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Date: 7月 31st, 2014
Cate: 再生音

ゴジラとオーディオ(その2)

着ぐるみゴジラとCGIゴジラ。
2014年「ゴジラ」を観て、以前書いたことが、
着ぐるみゴジラとCGIゴジラにもあてはまるところがあるのに気づく。

三年前に、日米ヒーローの造形について書いた。
日本のヒーローはウルトラマン、仮面ライダーなどは顔の表情を変えない(変えられない)。
アメリカのヒーローは、スーパーマン、バットマンなど、顔の一部、もしくは顔全体をさらしているから、
そこには自ずと表情が出てくる。

着ぐるみゴジラとCGIゴジラ。
CGは着ぐるみでは無理だと思われる表情をゴジラにつけることができる。
着ぐるみでも、まったく無表情なわけではないが、
それは限られた表情であり、表情というより、口が動く、目玉が動くといった顔の動きであり、
あくまでも着ぐるみの表情であるのに対し、
CGIゴジラの表情は架空の生物とはいえ、生き物の表情をつくりだそうと思えばほぼ自由につくりだせるといえる。

顔の表情だけでない、筋肉のつき方、動き、皮膚の質感など、あらゆることで、
CGIゴジラは生き物としてのリアリティを追求しているし、これから先もっとリアリティを増していく。

「ゴジラ」ははやくも第二弾の制作が決定していて、キングギドラも登場する。
CGIキングギドラは着ぐるみキングギドラでは無理だった動きも可能になっていることだろう。
数年先の公開とはいえ、いまから楽しみである。

けれど……、と思う。
2014年、CGIゴジラを観ている。
数年後にはCGIゴジラとCGIキングギドラの戦いを観ていることだろう。

それでも1954年初代ゴジラ(着ぐるみゴジラ)が登場した映画を観た人たちが味わったものを、
いまCGIゴジラを観ている我々は、どうなんだろうか。

1954年の「ゴジラ」を映画館で観ることはなかった。
テレビでしか観ていない。
時代もずっと後のことだ。
何本もの「ゴジラ」を映画館で観たうえでのことである。

Date: 7月 31st, 2014
Cate: 再生音

ゴジラとオーディオ(その1)

1954年公開のゴジラは、着ぐるみの中に人がいた。

ゴジラは大きく、街を破壊していく。
ゴジラに壊されていく建物はミニチュア造形物である。

いまから60年前のゴジラは、特撮によってつくられている。
特撮とは特殊撮影技術の略称。

私が子供のころ、すでに特撮ものは流行っていた。
映画のゴジラだけでなく、ガメラもあった。他にもいくつかの怪獣ものの映画がつくられ公開されていた。
テレビではウルトラマン、仮面ライダーのシリーズが始まっていた。

限られた予算、限られた時間でつくられる特撮は、
2014年のCG(Computer graphics)によるCGI(Computer-generated imagery)ゴジラと、
1954年の着ぐるみゴジラの違い以上に、
ある意味貧弱なものだった。

それでもぼくらは夢中になってみていた。
特撮のアラは子供の目にもすぐにわかる。
しょぼい、と感じるところは多々あっても、おそらく、そのとき夢中になっていた私と同年代の子供らは、
心の中では現在のCGIゴジラのようなものを描いていたのではないだろうか。

テレビでの特撮では、こんなふうだけど、制作している人たちの理想はこんなふうではないのか。
そうやって特撮ものを数多くみてきた者にとって、1993年の映画「ジュラシック・パーク」は衝撃だった。

着ぐるみでもない、ミニチュアでもない恐竜がスクリーンに映し出されていたからだ。
その「ジュラシック・パーク」から約20年。
いまはCGIゴジラがスクリーンに登場している。