菅野 今日の対談の前に、彼(audio
sharingの宮崎)があなたの本三冊(「デジタルなパサージュ」「プラトンのオルゴール」「デザイナーは喧嘩師であれ」、いずれもアスキー社刊)とビデオ(NHK教育放送の「ETV2002」を録画したもの)を送ってきてくれて、それらを読んでほんとうに感心しました。
あなたの車椅子になってからの人生というのは、できるかぎり多くの人が知るべきだね。
川崎 そんなことはないですけども。
でも、なんとか、ほんとうに、ほんとうに生き長らえたなと思っています。
菅野 神は試煉をくれるよね。
川崎 はい。
菅野 試煉をくれる。その試煉にたえることに価する人間に、試煉をあたえる……。
だから、いま会う人みんなに話している、川崎さん、あなたのことを。こういうすごい人がいるということをね。
あなたの本を読んでいて思ったのは、あなたはデザインというものを、専門のデザインフィールドとして捉えてないですよね。
川崎 (すこし笑いながら)そうですか。
菅野 人間の生きる社会、地球という問題として、デザインがこれらに関わりあって、影響を持つべきものという捉え方をされていますよね。
だから、あなたの本は、誰でもわかると思う。難しい言葉を使っているんだけど、言われていることは、誰にでも関係のあるところから見て語っておられるから。
それは、あなたの持って生まれた資質だと思うんですね。だから、あなたの東芝(オーレックス)時代のデザインにぼくは何か感じたわけです。魅力があったわけです。
川崎 東芝時代、営業の人たちとオーディオ評論家の方のところをまわっていたんですが、菅野先生のところに伺えるのが、いちばんの楽しみだったんです。
菅野 あなたと会った最初からピンと来たわけ。この人はやれる、この人はできる、俗な言葉だけど、センスがいいと、理由なしでそう思った。もっといいものを作れるという直感的なものがあった。だから川崎さんには、オーディオ以外の趣味の話をする気になった。
川崎 先生が試作品をみて営業の人たちに、「こんなものじゃだめだ、この人の言う通りに作ってやれ」ということをおっしゃっていただいたり、試聴が終わったら、先生はぼくに、「君、このレコード、あげるよ」とか、またパイプをみせていただいたり、西洋人形をみせていただいたりとか、ここ(菅野氏のリスニングルーム)で、趣味とは何かというのをたたき込まれたというか……。
菅野 オーディオ機器というのはアマチュアの世界で手作りの時期が長いものだから、そこにデザインをはめ込むという余裕はまったくなかった。メーカーが作りだしてきてから、デザインが問題になってきたわけでしょう。そんなことがあってぼくたちは呼応したんでしょう。それできっとパイプや西洋人形の話をしたんでしょう。
そのパイプの造形だけど、これそのものが人間の体の一部みたいに思えるんです。お腹の中にありそうでしょう。男の性器だという人もいるよね。ぼくは、アンネ・ユリエというデンマークの女流パイプ作家と親しくしていて、これは彼女の作品だけど、このボールのカーブというのは、彼女の肉体そっくり。これはモノとして昇華はされていない、きわめてナチュラルな、素朴なものなんですけど、そういうものが、そうとう前衛的で未来的なモノの中にもきっとあるんじゃないのかな。それがぼくに語りかける。
モノを見るときに、形の前に飛んでくる何かが、ぼくにはひじょうに大事。いい言葉が見つからないけども、簡単に言ってしまえば、フィーリングなんだけどね。
そういう感覚で、川崎さんのデザインをいいと思った。
川崎 トグルスイッチに指をかけたときの感触やボリュームをまわしたときの感触……。それからパネルのヘアーラインの仕上げひとつとっても……。
菅野 ツマミひとつが大事なんです。
川崎 そうですね。
菅野 ツマミは肉体と接触するわけだから、その接触感、まわしたときの感触、適度なトルク、それからカラカラカラとまわるのか、ねちねちなのか、ジャリジャリなのか、そういうところが、ほんとうに気になるほうだし、それに聴くのが音楽でしょう。音楽は人間表現でしょう。
川崎 ええ。そういうことはここへ来て先生に言われて……。音楽を聴くときの瞬間、スイッチをいれるときはこうだろうという話をされると、「あっ、それだ」という感じで、先生に教えられました。会社では、営業は、パイオニアがこういうことをしているとか、あの会社はこんなことをしているというそんな話ばかりでしたから、そういう話をできるここへたずねてこれたというのは、自分にとってみると、オーディオを選んだことも、二十歳代でデザインの世界に飛び込んでいくうえでは、すごくいいきっかけになりました。
菅野 でも、そこまでは、あえていえばどうってことのないストーリーなんです。ぼくはやっぱり、会えなくなった、この四半世紀の、川崎さんの努力と実績、これはドラマティックである。これはオーディオの対談かもしれないけど、オーディオそのものじゃなく、人生のオーディオですよね。
ぼくなんか、ろくに進歩していないんだけど、その間、ほとんど別人のように、ふつうの人間では考えられないような努力で、現在の川崎さんができあがった。
だからその後の川崎さんの人生というのは、素晴らしいと思うわけね。やっぱりお話いただきたいな。これを読む方に、絶対必要です、ぼくはそこがいちばん大事だと思う。
タクシーに乗っていての事故ときいているけど。
川崎 はい、タクシーです。
あの当時、ガウスというスピーカーメーカーから東芝に売込みがあったんです。JBLを飛びだした連中がガウスの研究所をつくったというので、ぼくはオーディオにのめりこんでいましたから、他の連中が行くヨーロッパじゃなくて、ガウスに企業留学したいと。それが決まって、チーフの家に「来ないか」ということで行って、夜遅くタクシーに乗って帰る途中、交差点で、うしろから酔っ払い運転のトラックが追突してきた。
救急病院に入れられて、そのときにも、二回ほど死にかかったみたいなんですけど。
半年救急病院にいて、それから綱島にある関東労災病院でリハビリテーションを受けることになったわけですが、一年半ぐらいかかると言われた。そんなに長くいられないと思って、なんとか半年で出られる方法をさがしていたら、ベトナム戦争で負傷した人のためのリハビリの方法があるということを知って、アメリカの原書を手に入れて、それを引受けてくれる三人くらいの若い人たちが、ものすごくつらいけどやってみる?、ということで。
半年、そのリハビリをやって、退院したらイラストレーターになろうと思ってたんです。そうしたら、当時レコード針のナガオカの二代目の若社長が病院に見えて、「君、独立しないか。赤坂に事務所も借りるから、それで来てくれ」と。
当時すでにCDの話が出はじめていましたから、レコード針をやりながら、CDのピックアップの開発をやるべきだと企画書を書きまくって説得をやっていたんですけど、途中から銀行が入りだして、意にそわぬ仕事をやれと言われるようになった。ぼくは死んでも枯れても、ヘソの下で商売なんてやりたくない。それで、その日、お金を持って帰らないと、そのとき十人くらいスタッフを使っていましたから、もうつぶれるなと思ったんですけど、お金はいらない、顧問も辞めると取締役会で言ったんです。事務所にもどり、スタッフたちに今日で解散、おれは福井に帰ると……。
それが東京を離れるきっかけだったし、東京を離れるときは、むちゃくちゃ口惜しかったですね。
菅野 そうでしょう。
川崎 落ち武者になるという感覚があったし、東芝時代の同期は、企業留学してヨーロッパに行っている……、福井に帰っても、デザインの仕事なんか何もないんです。
東京にあるものしか、福井にはこれがないというものしか気がつかない。それが途中から、伝統工芸に出会ったんです。越前打刃物、700年の伝統。その産地に単身飛び込んだ。でも職人さんたちはデザイナーになんて、口もきいてくれない。三ヶ月くらい口をきいてくれなかったんですけど、包丁づくりを一新する覚悟でやりまして、結局、三年くらいかけてやって、その成果を東京に持ってきたら、デザイン賞をいただいたんです。
それらは西武の堤さんの目にもふれたし、海外からも注目されて、あとは伝統工芸の越前打刃物、越前和紙、漆器とやってきましたが、根底にはやっぱりオーディオをやってきたというものがあったものですから、ツマミひとつスイッチひとつにこだわるように、それこそ包丁の刃先ひとつにこだわる。
菅野 わかりますね。
川崎 職人たちが、ひじょうに狡くなっているんですね。手作りだからばらばらでもいいんだという考え方で、きれいに仕上げない。
菅野 なるほど。
川崎 ぼくは「それは手芸だ」と言って、パッケージで攻めまくった。パッケージをきちんと作ると、寸法が合わないとパッケージに入らないものがものが出てくる。それに江戸時代のものを見れば、手作りのものは寸法ひとつ違っていない。いくつあってもきっちりつくられている。
菅野 大事なことですね。手作りだからばらばらでいいとか、ばらばらだから手作りだ、みたいなことが言われているけど、これはまったくすり替えになっている。
川崎 なっていますね。十年がかりみたいな形になったんですけど、彼らを説き伏せて、それでいまは刃物作家も出てきて、タケフナイフビレッジという産地も作って……。
菅野 紫式部の武生、ね。
川崎 はい。あそこに工場を建てるところまで、全部彼らを導きました。
と同時に、やっぱりコンピューターのことが気になっていたし、たまたまアメリカで、伝統工芸が評価を受けて、むこうのデザイン雑誌に載っていたものですから、電話をかけ飛び込みで、それを見せながら、これをやったのはおれだ、みたいな。向こうは自分を表現しないといれてくれませんから。
まだOS(オペレーティングシステム)もまだ定かじゃない時代の話です。
菅野 おもしろいね。伝統工芸からコンピューターへ。アップルは出ていました?
川崎 まだApple IIの時代です。1984年にMacintoshの128Kが出たときに、これだろう、と。これはパソコンになりえるだろう、と。もうひとつエンジニアリングワークステーションの方で、UNIXというOSが出たときに、たぶん全世界でこのUNIXになるんじゃないかと予測を立てて、それでパソコンとUNIXを両方をやろうと。それにぼくの体で今後デザインをやっていくには、コンピューターなしではダメだろう。でもなんにも知識がないわけですから、アメリカに直接見に行ったほうがはやいだろうということで、飛び込みで、ハードウェアの会社やソフトウェアの会社に行っているうちにネットワークがだんだんできるし、そんなことを福井新聞のコラムにちらっと書いたりするんです。
すると、どっかに飛び火するんですね。
あと、パソコン雑誌に書かれているパソコン通信の記事に、間違いが多くて、それに関しては編集部に電話をかけて、それは違っているんじゃないかという話をすると、なんか変なやつが福井にいるというんで、たずねてくる。アスキーの西もそういうふうにたずねてきてくれた。
結局、気がついたら、デザイン界では最初にコンピューターをやっていました。
ですから机の上には、伝統工芸の和紙だとか包丁が並んでいるんですけど、片方ではコンピューターがあったりして。
それにコンピューターの方は、福井キヤノンの社長が高校時代からの親友だったもので、当時、ぼくは買えなかったんですけど、彼が提供してくれる。
そういう意味では福井銀行も手助けしてくれて、アメリカで、それこそ当時7000万円くらいするコンピューターでも、頭取に、買って帰ってもいいか、みたいな話をしても、当時はニューヨーク支店を開設したりという、ちょうどバブルのころだったから、おもしろいから持って帰ってきなさい、とか。
そういうモノを車椅子の人間が行って、これ買うよ、という話になるから、アメリカでも、ちょっと変なのがいるという話にもなりました。
まわりにはけっこう支えられました。
菅野 なるほどね。
川崎 そんなことをやっているうちに、コンピューターのデザインにもタッチするようになって、東芝のダイナブックのスタートのところはタッチしていたんですけども合わなくて、今度はナショナルから呼ばれて、これもすぐに喧嘩してやめたんですけど、もう日本ではコンピューターのデザインもできないと思っていたら、Appleのスカーリーに会わないか、という話が来て、スカーリーが日本に来たときに会わせられて、話をしたら、彼が、ぼくのポートフォリオを送れ、と。送ったら、すぐに来い、と言われたんです。
菅野 なるほど、なるほど。
川崎 すぐにアメリカに行きまして、プロジェクトに加わり、2年半ほどやってたんですけど、Appleの経営者たちがペローを大統領にするというのに、彼だけがクリントンを応援していたんですね。
クリントンの就任式の時に、横にスカーリーがすわっているのを見て、これはひょっとするとうわさが本当になるかもしれないと思ったら、スカーリーが首を切られた。すると、ぼくのほうの顧問契約もバッサリ。
菅野 そうですか。
川崎 その途中で、毎日デザイン賞もいただいたし、これからコンピューターをやるとすると、自分でも限界を超えているから、大学に行かないと無理だと思っていたら、たまたま名古屋市立大学に芸術工学部ができるから、来いといわれて、これだけコンピューターを買ってくれるかときいたら、買う、と。それから、これも買ってほしい、と言ったのが、2億円くらいの機械なんです。
アメリカのコンピューターメーカーを渡り歩いているときに、小さな歯車を見たんです。1987年に、「これ、見せてあげる」と言われて、「これ、何?」ときいたら、コンピューターで制御するレーザー光線をあてると、こんなのができると言う。うそだろうと思いましてね。大学とエイリアスという会社が開発していると聞いたときに、いまは歯車だけど、これが立体になったら、デザインは変わっちゃう、と思いまして。
いままでは二次元のスケッチを描いて図面を起し、モックアップをつくって……というプロセスが、3D-CADのデータをそのまま立体にできる。光造形システム(ラピッドプロトタイピング)で、とんでもなく、ものすごい革命が、プロダクトデザインの世界に起こるんじゃないかという予感があったので、この情報だけは絶対に追いかけてやろう、と。でもその情報というのはあんまりないんですよね。アメリカに行かないかぎりは。
菅野 そうでしょうね、本場に行かないとね。
川崎 雑誌もないし……、結局、大学から声がかかったときに買ってもらって、他の先生方というか、学部長クラスは、「おまえ、これで何をやるんだ」と言われたんですけど、ぼくはそれで幾何学をはなれて、トポロジー(位相幾何学)空間論をやると言って、一年半くらい経ったときに、クライン・ボトルというモノをつくって、構造力学の先生に「できあがった」と言ったら、「おまえ、そんなものがなんでできるんだ。四次元の世界みたいな、数学の理論がなんでできるんだ」と言われたので、ぼくの研究室に来てもらって、彼の目の前にパッと置いたら、黙りこくっちゃって。
菅野 あの造形というのはたいへんなんですね。
川崎 その先生に「これをいま日本で発表したらどうなる」ときかれたから、「誰もわからないでしょう」と。「デザイン界ではどうだ?」ときかれて、「そんなの誰もわかりませんよ」と言ったら、「おまえ、すぐアメリカに行け」と言われて、アメリカの友人に手紙を書いて、こういうモノをつくったと伝えたら、彼がニューヨークに来いよと言ってくれて、行ったら、ものすごいイベントが組まれていて、びっくりして。
菅野 準備されていたんだ。
川崎 「川崎がすごいことを発表する」ということになっていて、アリゾナでバイオスフィアーをやっているジョン・アレンが来ていて、彼とサイエンス・アンド・デザインみたいな対談になりまして、それが全米で、ニューヨークですごい話があった、となって、四つくらいの大学がチケットを送ってきて、見せに来い、というわけです。
来いというから面白半分で見せていたら、フィラデルフィアの芸術大学、フィラデルフィアはアメリカでは医学の発祥の地で、フィラデルフィアには医学博物館もあったりするんですけど、そこの名誉教授の先生が最後に手を上げられて、「君、それをつくったのはよくわかるんだけど、人間界のなんの役に立つんだ?」ときかれたんですよ。
でまかせで、アーティフィシャルオーガン(Artificial Organ)だと言ったんです、人工臓器だと。さらに「来年くらいにそれが見られるのか」と聞かれて、「たぶん来年には原型を見せられる」と言っちゃったんですね(笑)。言ってしまったあと、帰りの飛行機の中で、どうしようと思って本当に考え込んで……。帰ってきて、親しい医学部の助教授にそれをもっていって、「ねえねえ、これ、人工心臓にならないか」と言ったら、彼が手にとって、「どこが?」という話なんで、「ここが心房で、ここが心室」みたいな話をしていたら、「すごいよ、なるよ」と。
その彼が当時の学長に話しちゃったんですね。
あるとき学長が来て、「この研究室か、いちばんお金を使っているのは。何の研究やっているのか、見せろ」と言うんで、クライン・ボトルを見せて、「これ、何するんだ?」ときかれたので、「人工心臓をつくる」って言ったら、「おまえの世界ではどうやるんだ」と言うから、「まっ、プロモーションビデオですね」みたいな(笑)。
菅野 (笑)
川崎 「なんだ、そのプロモーションビデオは」と言うから、「それは音楽入りでパーンとやりますよ」と。そうしたら「おまえ学者だろう」と、「いや、僕はデザイナー」と言ったら、「学校に入っているかぎりは学者だ、論文書け」と言われまして。
「論文なんて、書いた本人しか読みませんよ」とぼくは言ったんです。「ともかく論文を書け」と言われて、論文を書いていたら、学部長とか仕掛け人の先生とかが、突然部屋に来て、「君が書いている論文は学位論文だ」。「それは医学部が引受けてくれる。医学博士、どうだ?」と。
ところが医学博士をうけるためには、最初の難関があるんですね。医学の専門英語の試験を通らなければならない。60点以上とらなければいけない。どうやって勉強するんだと思いましてね。
しょうがないんで、アメリカに行くと、医学の専門の書店があって、そこを知っていたもので、一週間くらい通いまして、毎日そこで、なにか一冊、本を見つけてやろう、いちばん薄いのがいいとかね(笑)、そんなことしか考えないので。
精神医学だけは、単語がむずかくして、よくわからない。そこだけはカットしてしまって、一通りやって、試験を受けたんです。
菅野 (感心されている)
川崎 試験は辞書持ち込み可なんですね。それで「電子辞書はいいのか」ときいたら、「だめだろう」と言われて、でも電子辞書でいいやと思って、ただ音がしますからね、それで前日に音を消したんです。そうしたら、ローマ字入力(日本語入力)がこわれて、使えなくなった。
菅野 (笑)
川崎 それがいちばんあせって、でも試験問題を見たら、たまたま自分がちょうど生理学で絞ってやっていたところが、呼吸と血液と循環だったもので、循環は人工心臓をやっていたもので、「こんなの全部わかるわ」みたいな感じで、それで隣をみたら、まだ半分くらいしか書いてない。「おれ、勘違いしているのかな」と思いながら、最後時計を見たらまだ10分も残っているので、電子辞書で、スペルチェックを三つだけしたんです。終わって、スタッフが迎えに来て、「ボス、できましたか」ときくから、「できた、百点だ」と言ったら、「また冗談を」と言うし、次の日に、教授会があって、教授会の部屋に入ろうとした瞬間に学部長と事務長が来て、「きのうの試験できたか」ときかれるので、「百点だ」と言ったら、「おまえは、またそんなバカなこと言っている」(笑)。
菅野 (笑いながら)なるほど。
川崎 25人受けて、6人くらい落ちたんですけど、トップだったんですね。それで「おれって、運がいいな」と思って……。
菅野 頭がいいんですね、それはあなたの本を読んでもそう思った。
川崎 さらに資格審査があって、これは基礎は6年で、臨床が8年なんですが、それをどう扱うという問題にぶつかって、そのときに、たまたまメガネだとか、それまでに医学関係の講演をすこしやっていたんです。それらも全部書いて、それらが資格審査に当てられた。論文も通って、最後に公聴会というのが待ち受けていまして、予測問題を作っていただいたんですけど、わからないんですよ。
公聴会に出たら、キレそうになるくらい、質問はいじめられたんですけどね。
菅野 そうですか。
川崎 それも通ったので、それからは大学人としては楽になりました。
菅野 なるほどねぇ。それにしても何度もびっくりしましたよ。伝統工芸の話もそうだし、医学博士の話もそう。
とにかく、あなたは火の玉みたいなところがあるんだな。すごい意志と情熱ですよね、それは。
それに運も強いよね。
川崎 そうですね、運も強いかも。
菅野 ほんと、たいへんな努力ですよ。不屈の魂だな。
川崎さんが人工内臓の研究で、必然的に医学の勉強が必要になって、医学博士を取られた。これを知ったときに、すごい独特の感動があったんです。
川崎さんの著書は、なるほど、デザインを支えるコンセプト、あるいはフィロソフィ、デザインの伝統みたいなものがしっかり理論が組まれて、素晴らしい本になっているんだけども、ぼくはデザインは素人ですから、川崎さんみたいにはうまく言えないんだけど、気に入るデザインというの肉感的なんですよ、どういうわけか。
そして、馬鹿のひとつ憶えみたいに、ぼくは、そのデザインにつねに人を重ねるようなところがある。それは保守的なように感じられるかもしれないけど、そうとも言えないんです。だから、なんと言ったらいいかな……。
自然が神業だとすれば、人間がやることは人工だと言われる。しかも「人工」という言葉は、あまりいい意味では使われない。
だけど、ぼくは人間が神の子じゃないか、なにも意図して生れてきたわけじゃないし、両親だって、こういうものをつくろうと思って、意志でつくったわけじゃない。その神の子がつくるのだから、「人工」というのは不自然ではないと思うんです。神の子が、自分で本当に自分に忠実にやれば、いわゆる人工的という言葉はおかしいかな、当てはまらないかな、と思っているほうなんです。
あなたが交通事故に遭われて会えなかった間に、ものすごい勉強をされて、デザインの好奇心と意欲は、ついに内臓にまで及んだ。
人体ですよね。いくらデザインすると言っても、使えない内臓をデザインしてもしょうがないわけで、まったく違うものを本来の内臓と同じように使えることを条件にしたデザインじゃないですか。
これはやっぱり肉体という自然の造形に近づくことですよね。
川崎 はい。
菅野 あなたのデザインを、ひとつひとつおぼえているわけじゃないけれども、ぼくがあなたのデザインしたモノから感じるのは、必ずそういう肉体的、肉感的なものなんです。当時あなたのデザインを褒めたとすれば、それを感じたからだと思うんです。
このことを表現する言葉はいろいろありますよね、わりと流行語になっているのは、「セクシー」なんだけど、そういう人間の技を極めていくと、そこに行くんだろうと感じているわけです。
当時、川崎さんのデザインをいいと言ったのは、あなたが自己に忠実にデザインされたからで、だから、ぼくは「営業や他の人がガタガタ言わないで、この若いデザイナーの言う通りにやらせるべきだよ」と言った。
誰でも可能性を持っている、すごい可能性をもっている。でも、ほとんど自分の可能性を自分で殺してなまけているのが人間だとも思っている。だから、絶対自分を信じて努力をすれば、自分にほんとうに忠実に何かを行えば、すごい能力を発揮すると思っているものですから、よくスピーカーやアンプををつくる人にも言っているわけです、「人のところに持ってきて聴いてもらう前に、自分で聴いて本当にいいと思ったら、持ってきてよ」と。いいとも悪いとも思わないモノをもってきて、「いかがでしょうか」というのはおかしい。あなたがいいと思うものを聴かしてもらうだけで充分じゃないか、あなたがいいと思った音がこれなのかという理解からディスカッションしたほうが、ずっと実りがあると、エンジニアの人には言うんだけどね。
ちょっと話がそれたけど、今日は会えてうれしい、ほんとにうれしい。別の川崎和男ができあがったわけだけど、ちゃんと昔の面影があるしね、うん。
川崎 「ステレオサウンド」や「レコード芸術」を見ると、菅野先生が出てらっしゃる、いつかまた会いたい、オーディオをやりたい。お目にかかるときには、あのスピーカーを完成して、先生のところにともかく持っていこう、これでもう一回先生と会えるんだ!、「先生、またオーディオ、作ってきました」と、菅野先生とはそうやって会いたいんだ! と思いで、あるスピーカーの開発に携わっていたんです。
「絶対、きっと会える日が来る」と思ったので、自分の連載(Design Talk)に、菅野先生と書くわけにはいかないから、S・O氏と書いたんです。
菅野 それがぼくのところにきたわけですよ。
あなたがそれを書かれた後のインターナショナルオーディオショウでの講演の終りに、ある青年が僕のところに来て、「これ、ぼくたちの尊敬するデザイナーが書かれている文章なんですけど……」と持ってきた。
そのとき次の講演まで時間がなかったから、そこで書かれているデザイン論みたいなものが、ぼくが普段から言っているオーディオ論とどこかで結びついて、彼らはそういうふうに思って持ってきてくれたのだと思ったから、「そうですか」とそれを受け取って、次のブースに行こうとしたら、「それに先生のことが書いてあるんです」と言うじゃないですか。「えーっ」と思ってみたら、東芝時代の話が書いてあって、びっくりした。
ほんとにこれはなにかの導きとしか言えない。それでアスキーの西さんにあなたのことをたずねて、メールで連絡をとって、あれから足掛け三年くらいたちましたか。
結局、川崎さんがやっておられたスピーカーは、世の中には出てきたようだけど、川崎さんの中ではポシャったわけですよね。
川崎 製品としては出ていますけども、元の原型からだんだんくずれていくし、それこそタイムドメインというよりもフェイズドメインじゃないか、みたいな感じになってきた。そのへんが狂いはじめてきて、ぼくとしては元の原型のままで、デザインもすすめていましたから……。タイムドメインがだめになったから、どういうふうにして菅野先生とお会いしよう……と思っていたら。
菅野 そうしたら、また別の青年……この宮崎君が、今回のわれわれの対談を企画した。こういうのは、ほんとおもしろいね。
川崎 西も、あのスピーカーにはけっこう入れ込んでいまして、「オレが正面きって出て……」みたいなことを言いますから、菅野先生がやっておられている「レコード演奏家クラブ」、ああいうところにちゃんと加わって、それで、西自体が、オーディオもそうとう詳しいと言うことをみんなに知ってもらわないと。そういう戦略をとらないとだめだと言っているうちに、スピーカー自体があんな形になっていった。
西という男も情熱を燃やしていて、アフリカの子供たちに100ドル・パソコンを、というようなことをやっているんですけど、ぼくは、彼みたい、ああいう夢を持っている、あるいはまっしぐらにすすむという男をだいなしにしてしまう日本の経営者達もひどいなぁ、と思っているんです。
彼もすごいオーディオマニアで、オーディオマニアって、ある種あるじゃないですか、なにか根底に流れている、共通したものがありますよね。
菅野 たしかにありますね。
川崎 音楽が好きだ、メカニズムも好きだ。
菅野 ちょっとフェチですね。
川崎 ちょっとね。趣味性としてはひじょうにスタティックだけども、ドラマ性のある、ひじょうに人間のほんとうの情感みたいなものを、いちばん必要とする趣味ですよね。
そういう部分を持っている人間というのは信頼ができるんです。だけど、とたんに商売になってそれで動いちゃうと、今度は逆作用を起す人がけっこう出てくるんですよね。
菅野 おっしゃるとおりですね。ある意味で、オーディオは商売にするのが、いちばんむずかしいフィールドだと思いますよ。人間のいちばん根源的なところに根差すものだから、本来それを商品にして、商いをするというのは難しくて当然なんですよね。
人間の生活に必要な実用性の高いものを商品にするほうが、まだ楽ですね。でも、そういう深いところに根差している、こういう、機械がダイレクトに人間の感性と結びついているのはめずらしいものだと、ぼくはオーディオを思っている。だからこそ、難しいんだけど。
さっき、オーディオをやっていたから、伝統工芸でも、そのこだわりの精神を生かされたとおっしゃった。これは松下電器の人から聞いた話なんだけど、オーディオがダメだということになって、松下電器でも、一時たくさんいたオーディオ部門の人たちが、いろんな部門に、たとえば冷蔵庫とか洗濯機、掃除機などの開発の部門に行った。ところが、オーディオ部門の人たちって、どこの部門に行っても頭角を現すんだそうです。大歓迎らしい。オーディオというのは、ひじょうにいろんなことを総合的に気配りをしなくてはいけないし、そのいちばん中心に愛情、情熱、これを持たなければできないものでしょう。そういうマインドが、オーディオをやっていると培われていく。
オーディオの人が、そういうふうに評判がいい。そういう意味でも、オーディオは人生の縮図だと思うし、結局目的が形のない音というものですからね。
オーディオは抽象を目的とした世界だから、そこへいろんなサイエンティフィックなテクノロジーやら、モノであるパーツの集合としての機械のまとめ方、あなたがやっておられるデザイン、そういう具体的な、具象的な手法で、どんどんどんどんものすごく膨大なものを詰めていって、結果的にできあがったものは、まったく形のないもの……。
川崎 そうです、そうです。
菅野 形がないだけに無限だから。
川崎 まったくそうですね。
菅野 しかもひじょうにパーソナルなもの。それぞれの個性やそれぞれの考え方を持った人間と結びついて、はじめて音というものが活きるわけですね。何にもないところにただスピーカーを置いて音を鳴らしてもしょうがない。ある特定の人間の感覚と精神視野みたいなところへ、音の疎密波が到達して、その人の中に心象ができあがる。そういう、ひじょうに希有な機械だと、ぼくは思っているわけです。
だから、オーディオが、人生はもちろんのこと、人間のそれこそすべてを包含しているというか、そういうものですから、川崎さんがやられた伝統工芸もそうだし、松下電器の話もそうだけど、どこの分野でも活きるもの。そしてもうひとつ、政治や社会や経済界などの、この世の下部構造のありかたを、すごく早く反映してもいたのです。
だから30年くらい先取りしていると言っていいかな。だからオーディオのビジネスは、かなりブームも早かった。1960年代のおわりから70年代いっぱい、そして80年代はじめまで。80年代には、はやくも当時の通産省から不況産業だと指定されて、バブルの恩恵も、これといって受けていない。バブルがはじけたら不景気になって、その被害は被っている、という産業なんですね。
いまの産業界だとか商業界とか、モラリティを喪失しているけど、オーディオの企業はひと足お先にモラリティ喪失でしたね。なんの使命感ももたない、オーディオを天職とも考えない、素人ばかりが経営者になってきた。そのため銀行的発想で、企業を経営しようという人たちが多くなった。それで結果的に日本のオーディオ業界は完全に沈没してしまった。まともなオーディオのマーケットは、ほとんど海外商品にゆずってしまったのか現状です。
自分たちはこの技術を持っている、これはオーディオメーカーとしての使命感だから、これだけは貫こうという、そういう精神性をもった人たちは、ほとんどみんな70年代おわりか、80年代はじめに消えたわけですよ、残念なことだけど。
川崎 そうですね。
菅野 いま日本に入ってきている海外のメーカーの社長は、いまの話と正反対で、オーディオが好きで、オーディオの専門家。会社の規模は小さくとも、自分たちが理想とするものをつくろうというメーカーが多い。
これでは日本のオーディオは負けるわけなんですよね。
彼らは、自分たちはオーディオをやるんだという使命感を自然に持っていますし、それからモラリティはどうか知りませんけど、はっきり言えることは、オリジナリティ、アイデンティティを持っている。そのへん日本人というのは、学習とイミテーション作りを混同した人種ですね。外国の場合は、モラリティという意味じゃないけど、人のやったことはやらないぞ、という強いアイデンティティの意識があるね。
もっとも、海外メーカーのほうがやるところはもっとあくどくやる。これはもう確信犯でニセモノを作りますけど、まともなメーカーは、他社の製品と偶然似てしまったら、ちょっと残念だけどやめておこう、となる。それくらいの精神を持っている、というか、オリジナリティ、アイデンティティで意地を張る民族なんですね。やっぱり彼らは狩猟民族ですね。一匹のうさぎをふたりで追いかけて半分ずつ喰うよりは、おまえがうさぎを追いかけるのなら、おれはいるかいないかわからないけど、鹿を追いかける、そういう彼らのオリジナリティ、アイデンティティはすごいと思う。
現在のように、このマーケット、まともな趣味のオーディオは、外国の製品にほとんど全部を明け渡したというのが、宜なるかな
だからオーディオフェア、その後オーディオエキスポと改名しましたけど、もう今年はできない。
川崎 そうですか。
菅野 開催できない。一方、以前は輸入オーディオショウ、いまは東京インターナショナルオーディオショウと言っているけど、こちらのほうはどんどん充実してよくなって、お客さんからのサポートもちゃんとあるという形になってきている。
「インターナショナル」と改名したのは、輸入オーディオだけじゃないということの意欲だと思うんですけど、しかし9割は輸入オーディオが占めている。こちらは健全で、一方の、半世紀つづいたオーディオフェアは今年はお休み、という現実になってしまった。
これは、やっぱり残念なことでして、当時、あなたが私としょっちゅうお目にかかっていたころというのは、日本はオーディオ生産国としてもオーディオ王国でした。
川崎 そうですね、はい。
菅野 またオーディオの輸入に関しても王国でした。最高のものを自分たちのところで作りながら、異文化の香りを認めたかどうかはともかく、外国のものを積極的に輸入したという、その両面で世界的な存在だった。
いまは残念ながらオーディオ生産国としては、まともなものをつくるところは数社しかない。したがってまともなオーディオファイルは輸入製品を買われるということで、高級オーディオの輸入に関しては、いまでも外国からも重視されている国ではありますけれども。
でも、これで、ようやくオーディオというマーケットがまともになったと思っているわけです。
付和雷同で、わっと集まって、さっとひくというのは日本のお得意ですから。それにオーディオは、別に家庭に一台あっても悪くないし、だれでもが欲しいと思う機能なわけでしょう。だから一時のブームで、ばーっと増えたわけだけど、メーカーがそれを勘違いした。オーディオを買った人全員がオーディオファイルだと思ってしまった。
いまは、さーっと潮が引いて、マーケットは縮小したということですけど、これが本来でしょう。オーディオを趣味として、熱心にメディアで音楽を聴くという人のほんとうの姿が、いまの状況じゃないのかなぁ。だから、これからだとも思うんです。
それで、ぜひ川崎さんにお聞きしたいのは、あなたはコンピューターの専門家で、コンピューターというものと日々接しておられるし、コンピューターを通せば、世界のあり方の未来形がわかってくるわけですけど、オーディオの方にもどんどんコンピューターが入ってきていて、パッケージメディアも、そろそろ限界ではないかと言われはじめている。MP3の圧縮ソースの、ネット配信によるコンテンツをダウンロードして音楽と聴くというスタイルがだんだん普及してくるわけですけど、これが、オーディオというこだわりとクォリティ・ファーストの世界とどう共存してバランスするのか、それとも相容れないのか。
著作権の問題とかダウンロードの費用の問題とか、こまかい問題はあるようですけど、既にひじょうにポピュラーになってきている。たぶん大衆には圧倒的に普及すると思うんです。
一方の、私たちがずーっとやってきているこだわりのオーディオ、これはさきほどから申し上げているように完全な抽象のクォリティの世界。映像をあえて拒否する……、これは演劇の世界のパントマイムみたいなもので、パントマイムがしゃべったら終わりだ、とぼくはよく言うんですけどね……。ヴィジュアルには音が必要不可欠で、だからヴィジュアル&オーディオがある、われわれがやっているピュアオーディオというのは、これとは独立した、ひとつのカテゴリーだということを、ぼくは強調している。
もしエジソンが、おもちゃみたいなものであっても、映像と音を同時に記録する機械をつくっていたら、われわれは「音だけ」の音楽を聴く機会をもつことができなかったかもしれない。音だけのレコードのマーケットがどんどん大きくなって、独立した。その意味では、怪我の功名なんだけど、エジソンは音だけの機械をつくって、音だけのメディアと音だけの機械が、産業になり独自の文化と芸術のカテゴリーを創ったわけです。商売面ではなく、われわれが音楽を聴くというその立場から見ると、まったく新しい分野であり、音楽を聴くということでは、とても純粋な、もっともピュアな姿といえる。
川崎 はい。
菅野 音楽をそういうかたちで受けとることにずっとなれてきて、意識しなかったけれども、オーディオ&ヴィジュアルというカテゴリーが出てきたときに、それに気がつかされた。これはちょっとおもしろいことになってきたなと思った。
例えば、バレンボイムがベートーヴェンのピアノ・ソナタを、ライヴではなくて、映像のための(音のための)演奏をして、それをすべて収録しているものを見ますと、まったく違うんですね、音だけの世界とは。
川崎 ええ、違いますね。
菅野 これはまったく違うカテゴリーだと。
よくオーディオファイルは、奥行きが深い、とか広がりがどうとか、見たような、見えるようなことを言いますね。欲求は見たい、その見たい見えないみたいな、その青い鳥みたいに近くに行くとどこかに飛んでいくみたいな、そういうところでどんどんどんどん音に集中していって、音だけの独自の世界ができあがっていることに気がついた。
これは演奏会に行っても体験できない、実に独特な観賞形態です。
川崎 音に集中するときは、目をつぶる。
菅野 そう、自然に目をつぶる。雑念にとらわれたくない、やっぱり視覚を拒否して音に集中しようという、そういう習性がある。
すくなくとも作曲家の次元では、映像はない。純粋に音だけ。このピアノ・ソナタを、こういう照明の下で、こういう顔のピアニストに弾いてもらいたいとかはないわけでしょう(笑)。オペラになると、若干そういうことはあるかもしれないけど、本来音楽というのはそういうもので、作曲家の時点ではまったくピュアな音なわけです。
そういうものが、エジソンが蓄音器をつくるまでは実現しなかった。演奏とともにいろんなものが見えちゃう……。オーディオではじめて実現した。しかもサウンド・クォリティがいまのようにひじょうに高くなってくれば、たいへん貴重な音楽の観賞のあり方だと、オーディオ&ヴィジュアルが出てきておかげで、80年代の終わりに気がついた。
そうなってみると、いままでいっしょにオーディオをやっていた仲間で、生立ちが映画少年だと、もう大喜びで、映像システムをいれる人もいた。ぼくなんか、そういうところから来なかったせいか、バレンボイムの演奏の映像を見ても、これもいいけど、何回も見れないと思った。なんにでも映像がついたら、えらいことになるな、というのに気がついたから、この部屋には映像装置はいっさい入れないできた。オーディオ&ヴィジュアルは、ホーム・エンターテイメント的にリビングで楽しむというスタイルをとったわけです。
これから、ますます技術が進歩して、コンピューターのテクノロジーが、自然にありとあらゆるホーム・イクイップメントに入ってくる。パッケージ・メディアの存在がおびやかされるほど、マーケットの底辺においては、コンテンツ配信という形でこれが普及していくだろうという現状で、こだわりの音の世界、ピュアな音だけの世界が、今後どういうふうに行くと、川崎さんの世界から見ると想像されますか。
川崎 95年くらいからEIZO(ナナオ)という、ディスプレイにひじょうにこだわっている会社の仕事をやっていますが、EIZOのディスプレイは、世界でも名だたるディスプレイになっているんですね。それはぼく自身もチェックしていますし、オーディオのこだわりをもって映像を見ているんですけど。
それで音は、言ってみると、「音場」と「音像」のふたつがあるわけですね。
映像は「映像」という言葉しかないんですよ。「音場」にあたる「映場」はなにかというと、劇場だろうと。
菅野 なるほど。
川崎 オーディオ&ヴィジュアルというのは劇場。
ようやく最近はっきり言っているんですけど、農業革命をバックで支えたのは農場だと。工業革命をバックで支えたのは工場。情報革命をバックで支えたのは、情報の空間=オフィス空間として、情場だと言った学者がいたけど、それは間違いで、やはり劇場だろうとぼくは言ったんですね。
劇場という言葉と、オーディオのハイフィデリティでやっているものは、音像と音場があるし、それにヘッドフォンの局部音場というがある。
それで考えると、EIZOというブランドで映像をやりながら、じつはこのメーカーは劇場でやっていくモノづくりになりうるのかというのをみているんです。
菅野 なるほど。
川崎 そうすると、音の世界だけは、目をつぶって聴くというのがすごく重要で、そのときに音場を聴いているのか、音像をみようとしているのか。音像をみようとしているというのは、聴いてイメージを頭の中に浮かべるのですから、歳をとってきたからそう思うのかもしれませんが、般若心経の観自在の「観」のほうですよね。「観る」ですね。
だから劇場は観劇するというけれども、いまあらたに音の世界がいいなと思っている人は、音場をみているのか音像をみているのかを、まだ混乱しているのだろうと。
菅野 おもしろいですね。
川崎 ぼくはオーディオの世界が絶対に生きのびるだろうというのは、音場、音像というのをどういうふうにしてメーカーが出してくるか。もうひとつは、自分がアメリカでコンピューター関係の人たちと会って、親しくなって食事をすると、彼らは必ず趣味の話を始めますね。そうして出会った人たちに、オーディオマニアって、けっこう多いんです。
西もそうですけど、ビル・ゲイツもものすごいオーディオ・ファンです。みんな知らないんですね。彼がいちばんお金を注ぎ込んでいるのが、ともかくオーディオだと。
菅野 そうですね。
川崎 たとえば病院にディスプレイを飾っても、人は癒されないだろう、と。ヒーリング性を実現するには、音場空間をつくる、あるいは音像空間をつくる。そういうようなものを、デザイナーとしてはハードウェア、ソフトウェアをからめて、音場、音像をどういうふうに提示するか。
いまEIZOの将来像を、企業戦略と同時にやっていくときに、いかにこのことを経営者にわからせるかという……、その感覚がいまないんです。
菅野 いまの話を伺ってとても面白いと思ったと同時に、自分ではかなり無意識、あるいは半無意識に言ってきて、あんまり繰り返して言ってきたものだから、このごろちょっと自分でも意識するようになってきたことがひとつあって、それはなにかというと、オーディオをいつもぼくは家庭生活の日常的空間の中における作品、というふうに言いつづけてきた。
だから特別なる劇場のような、再生する部屋や建物をつくって音を聴かせる、というのは、まったくオーディオじゃなくて、これはまさしく「ボイス・オブ・ザ・シアター」ですよ。われわれの趣味のオーディオというのは、当り前だけど、家庭でやるのが本来だと。
そうすると、録音・再生というメカニズムをとおしてなにかを再現する世界として、オーディオはほんものというか、第一次的再生なんですね。ところがホームシアターというのは、あれは第二次的再生なんですね。
川崎 そうですね、たしかにそうですね。
菅野 あれは言ってみれば、劇場のニセモノなわけ。われわれの世界で何か、ほんものを求めるとしたら、それはステージしかない。ほんとうにナマの音楽しかないということになる。
そこもいまお話を聴いていて面白いなと思いましたね。
これは音楽の場合でも、演奏会場、コンサートホールにおける音場というものと音像というものが、そのままそっくり家庭の部屋に中に来る。映像の方は、そこがちょっと違いますね。
川崎 そうです。
菅野 だから、いうならば、ある程度のレベルのオーディオ、部屋の中をすばらしい音響空間として満たすことのできるクォリティの高い音の代用品があるんですね。俗に言うラジカセとかミニコンとか。
便利だし、ぼくも重宝して使うこともあるんですが、あれはかなりぼくにとっては、誤解をさせる。
川崎 ぼくはラジカセとウォークマンが、いまの若者の耳を壊してしまったんじゃないか、と思うんです。ほとんどラウドネスの音ですから。
菅野 そうです。
川崎 やっぱり自分の家でも、映像を見るところは寝室なんです。オーディオのためのスピーカーが置いてある部屋には映像は置かないんです。
菅野 やっぱりね。
川崎 やっぱり、そこには置きたくない。もしヴィジュアルなものを置くとしたら、それは絵のほうがいい。
菅野 そうです、そうです。
川崎 そういう感覚ですね。
いま若い人が好んで聴くスピーカー、名前を出すのはどうかと思うんですけど、BOSEとかを聴いてると、ちょっと違うんじゃないかという感じが、ひじょうにして、むしろ日常の空間性の中で、デザインをふくめてB&Oが提案してくれるものは、彼ら(B&Oの人たち)の音楽の楽しみ方、こういうふうに聴こう、という感じが見えてくる。
日本人は、かつては静けさの音を、静謐さの音を聴くために、ししおどしみたいなものをあえて置いた。そういう日本人の感覚を企業がぶちこわした、とくに若者の耳を。それをどうやったら元に戻せるのか……。
菅野 企業の犯した罪だとぼくも思っているんです。ウォークマン文化という言葉ができて、文化を創出したと言ってソニーは喜んでいるんだけど、とんでもない、反対におたくは文化をぶっ壊した、その罪滅ぼしにSACDを頑張れ、とよくよく言っている。せっかくあそこまできた技術によって得られた音のクォリティをいうものを、同じ技術がベクトルを変えて、ああいう小さくて便利なものをつくりだしている、ほんとうの音の美しさというものを阻害した。若者の中に、悪い意味でのオーディオ文化みたいなものを根づかせてしまったということですよね。
問題は、その人たちが、それで充分と思ってしまうこと。これはおそろしい。映像の場合は、ポータブルテレビの画像は小さいな、120インチのディスプレイは大きいなと、だれでもわかる。
音というのは、それがわかりにくいんですね、やはり抽象だから。
だけど耳は、人間にとっていちばん感度のいい感知器官、身を護るために、もっとも先に芽生えた感覚器官なわけでしょう。うしろからの気配を感じ取れるのは、耳しかないんですから。それほどのものでありながら、意識もしないし、関心を持たない人が多い。目に入るものは具象だからでしょうね、ほんとにみなさん、それなりに関心を持つと思うんです。
川崎さんは、目に見えるか見えないかのもっと深遠な世界を追及されておられるわけだけど、具象で目に見える世界はわかりやすいと思うんです。しかも人間は具体的なものに弱いんですね。抽象の認識力は劣っているように思います。だから、これで充分じゃないの、となってしまう。
われわれ自身も、一生音でやってきても、困るのは、すぐなれてしまうこと。極端なひどい音は別ですけど、そこそこ悪い音でも、聴きなれちゃう。
それとオーディオという存在が非常に弱いのは、音楽再生の場合、オーディオの占めるウェイト、オーディオが大事だとされるウェイトの領域はすべてではない。だから、手巻きの蓄音器の時代から、随喜の涙を流して音楽に感動した、ということがあるくらいで、そうなると電話クラスのフィデリティでも事足りるぞ、となる。ニキシュが、はじめて録音したベートーヴェンの交響曲第五番は、コントラバスがだめだから、バスチューバ一本で代用した。その第五を聴いても、スランプの人生から立ち直ることもある。
こういう事実があると、はたしてオーディオは音楽が人を感動させるための、どのくらいの役目を果たしているんだろうな、とときどき疑うわけですよ。
だけど一方、オーディオ装置によって、演奏の表現が大きく変るという影響をもっているということも体験している。昔の野村光一さんという方は、もうレコードは絶対に聴かない。あれを聴くと、満足するなりで、あれのリスナーになってしまう。それでその演奏家のコンサートに行くと、ぜんぜん違って、まったく別物になると言われていた。
あの年配の方ですから、演奏会評をなさるのがメインだから、レコードを聴くと、できなくなってしまう。そういうふうに言われていたわけですね。
それほどレコードというものは、あの方の時代には、おおかたの音楽の専門家は、「あれはニセモノだ」と考えた。
川崎 ええ、ええ。
菅野 代用品と言っているうちはまだいいんです。ニセモノだと。ほんものよりずっとよくなっているじゃないか、とかね。そういうふうに見られた。
ぼくくらいのジェネレーションからなんです、いいじゃない、ニセモノだって代用品だって、いい音楽ならいいじゃないか、別物だったら、ますます貴重で、いいよ、となってきた。別物だとしたら、ナマでは聴けない世界だから。そして、しかも音楽を立派に聴けて感動ができるわけだから、これは一個の独立した音楽のフィールドだと、考えてはじめたわけです。
メディアによる音楽は、ナマでは考えられない音楽の世界であって、野村光一さんのように、レコードによる音楽は聴きたくない、という方ももちろんいていい。あれは違う世界だと言われれば、それでいいし、演奏家だって、チェリビダッケみたいに、おれの音楽は録音では伝わらないと、録音を拒否していた人もいたんだし。拒否していても、本人が死ぬと遺族が記録録音を売っちゃうけどね(笑)。だから、あれはむなしい拒否だったとなるんだけど、そういう演奏家もいていい。その反対にいたのが、グレン・グールドで、彼は演奏会を拒否して、録音だけを行ってきた。
ということは演奏家にとってみても、録音というもので、積極的にやろうと思えば、いろいろなやりかたがこれからあるだろうということで、大きな意味での、音楽の世界の中で、いまやほんとに独立した音楽のジャンルを、というか世界をつくりあげたなと思うんです。
ただ、ウォークマンでいいんだ、これもオーディオだよ、と言われることが、どうもね、納得できないし、片腹痛い。やっぱりあるレベル以上のものをオーディオといってほしいな、とつよく思う。しかもあれだけの芸術内容のものを観賞するんだったら、なんで19800円じゃなきゃならないのか、とも思う。
お金の話は嫌だけど、努力の現われですから、音楽に限らず、それだけ集中してそのものを受け取ろうと思えば、それだけの代価は当然払うべきものだし、安っぽくしてしまうということはすごく悪いことだと思う。だから安物作りの会社はつぶれる。アカイがつぶれたし、アイワもソニーの完全な子会社になってしまった挙げ句、つぶれた同然でしょう。
川崎 ナカミチもそうですね。
菅野 オーディオに真っ正面から取り組んで、技術を、その時点での技術をアートに活かしきっていたら、つぶれないでしょう。そうじゃないから、あんなものしかつくれない。小手先で、たくさん売れるものだけを作っているから、結果的につぶれる。いま、日本でオーディオメーカーと言えるのはアキュフェーズだけと言ってもいいくらいですよ。
そういう状況でオーディオというのは、ひじょうにいい核だけがいま残った状態です。これからこの核を拡充させていく時代と思っていますが、ひとつ気になっているのは、デジタル技術の向いているベクトルが、コンシュマープロダクツにおいては、なにか新しいもののクリエーションというよりも、より安くより速くより便利という実用的なものにばかり向けられて、それが利用されるカテゴリーを、片っ端からより安くより軽くより便利にしていっている。これがオーディオの場合には、ちょっと困ったことだなと思っているんです。
デジタルテクノロジーが、クォリティに向いているものをたくさんあるし、またそれに向けてどんどん進歩できる技術でもあると思います。だけど日本の会社の場合に、最新の、音響に特化したデジタル技術を高度に活かしているメーカーはほんとうに少ない。
川崎 そうですね。
菅野 これはかなしいです。
デジタルは、コンピューターを中心に、量産量産でもって、とにかく価格競争をやってどんどん安くと言う実用面の流れが圧倒的に強いものだから、人々の間にデジタル=安物、アナログは、デジタル的な機能をもったら、これはオーディオ・コンポーネントとしても安物である、と。そういうふうな感覚が生まれさえしているという状況ですよね、いまは。
ぼくは、川崎さんが、デジタル文化というか、デジタル・クォリティ文化の推進者だと思うんです。川崎さんの中で、デジタル・テクノロジーを中心としたデザインであるとか、サウンドを含めて、そういう文化の別のカテゴリーみたいなものがみえているんですか。
川崎 ぼくは学生に信号論という講義をあえてやるんですけど、信号というのが、SN(Signal/Noise)ですよね。
アナログの時代はSN比がすごく気になっていたわけですよね。でもノイズ性というのが、実はひじょうに人間の情感を支えてくれていて、デジタルというのは、そのなかの信号だけを特化させている。
たとえて言えば、蛍光灯の明りで飯を食う場合と、白熱ランプのもとで食べる場合と、その両方が手に入ったということを、ぼくらは知って、デジタルは全部ダメだというのもダメだし、いやアナログじゃなきゃということを強調するのもダメ。その両方をどうやって活かしていくか、その活かし方が、実はほんとうの意味での技術の活かし方だと考えているんです。
菅野 おっしゃるとおりですね。
川崎 デジタルであれアナログであれ、それをどういうふうに組み合せて、それを経済に使うのならば、それが人間に対してなにを及ぼしているのかまでを読み込んでくれる経営者でないかぎりは、ぼくは、その世界をやってはいけないよと言うんです。それを変にやっちゃうと、IT産業でも、アメリカではすでに爆発してしまったみたいに、すぐに役に立つものは、すぐに役に立たなくなるんですね、やっぱり。
菅野 そういうことですね。ほんとそうですね。
川崎 そんなことって、ほんとうにいっぱい勉強してきたのに、なぜぼくらは忘れてしまうんだろうと。
菅野 ほんとですね、人間の浅はかなところというか……。
川崎 事故に遭う直前、東芝でデジタルチューナーをつくりました。タッチセンサーで、当時48万円もして、二局しか受信できなかった。
菅野 ありましたね。NHKと東京FMだけでしたね。
川崎 一局当たり24万円か、と(笑)。
そんなモノをつくっていて、かたやPCM録音の話もそろそろきこえてきて、デジタルのことも勉強しろと言われていた。実はそんななかで、ぼくは、会社で真空管アンプの絵を描いていたんです(笑)。どの真空管がいちばんいいんだ、みたいなことをやっていた。それはもう当時のデザイン部長からは癇癪モノで、「おまえ、いったい何をやっているんだ。机の上を見たら、真空管だらけじゃないか」と。
菅野 時代遅れ、みたいなことを言われたんだ。
川崎 でも真空管のあかりの、その良さ。
ちょうど4ビット・マイコンも登場してきて、そのマイコンをテーブルの上において、みんな腕組みして、何ができるんだという話になって、朝起きる時間がセットできるんだ、朝になったら音楽が鳴るんだ、とかね。ぼくなんかも、そんなことができるんだ、と感心していた時代ですから。ぼくとしては、全員がデジタルの方向をむいてやっている。だからバランスをとるためには、おれはアナログをやらなければならないんじゃないかと。
菅野 おっしゃるように、アナログとデジタルもまったく別々にする必要はないし、なんでもできることをやればいい。すべてをトータルにしてやっていくというのは、まったくぼくも同感ですが、ときに物事の理解とか、あるいは人々にそれをつたえるという意味で、カテゴライズとかジャンルに分けるというのが必要なんですね。
川崎 そうですね。
菅野 そのあいだの矛盾みたいなものにときどき悩むんだけど、ジャンルやカテゴリーを分けないで、ぐちゃぐちゃにしていると、世の中で、あるものがはっきりと認知されるのにひじょうに災いになったりするし、個人の中でも認識という点では、混乱をきたすこともある。だから、ときに分ける必要ありなんだけど、それがまずいかたちになる危険性もあると感じる。
視覚と聴覚、いまのちょうど、オーディオ&ヴィジュアルとピュア・オーディオの問題も、ちょっとそれに似ていると思うんです。ひじょうにあらっぽく、見たくなければ、ヴィジュアルを消せば、音だけになるよ、といういい方がある。
たとえばオペラの映像。いろんなところにたくさんカメラを置いて、スイッチを切り替えて撮影して、専門的にオペラを映像で伝えようとして作られた作品の、その音声というのは、あくまで映像の音声なんです。そうやって記録したものから映像だけを消して、音だけの作品にしようとしても、それだけではすまない。
やっぱり映像のないものとして、最初から制作しなければならない。
むかし英デッカにジョン・カルショーというプロデューサーがいて、映像がいまのように普及している時代じゃないから、録音における音的演出に、ひじょうに大きな関心を持っていて、ワーグナーの「ニーベルングの指環」の録音は、かなり音的演出をしたわけです。そういうことが、多かれ少なかれ、音だけの場合には必要になる。ヴァイオリン・コンチェルトやピアノ・コンチェルトで、音だけの時には、独奏楽器をクローズアップしないと、逆に不自然に感じてしまう。
そういうときに川崎さんはデザイナーだから、誰が考えても視覚派だと思われるだろうし、ぼくみたいに録音制作でオーディオ評論をやっている、だれが考えても聴覚派だなということになるんだろうと思うんですね。
でも話をしてみると、25年前もそうなんだけど、実際にはあまり食い違わないんですよね。
川崎 そうですね。
菅野 ぼくは、その視覚とか聴覚をこえた人間の五感のなかに入るのか入らないのかわからないけど、そういうものがいちばん大事なものとしてあるような気がする。
デザインも、このカーブが気に入ったとか、この色が気に入ったとか、この形が訴えようとしている未来志向であるとか、あるいは専門家が見れば、デザインの歴史の流れのなかで、きちんと伝統を守りながら前衛的であるとか、いろんなものがそこにはメッセージとしてこめられているかもしれないけどそういうものを超越したものが、ぼくは「好き」とか「嫌い」という言葉なのかなと思っている。
川崎 あー……。
菅野 「好き」とか「嫌い」という言葉の意味は、すごい複雑ですよ。
川崎 はい、はい。
菅野 単純に言う好き嫌いは、子供でも言う好き嫌い、ということだけど、大人が好き嫌いというときにはすごく意味が深くて、具体的に言えないから「好き」「嫌い」になると思っているんです。
そういう、なにか六感(シックス・センス)みたいなものがモノをパッと見たときに大事なもので、それはこういう音でこういう形でとか、そういうものであらわせないものじゃないかなと。
日本のオーディオメーカーが一時、外国に輸出するのに一生懸命になって、アメリカン・サウンドのスピーカー、ヨーロピアン・サウンドのスピーカーを作るなどということをやっていた。マーケット向きの音を作るということだけど、ぼくはあさはかだなと思ったし、間違っているとも思った。
たしかに音にはいろいろあるし、音の種類は無限と言ってもいい。それをどういうふうにまとめているか知らないけど、われわれはそれをいい音と、ひとつのマクロで捉える。
アメリカン・サウンド、ヨーロピアン・サウンドとかいう表面的な特徴の描き方というもので、いい音にしようというのは、ぼくは不可能だと思うんです。これはやっぱり、そういうものを越えたもの、越えたものは何か、その尺度はなにか。やっぱり自分だと思うんですよ。
川崎 そうですね、はい。
菅野 やっぱり前提として、自分がほんとうにいい音と思えるものを作るしかない。それで受け入れられなかったら、自分が足らないんだと。もっとも勉強しなければならないし、もっと洗練されなければならない。そういうふうに理解すべきものじゃないかなと思う。
それを何か知らないけど、アメリカの音はこんなふう、ヨーロッパはこんな感じと決めつけて、企業の中で、そういうのを軽率にやるのは間違いだし、パワーのある企業がそういうことをやると、ほんとうに、その傾向をつくる。ものすごくイノセントなユーザー達は、ナイーブで、それを頭から信じて、その人たちのなかでは、それが常識となるおそろしさがある。
そういうことまでも含めると、これもひとつの広い意味での広告デザインですよね。こういう言葉やコピーを使うというのは、社会的にすごく大事なことで、とくに現代の場合は、たくさんの商品がたくさんのメディアを通して、お客さんに理解をしてもらうためのコピーやら解説やらがものすごく氾濫していくわけだ。そういうレトリックもデザインも、みんなそういう、いまの世の中で昔では考えられなかった文化として、テレビを最も大きな媒体として、社会を動かしているようにぼくは思う。
そういう現実の世の中で、最先端で、川崎さんのデザインのメッセージ、デザインで世の中を変えたい、という……。あなたの志向は、ぼくはそうだと思うんです。
オーディオのデザインをやってられないのが残念だけど、あまりにいろんなものをやっておられるけど、たとえばそのメガネ。メガネというのは、われわれからすれば、スタイル以外の必然的デザインがありうるのか、と思いますよね。
あなたはあるからやったわけでしょう。
川崎 そうですね。
菅野 それは、メガネの機能としてのデザイン、見ることに徹したデザイン。
川崎 はい。
菅野 すると見た目の格好というんじゃないんですか。そのメガネをかけることで、すごくきれいに見えるという意味でのコスメティックなものも含んでいるわけですか。
川崎 メガネというのはすごくおもしろくて、大きく分けると、商品ジャンルではいわゆる視覚補正のための医療器具でもあるわけですね。もう一方ではファッションで、あるいい方をすれば、その人の人格すら、見てくれを変える演出の小道具にもなる部分もある。デザインという言葉が、ぼくがメガネ業界にはいったときには、ほとんどがファッションデザイナーがやっていたわけです。
ファッションデザイナーの人は、単純に見てくれのかたちしかやってないわけですから、そこでビスを無くすんだとか、いかに軽く作るとか、そういうこだわりかたをするわけです、ぼくは。
たとえば、彼がしてくれているメガネ(増永眼鏡のMP-690、アンチテンション・シリーズ)は、いままでと異なるレンズの固定方法で、レンズの歪みから生じる眼への負担をなくす、さらに瞳孔距離をまったく変えないというコンセプトなんです。
2000年の最後に、パリで開催される眼鏡国際見本市のひとつ、SILMO 2000で、デザインコンペ(Silmo Award)でグランプリになったわけです。メガネに革命を与えた、ということで。
菅野 こういうことも医療器具でありながら考えられていなかったわけだ、いままでは。ファッション的にしか捉えられていなかったわけですね。
川崎 レンズの形は影響をうけないので、どんな形であろうが穴さえあければ、レンズはありとあらゆるものに変えられることで、逆にいうと、そこから次がものすごく難しいんですけど。
いまぼくがしているメガネは、まったくビスがないんです。技術がそこまでいっているんです。
菅野 あのゆるんで困るビスが無いんだ。あれは、店に呼びつけるためのメガネ屋の陰謀だと思っていたけどね(笑)。これはまためずらしいなぁ。
川崎 そこから先をいま自分としては求めているんですけど。
さっきの話でいうと、人間って、アナログで生きているから、アナログしかないんですよね、実は。
基本的にはどう考えてもデジタルというのは、技術とか知識といったものにはおおいに使える。知識の一部分と見たほうがものすごく簡単で、知恵だとか人間の情念とかは、あきらかにアナログなんです。
菅野 アナログですね。おっしゃるとおりですね。
川崎 それは心臓で、結局わからない部分があるわけです。癌ができないんです。
心臓は癌ができないとか、赤ちゃんとして生れてきたときに、心臓のある一部分ですけど、同房結節というところに電流が起こるんです。それがなぜ起こるのかわからない。それは医学用語でも、IFチャンネルと呼んでいるんです。Fはファニーなんですよ。おかしな電流、という。これは解釈論がいくつかあるんですけど、赤ちゃんとして生れたときに、そこに電流が発生するんですが、その心臓の波形をデジタル化して、デジタルのまま再現しても人間は生きないというのがわかっている。人工臓器の世界でも、ほとんど人工臓器ができるということはわかっているんですけど、子宮だけは作れないというのが、あきらかなんです。
菅野 なるほど。
川崎 子宮のいろんな生体信号も、みんなデジタル処理を何とか考えていますけど、基本的には突然、さっき言ったノイズ性みたいな、ノイズなのかシグナルなのかわからないところがあるんです。これはアナログでしか解釈論ができない。
いまいちばんぼくもこだわっていて、いわゆる聴診器、聴診器もエレクトリックコンデンサーマイクを使ったらむちゃくちゃいい音で拾えるのに、いまだにあんなを使っているのか、というのがあるわけでしょう。
ところが、いまお医者さん自体が、聴診器で音を聴ける医者がいないと言われている。
菅野 そのようですね。
川崎 むかしのお医者さんは、聴診器で聴くだけで、音だけでかなりのことがわかった。
菅野 これはたいへんなアナログ流の、多い情報なんですね。でもそれは訓練を必要とするわけですしね。それをいまはパルス、その他のデータとして出すものだから、それを見て判断する。音を聴いて判断する訓練をしていないわけなんだ。それはだめですね。
川崎 オーディオが復活して欲しいと思うのは、その領域ですね。
菅野 わかりますね。
川崎 お医者さんって、オーディオマニアの方が多いじゃないですか。
菅野 多いです、すごく多い。
川崎 ところが、若手のお医者さんのオーディオマニアは減っていますよ。
これもよくない。医学部の先生に話したことがあるんですけど、やっぱり医学教育の中でオーディオをやったらどう? と。
菅野 ほんとうにそう。
川崎 医学部にいて、オーケストラにはいっている連中というのは、いいお医者さんじゃないかとか。
菅野 そうですね、おもしろいな。
川崎 医学部にオーディオクラブというのがあるべきじゃないかとか、そういうふうにみますけどね。
菅野 それはとってもいいお話ですね。まったくそうですね。
デジタルの時代でも、そういう意味ではアナログ時代と変らないと思いますね。
川崎 そうです。
菅野 とくにオーディオにかぎらず、企業家もそうだけど、人間のために、という、これがつねに最終的な目的ということを頭から忘れてほしくない。
いまは人間のため、ということが結果的におろそかにされていることがいっぱいでしょう。
そうでなければ、馬の耳に念仏ですから、やはり人間が聴いてはじめて、そこでいいとか悪いとか、好ましいとか好ましくないとか、音楽が感動できたとかできないという……、これが目的なのは言うまでもないことで、オーディオは、いまおっしゃったように、いろんな分野でいろんな意味で役立つ訓練にもなるのですね。
川崎 ほんとうにそうですね。