Posts Tagged 山中敬三

Date: 8月 5th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その34)

ステレオサウンド 43号から47号への変化で感じた不満は、
47号から51号への変化に対する不満とくらべると、ずっと小さい。

43号、47号、51号と毎年6月発売の号でベストバイを特集したということは、
これから先も毎年ベストバイを特集していくということは、
ステレオサウンドを読みはじめて二年半ほどの読者にもわかる。

51号のやり方で55号もやるのか、と思っていた。
55号も51号と同じだった。
ただ55号は第二特集として、「ハイクォリティ・プレーやシステムの実力診断」という、
瀬川先生、山中先生によるアナログプレーヤー13機種の試聴記事があった。

それに55号は、巻頭のスーパーマニアに五味先生が登場されている。
追悼としてのものだった。

五味先生の死はショックだった。
もうこれから先、五味先生の文章が読めない。
続・五味オーディオ巡礼が終ってしまった……。

続・五味オーディオ巡礼は、47号から始まっていた。
47号のベストバイと55号のベストバイ、
続・五味オーディオ巡礼がもう読めないこと、など、
55号は複雑な気持で読んでいた。

Date: 8月 1st, 2014
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(その9)

長島先生のアンプ遍歴は、ステレオサウンド 61号に載っている。
私がステレオサウンドに入ったころ、長島先生は岡先生や山中先生から、トラさんと呼ばれていた。

なぜトラさんなのか、疑問だった。
そのころ長島先生はコーヒーといえば、トアルコトラジャばかり注文されていた。
まさか、それでトラさんということはないだろうとは思っていたけれど、
トラさんのトラの意味がわからなかった。

結局、山中先生にだったと記憶しているが、「長島先生はなぜトラさんなんですか」ときいた。
答は「最初にトランジスターに飛びついたから」だった。

そういえばステレオサウンド 61号の記事にも、かなり早い時期からトランジスターについて勉強し、
無線と実験に連載記事を書かれていたことを思い出した。

私がステレオサウンドを読みはじめたころは、すでに長島先生は真空管アンプ派の人だと思っていたから、
トランジスターのトラとは思いもしなかった。

その長島先生が使われていたルホックスのチューナーFM-A76はトランジスター式である。
長島先生はマランツのModel 7、Model 2を愛用されていた。
このマランツの管球式アンプに惚れ込まれていた。

きっと長島先生はチューナーもマランツのModel 10Bで揃えられたかったのだと思う。
そして長島先生が10Bを手に入れられたら、きっと各部の調整をしっかりとやられていたはずだ。

Date: 10月 8th, 2012
Cate: 黒田恭一

バーンスタインのベートーヴェン全集(その10)

ここでとりあげているバーンスタインのベートーヴェン全集は1980年に、
カラヤンのベートーヴェン全集は1977年に、
どちらもドイツ・グラモフォンから発売されている。

録音された時期は両者で2、3年の違いが存在しており、
その数年のあいだにも技術は進歩しているし、録音テクニックも変化していっている。

けれど、この両者のベートーヴェン全集のレコードの違いは、
そういう技術、テクニックの、時間の推移による違いから来ているものというよりも、
録音のコンセプト自体の違いが、それ以前にはっきりとした違いとしてあるように考えられる。

それはバーンスタインのベートーヴェンが、いわゆるライヴ録音であるということ、
カラヤンのベートーヴェンが、綿密なスタジオ録音であるということとも関係してくることとして、
録音のフィデリティの追求として、
バーンスタインにおいては、コンサート・フィデリティ、
カラヤンにおいてはスコア・フィデリティ、ということが他方よりも重視されている、といえよう。

このコンサート・フィデリティとスコア・フィデリティについては、
ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)の、菅野先生と山中先生の巻頭対談の中に、
菅野先生の発言として出てきた言葉である。

ステレオサウンド 71号の菅野先生の発番を引用しておく。
     *
録音というものの基本的なコンセプトには二つあると思うんです。
一つは、コンサートの雰囲気を、そのまま録音しようという、コンサート・フィデリティ型、もう一つ、これはクラシックの場合に限られるけれども、スコアに対するフィデリティ型です。
スコアに対してのフィデリティを追求した録音は、生のコンサートの雰囲気をスピーカーから聴きたいという人には「顕微鏡拡大的である」とか「聴こえるべき音じゃないものが聴こえる」として嫌われます。
再生の側から言えば、いつもコンサート・フィデリティ派が主流になっています。
ところが、困ったことに、そういうコンサート・フィデリティ的なプレゼンス、あるいはオーケストラ・ホールに行ったかのごとき疑似現実体験、距離感が遠いとか近いとか、定位が悪いとか、音像が小っちゃいとか大きいとか、そんなことは音楽を表現する側にとっては、まったくナンセンスなんだ。
     *
この対談で、菅野先生はコンサート・フィデリティの録音として、
発売になったばかりのアバド指揮シカゴ交響楽団によるベルリオーズの「幻想交響曲」を、
スコア・フィデリティの録音として、
カラヤン指揮ベルリンフィルハーモニーによるチャイコフスキーの第四交響曲をあげられている。

Date: 10月 2nd, 2008
Cate: 瀬川冬樹

スピーカーとの出合い

明日からインターナショナルオーディオショウがはじまる。
晴海でオーディオフェアが開催されていたときの状況と比較すると、
試聴条件ははるかによくなっている。

けれども入りきれないほどの人が集まったブースでは、
なかなかいい音で鳴ってくれないし、ほかの理由で本領発揮できないスピーカーもあろう。

「オーディオ機器は自宅試聴しないとほんとうのところはわからない。
特にスピーカーはその傾向が強い」という人もいる。
なじみのオーディオ店(というよりも人だろう)があり、
関心のあるオーディオ機器を自宅で聴けるのなら、それに越したことはない。

あえて言おう。どんなにひどい音で鳴っていたとしても、
自分にとって運命のスピーカーというものと出合ったときは、すぐにわかるはずだ。

瀬川先生が以前言われていた。
「運命の女性(ひと)と出逢ったならば、そのひとがたとえ化粧していなくても、
多少疲れていて冴えない表情をしていたとしても、ピンとくるものがあるはずだ。
スピーカーもまったく同じで、
ひとめぼれするスピーカーなら、ひどい環境で鳴っていても惹かれるものがある」

瀬川先生の、この言葉は自戒も含まれているように思う。

1968年に山中敬三氏から、「お前さんの好きそうな音だよ」と声を掛けられて、
山中氏のリスニングルームでKEFのLS5/1Aを聴かれたが、
「この種の音にはどちらかといえば冷淡な彼の鳴らし方そのもの」だったし、
しかも山中氏のメインスピーカーアルテックA5の間に置かれ、
左右の距離がほとんどとれない状態での音出しも影響してか、
LS5/1Aの真価を聴きとれなかったことへの……。

とにかくショウの3日間、直感を大事にして音を聴いてほしい。