーユニット、そしてSZ-1000。つづくスライドもSZ-1000だが、天板をはずし、その内部がスクリーンに映された。
SZ-1000の内部は、デザインされた美しさがある。内部をていねいにつくった見事なアンプはあるけれども、積極的に内部までデザインされたアンプとなると、SZ-1000しか私は知らない。
SZ-1000の各ブロックはそれぞれ機能別に色分けされていて、たとえば電源部はエネルギーの源――つまり自然界で言う大地にあたるので――緑色というぐあいに。ヨーロッパ(たしかデンマークだったと思う)のデザイン雑誌に日本のデザインはここまで進んでいる、と取り上げられた、と川崎氏は話された。
そのSZ-1000に、菅野氏がアドバイスされている。どんなアドバイスをされたのかは『得手』からはうかがえないが、これだけでもおふたりの対談を、ぜひ読みたいと思った。
さらに川崎氏は、菅野氏から「モノの美学性を衝撃的に学ぶことができた。」とも書かれている。
デザインとデコレーション(修飾)は違う、デザインとは「かたちに集約された生活、生き様の理念や思想である。」(MacPower 1994年8月号より)と語られる川崎氏。
「音は人なり」と語られる菅野氏。
実を言うと、この『得手』がaudio sharingをつくる動機のひとつになっている。
『得手』を読んで、菅野先生と川崎先生との対談、おもしろくなるだろうなぁ、もしかなうなら自分でやりたいなぁ、と思うとともに、絶対おもしろくなるおふたりの対談、きっとMacPower誌かステレオサウンド誌がやるだろうとも思っていた。
それから約1年が経過しても、どこもやろうとはしない。このころから「やりたいなぁ」から「やりたい」へと意識はかわり、おふたりの対談を実現する「場」を持たなければ、その「場」をつくればいい、インターネット上にその「場」(Webサイト)をつくろうと思い立ったのが、1999年末である。
2000年8月16日――、audio sharingを公開。
2002年6月1日――、五反田の東京デザインセンターで開催されたE-LIVE。コンピューター・ディスプレイの専門ブランドEIZO主催の催し物で、川崎和男氏のトークショーが行われた。川崎氏の話をきいているうちに、菅野氏との対談を「やりたい」から「やる」に気持ちは変わっていき、終了後、川崎氏に「菅野先生との対談をやっていただけますか」と……。
2002年7月4日――、菅野沖彦氏のリスニングルームで、ついに対談が実現した。