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Date: 3月 23rd, 2024
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その16)

試聴したオーディオ機器の数をとにかく増やしていきたい、という行為は、
体験を数多くしていきたいということであるはずだ、本来ならば。

けれどやみくもに体験を増やしていくだけでは,
その人の音、音楽、つまりはオーディオに関する感受性はどうなっていくのだろうか。

感受性を洗練させることは大事である。
洗練させることができなければ、どんな音でもかまわなくなる、ともいえる。

けれど、どんなことにもいえることなのだが、ただ数を増やしていくことが、
いつのまにか目的になってしまうと、感受性の洗練どころか、
反対に麻痺の方向に向ってしまう。

そうなってしまうと、よけいに体験の数だけを求めてしまうことになるような気がする。
もうそこにあるのは、わかりやすい数だけである。

その数の多さをロマンと捉えることができるのならば、
その人はその人なりにシアワセなのだろうが、
それをシアワセと思ってしまうほどに、すでに感性は鈍ってしまっているということでもある。

Date: 2月 21st, 2024
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その15)

その14)で書いている、
聴いたオーディオ機器の数をあからさまに水増しする当人には、
そういう意識はなかったのかもしれない。

私の考えでは、比較試聴をした場合か、自分でじっくり鳴らしてみたオーディオ機器は、
聴いた、といえるし、聴いたことのあるオーディオ機器として数える。

アンプでもスピーカーでもいいのだが、
スピーカーを二機種、同条件で比較試聴する機会があったとしよう。
この場合は、二機種聴いた、といえるし、誰もが納得するはずだ。

けれどどちらか片方だけのスピーカーを、オーディオ店の店頭でただ聴いただけでは、
どうだろうか。

そのオーディオ店に頻繁に通っていて、
そこで鳴っている音を熟知しているのであれば、
いつもの同じラインナップで、スピーカーだけがいつもの違うモノが鳴っていたとしたら、
これはこれで一機種聴いた、といえる。

けれどそういえないところで、スピーカーを一機種聴いた場合は、
そこで鳴っているシステム・トータルの音を聴いただけであって、
他のスピーカーの音を聴かない限り、スピーカーを一機種聴いたとはいえない。

それでも、聴いた、と主張するオーディオマニアがいるのは事実だ。
この人は、そうやって増えていく(彼が聴いたと主張するオーディオ機器の)数を、
どう捉えているのか。

自分は同年代で、もっとも多くのオーディオ機器を聴いている者だ、と自負したいのか。
さらには、世代をこえて、世界一多くのオーディオ機器を聴いた者として認められたいのか。

その数を増やしていくことが、彼にとってのロマンなのか。
それはギネスブックに掲載されることを目的とする人と近いのだろうか。

Date: 12月 21st, 2017
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その14)

オーディオ店に行って、そこで鳴っていた音を聴いた、とする。
試聴ディスクを持っていき、店員にかけあって音を聴かせてもらう、とかではなく、
ただふらっと店に入って、そこで鳴っていた音を聴いただけである。

それでも、オーディオマニアの中には、音を聴いた、ということにしてしまう人がいる。
そこで、その人は、どうカウントするかというと、
スピーカーで一機種、当然、アンプとプレーヤーが必要になるから、
アンプで一機種、プレーヤーで一機種、
カートリッジは付属していないプレーヤーだったりすると、
そこに取り付けてあるカートリッジで一機種、
計四機種のオーディオ機器を聴いた、と数える。

アンプがプリメインアンプではなくセパレートアンプだとしたら、二機種に増え、
トータルで五機種聴いたことに、その人の中では、なってしまう。

さらにアナログプレーヤーも、ターンテーブル単体とトーンアーム単体を組み合わせたモノだと、
カートリッジ、トーンアーム、ターンテーブルで三機種となり、
計六機種のオーディオ機器を聴いたことに、その人のなかでは、なってしまう。

そうやって聴いた総数を数えて、
千機種以上のオーディオ機器の音を聴いた、とか、
もっと多くのオーディオ機器の音を聴いた、と自慢している人が、
昔いたのを知っている。

聴いた、といえば、聴いている、ということになるのか。
そんなのは聴いたうちに入らない、と考える人もいる。
どんな条件であろうと、聴いたのだから、聴いた数にかぞえる、とする人もいる。

そうなると、どれだけのオーディオ機器を聴いていたのか、
一部のラーメン・ブロガーの水増しと変らない、というよりも、
もっとひどい、といえる。

オーディオ機器は、それ単品では音を聴けない。
スピーカーがあって、アンプ、プレーヤーがあって、はじめて音が鳴ってくる。

一口でも食べたラーメンを一杯とカウントするのと、
システムを構成するオーディオ機器をひとつひとつ数えて、
三機種なり四機種……、もっと多くカウントしてするのと、
どちらが水増し感がひどいかというと、後者である。

Date: 12月 21st, 2017
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その13)

東京にいると、ラーメン店はほんとうに多いな、と感じる。
ラーメン好きの人が多いのだろう。
私もラーメン好きである。

ラーメン好きの人の中には、ラーメンのブログを書いている人もいる。
ラーメン・ブロガーと呼ばれている人たちである。

ラーメンのことを毎日書いている人もいる。
毎日ラーメンを食べているのか、と感心する。
ラーメン・ブロガーの中には、一年で365杯は当然で、
500杯とか、それ以上食べている人もいる、という。

ラーメン・ブロガー同士でラーメン店に行くこともある、ときいている。
そのラーメン店で、それぞれが別々のラーメンを注文する。
四人で行って、そこに四種類のラーメンがあったとしたら、
みな別々のラーメンを注文する。

テーブルに置かれた四種類のラーメンを、
すこしずつもらって食べることもあるそうだ。

ラーメン・ブロガーのなかには、そうして食べたラーメンを、
四杯食べたとカウントする人がいる、らしい。

ほとんどの人は、自分が注文したラーメンのみ、
つまり一杯のラーメンを食べたと数えることだろう。
残り三種類のラーメンは、一口、二口もらっただけなのだから。

そんな数え方をすれば、年間500杯とか、それ以上のラーメンを食べた、
と書ける、といえば書けよう。

でも、どこか水増ししている感は残る。
昔、オーディオマニアにも、同じといえる人たちがいた。

Date: 9月 19th, 2016
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その12)

オーディオよりも自動車の世界の規模ははるかに大きい。
雑誌の数だけをみても、オーディオ雑誌と自動車雑誌とでは、後者の数が圧倒的に多い。

きく所によると、自動車雑誌ではリセールバリューについての特集が組まれることがあるそうだ。
私が20代前半のころに会った人、
オーディオ機器購入の際、手放すときのことを考えて、という人は車好きの人だった。

車が好きで、それこそ数年ごとに新しい車に乗り換えたい──、
そう考えて、それを楽しみにしている人にとっては、
購入時に、手放すときの価格について考慮するのは重要なことなのだろうし、
自然なことなのでもあろう。

頭では、そう理解できる。
理解できても共感はできない。

別項「価値か意味か」をここでも考える。

Date: 9月 18th, 2016
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その11)

私が買ったオレンジ色のデ・ローザは、すでに組まれた状態だった。
もしフレーム単体で見て一目惚れして購入したのであれば、
パーツ類は、デ・ローザと同じイタリアのカンパニョーロにした、と思う。

でも完成車での一目惚れであった。
メインパーツはカンパニョーロではなく、日本のシマノのデュラエースで組まれていた。
シートピラー、ステム、ハンドルも日本製。
リムはフランスのマビックだった。

いまでこそデ・ローザもシマノで組まれることが増えてきたけれど、
いまから20年前はそうではなかった。
デ・ローザはカンパニョーロで組むべきモノという空気が、非常に濃かった。

それでも目の前にある自転車はシマノで組まれ、それに一目惚れしたのだし、
パーツをカンパニョーロに交換してもらえば、予算をさらにオーバーすることになる──、
そんなことは実は考えなかった。

もうこれがいい、という感じで決めてしまった。

私が買ったロードバイクを買い取ってもらうとすれば、
それほどの高値はつかないと思う。
パーツのほとんどが日本製であるからだ。
むしろフレームとパーツを、バラバラにして売った方がいいであろう。

でも買うときは、そんなことはまったく考えない。
目前にあるモノが欲しい! と思ったから買ったわけだ。

だがこれも人によって違う。
買うときに、常に手放すことを考えて買う、という人がいるのを知っている。
何もひとりではない。

オーディオ機器であっても、他の趣味に関するモノであって、
買取り、下取りで値が崩れないモノ、できれば高くなる可能性のあるモノを選ぶ人がいる。

20代前半のときに、はじめてそういう人に会った。
その人の口から直接聞いた。
さもあたりまえのように話していた。

年齢は彼の方がずっと上である。
それが大人の考えなのか──、とは思わなかった。
他に、こういう人がいるとも思わなかったが、その後、何人かいた。

ということはもっといるということである。

Date: 4月 3rd, 2015
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その10)

モノの蒐集にはふたつの楽しみがある、といえる。
ひとつはモノそのものの蒐集であり、もうひとつはそのモノに関する情報の蒐集である。

オーディオも自転車も魅力的なモノであり、
どちらも昔よりも現在の方が、情報蒐集はしやすくなっているし、情報の量も多くなってきている。

欲しいモノ、気になっているモノの情報を集めてくるのは、実に楽しい。
これだけでひとつの趣味といえるほど楽しく感じている人も少なくないだろう。
私も、そのひとりである。

より正確な情報を、しかもあまり知られていない情報を求めようとしているし、
そんな情報が入ってくれば、同好の士に教えたくもなる。
そうすれば、同好の士から情報を得ることもある。

そうやってさまざまな情報をあつめる。
そして試聴(自転車では試乗)する。
これも、ひとつの情報蒐集といえなくもない。

けれど、そうやって得た情報をもとに、
実際に購入するモノ選びにどれだけ役立つか、直結しているのか、といえば、
私の場合は、間接的には役立っているとはいえても、直結しているとはいえないところがある。

デ・ローザのオレンジ色のフレームがそうであったように、
結局のところ、「これだ!」と瞬間的に感じられるかどうかが決め手であり、
他のことは、買うための口実として機能するだけである。

そんな選び方は絶対にしない、という人もいる。
それはそれでいい。
ただ私はそうやって自転車を選んだし、オーディオも選んできている。

Date: 3月 30th, 2015
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その9)

デ・ローザのオレンジ色のフレームの自転車(ロードバイク)を買った。
デ・ローザというイタリアのフレーム・ビルダーのことは、おおまかなことぐらいは知っていた。
けれど、私がいわば一目惚れして自分のモノとしたフレームに関しては、ほとんど何も知らなかった。

こういうモデルがあったのか、と後で知ったくらいで、
フレームにはCOLUMBUS(イタリアのパイプメーカー)の、
どのパイプが使われているのかを示すシールが貼られているので、
SLXという当時スタンダードなパイプだということがわかったくらいである。

いまならば気になるフレームについてはインターネットで検索すれば、
インプレッション記事が見つかることが多い。
いまでは自転車雑誌もインプレッション記事が増えているけれど、
1995年当時の自転車雑誌には、インプレッション記事はさほど多くはなかった。

私が買ったフレームについての情報は何もなかったに等しい。
一台の自転車として完成され展示したのを見て、衝動買いに近いかたちで自分のモノとした。

この時の買い方で私が選択したのは、芝大門にあるシミズサイクルという自転車店だけといえる。
どのフレームにするのか、それ以外のコンポーネントはどうするのか、
ほとんど決めていなかった。
予算をある程度決めていただけで、それすらも四割ちかくオーバーしてしまった。

買うと決めたのは確かに私なのだが、私がデ・ローザのオレンジ色のフレームを選んだ、といえるだろうか。

後日シミズサイクルの方にきいた話だが、
私が購入して一週間後ぐらいに、地方の方から問合せがあったそうだ。
その人は、東京に住んでいる友人がシミズサイクルで、デ・ローザのオレンジ色のフレームを見て、
その人に連絡したそうである。

シミズサイクルには同じフレームのサイズ違いの在庫はあった。
けれどそれは私には大きすぎたし、その人にとっても大きなフレームだった。

私があの時、もし、もう少しこのフレームの情報を集めて、
それからじっくり購入するかどうかを判断していたら、ほぼ間違いなくその人のモノになっていたであろう。
そうなっていたらきっと後悔していたことも間違いない。

間違いのない選択のために情報を集め判断するわけだが、
そのための時間で後悔することだってあるのは、自転車だけではない、オーディオも同じだ。

Date: 3月 29th, 2015
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その8)

自転車店めぐりの最初の店であり、私がロードバイクを購入した店は、
東京・芝大門にあるシミズサイクルだ。

20年前はいまのような自転車ブームではなかった。
自転車店はずっと少なかった。それでもシミズサイクルよりも大きな店はいくつかあったし、
同じモノがもっと安く買える店もあったし。
それでもシミズサイクルで買おう(何を買おうとは決めてなかった)と思ったのは、
この店が、自転車を差別しない店であったからだった。

ある大型店でのことだった。年輩の人が調子の悪くなった自転車の修理を店員に依頼していた。
その店の店頭には、当店はプロショップだから、一般自転車は販売していないし修理しない、と貼紙があった。

若い店員は口もきかずに、その貼紙を指さすだけだった。
年輩の人はよく事情がわからず、何度か頼んでいたし、どこか修理できるところはないかときいてもいた。
それでも若い店員は貼紙を指さすだけだった。

彼は雇われの身であるから、店の方針には逆らえないのはわかる。
けれど、問題はその対応だ。
きちんと言葉で説明すればいいだろうし、
その店で修理は受け入れられないのなら、他の店を教えるくらいのことはできたはずなのに、
貼紙を指さすだけなのをみて、この店で買うのは絶対にしない、と思った。

私はそう思ったけれど、その店はいまも繁盛しているようだ。
そんなことがあったから、最初の店、シミズサイクルにしようと決めた。

シミズサイクルに展示してあるフレーム中から、サイズと予算に合うモノを選ぶつもりで、
再度この店を訪れた。
そして、完成車として展示されていたデ・ローザのフレームともう一度出逢ったわけだ。

フレーム単体でみていた時よりも、ずっと映えてみえる。
細部の仕上げは、もっとていねいな仕事をしているフレームがある。
それでも、これにしよう、と決めた。サイズもぴったりだった。

いい買物をした、と思う。
そして、デ・ローザを選んだとは思っていない、運良く出合えたと思っている。

Date: 3月 29th, 2015
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その7)

1995年の5月に、はじめてのロードバイクを買った。
買う前には、当然いろんな情報を収集した。
当時はまだインターネットをやっていなかったし、
やっていたとしてもいまのようにブログやSNSが普及していたわけではないから、
結局は自転車雑誌が情報収集のメインとなる。

自転車店もいくつも廻った。
何かを買うかも重要なことだけど、それと同等かそれ以上にどこで買うかも重要だと考えてのことだった。
そのために自転車雑誌の記事だけではなく、広告も丹念に見ていた。

予算はそれほどなかったし、初めてのロードバイクだから、
いきなり最高級のモノを手にしようとは考えていなかった。
候補はいくつかに絞られた。

ただ自転車のフレームが、オーディオのスピーカー選びと異るのは、
サイズの問題がある。
どんなに優れたフレームでもサイズが合わなければ、その人にとっていいフレームとはいえない。
自分の欲しいフレームで、自分に合ったフレームのサイズでなければならないこともあって、
とにかく東京都内、神奈川、埼玉の自転車店をいくつも廻ったものだった。

そんな数ヵ月を過ごして購入したのはデ・ローザ(DE ROSA)のオレンジ色のフレームだった。
このフレームは、自転車店めぐりをはじめた最初の店にあったモノだった。
目にはついていた。
けれどオレンジ色がそんなに好きではなかったし、デ・ローザのこの時代のフレームは武骨だった。
もっと洗練されたフレームが欲しいと思っていたから、まったく気にも留めなかった。

いろんな店を廻って数ヵ月後、再び最初の店を訪れた。
そのとき、オレンジ色のフレームは、完成車として展示されていた。
「これだ!」と感じた。

Date: 1月 30th, 2015
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その6)

オーディオ雑誌やインターネットでの情報、
それからオーディオ店での試聴などなど、
ありとあらゆる情報を選択のために集める。

これはこれで楽しい行為である。
これ自体が趣味といえるのかもしれない。

気になっているモデルの情報をどれだけ集められるか。
集めた情報をどう取捨選択していくのか。
候補がいくつかあれば、情報収集とその取捨選択はもっと面白くなる。

これはオーディオの楽しみ方のひとつであり、
私はこれを自転車でよくやっている。
買えるとか買えないとかはあまり関係なく、この行為自体が楽しいからである。

そんなことをやりながらも、買いたいと思うフレームは、
そうやって情報収集・取捨選択をやっているフレームとは、まったく違っていたりする。

なのに、なぜそんなことをやっているのか。
無駄な行為としか思えないことをやるのか。

もちろん欲しいと思っているフレームについての情報も集めないわけではない。
かなり積極的に集める方だと思う。

でもそれ以上に、他のフレームに関して情報収集をするのは、もう趣味だから、としかいいようがない。
あえて理由をつければ、現在入手できるフレームの中で、もっとも理想に近いと思われるモノはどれなのか、
それを知りたいからなのかもしれない。

Date: 2月 26th, 2014
Cate: ロマン
1 msg

オーディオのロマン(その5)

瀬川先生が、以前こんなことを話されていたのを思い出している。

女性の出逢いについて、だった。
その人にとって、ある女性が運命の人であるならば、
その女性がたとえぼさぼさ頭で化粧がうまくいってなかったり、
元気がなかったりしていたとしても、逢った瞬間にインスピレーションで、
運命の人であると感じるものだ。
スピーカー選びも同じだ、と。

そんなことをいわれた。

五味先生にとってのタンノイ・オートグラフ、
原田勲氏にとってのヴァイタヴォックス・CN191、
瀬川先生にとってのマランツ・Model 7とJBL・375+537-500、グッドマンのAXIOM80、
これらこそが、出逢いであるはずだ。

オーディオ雑誌を読んで評判のいいオーディオ機器をいくつか借りて、
自宅試聴して良かったモノを買う──、
これを出逢いと呼んでいいのか、出合いでもないのかもしれない。

われわれは、つい自分が選択しているものと思い込んでいる。
一方的な選択なんてものは、この世に存在しないのではないか。
結局、選び選ばれている、としか思えない。

だからこそ出逢いでありたいと願う。

Date: 2月 26th, 2014
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その4)

オーディオ機器はどんなものでも安くはない。
それどころがかなり高価なモノのほうが多いともいえる。

金の成る木は持っていないから、選択の失敗は避けたい。
そのためには充分すぎるほど調べ、試聴する。
それも販売店の試聴室だけの試聴ではなく、できるだけ自宅試聴を行いたい、と思う人はいる。

インターネットを見ていると、自宅試聴を行った、とか、
自宅試聴ができるような客になれ、とか、そういう書き込みが目につく。

自宅試聴こそが、選択の最終手段でもあるかのように書かれている。

自宅である程度の時間をかけて、じっくりと気になる機種をいくつか借り出して比較試聴ができれば、
選択で失敗することはないのかもしれない。

失敗はしないだろう。
でも失敗しない選択が、最良の選択であるのかは、また別のことである。

いまは情報と呼ばれているものがあふれすぎている。
そんな情報と呼ばれているものは、インターネットで検索すればかなりの量に接することができる。

自宅試聴して、インターネットでも人の評価を調べまくる。
そうやって買ったオーディオ機器は、人に自慢できるモノではあっても、
その人を幸福に導いてくれるモノとは限らない。

Date: 2月 25th, 2014
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その3)

瀬川先生も同じ体験(買い方)をされていることは、
瀬川先生の書かれたものを読んできた人ならば思い出す。

マランツのModel 7がそうだったし、JBLの375+537-500もそうである。

こういう例は昔のオーディオ雑誌、オーディオについて書かれた文章を丁寧に読んでいけば、
これだけではないことがわかる。

こう書くと「そういう時代だったんだろう」という反論が来る。
たしかに「そういう時代」だったわけだ。

五味先生がオートグラフ、齋藤氏がデコラ、瀬川先生がModel 7、375+537-500を買われたときには、
まだステレオサウンドは創刊されていなかった。

海外のオーディオ機器の情報を詳細に伝える雑誌はまだなかったころであり、
インターネットは影も形もなかった時代。
情報は極端に少なかった。

試聴をしたくとも実物を目にすることすらほとんどなかった、そういう状況だから、
実物も見ず試聴もせずに買うのは、時代のせいといえばそうであることは確かなのだが、
それだけではないことも、また確かである。

Date: 2月 25th, 2014
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その2)

私がツイートしようと思っていて、
先に同じことを別の人にツイートされたからやめてしまったのは、
五味先生、ステレオサウンドの原田勲会長、齋藤十一氏(新潮社のS氏)、瀬川先生のことである。

五味先生の書かれたものを読んできた人ならば、オートグラフを買われた経緯を知っている。
五味先生がオートグラフを最初に日本で買われた人であり、
それ以前に日本にオートグラフは入ってきていない。

つまり実物も見ることなく、1963年のHiFi year bookに載っていたオートグラフを見て、
「怏怏たる思いをタンノイなら救ってくれるかもしれぬと思うと、取り寄せずにいられなった」五味先生は、
タンノイにオートグラフを発注された。

ステレオサウンドの原田氏も、ヴァイタヴォックスのCN191は音も聴かずに買われた、と聞いている。
五味先生のオートグラフを何度も聴かれているだけに、
オートグラフと肩を並べる存在で、英国のスピーカーシステムとなると、
ヴァイタヴォックスのCN191しか、当時はなかった。
だからCN191にされた。

原田氏のCN191は横浜港に到着した。
今も当時もヴァイタヴォックスの輸入元は今井商事。
今井商事としては日本に初めて入ってきたCN191を会社に持ち帰りチェックをした上で出荷するつもりだったが、
イギリスからCNs191とともに届いた英国の空気を少しでも失いたくないから、
半ば強引に横浜港から自宅に搬入した、と原田氏ご本人から聞いている。

五味先生はデッカ本社でデコラを聴かれている。
そしてS氏(齋藤十一氏)に「ピアノの音がすばらしい、デコラをお購めなさい」と国際電話をされている。
齋藤氏はデコラにされている。
齋藤氏も実物を見ることなくデコラに決められているはずだ。